第百三十二話
第百三十二話
白銀のダンジョンの主であるシルヴァーナは、自室で侍女と共に着替えをしていた。
ドレスに袖を通して髪を整え、顔に化粧を施していると、部屋の扉が軽くノックされた。
「シルヴァーナ様。お車の準備が整いました」
扉の向こう側から、知性化した副官モンスターであるクリムトが声をかける。
「わかった、入れ」
シルヴァーナが入室を許可すると、扉が開かれてクリムトが入ってくる。シルヴァーナは立ち上がり、姿見で自分の姿をチェックしていると、クリムトが部屋に入ったまま立ち尽くし、シルヴァーナを見ていた。
クリムトが一瞬口を開きかけ、そして言葉を飲み込む。いつも冷静な副官の間の抜けた態度に、シルヴァーナはつい笑ってしまった。
「似合っていないか?」
シルヴァーナは悪戯な笑みを浮かべながら、クリムトに向けて体を捻り腰に手を当てポーズを取った。
今シルヴァーナが着ている服は、漆黒のロングドレスだった。
シルヴァーナは黒を嫌っていた。自分の浅黒い肌に、黒は似合わないと考えていたからだ。しかし光沢のある黒いドレスには、金や銀が散りばめられ、まるで漆黒の宇宙に輝く綺羅星の様だった。さらに手首や首元、耳にあしらわれた金剛石の装飾品は光り輝き、ジルヴァーナ自身が星になったような感覚となる。
「……大変お美しく」
クリムトは頭を下げシルヴァーナを讃えた。主に服が似合うかと聞かれては、副官として褒める以外に選択肢はないからだ。
「正直だな。素直にもっと褒めてもいいのだぞ」
シルヴァーナが口紅に赤く染まった口を吊り上げて笑うと、クリムトは顔を歪めた。
「マダラメの抱えるデザイナーは、いい趣味をしているな。それだけは認めねばなるまい」
「……はっ、はぁ」
クリムトはあいまいな返事をした。クリムトは優秀な副官だ。腕が立ち計算能力も高く、何より気がきく。着飾った主を見て褒め言葉を忘れるような者ではない。しかしそれでも問われるまで褒めなかったのは、このドレスを送ったのが、仇敵とも言えるダンジョンマスターマダラメであったからだ。
「今日はマダラメと定例の会食だ」
シルヴァーナは小さな鞄を手に取りながら、今日の予定を告げた。
マダラメとの会食は今でも続いている。そしてその度に、マダラメはドレスや装飾品を贈ってくる。
服を贈られた以上着なければならず、クリムトは毎回マダラメが送ったドレスを着るシルヴァーナを見て、褒めるかどうか迷うのだ。
「食事の後には奴と会議を行うので、帰りは遅くなるだろう。留守の間、ダンジョンは任せたぞ」
「はい、お任せください」
頭を下げるクリムトにダンジョンを任せ、シルヴァーナは転移陣を通り、ダンジョンソサエティに赴く。
グランドエイトのみが使える転移陣の前には、四頭立ての馬車が用意されており、出発の準備は整っていた。シルヴァーナが馬車に乗り込むと、馬が走り出してソサエティの街並みが見えてくる。
煌びやかな街並みに眺めていると、馬車は坂道を登り丘の上に建てられたレストランに到着した。
店に入り中を見回すと、店内には大きなグランドピアノが置かれ、ピアニストが静かな旋律を奏でていた。貸し切りの為、店内に客の姿はほとんどなく、奥のテーブルにタキシードを着た男が一人、音楽に耳を傾けているだけだった
「マダラメ、待たせたかな?」
シルヴァーナがテーブルの男に歩みると、目を瞑り音楽を楽しんでいた男がシルヴァーナに気付いて目を開ける。男はシルヴァーナのライバルでもあるダンジョンマスターマダラメであった。
「いえ、私も今来たところです」
マダラメは立ち上がり、シルヴァーナを出迎えた。
「そして今日も大変お美しい。まさに輝く星々のようだ」
「上手だな」
マダラメの褒め言葉に、シルヴァーナは決まり文句の返事を棒読みして返した。
「その服を選んだ甲斐がありました、きっと似合うと思っていたのです」
シルヴァーナの気のない返事を無視して、マダラメがドレス姿の満足にうなずく。
