第百六十話
頑張って更新したよ
第百六十話
蟻型モンスターにのしかかられ、サイトウは身動きが取れなくなった。視界一杯に蟻の顔が覆い尽くし、岩をも噛み砕きそうな大顎がサイトウの顔に迫る。
「おい、誰か! 助けろ!」
サイトウは叫んだが、救いの手は差し伸べられない。すぐ近くには禿頭に戦鎚を持つ大男がいたが、一歩も動かない。横に頭巾をかぶった矮躯の男もやってくる。だが頭巾の下にいやらしい笑みを浮かべ、サイトウが襲われる様を笑ってみていた。
蟻の大顎が迫りサイトウは悲鳴を上げた。次の瞬間、空気を切り裂いて何かが飛来し蟻型モンスターの胴体に激突。鋼鉄のごとき硬さの外骨格を容易く切り裂き、一撃で太い胴体を両断した。
蟻型のモンスターが大顎から苦鳴を漏らし、そしてサイトウの上で力尽きて倒れた。
蟻の体の下敷きになったサイトウは、絶命した蟻の巨体を押し退けてなんとか這い出る。そして顔を上げ、蟻型モンスターの胴を両断した攻撃が来た先を見た。
そこには鞭を持つ一人の女がいた。
波のようにうねる黒髪は長く、長いまつ毛の下の瞳は青い。肌は雪のように白いが、唇は血でも吸ったかのように赤かった。
「お前は……どうして俺を……」
女の美貌にサイトウは一瞬目を奪われたが、すぐにその格好に視線が移った。
女は黒いレザーコートを羽織っており、その下には同じく黒い革製の胴衣を着込んでいた。大胆に開かれた胸元ははち切れんばかりに大きいが、素肌が露出している腰回りには、逆に無駄な贅肉は一切ついていなかった。
大きなベルトが回されているレザースカートは短く、裾から白い太ももがのぞいている。脚線美は膝まであるロングブーツに包まれ、細い踵が床を踏み鳴らしていた。
全身から色香が立ち昇っているかのような、妖艶な女だった。
サイトウは女の美貌とスタイルに目を奪われていると、女の赤い唇が歪む。
「どうしたの、ボクちゃん。女を見るのは初めて?」
「なっ、そんなわけあるか!」
女の嘲笑に、サイトウは顔を紅潮させて怒鳴った。すると横から苛立ちの声が割って入る。
「おいおいラケージ。せっかく間抜けが食われるところが見られそうだったのに、邪魔すんなよ」
「そうだそうだ、いいところだったのに」
禿頭に戦鎚の男と矮躯の男が、鞭を持つ女に非難の目を向ける。
「別にいいでしょ、この子は私がもらうわ」
ラケージと呼ばれた女が、笑いながらサイトウを見る。
「なんでぇ、そんなガキが好みかよ」
目を向けると、禿頭に戦鎚を持った男が鞭を持つ女を見ていた。
「男日照りなら、俺様が相手をしてやるのに」
「ケケケッ、俺っちが相手もしてやってもいいせ」
禿頭の男が笑い、その隣にいた矮躯の男も頭巾の下でいやらしい笑みを浮かべる。
「冗談じゃないわ、ダンカン。あんたの禿頭を見ながら『する』なんて死んでもごめんよ。それとカスツール。あんたは身長とアソコがもう少し大きかったら考えてあげるわ」
ラケージと呼ばれた女は、嘲笑に嘲笑で返す。すると禿頭のダンカンと矮躯のカスツールの顔から笑みが消える。
「テメェ、ラケージ。下手に出ていればいい気になりやがって」
「俺っちを馬鹿にしたな」
ダンカンが睨み、カスツールが腰から小剣を抜いて構える、
二人の体から殺気が立ち上る。
ダンカンとカスツールの迫力に、サイトウだけでなく周りにいた冒険者たちも息を呑む。一方で、相対するラケージは涼しい顔で笑っていた。
「へぇ、私とやろうっての?」
ラケージが右手に持つ鞭を返す。するとジャラリと耳障りな音が響く
よく見るとラケージが持つ鞭は、ただの鞭ではなかった。細かく複雑な形をした金属片がいくつも組み合わされており、鞭の形状となっている。金属片には複数の刃が突き出ており、この鞭を高速で振り抜くことで、蟻型モンスターの外骨格を両断したのだ。
一触即発の空気がさらに圧縮され、今まさに破裂しようとしたその時、気勢を制するかのように大きな鐘の音が広間に鳴り響いた。
今まさに飛び掛からんとしていたダンカンとカスツールは、興が削がれたと顔を顰める。
