第百四十五話
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第百四十五話
「それじゃぁ行こうか」
ソサエティへと続く転送陣の前で、マダラメ様はマリアに手を差し伸べた。だがマリアは手を取らず、コクンと頷いて答えた。
手を取らなかったことをマダラメ様は咎めず、鼻歌を歌いながら転送陣へと向かっていく。その背中を追いかけて、マリアは転送陣を潜った。
まばゆい光が一瞬視界を覆い、目が慣れた頃にはソサエティの広場に到着していた。
広場から続く表通りは煉瓦で舗装され、華やかな雰囲気に満ちていた。お洒落なカフェやレストランが軒を連ね、ブティックのショーウィンドウには美しいドレスに赤い靴、菫色の帽子が並んでいる。花屋には見たこともないような南国の花で飾られ、化粧品を販売する店の店頭には、透き通った肌に赤い唇をした女性の絵が貼られていた。
思えばダンジョンコアで造られてからというもの、マリアはダンジョンの最下層から出たことがない。ソサエティという場所がある事は、知性化された時に得た知識で知っていた。だが実際にこの目で見るのは初めてだった。
初めて見る光景に目を奪われていると、マダラメ様が振り返りこちらを見ていた。
マリアは我に返り自戒した。自分は観光に来ているのではない。マダラメ様の視察のお手伝いに来ているのだ。楽しんではいけなかった。
気を引き締めたマリアを見て、マダラメ様は何も言わず、ゆっくりとした歩調で表通りを散策された。マリアは仕える者として隣を歩かず、数歩後ろを付き従った。
主の背中を追いかけながら、マリアは何のための視察なのかと考えた。マダラメ様が護衛以外のモンスターを連れて、ソサエティに出歩かれたことはない。
マリアの妹たちは、これがデートだと興奮していた。妹たちは髪を結い、とっておきの洋服やアクセサリーを身に着けていくべきだと無言で主張した。しかしマリアはこれをデートではなく仕事の一環であるとして、着飾ることを拒否した。視察であるのなら、いつものメイド服で問題ないからだ。
視察、これは視察なのだと思う。いや、視察であってほしかった。
マリアは無表情の仮面の下、これがデートでないことを祈った。マリアは最近、主であるマダラメ様と目を合わせることができなかった。しかしそれは機嫌を取ってほしいからでも、ふてくされていたからでもない。女として扱ってほしいわけでも、愛をねだっているわけでもないのだ。
マリアは願いながら主の後ろを付いて歩くと、マダラメ様は大きな店の前で足を止められた。そこは婦人服を扱う店舗だった。
「まずはここにしよう」
マダラメ様に続いて中に入ると、店には色とりどりの服が並べられていた。
咲いた花のような服に、炎のように燃えるドレス。深い深海を思わせるスカーフに、宝石のように輝く帽子が置かれていた。
「マリア、好きな物を選んでくれていいぞ。好きなだけ買ってくれ」
マダラメ様はマリアを見て頷いた。
人によっては夢のような言葉かもしれない。だがマリアはただ悲しかった。
やはりこれはデートだったのだ。だがマリアは服が欲しいわけでも、宝石で身を飾りたいわけでもない。服を着るのならば、いつも着ているこのメイド服が良かった。最初に与えられたこの服だけを着ていたかった。
私達が欲しいものはただ一つなのに……。
マリアは恨めしい気持ちで主を見た。
やはりこの方は私達に興味はなく、捧げた忠誠も献身も届いていなかったのかと、胸が締め付けられる思いだった。
ゾンビであるマリアに泣くことはできない。流せぬ涙を流しているとマダラメ様が不思議そうな顔をしていた。
「どうした? 早く資料を選んでくれ。見本として持ち帰り、次の景品の参考にしてほしい」
事務的に促され、マリアは自分の考え違いに気付いた。
そうだった。これは視察だった。そして自分はカジノダンジョンにおいて、景品を作る仕事をしているのだった。景品では特に服飾品に力を入れており、妹たちと共に新しいデザインを日夜考えている。
