第百七十一話
第百七十一話
装甲蟻の大きな首が落ち、転がっていく。蟻は自分の首が切られたことにも気づかず、触覚を動かし顎を何度も鳴らしていた。
「え?」
切ったサイトウ自身も驚いていた。
空振りをしたのかと思うほど、手応えはなかった。しかし装甲蟻の首は間違いなく落ちている。
「たおし、た?」
以前はあれほど苦労して倒していた装甲蟻が、こうも簡単に倒せたことが信じられなかった。
サイトウは茫然自失として立ち尽くした。だが驚いていたのはサイトウだけではなかった。周囲にいる冒険者たちも、サイトウが装甲蟻を倒したことに気づき驚きの目を向けている。
立ち尽くすサイトウに、さらに二匹の装甲蟻が襲いかかる。だがサイトウはその動きをすでに見切っていた。
硬い外骨格に俊敏な動きをする装甲蟻は、強力なモンスターと言えた。しかし蟻型のモンスターは、その特性ゆえに個体差がほとんどない。さらに個性といえるほどの自我もない。つまりどの装甲蟻も同じ動きをする。難敵ではあるが、一度倒し方さえ覚えてしまえば簡単に勝てるようになるのだ。
迫り来る二匹の装甲蟻に、サイトウは二度刃を振るった。直後、二匹の装甲蟻の首が落ちる。
三つの屍を作り出したサイトウを見て、周囲からざわめきが起きた。
これまで周りの冒険者にとって、サイトウは最下位のお荷物でしかなかった。剣技に始まり闘気や魔法もなっておらず、早晩ラケージにしゃぶり尽くされるか、あるいはモンスターに殺されるだろうと考えていた。
にもかかわらず、サイトウはほんの数日で驚くべき成長を遂げていた。
誰もがサイトウの成長に舌を巻いていたが、黙っていられない者が二人いた。
禿頭のダンカンと、小男のカスツールがサイトウの前に出る。その顔には焦りと怒りが混ぜ合わされていた。
「お前! それは俺様の闘気法……」
「俺っちの技を盗んだな!」
下に見ていた相手に、自身の技を模倣された両者の怒りは尋常ではなかった。
殺気を放ちながら迫る二人に対し、サイトウも自衛のために剣を構える。しかし今のサイトウに、戦えるほどの体力は残っていなかった。それに戦闘巧者のダンカンとカスツールは、装甲蟻のように単純な動きをしない。闘気法や歩法にも、隠された秘技があるはず。
サイトウは剣を構えて息をのむ。
傲岸不遜を自負するサイトウであっても、二人を相手に勝ち切る自信はなかった。
対峙するダンカンとカスツールが、サイトウに向かって一歩を踏み出す。その時、唸り声を上げる鞭の一閃が、ダンカンとカスツールの前に振り下ろされた。
地面を切り裂く一撃に、ダンカンとカスツールの足が止まる。二人が鞭を辿ると、その根元には黒髪の下で笑うラケージがいた。
「テメェ、ラケージ! 邪魔するつもりか!」
「俺っちの邪魔すると、姐さんでも許さねぇ!」
ダンカンとカスツールが目を向く。しかし二人の殺気に晒されても、ラケージの余裕の笑みは崩れなかった。
「だったらなんだっていうの? 技を盗まれたなんて、盗まれる方が間抜けでしょ? そもそも、盗まれる程度の技だったんじゃないの?」
ラケージの言葉に、ダンカンとカスツールが歯を剥き出しにして怒る。
「なんにしても、私の玩具を取り上げるっていうんなら、相手をしてあげるわよ」
ラケージが腕を振るう。すると鞭が縦横無尽に走り、闘技場の床を切り裂いていく。ラケージの威嚇に、周囲で見ていた冒険者たちも距離をとる。ダンカンとカスツールも前に進めない。
暴風雨の如き鞭の威力に、熟練の冒険者であっても二の足を踏むのだ。
ダンカンとカスツールの額に汗が流れる。しかし二人にも意地がある。理由もなしに引き下がれば沽券にかかわる。