「チッ、時間切れか。まぁいいさ。今日はお前を立てておいてやるよ」
「そんなガキが原因で、お前とやりあうのは馬鹿らしいからな」
ダンカンが戦鎚を肩に担ぎ、カスツールが小剣を鞘に収める。
ラケージは鞭を返すと、赤い唇を歪ませ妖艶に微笑んだ。
サイトウは訳がわからず目をぱちくりさせていると、うねる黒髪の下でラケージの流し目がサイトウを一瞬だけ捉える。
目が合った瞬間、サイトウの背筋に悪寒が走った。
体を震わせるサイトウの耳に、男の声が聞こえてくる。
『今日の順位を発表する』
突如聞こえてきた声には、聞き覚えがあった。サイトウを拷問し、ここに放り込んだ張本人の一人。八大ダンジョンのダンジョンマスターであるメグワイヤだ。
『今回最も多くのモンスターを倒したのは……ラケージ。二十三匹』
メグワイヤの声に、鞭を持つ黒髪の女にその場に居た者達の注目が集まる。しかし当のラケージは嬉しそうにもせず、当然と言わんばかりに、うねる髪に人差し指を絡めていた。
『次席、ダンカン。十八匹』
次に禿頭の大男の名が読み上げられる。
名前はさらに読み上げられ、三人目にはドラクというローブを着込んだ男の名前が。そして四人目に、矮躯のカスツールの名前が読み上げられる。そして次々と名前が読み上げられる中、最後にサイトウの名前が読み上げられる。
『最下位、サイトウ。零匹』
サイトウの順位が読み上げられる。周りにいるものたちから、嘲笑的な視線を向けられる。だがモンスターを倒すことで、順位を決められるなど聞いていない。知っていればもっとやれたと睨み返す。
『それでは最下位の者以外は順位に従い部屋に入れ、鐘の音が鳴り終わり次第、この部屋は封鎖され、毒の霧を流し込まれる。部屋に入らない者の命の補償はしない』
メグワイヤが話し終えると同時に、サイトウの背後にあった鉄格子が開き新たな通路がつながる。そして鐘の音が鳴り始めた。
広間にいた男女がゾロゾロと歩き始め、新たに開いた通路へと向かっていく。
サイトウも続くと、通路の左右には幾つもの扉が並んでいた。扉には数字が書かれてあり、戦鎚を担ぐダンカンが『2』と扉に書かれた部屋に入っていく。矮躯のカスツールや『4』の部屋に。三位だったドラクというローブを着た男は『3』の部屋に入っていく。
しばらくするとほとんどの者たちが部屋に入っていく。そして鐘の音が止まると、広間の方から白い煙が迫る。どうやら毒の霧が放たれたらしい。
サイトウは『11』の部屋を見た。
サイトウの上の順位は十番だった。最下位の自分の部屋は必然的に『11』の部屋となる。サイトウは『11』の部屋の扉に手をかけるが、押しても引いても開くことはない。
「なんでだ」
サイトウは『11』の部屋を諦めて、他の部屋の扉を開けようとしたが、『12』以降の部屋の扉も開かない。そして『10』や『9』の部屋も開かなかった。
「まずい」
広間から迫る、白い毒の霧を見てサイトウは額に汗を流す。
神剣ミーオンをはじめ、いくつかの聖遺物があれば、この程度の毒の霧など恐れるに足りない。しかしほとんどの装備を失っている現在、長時間毒にさらされるのは危険だった。
「慌てないで、こっちよ」
焦るサイトウの背後から声がかけられる。振り向くと黒髪にレザーコートを羽織るラケージが立っていた。
ラケージが怪しく微笑みながら細長い指を『1』と書かれた扉に向ける。
「早くきなさい」
ラケージが『1』の扉を開け、サイトウを招き入れる。言われるままに中に入る。部屋に入るとサイトウは驚いた。
部屋には赤い絨毯が敷き詰められ、白い壁にはシミひとつなかった。部屋は広く、棚やソファー寝台といった家具は光沢を放っている。
一流のホテルのような部屋と調度品にサイトウは感心し、そして満足した。ここは自分が過ごすには適した場所と言えた。
サイトウは部屋に入りソファーにどかっと座り込む。今日は色々あって疲れた。ゆっくり休みたい所だが、色々確かめなければいけないことがある。
サイトウはそばに立つ女、ラケージを見た。
かなり手練れの冒険者なのだろう。この場所の事情も良く知っていそうだった。
