EP.1 - 6
【先週末までのあらすじ】
自分の所有者である真歩ちゃんの盾になり他界したスマホのアイザックはもう一度真歩ちゃんのスマホになる為に異世界へ渡る。屋外に放置された状態であったが狐耳の少女に拾われ何処かの建物内に運ばれた。どうやらそこは少女の住まう家では無く、彼女が不法侵入と盗み食いを働いている事に気付いたアイザック。彼は建物への来訪者の気配に気付き少女を逃がそうとするが、失敗に終わった。
泥棒狐は現在、まだ屋外には出ておらず長椅子に腰かけている。
その手には俺と――――パンが握られていた。
所々に規則性のあるデザインの文様が施された白地のローブを纏った男は何も語らず表情も硬い為にその真意を推し量るのは困難であるが、今のところ俺達の扱いは悪くない。
泥棒狐と俺を捕獲した後、ローブの男は抱えた彼女を長椅子に座らせると軽く手を振り上げた。
叩かれると思ったのか、彼女は咄嗟に両手で俺を掴んで頭上に掲げた。
(ちょっ――俺を盾にすんなやバカ狐えええええ!)
だがローブの男はゆっくりと彼女の頭に手を当て、二、三度撫でると、その場を離れ食料の残骸の乗った台座に向かい、残っていたパンを一つ掴むと、こちらに戻って来てそれを彼女に渡したのだった。
(ゆ、許された……!)
窃盗の罪に問われるかと思いきやこの待遇。
一言も喋らない彼の態度は不気味ではあるが、バカ狐が警戒心もそこそこにパンをもそもそ食べているので一先ずは様子見である。
「こんなのよりニクのほうがいいなぁ~……」
(こらっ! 贅沢言うんじゃありません!)
俺が叱咤の意味を込めたバイブを作動させると彼女は平手打ちで返してきた。解せぬ。
現在俺達が居る建物は内部の様子から教会や聖堂の類かと予想していたが、信仰の対象となるようなものが今のところ見当たらない。装飾にしても宗教色を感じさせる様な荘厳さは殆ど無く、食料の乗っていた台座が辛うじてそれっぽいものであるくらいだ。
教会ではあるが簡易的なものなのか、それともこの辺りの住民の寄合所なのか。
長椅子が多数並べてある事から大人数で利用する場所なのは間違い無いであろうがその目的までは想像出来ない。
パンを食べ終わって手持ち無沙汰なバカ狐は辺りをキョロキョロと見回している。
一応俺を膝の上に置いているが興味は他へ行きがちだ、少し早いが潮時なのかもしれない。
最初の目標であった屋内への移動は果たせた。そしてここには、彼女よりは確実に頭の回りそうなローブの男が居る。
(うーん、狐幼女は惜しい。惜しくはあるが此処に置いて行って貰うのが最善だろうなぁ……)
そんな考え事をしていると、不意にローブの男の顔が視界に入る。バカ狐を見下ろす彼の腕には、恐らく服であろうものが抱えられている。
(ああ、これはもう決まりだな)
素性は知れないが、気が回る人間だという事は分かった。得体の知れない文明の利器に触れさせるのであれば、やはりそういう要素が重要になってくる。
服がバカ狐に渡される。
見た感じ、布製の肌着と皮製の上着といったところか。上質なものでは無さそうだ。
どうやら靴も用意されているらしい。
「おー! あたらしいぼうぐをてにいれた!」
(そうか新しい防具か、凄いな――――何言ってんだお前)
彼女は肌を隠す為ではなく身を守る為に麻袋を『装備』していたようだ。
足には同様の材質のものが器用に巻かれてある。防護効果はあるのだろうか。
何にせよ、まともな服を手に入れられて良かった。主にレーティング的な意味で。
そして俺は安心して俺を託せる人物に出会えた。
(バカ狐よ……いや、別れ際にバカは無いな。狐ちゃん、短い間だったけどスリリングで楽しい旅だった。ここまで連れて来てくれてありがとな)
ローブの男は間違いなく善人だ、彼と共に居れば徳を積む機会はきっと訪れる。後はもう俺の根気次第ではないだろうか。
ゴールが見えた。そんな気すらした。
近くで布が擦れる音がする。狐ちゃんは早速着替えている様だ。その姿は当然視界の外だが。
程無くして彼女の着替えは終わった。靴を鳴らす音がする。
そして、ついにローブの男の野太い声が聞こえた。
(喋ったああああああああああああああああああああ!! けど、よく聞こえなかったな)
――――――よく聞こえなかった?
そんな事があるだろうか。
彼との距離はかなり近い。現在は恐らく二メートルも無いだろう。
そんな位置でよく聞こえないなんて事があるだろうか。
もう一度、彼は狐ちゃんに向けて声を発したようだ。
(はっ? 一向に聞こえませぬが!?)