ソサエティにはマリアたちの知らないデザインの服が多くあり、見るだけで創作意欲が刺激される。ここの商品を妹たちに見せれば、さらに新しい物が作れるだろう。
妹たちのためにもいい物を買って帰ろうと、マリアはやる気を出して店を見て回った。
新しいデザインの服に帽子、初めて見る素材や鮮やかな色彩の布も、買って帰る必要がある。
マリアがあっちを見たりこっちを見たりと、店を隅々まで見ていると、気が付けば長い時間が経過していた。主をほったらかしにしたことに気付き、周囲を見回すと、マダラメ様は店のソファーに座りながら本を読まれていた。
「もういいのか?」
マダラメ様は本を閉じると怒りもせずに尋ねられるので、マリアはコクリと頷く。
「なら次の店に行こう」
マリアが選んだ商品の購入と発送の手続きを済ませると、マダラメ様は店の外に出て、別の店に向かわれた。
マリアは後ろに付き従いながら、ソサエティの表通りを歩く。
初めて歩くソサエティは、マリアにとって気になるものばかりだった。マリアは店に入りたいとは言わなかったが、前を歩くマダラメ様はマリアが気になった店の前では必ず足を止め、好きなだけ見て言いと時間をくれた。おかげでマリアはじっくりと、商品を品定めすることができた。
「やぁ、今日はずいぶん歩いたな。少し休もう」
十件近い店を見て回った後、マダラメ様はくたくただと、近くにあったカフェで休むことを提案された。
これはマリアが反省すべきことだった。ゾンビである自分は疲れることはない。だがマダラメ様は生身だ。長時間歩かせたのは配下として失格だった。
「ああ、気にするな。俺も楽しかったよ。ところでマリアも何か頼め。ここのケーキやお茶はソサエティでも評判なんだぞ」
マダラメ様がメニューを勧める。しかしゾンビである自分には、味覚というものはほとんどない。ゾンビというモンスターの特性として、生きた肉を求めるという性質はある。だが知性化した今は、その欲求は抑えられていた。
ダンジョンからマナを供給されていれば、食料を食べる必要はない。ダンジョンマスターとしてそのことは知っているはずだが、マダラメ様は何も選ばないマリアを見て、勝手にレモンティーとケーキのセットを注文してしまう。
マリアに食欲はないが、主が食べろと言うのなら従うのが配下の務めだ。運ばれてきたパイのようなケーキと透き通った緑のお茶を見たマリアは、まずはお茶を飲もうと、ティーカップを手に取った。
「ああ、待て。このお茶は呑む前に、レモンを入れるんだ」
マダラメ様は、小皿に乗せられたレモンを指差す。
味覚のないマリアにとって、お茶にレモンを入れる意味などない。だが主の勧めに否はなく、マリアは無言のままレモンを絞り、一滴の雫が薄緑のお茶に注がれた。すると劇的な変化が起こった。
レモンが注がれた瞬間、それまで緑色だったお茶が、一瞬にして透き通った桜色に変色したのだ。
鮮やかな色と一瞬の変化目を奪われていると、前に座るマダラメ様は悪戯が成功したように笑った。
「ここのお茶はちょっと特別でな。レモンの酸味に反応して、色が変わるんだ。それが面白いと評判でな。まぁ、見た目と違って味はいまいちなんだが」
マダラメ様は自身もレモンを絞り、お茶の色を一瞬にして桜色に変える。目でお茶を楽しんだ後、砂糖壺を取り数杯の砂糖をお茶に入れ、ティースプーンで掻きまわした。
マリアは砂糖を加えずお茶を口に含むと、やはり味はせず温かいお湯という感想しかなかった。
これは目で楽しむものだなと、透き通った桜色を眺めながら、パイのようなケーキをフォークで切り分け一口口に含む。するとパリパリとした触感が口に広がった。ケーキの内部には、薄い板状の飴が何層にも挟まれており、噛むたびに触感が楽しい。これまで感じたことのない感覚に、ついフォークが伸びてしまう。
新たにケーキを食べようとして、マリアはある事に気付きフォークの手を止めた。そして主を見る。マダラメ様の前にはケーキはなく、お茶しか運ばれていなかった。