「俺らがやらねぇって思っているんなら、大間違いだぞ」
「姐さんを殺す技を、持っていないとでも?」
ダンカンが全身から赤い闘気を吹き出しながら、巨大な戦槌を構える。一方カスツールはすっと背筋を伸ばし短剣を手に持ちラケージを見る。
構えた両者を見て、サイトウは息をのんだ。
ダンカンの体から放出される闘気は激しく、まるで周囲の温度が上がったかのような錯覚を受ける。一方で隣に居るカスツールからは、針のように研ぎ澄まされた殺気が放たれ、背筋が寒くなる思いだった。
「へぇ、やるやない。楽しめそうだわ」
ダンカンの闘気とカスツールの殺気を、正面から受けてなおラケージは笑った。
対峙する三者が息を吸い前に進もうとしたその瞬間。闘技場に声が響き渡った。
『今日の順位を発表する』
モンスターが全て倒されたことにより、順位が発表されたのだ。
踏み込もうとした瞬間の声に三人は気勢がそがれ、二の足を踏む。
闘技場に響き渡る声は、ラケージたちの諍いを無視して順位を告げていく。
「チッ、仕方ねぇ」
「姐さんとやるには時間が足りないっスね」
順位が告げられていく中、ダンカンは唾を吐いて戦鎚を肩に担ぎ、カスツールも短剣を鞘に戻す。
三人の激突がどうなるかは予測もできない。しかし一瞬で勝負がつくとは思えなかった。今は決着をつける場ではないと、ラケージも鞭をしまう。
『九席、サイトウ。三匹。最下位はビストルク、一匹だ』
順位を告げられたサイトウは、最下位を脱出したことに呆然としていた。
『それでは最下位の者以外は順位に従い部屋に入れ、鐘の音が鳴り終わり次第、この部屋は封鎖され、毒の霧が流し込まれる。部屋に入らない者の命の補償はしない』
メグワイヤの声はそこで途切れた。
「今夜はビストルクとか。久しぶりだから、今夜は飛び切り楽しみましょうね」
ラケージが毒花の様な笑みを見せると、ビストルクの顔は蒼白となった。
ビストルクはすでに二回ラケージの拷問を受けている。ビストルクは首を小さく横に振り、後ろに下がる。
「嫌だ、拷問は嫌……」
「わがまま言わないの。私の部屋に来ないと、毒で死んじゃうわよ」
ラケージは眉を下げる。
「ほら、駄々をこねてないでいきましょうね。優しくしてあげるから」
手を差し伸べるラケージに、ビストルクは首を横に振った。
「嫌だ、拷問はもう嫌だ!」
叫ぶビストルクの瞳孔は開かれ、顔からは汗が流れ出る。
「拷問されるぐらいなら!」
ビストルクは宝玉が付いた杖を自分の頭へと向けた。杖からは小さな魔法陣が浮かび上がり、次の瞬間爆発が起きビストルクの頭が吹き飛んだ。
「あーあ、死んじまいやがった」
「まっ、遅かれ早かれって感じっスね」
ダンカンとカスツールがつまらなそうにこぼす。
「あら、どうしてそんなに嫌がったのかしら? この前は二人で楽しんだのに」
ラケージは本当に意味がわからないと首を傾げている。
「まぁいいわ。久しぶりに一人部屋を堪能するのも悪くないし」
笑いながらラケージはサイトウに目を向ける。
「じゃぁまた今度ね」
ラケージは右手を自分の赤い唇に当てたかと思うと、チュっと投げキッスを寄越した。
サイトウは背筋に寒気を覚えたが、ラケージは気にせず部屋に戻っていく。一方他の冒険者たちは、自分の割り当てられた部屋に直行せず、死んだビストルクの元に群がる。
ビストルクの死を悼むのかと思ったが違った。冒険者たちはビストルクの遺体から杖やローブを剥ぎ取っていた。
冒険者たちが去って行った後には、身包みを剥がされた頭のない死体が転がっていた。
自分も死ねばこうなるのだと、サイトウの背筋が再度震えた。
闘技場の四方からは煙が立ち込め始める。毒の霧が放出されているのだ。