「お前がこの服を選んだと? 作ったのはお抱えのデザイナーではないのか?」
「確かに作ったのはデザイナーですが、幾つか候補の中から最後に選んだのは私です。きっとあなたには黒が似合うと思っていたので」
マダラメの言葉に、シルヴァーナはトンと胸を突かれたような感覚を覚えた。不思議な胸の感覚にシルヴァーナは戸惑ったが、すぐに顔をしかめて心の動悸を振り払った。
「そんなことよりも、早く会議の目的を話せ。私はお前と仲良しごっこをするつもりはない」
「おや、今日もご機嫌斜めですか?」
「お前と会うということを除けば、この上なく上機嫌だよ」
給仕が引いてくれた椅子に座りながら、シルヴァーナは偽らざる本心を述べた。
「どこかの誰かさんが、ソサエティの土地や権利を大量放出してくれたおかげで、我が陣営の財政が潤ったからな」
シルヴァーナは数日前に売りに出された、ソサエティの土地物件や、様々な権利書を思い出した。シルヴァーナは売りに出された瞬間に即座に物件や権利書を押さえて自分の物にした。おかげで資産に余裕ができた。
「もっともその誰かさんは、勇者サイトウを降して神剣ミーオンを手に入れた上、様々な聖遺物も手に入れたと聞くので、私以上に笑いが止まらないだろうがな」
シルヴァーナが前に座る男を見ると、マダラメは白々しくも視線を逸らした。
「誤解があるようですが、ミーオンはすでに冒険者に奪われ、私の手にはありませんよ」
「くだらない誤魔化しをするな。本物は冒険者に渡したのだろうが、複製は取っているはずだ。そのために大量のマナが必要だったのだろう? 売りに出した土地や権利はそのための資金だったはずだ」
「ええ、ご推察の通りです。剣一本複製するのに、我が財政は火の車ですよ」
頭を撫でるマダラメに、シルヴァーナは白い目を向けた。
「嘘だな。確かに神剣ミーオンを複製するのには大量のマナが必要だ。だが、売りに出された土地や権利の合計を計算すれば、ミーオンを数本複製できるほどの量だった。手に入れた他の聖遺物も、複製するつもりなのだろう?」
シルヴァーナが指摘すると、マダラメはまたも目を逸らした。
売りに出された資産は、シルヴァーナが確保したものだけではない。マナの流れを気づかれぬよう、マダラメは傘下のダンジョンマスターと取引をして大量のマナを集めていた。身内と取引をして上手く隠ぺいしたつもりだろうが、シルヴァーナとて長きにわたりソサエティを支配してきたのだ。諜報戦では遅れを取らない。
「やれやれ、敵いませんね」
苦笑いを浮かべるマダラメを、シルヴァーナは鋭い目で見つめた。
「それで? 大量の聖遺物を複製してどうするつもりだ?」
「さて、使い道は考え中でして」
「それも嘘だな。複製したと言うことは、本物は人間に返すつもりだからだ。つまり、使い道はすでに決めてある」
シルヴァーナはマダラメの思考を読んだ。
マダラメは独占というものをしない。多くを手に入れても、気前よく人に分け与える。だがこれはマダラメがいいやつだからではない。
「聖遺物を使って、お前はまた何かを企んでいるはずだ」
「ご指摘の通り、使い道はいくつか考えがあります。しかし問題の答えを、相手に尋ねるのですか?」
マダラメはしれっと言い返した。
確かに、出題者に答えを尋ねても意味がない。答えないだろうし、答えたとしても真実を言うはずがない。
「それもそうだな、無意味な問いだった」
シルヴァーナはあっさりと引き下がった。
「答えはそのうち分かりますよ、ですが今日は、話の前に食事にしましょう」
マダラメが給仕に指示を出すと、テーブルのグラスにワインが注がれる。
「あなたのその美しさに」
マダラメが歯の浮く台詞を述べる。臭い言葉だと思ったが、なぜか悪い気はしなかった。だがシルヴァーナは胸に沸き上がった感情を、ただの気の迷いだと斬り捨て、グラスの中のワインと共に飲み干した。
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