マリアの知る限り、マダラメ様は甘いものがそれ程お好きではない。少なくともお茶に砂糖を入れているところは、見たことが無かった。
砂糖を入れなければ呑む気にならないほど、好みではない味のお茶に、自分は食べないケーキをマリアには勧める。その理由は一つしかなかった。
「マダラメ様。私を接待してくださったのですか?」
マリアは今日初めて声に出し、主に尋ねた。
今日は仕事のはずであった。しかしマリアはその一日を、心ゆくまで楽しんだ。訪れた場所は全てマリアが行きたい場所だった。そして妹たちのために、欲しいものは全て買ってもらえた。この食事もそうだ、味覚のないマリアのために、目で楽しめて新鮮な触感が味わえる料理を選んでくれた。
やはりこれはデートだったのだ。だがだとするのなら、これほど嬉しいことはなかった。
「ああ、君たちの働きを労いたくてな」
主が頷き答えるのを見て、マリアは落涙しそうになった。
その言葉、その一言が欲しかったのだ。幾百のドレス、幾千の宝石よりも、その一言は価値があった。
なぜ自分は涙を流して感情を表すことができないのか、泣くことができない自分の体を、これほど恨めしく思ったことはなかった。
「マダラメ様。もう一つ、お尋ねしたいことがあります」
「なんだ?」
「マスターにとって、私たちは何なのですか?」
マリアはずっと胸に秘めていた想いを口にした。
造られたモンスターの分際で、このようなことを尋ねるのは不敬極まりなかった。しかし聞かずにはいられない。
「君たちのことは、かけがえのない仲間だと思っている」
マダラメ様はまっすぐにマリアを見て答えた。その短い言葉を聞いた瞬間、温度の籠らぬ死んだ体に、じんわりと温かいものが広がっていくのをマリアは感じた。
「すまなかったな。別に君たちのことが、どうでもいいわけじゃないんだ。だが、俺は俺をやめられない。俺という人間は、こういう人間なのだ」
マダラメ様は謝罪しながらも、自分を自分で肯定した。
「好敵手がいれば挑まずにはいられない。困難が目の前にあれば、自分を試さずにはいられないのだ。人に迷惑をかけない範囲でやっているつもりだったのだが、今回はお前たちを悲しませてしまったな」
「マダラメ様。私達では、貴方の隣には立てませんか?」
「それは……正直わからん」
天を仰ぎ見て、マダラメ様は唸った。
「俺はこれまでずっと一人で戦ってきた。相棒や仲間面してきた奴は沢山いたが、最終的には俺を裏切り敵に回った。まぁ、それが楽しかったのだが」
過去を思い出して、マダラメ様は笑った。仲間の裏切りすら楽しむのは、マダラメ様ならではだ。
「だから俺はいつも一人でやって来たし、ずっと自分は一人だと思っていた。自分が負けて死んだとしても、悲しむ相手がいるとは想像もしてなかった。そのせいで君達には、特にケラマにはつらい思いをさせてしまった」
副官であるケラマ様のことを想われたのか、マダラメ様は深いため息を付かれた。
やはりマダラメ様とケラマ様の間には、他の配下とは違う深いつながりが存在する。互いを思いやられる姿を見て、少し羨ましく、そしてその関係をずっと見ていたかった。
「マダラメ様。私はこれからも、お仕えしてよろしいでしょうか?」
マリアは主に懇願した。
仕えるべき主の心を知らず、仕事に対する不服従。決して許されることではない。
「当然だ、マリアがいなければ困る」
マダラメ様は、許すどころか肯定してくれた。
「俺はさらにダンジョンを大きくするつもりだ。忙しくなるぞ。君の姉妹ももっと増やすつもりだ。マリアには最後まで付き合ってもらう」
マダラメ様は尋ねることはせず、拒否はさせないと言い切った。
あえて尋ねない態度を、マリアはうれしく思った。
「はい、この身滅びるまで。お側にいさせてください」
マリアは胸に手を当て、忠誠を誓った。
昨日の夜のうちに更新しようと思ったけれど、間に合わなかった。
マリアをチョロインにしたくなかったので、書き直すところが多かった。