「ラケージだったか?」
「ええ、そうよ。そういうあなたはサイトウだったわね」
ソファーに座るサイトウに、ラケージが立ちながら微笑みを向ける。
「俺のことを知っているのか?」
「いいえ、知らないわ。私はもうここに一年ぐらい囚われているから。でもサイトウ……サイトウね」
ラケージの答えを聞き、サイトウはがっかりした。しかし一年もここに囚われていたのなら、仕方ない。
「ここは一体どこなんだ? なんだ、この場所は?」
「ここは八大ダンジョンの一つ。蠱毒のダンジョンよ。私たちはダンジョンマスターのメグワイヤに捕まりここで戦わされているの」
「人間牧場というやつか」
サイトウは少し驚いた。ダンジョンに冒険者を捉え、家畜のように飼い慣らしているのだ。
危険視されるため、そのようなことをするダンジョンはないと言われていたが、噂に名高い八大ダンジョンの最奥では、ひっそりと行われていたのだ。
「ここでは定期的にモンスターが送り込まれてくるの。そして倒した数で順位が決められて、部屋が割り当てられるわ。部屋には食料などもあるから」
「食事か、何がある?」
サイトウは自分が腹ペコであることに気づいた。そう言えば、捉えられてからまともに水も飲んでいない。
「ええ、色々あるわよ」
ラケージは笑いながら別の部屋に消える、しばらくすると、ワインやソーセージ、パンといった食料をカゴに入れて戻ってくる。
食料がソファーの前のテーブルに並べられ、サイトウはパンやソーセージを手に取りかぶりついた。
久しぶりの食事は美味く、腹を満たせた。とは言え、空腹という調味料があってこその美味さだ。
「毎日コレだと飽きるな。料理とかできるか?」
サイトウはラケージを見る。ラケージは食事には手をつけず、食べるサイトウを笑いながら見ていた。
「ええ、簡単な料理ならできるわよ」
ラケージの言葉では、あまり当てにできなかった。だがこの際贅沢は言っていられなかった。今はとにかくこの状況から脱出することが先決だ。
「それより、そろそろ休みましょうか」
ラケージが隣の部屋に目を向ける。視線の先は寝室らしく、寝台が見えた。しかし寝台は一つしかない。
「悪いけれど、ここは一人用で、寝台は一つしかないの」
流し目でサイトウを見つめるラケージ瞳は情欲に揺れており、頬は少し上気しているように見えた。
「あっ、ああ」
サイトウは唾を飲み込むと、ラケージがレザーコートを脱ぐ。ラケージが下に着込んでいる胴衣は小さく、肩や腕、お腹といった素肌が顕となる。
匂い立つような色気に、サイトウは体温が熱くなるのを感じた。そう言えば女を抱くのは久しぶりだ。今のうちに英気を養っておくのはいいかもしれない。
ラケージが寝室に向かいサイトウも続く。寝室には大きな寝台が置かれてあり、二人で眠るには十分な大きさがあった。
「安心して。寝台は一つしかないけれど、道具だけは揃っているから」
ラケージが嬉々として箱を開ける。その中を見てサイトウは驚きに身を固めた。
箱の中に入っていたのは、首輪に手錠、口枷といった拘束具だった。他にも奇妙な形状の、用途の知れぬ道具がいくつも詰まっている。
「お前……」
サイトウは危機を感じ、後ろに下がろうとした。しかし体に痺れが走り、思うように動かない。
「グッ、一体、何を……した……」
サイトウは立っていられず膝をつく。
「ああ、さっきの食事にちょっと……。だめよ、知らない人に食べ物もらっちゃぁ」
ラケージが笑いながらサイトウに歩み寄る。サイトウは這いつくばりながら、この場から逃れようと出口に向かう。
後ろでラケージの笑声を聞きながらも、サイトウはなんとか扉にたどり着いた。だが扉は押しても引いても開かない。
「ああ、次にモンスターが送り込まれる時まで、ここの扉は開かないわよ。それまでずっと二人きりね」
ラケージが笑う。その声はゾッとするほど冷酷であった。
「さぁ、寝室に戻りましょうね〜」
ラケージが子供をあやすようにサイトウに歩み寄る。
「やめろ! やめろ〜!」
サイトウの悲鳴が響きわったった。
そろそろ成人指定を付けるべきかもしれん