第百六十九話
第百六十九話
「あら、もう立てないの? なら、私の時間ってことでいいのかしら?」
悶絶するサイトウを、ラケージが肉食獣の笑みを見せる。
歩み寄るラケージに、サイトウは歯を食いしばった。
ラケージは常に拷問しようとする。目の前に元気な男がいれば、ラケージは拷問せずにいられないのだ。しかしラケージは獲物が抵抗することを許す。サイトウが殴りかかり斬りかかり、魔法を使って抵抗することを止めようとはしない。ただし抵抗すれば、ラケージは全力でその抵抗を潰しにかかる。そして叩きのめされ、抵抗する気力を失うと、今度は自分の番だと拷問を開始するのだ。
「まっ、まだだ!」
サイトウは痛みに耐えながら回復魔法を発動し、体に負った傷を治した。
拷問されるのが嫌なら、立ち上がり、抵抗するしかなかった。深傷を負っては治療する行為は、すでに日常となっている。慣れたもののはずであった。だが先ほど負った傷は、これまでの傷とは違いすぐには治らなかった。
体の内側からつけられた傷により、筋肉はズタズタに切り裂かれ、細かく砕けた骨が食い込んでいる。
ラケージが放った打撃は、破壊力があるだけではない。相手の回復を阻害する効果があった。
すぐに全快とはいかない負傷。しかし立って戦わねば拷問される。
サイトウは傷ついた体でなんとか立った。しかし立つことはできたが拳を振れる状態ではない。サイトウは腰の剣を抜いて振るった。
刃がラケージを襲う。しかし腰の入っていない腕だけの攻撃、ラケージが腕に闘気を集めて防御すると刃は簡単に防がれてしまった。だがこれは予想通り。
サイトウは防がれた刃を手前に引いた。するとラケージの白磁の皮膚が裂け、赤い血が流れだす。
「あん」
ラケージはまるで愛撫を受けたような声を上げたが、皮膚は切り裂かれ、血が流れ出ている。ラケージは闘気で腕を防御していたが、こちらも剣に闘気を纏わせている。そして刃は引けば切れるのである。致命傷は与えられないが、皮膚を切り裂くことはできる。
サイトウは剣先をラケージの体に滑らせ、撫でるように右腕左肩、右太ももに左足を切り裂く。
痛ぶることも痛ぶられることも好きなラケージは、サイトウの攻撃を防ぎもせずに、皮膚を切られる感触を楽しんでいた。
ラケージが楽しんでいる間に、サイトウは傷の治療に専念する。そして八割の治療を終え、戦える状態にまで持っていき前を見ると、ラケージが笑ってこちらを見ていた。
「皮膚を切り裂くのもいいけれど、もっといい方法があるわよ」
笑うラケージに対し、サイトウは右手に剣を持ち、突き出すように構えた。
息をのむサイトウを前に、ラケージが足を一歩踏み出す。次の瞬間、ラケージが目の前にいた。
「!」
構える剣の内側に入り込み、吐息がかかるほど距離にまで接近されていた。
驚きのあまり身動きひとつできないサイトウに、微笑みを浮かべるラケージの顔が迫り、女の甘い体臭が鼻腔を支配する。
接吻されたと思った次の瞬間、ラケージの体が霞となってサイトウの体を突き抜けていった。
「え?」
サイトウは目を瞬かせながら、前や左右に視線を走らせる。だがラケージの姿はない。残っているのは甘い残り香のみ。
呆然とするサイトウの背後から、床を踏み締める小さな音が聞こえた。振り向くとそこにはラケージが背中を見せて佇んでいる。
サイトウは絶句した。
ラケージがまるで幽霊の様に、自分の体を突き抜けていった様にしか見えなかったからだ。しかしそんなことはあり得ない。
冷静に考えれば、自分のすぐ脇を通り抜けたのだろう。それしかない。だが触れるか触れないか、そんなギリギリの移動など人間にできるのか?
驚きに言葉も出ないサイトウに対し、ラケージが踵を返し、ゆっくりとこちらを向く。振り向いたラケージの右手にはいつの間にか剣が握られていた。
飾り気のない、無骨な剣だった。ラケージが剣を持っているのは初めて見た。だが見覚えのある剣だった。自分が持っている剣とよく似ている。
サイトウは自分の持っている剣に目を落とした。次の瞬間、サイトウは更なる驚愕に包まれた。
自分は確かに、右手に剣を持っていた。そのはずである。しかし今、右手を見てみれば剣を持っていたはずの手は空であった。そして自分が持っていたはずの剣を、ラケージが握っている。
盗られた? いつの間に? どうやって!
「いい、剣に闘気を纏わせると、剣自体の強度が上がる。これは基本だけれど、こんな使い方もあるの」
動揺するサイトウをよそに、ラケージはまるで教鞭のように剣を掲げる。そして剣先をサイトウの体に向けた。
切っ先がギリギリ届くか届かないかといった間合いだった。ラケージはそれでもかまわず、手首を返して剣先をサイトウの腕や足に走らせる。
手首だけの、力を入れていない剣捌き。体のどこにも異常はないと思ったその時、サイトウは立っていられなくなり倒れた。
驚くサイトウの目に自分の足が見えた。自分の両足は切り裂かれ、骨まで切断されていた。
「おおおおおおおっ」
骨まで見えた断面に、サイトウは声を上げて驚き、倒れた体を左手で支えようとする。しかし手を床についた瞬間、左の二の腕に線が走ったかと思うと腕がズレた。腕が半ばまで切られており体を支えることができなかった。
慌てて右手で千切れかけている左腕を押さえようとしたができなかった。右手にも感覚がない。右を見ればこちらの腕も切り裂かれていた。
一瞬にして両手両足が切り裂かれ、立つことも体を支えることもままならない。
鋭利すぎる傷の断面からは、大量の血が噴き出す。サイトウは四肢を切り裂かれた痛みに耐えながら、魔法を使い出血を抑える。
「どうやって!」
サイトウは訳がわからなかった。間合いから考えても、体に届いたのは剣先のみ。皮膚は切れても骨まで刃が届くはずがなかった。それに自分が使っている剣は正直ナマクラだ。切られたことを感じさせないほどの切れ味はない。
「剣に纏わせた闘気を、少しだけ剣から出すの、こんな風にね」
ラケージがサイトウの剣を掲げて刀身を見せる。刃こぼれの多い刀身からは、光り輝く闘気が漏れ出し、刃の形となる。
「まぁ、剣のように闘気を硬くするのは結構コツが必要なんだけれど、間合いがちょっとだけ伸びるし、切れ味も上がるわよ」
ラケージの説明を聞き、サイトウは納得すると同時にがくぜんとした。
闘気にはまだ自分の知らない利用法がある。自分は何も知らずに戦っていたのだ。
「さて立てる? 立てないんだったら、私も楽しませてもらうけれど」
ラケージが倒れたサイトウを見る。すでに傷の治療を開始しているが、手足がまだ繋がらない。魔法を発動する魔力が不足していた。
「立てないようなら……」
ラケージが一歩踏み出す。そのとき鐘の音が鳴り響いた。闘技場での戦いを知らせる鐘だ。
「あら、残念。お楽しみはまた今度ね」
一瞬だけ顔をしかめた後、ラケージは手を振って笑い踵を返した。
部屋に残されたサイトウは安どの息を漏らす。だがこれはこれでまずかった。闘技場で戦わねば、またラケージと同室になる。そうなればまた弄ばれる。
ラケージの拷問を、三回耐えきった者はいないという話だ。サイトウ自身、三回目を耐える自信はない。
サイトウは這うように部屋から出て、闘技場を目指した。