受け入れがたい現実がそこにある。
だが偶然、本当に偶然よく聞こえなかっただけという薄い可能性を捨てきれなかった。
惚けたところで、聞こえないふりをしたところで、それが他の何かに変わったりはしない。そんな事は分かっている。
分かってはいるが――――――
「あのなぁ~、なにしゃべってるかわからんからな~?」
(分かるわけにはいかんのにぃーーーーーーー!!)
――――確定してしまった。
俺は、転生に依って付与された能力で異世界の言語を理解している、若しくは異世界の言語は現実世界と共通であると予想した。だが事実は異なるらしい。
狐ちゃんの話す言葉は理解出来たがローブの男の言葉は解らない。そして、この辺りにどれだけ人が住んでいるか知らないが、その住民が話す言葉は彼と同様である可能性が高い。
……。
(お、お嬢様…………今後とも宜しく……)
彼女は今の俺にとって無くてはならない存在となった。
俺が彼女の言葉を理解出来るという事も勿論重要だが、たった今判明した事実に因って更に依存度が高くなってしまった。
ローブの男の言葉が解らないという事は、俺の聴覚を担っているものには翻訳機能が無いという事だ。スマホが拾っている音をそのまま聴いているだけなのだろう――――異世界に転生させるなんていうとんでもない能力があるのなら、その辺りの事も何とか出来なかったのだろうか。
だが悪い事ばかりでは無い。
彼女の言葉を俺が翻訳して一方的に理解しているのでは無く、お互いの操る言語が共通しているのであれば――――
彼女は俺の画面に映る文字を読める
――――という事になる。
全てを読めて理解出来るとは思えないが、例えひらがなだけであってもそれが解る人物は『異世界に在る俺』という存在に価値を齎してくれる。
今、彼女を失うわけにはいかない。
だがしかし、彼女は俺への興味を失いつつある。
(何だか恋人に愛想尽かされて、フラれそうになって焦ってる男みたいで嫌な感じだ……)
冗談を言って問題から目を逸らしている場合では無い。
千載一遇かもしれない機会を逃して何時来るかも分からない次を待つのか、先に続く不可視の道へ一歩踏み出すのか。
――――決断しなければならない。
『パスコードとFaceIDのリセット』
決して忘れてはならない、二つの情報。
ロックを解除する為に必要だから、なんて他愛の無い理由では無い。
俺が望んでこの世界に来た理由、その想いがこの二つには詰まっている。
それに気付かせてくれた、
それを教えてくれた、
それは、不意に落ちた切欠の果実、FaceID。
それを確かめる為に、
それを伝える為に、
忘れてはならないこの数字。
冷静に考えれば何度リセットしたところでもう一度登録し直せば良いだけの、たかがロック解除の為のキーである。
感傷という、凡そスマホが持ち合わせているものではない筈のそれが判断を鈍らせているのか。
喪失への不安が、本来在り得ない筈の『心』を蝕んで悪夢をチラつかせているのか。
消えるのは登録された情報だけか、それとも――――俺も消えて無くなるのか。
何故、その様な荒唐無稽な結末を妄想するのか。
これは『予知』でも『予測』でも『予想』でもない、『恐怖』だ。掠りもしない全くの別物だ。
そう言い聞かせているのに『俺』が「やめろ!」と騒ぎ立てる。
ロックを無効にして全機能を解放し真歩ちゃん以外の誰かに扱わせる――――それだけだ、問題無い。
現実世界でやったら大変な事だが此処は隔絶された異世界、重大な事件に発展し彼女に害を及ぼすなんて事は無いだろう。
(でもこの状況は、まるで真歩ちゃん以外の女の子を選ぼうとしているみたいで凄く嫌だ……)
早くしろ――――
――決断しなければ、ならない。
(ぶっちゃけ、こんな事になるんじゃないかなとは思ってた……)
この能力に気付いた時、これはきっと必要になると勘付いていた。
だが大丈夫だ、俺が消えるなんて事は無い。
そんな能力わざわざ付与するわけがない。アホかと、バカかと、自爆装置かと。
しかし、もしかすると消えてしまうかもしれない。
俺の中から、『真歩ちゃん』が。
それが怖くて前に進めない。
でも行かなくてはならない、ここから先へ。
だから――――
――――――俺は、忘れない。
例え、もしも本当に俺自身が消えてしまったとしても――――
――――それでも忘れない。
――忘れたくない。
(忘れたくないんだ……覚えていてくれ『アイザック』!)
俺は、決断した。
【登場キャラ】
アイザック:え? なんだって?
お嬢様:クラスチェンジの激しい狐幼女
ローブの男:異世界語を話す異世界人