第二百四話
第二百四話
部屋にやってきたカスツールを見て、サイトウは抜き身の剣を持ったまま息を吐いた。対するカスツールは部屋の周りをキョロキョロと見回す。
「いつ始まるのかと思っていたが、ようやくか」
「そのようだな」
カスツールの独白のような言葉に、サイトウは頷いた
これまで新たな部屋に向かえば、敵モンスターがいて倒さなければ次に進むことができなかった。
ここにはモンスターはいない。しかしサイトウとカスツールはいる。おそらくどちらかが死なねば扉は開かない仕組みなのだろう。だがサイトウもカスツールも、この事態を意外とは思っていなかった。
ここのダンジョンマスターが自分たちに何をさせたいのか、サイトウはおおよそ理解していた。
その目的まではわからないが、一人になるまで殺し合いをさせたいのだろう。別行動をさせられた時から、いずれカスツールたちが敵として出てくるだろうと予想していた。クソみたいなデスゲームだが、元からここはそういう場所である。
「ここの連中は、いったい何が目的なんだろうな?」
「さぁ、どうでもいい」
サイトウの疑問に、カスツールはつまらなそうに答える。わからないことを考えるのは無駄と、カスツールは割り切っているようだった。
「ところで一応聞いておくが、協力して進む気はないか?」
サイトウは一つの提案をした。
ダンジョンマスターが殺し合いをさせるつもりであっても、それに従ってやる理由はない。扉を無理やり破壊し、進むという手もある。
「お前が俺の尻を舐めるというのなら、仲間にしてやるぞ?」
サイトウは薄ら笑いを浮かべながら言ってのけた。仲間といっても上下関係はつけるつもりだ。
「それはこっちのセリフだ。お前こそ、俺の尻を舐めるつもりはないか? ラケージの尻はよくしゃぶってたんだろ?」
カスツールが笑う。サイトウも目を細めて笑い返す。
二人の間を笑声だけが行き交う。そしてある時を境にぴたりと止まり、両者の体から殺気が漏れ出した。張り詰めた空気は気温すら低下させた気がした。
「ところで、さっきから気になっていたんだが。その喋り方はどうした?」
サイトウはいつでも動ける体勢を維持しながら尋ねた。先ほどからカスツールの喋り方がいつもと違っていたる。
「ああ、死にゆく相手に、偽装もいらないと思ってな」
カスツールはいつも曲がっている猫背をまっすぐに伸ばした。するとカスツールの背丈が、思った以上に大きいことにサイトウは気づいた。
これまで矮躯で小男だと思っていたが、カスツールの背はサイトウより少し小さい程度だった。
「おっとこれで終わりじゃないぞ」
カスツールが首を左へとグッと曲げた。首が折れるのではないかと思うほど、カスツールは首を曲げていく。そしてついに骨が折れたような音が響いた。だが本当に折れてはいないようで、カスツールは右手を左へと捻り、一方で左手を背中に回す。左右の足も捻り、まるで前衛芸術の彫像のような姿勢となる。
カスツールが限界まで体を捻ると、あちこちからゴキゴキと骨が鳴る。そして音がするたびに、カスツールの腕や足が伸びていく。
サイトウは驚くべき光景に、片眉をあげて注視する。するとカスツールが捻っていた手足を元に戻して直立した。フゥと息を吐いたその体は、サイトウが見上げるほどの長躯となっていた。着ていた服の丈が合わず、半袖半ズボンとなり体にピッタリと張り付いている。
「あーっと、別に答えなくてもいいんだが。一応聞いとく、なんだそれ?」
片眉を上げながらサイトウは問うた。今のカスツールは全くの別人だった。これまでのカスツールといえば、矮躯を曲げて卑屈な視線で見上げる小男だった。しかし今では草原をかける草食獣のように、手足が長くスラリとしている。見下ろす視線にも、自信に満ち溢れていた。
「答えてやる義理はないが、死にゆく相手に知られても困ることは何もない。これはちょっとした偽装だ。大抵のやつは醜く小さい者を馬鹿にする。そうして油断している奴の首を掻き切るのが楽しくてな」
カスツールが目を細めて笑う。
酷薄な笑みを見て、サイトウの背筋に悪寒が走る。
これまでサイトウはカスツールのことを、斥候タイプの冒険者だと思っていた。だが斥候は他者を欺く偽装をする必要がない。
「暗殺者だったのか?」
「そんなところだ」
顎を引くカスツールに対し、サイトウは視線を右上にあげて思考した。
この世界の裏社会には、暗殺ギルドがあったと聞いている。しかしその暗殺ギルドは、四英雄の一人である夜霧に乗っ取られたと言われている。
「さて、喋るのにも飽きた。死んでもらう」
「背がデカくなったら、態度もデカくなるようだな」
「デカくもなるさ」
答えたカスツールの姿が、突如消えた。次の瞬間、背後から声がする。
「こっちだ」
声に釣られてサイトウが振り向くと、カスツールが部屋の壁にまで移動していた。まさに目にも留まらぬ、と言った速度である。
「あの姿は偽装には便利だが、動きがかなり制限されていてな。せいぜい出せて半分以下だ。お前たちが知っているのは俺の力の半分だ」
カスツールが短剣を掲げる。
「お前は俺の速度についてくることができない。お前に許されるのは、俺に切り刻まれることだけだ。痛みに震えろ」
カスツールが宣言した次の瞬間、その姿がまたも消える。サイトウは右手で剣を掲げて防御の姿勢を取るも、左手に焼け付くような痛みが走る。
目を向ければ、左腕が半ば切断されていた。
傷口からは大量の血がこぼれる。サイトウは痛みに耐えながら、回復魔法を発動し傷を塞ぐ。
「おっ、俺の動きの初動には反応したか。しかし反応できても体はついてこないようだな」
カスツールが言い終えると、また姿を消す。サイトウは咄嗟に急所を守るも、今度は右膝が抉られた。
「そらそら、次行くぞ。早く回復しないと、追いつかなくなるぞ」
カスツールは笑いながらヒットアンドウェイを繰り替えす。その度にサイトウの体は切り刻まれた。
カスツールの言葉通り、戦いは一方的なものとなっていた。
サイトウはカスツールの動きについていけず、目で追うことが精一杯。なんとか即死しないように急所は守っているが、今はそれが限界だった。
サイトウは全身が血まみれとなった。相手の姿はろくに見えず、常に傷が増え続け、ずっと治療を続けねばならなかった。
サイトウは痛みに耐えながら、声にならないほど小さく呟いた。
「勝ったな」




