第五十四話
第五十四話
ソジュが身を寄せた隠れ家の扉が突然開かれ、フードをかぶった男が飛び込んでくる。
「誰だ!」
ソジュは誰何しながら身構える。左手に持ったマナ貨つまったカバンを手放し、右手で懐に入れた停滞の楔を掴む。
誰だと聞きつつも、問答無用で停滞の楔を突き刺すつもりだったが、フードの男が慌てて制止した。
「待て、ソジュ、俺だ!」
フードをかぶった男は両手を掲げ、無抵抗を示す。掲げた右手でフードを取る。そこには見知った顔があった。
「エンミか!」
フードの男は盟友であるエンミだった。
「ソジュ。お前も無事だったか! 安心したぞ」
エンミが安堵の表情を見せるが、それはこちらの台詞だ。
「遅いぞ! エンミ。お前が捕まったのかと心配した」
娼館の中にいた自分と違い、離れた場所から周囲を監視していたエンミの方が、逃げ出しやすく、この隠れ家からも近いはずだった。
「すまない、途中で警備兵に見つかってな。追いかけられたが何とか逃げることが出来た」
エンミが遅れた理由を話す。やはり包囲の輪が敷かれている。
「これからどうする?」
エンミに尋ねると、長年の盟友は自信ありげに答えた。
「ソサエティから脱出するぞ。誰も知らない転移陣がある」
「本当か?」
エンミの言葉がすぐには信じられなかった。だが事実だとするなら朗報だ。これで何とかなる。
「すぐに向かうぞ」
エンミが踵を返し、入って来たばかりの扉から出ようとする。自分もエンミに続こうと、床に落としたカバンを拾いなおしながら、隠れ家から出ようとする友人の背中に尋ねる。
「エンミ、その転移陣どこにあるんだ?」
「中央地区だ」
エンミの言葉に、ついていく足が止まった。
「正気か? エンミ。中央地区になんて行けるわけがない。それに、あそこに使える転送陣があるわけがない」
グランドエイトの中枢ともいえる中央地区は、最も警備が厳重な場所だ。当然管理が行き届いていて、逃走に使える転送陣なんてあるわけがない。自分がグランドエイトの時でさえ、中央地区に秘密の転移陣形を持つことはできなかった。
「安心しろ、メグワイヤがもしもの時のために作って、残しておいたものだ。中央地区に行くのも、地下に秘密の抜け穴がある」
エンミが自信満々に請け負うが、信じられなかった。
そもそもメグワイヤが、そんなものを残していたことが信じられない。あれほどマナに困り、自分の副官モンスターさえ売り払ったというのにだ。
「本当か? そんなものがあるのか?」
ソジュの懐疑の言葉に対して、エンミが感心した声を返す。
「ああ、そんなものを残しておくなんて、さすがだよな」
エンミがメグワイヤをほめる。確かに、どんなに苦しくても、切り札を残しておくのはメグワイヤの手管かもしれない。しかしそこまで温存した最後の切り札を、メグワイヤが人に教えるだろうか?
「エンミ、どうやってそのことを知ったんだ?」
長年の盟友に尋ねる声は、硬質のものとなっていた。
誰かが裏切り計画は失敗した。それは間違いない。では誰が裏切ったのか?
ほぼすべての情報が漏れていた。計画の中枢にいた誰かが裏切ったに違いなかった。
メグワイヤと自分以外の誰かが。
「なんだ、ソジュどうしてそんなことを聞く?」
硬質の言葉に気づいたエンミが、振り返りこちらを見る。その眼には不信感と怒りがあった。
「知りたいんだ、答えてくれ、エンミ」
ソジュが問うとエンミが一歩下がる。
下がった距離はわずか一歩。しかしその一歩は大きな断裂となって互いの間に広がった。
エンミは怒りと共にため息をついた。
「知りたいなら教えてやるよ。手紙で教えてもらったんだ。監視をする家に行ったら手紙が置いてあったんだ。もしもの時はそれを使って逃げろってな」
エンミがぶっきらぼうな声で返答を返す。だがその内容はとても信じられなかった。
「そんな大事なことを、メグワイヤが手紙で指示するか?」
ソジュの知るメグワイヤは、これ以上ないほど用心深い男だ。石橋をたたきもせず、自分で作った橋しか渡らない男。まず他人を信用しないし、だれが見るかわからない置手紙など絶対にしない。
「書いてあったんだ! 本当だ!」
エンミが怒鳴るが、よけい信じられない。そもそもなぜここに来るのが遅れたのか? 本当に追手がいたのか? しかも追ってからうまく逃げたなんて、そんなうまい話があるか? 俺たちを裏切り、マダラメかシルヴァーナに会っていたから遅れたのではないのか?