サイトウはビストルクの遺体から目を離し、九と数字が書かれた扉に向かい中に入った。
九番目の部屋はみすぼらしい限りだった。
灰色の石畳の部屋で、広さは四メートル四方もない。寝台はなく、藁がまばらに床に敷かれていた。部屋の中央には水差しが一つにパンが入った袋が一つ。そして隅には壺。どうやらこれが便所らしい。
湿気が強く寒い。何よりカビや便の臭いが染みついていた。まるで牢獄の様だが、ラケージがいないというだけで天国である。
サイトウは水差しの水に口をつけ、パンを貪り食う。そして腹が満ちたところで藁が敷かれた上に倒れるように横たわった。
サイトウは疲れ果てていた。しかし極限の環境に身を長く起きすぎたせいか、眠ろうと思っても、すぐに眠ることができなかった。
仕方なく目を開けると、石の壁が目に入った。目を凝らせば、壁には何か文字が書かれていた。異世界の文字だが、サイトウは転生者特典として、言語理解のスキルを得ている。
何が書かれているのかと読んでみると、石を削る様に書かれているのは慟哭であった。
『死にたくない』『どうして自分がこんな目に』『ラケージが怖い』『拷問は嫌だ』『助けてくれ』
ダンジョンに囚われ、ラケージに拷問を受けた者の嘆きだった。
壁をよく見れば、文字はそこかしこに書かれていた。しかも字の書き方が違うものもあった。この部屋を使った者たちが、書き残していったのだ。
嘆きの言葉は呪いのように、部屋中の壁という壁に書かれていた。
居るだけで呪いが侵食してきそうな場所だった。サイトウも一瞬息をのむ。だがすぐに吐き捨てた。
「ふん。負け犬共め!」
サイトウは身を起こすと立ち上がり、剣を抜いて構えた。そして狭い部屋の中で素振りを始める。
「死ね、弱い奴は死ね。死んでしまえ」
呪いの言葉を振り払うかのように、サイトウは剣を振り続けた。
狭い部屋の中、素振りをするサイトウを見つめる視線があった。暗い部屋の中でモニターに映るサイトウを監視しているのは、眼鏡をかけたメグワイヤだった。
モニターの光を眼鏡に反射させながら、メグワイヤはずっと素振りをするサイトウを見続ける。
「メグワイヤ、調子はどうだ?」
メグワイヤの背後に、銀の鎧を身に纏ったシルヴァーナが歩み寄る。
シルヴァーナとメグワイヤは、サイトウをダンジョンの闘技場に送り込み戦わせていた張本人であった。そしてその行動のすべてを監視していた。
「うん……悪くはないな。兆しは見えてきた」
シルヴァーナを一瞥したメグワイヤが、視線をモニターに映るサイトウに戻す。
一心不乱に素振りを続けるサイトウの動きは、なかなか堂に入っていた。少なくとも闘技場に放り込まれる前よりはだいぶましになっている。
「お前が購入したオリハルコンの剣。その所持者の候補に、サイトウを入れるのも悪くないかもな」
メグワイヤはサイトウに顎を向ける。
「とはいえ、モノになるにはまだまだ時間がかかる。こいつの成長を待っていられないのだろう? やはりラケージに持たせるべきではないか?」
「そのことなのだが、時間は少し出来るかもしれない」
「ん? 何かしかけたのか?」
メグワイヤがシルヴァーナに向き直る。こちらの動きを察知させないため、極力動かない予定だったはずだ。
「私は動いていない。だが、世界のほうが動いてくれた。マダラメのダンジョン周辺を見てみろ」
シルヴァーナがモニターを指さす。メグワイヤは言われた通り外の映像を映し出し、マダラメのダンジョン周辺を見た。そこには驚きの光景が広がっていた。
「これは……」
「なっ、時間は出来そうだろ」
「確かに、好機かもしれないな」
メグワイヤはメガネの下にある口をゆがませ笑った。
次回マダラメ回