考えれば考えるほど、エンミに対する疑いが深まっていく。
「ならその手紙を見せてみろ、エンミ!」
証拠の提示を求めたが、エンミは首を振った。
「燃やしてもうない。読んだら燃やせと指示があった!」
つまり証拠はない。もはや疑惑は確信へと変わっていた。裏切り者はエンミ。間違いない。このままついていけば、敵の口の中に飛び込むようなものだ。
ソジュの不信感がエンミに伝わる。エンミの目が動き、ソジュが持つカバンを見る。
「……さっきから気になっていたんだが、そのカバンは何だ?」
エンミの言葉に、ついカバンを体に隠そうとしてしまう。
「ソジュ、お前は娼館で見張りをしていたはずだよな? そんなカバン持っていなかったはずだ」
「これは……」
言いよどむと、エンミが手を伸ばしカバンを掴んだ。
「中に何が入っている、見せてみろ!」
エンミが掴んだ手を振りほどこうとするが、弾みでカバンの口が開き、中に詰まっていたマナ貨が床に散乱する。
「なんだこれは!」
床に散らばるマナ貨を見て、エンミが怒鳴る。
「ソジュ、お前! 裏切ったな、この金で俺たちを売ったな!」
エンミが怒りの目でにらみつける。
「違う、これはメグワイヤの金だ。あいつが逃走資金に残していたんだ。ここに置いてあった」
事情を説明しようとしたが、エンミは聞く耳を持たなかった。
「嘘をつけ、こんな金を残す余裕があるものか!」
エンミが怒鳴りながら詰め寄る。ソジュの視線はエンミの腰に注がれていた。エンミの腰には剣が下げられていた。自分と違い、外から監視していたエンミは当然武装している。斬りあいになれば負ける。
「お前という奴は!」
エンミが腕を伸ばし、ソジュの胸ぐらをつかもうとした瞬間、反射的に懐に手を伸ばし、停滞の楔を引き抜いた。
停滞の楔に気づいたエンミが慌てて手を引き、針のような刃先から逃れる。かすかに刃がかすり、エンミの手から血の数滴がこぼれた。
「貴様! 裏切り者め!」
エンミが腰の刃を抜きながら叫ぶが、それはこちらの台詞だ。
「それはお前だ、エンミ! お前が俺たちを裏切ったんだ!」
すべては俺を騙すための演技だ。そうとしか考えられなかった。
「黙れ!」
刃を握り締めたエンミが切りかかる。ソジュは身をかがめて停滞の楔を繰り出した。
二つの絶叫が響き渡り、鮮血が廃屋に飛び散る。
「ぐうう、ソジュ、貴様!」
エンミが床に手を突きながら唸る。その腰には停滞の楔が深々と突き刺さり、半身がマヒし動けないでいた。
一方でソジュも無傷とはいかなかった。左腕が切り落とされ、大量の出血が床を赤く染めている。
「おのれ、エンミ。この借りは必ず返すぞ! 必ずだ!」
ソジュは右手でカバンを掴み、出血に構わず隠れ家から飛び出す。まだ下半身が動かないエンミは、腰に刺さった楔を抜きつつ、血とマナ貨が散らばる床を殴りつけた。
「ソジュ、絶対に許さない。殺す、絶対に殺してやる!」
怨嗟の声が南地区にこだました。
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