EP.5 - 9
恥をかかされた――――。
ユーシィは奥歯を噛み締め、次々に湧き上がる様々な負の感情を押し殺すのに必死であった。
出来る事なら今すぐ、間抜けな表情で肉を頬張る恥知らずな狐娘の頬に、大振りの平手打ちを喰らわせてやりたい。
そんな憤怒の念が、まるで傀儡を操るかのようにユーシィの両肩を吊り上げる。
しかし大勢の人の目がある通りでそのような事をすれば、それこそ恥晒しだ。
ユーシィはゆっくりと深呼吸を一つして、心を落ち着かせた。
怒りが治まると、次は恥ずかしさが湧いてきた。
傍から見ていた者に、商家の娘がお供を使って物乞いをしていたと思われたのではないだろうか。
そんな考えが脳裏を過ぎり、ユーシィの顔はみるみる上気していく。
かつてマークェイ家が契約していた畜産農家はミノーグ家に買収され、この街に供給される食肉の殆どがそこから卸されている。
なので、マークェイ家の経営が破綻しつつある事は、ここで商売をしている者には既に知れ渡っている可能性が高いだろう。
そういった情報は特に広まるのが早い。
それに、そもそもミノーグ家が黙っているわけがない、言いふらすに決まっている。
先程のやり取りは、見る人が見れば、ミノーグ家に施しを受けるマークェイ家の図式となる。
赤っ恥もいいところだ。
恥が悔しさに変異し、ユーシィの心を蝕んでゆく。
金を払うと店主に申し出たが、そんな事をされたら狐に祟られてしまうと言われ、断られてしまった。
祟られる云々の話は、寒冷季に入る直前に催される収穫祭に合わせて行なう『モエナ』という行事に関する事柄である。
狐は祟り神の化身だという言い伝えがあり、その祟りを恐れた人々が実際に目の前に現れた狐を追い払う際、狐を怒らせないように獣肉を与える。
それを祭事として行なうようになったものが『モエナ』と呼ばれる行事だ。
子供達が獣の耳と尻尾を模した装飾品を見につけ、地域の家々を練り歩く。
大人達は家を訪れた子供達にお菓子を渡し、丁重にお引取り願うことで擬似的に狐の祟りを祓う儀式を行なう。
店主がとっていた腕を胸の前で十字に重ねる型は、子供達にお菓子を渡した後に大人達がする、狐の厄払いの構えである。
立てた人差し指と小指は狐の耳を表し、揃えて立てられた五本の指は狐の太い尻尾を表している。
狐を崇める『狐憑き』がとる祈りの仕草と殆ど同じだが、執事のオーディヌスが言うには、腕を十字に重ねた時、利き腕が手前にあるか外側にあるかの違いがあるらしい。
厄払いの構えは利き腕を外側にするのが慣わしだが、『狐憑き』の祈りの仕草は忠誠心を表す為に利き腕を手前にするとのことだ。
ふと、そういえば今期はモエナをやらなかったなと、ユーシィは思い返した。
モエナが執り行われなかったのは、村の子供達が大反対したからだった。
子供達にとっては楽しい行事である筈のモエナに、子供達自身が反対した理由は明白である。
コアンの居るあの村で狐を追い払う儀式をするのが嫌だったからだ。
子供達はコアンを大切な友達だと思っている。
特にエルミーは異常とも言える執着心を抱いているように感じられた。
彼女にとってコアンは友達以上の存在なのかもしれない。
「ニアルージェンス……」
思わず口をついて出てしまったその言葉。
エルミーも他の狐憑きのように、狐に魅入られてしまったのではないだろうかという疑念がユーシィの中に生まれた。
コアンとエルミーは串に刺さったチュノイーの肉を仲良く分け合って食べている。
一見、友達同士の他愛ない仕草に見えるが、コアンはああやって深く交流することで人間の心を支配し、狐憑きを増やしているのではないだろうか。
「おばさんにはやらないからなー?」
二人のやり取りを眺めていたユーシィは、突然コアンに話しかけられ何事かと一瞬狼狽した。
しかし声色の感じで、何となくだが自分には肉を分けてあげないと言っているのだろうという事を理解した。
頼まれても食べてなんかやるものか――――今だけは。
これからあの肉を卸しているミノーグ家を潰しに行くのだ。
思わぬ所で敗北感を味わわされたが、こちらには必勝の策がある。
本日行なわれる教会の査問会議で、誘拐事件の際にミノーグ家が仕出かした事を告発し、その強権を振るって貰い同家を追い込む。
競合する相手を潰し、没落寸前の我が家を救い、再び卸問屋として畜産農家と再契約した暁には、大手を振ってあの串焼きを買い求め、そしてたらふく食べてやろう。ユーシィはそう決意した。
決意を新たにし、気を引き締めたことで負の感情を振り払う事が出来て落ち着きを取り戻したところで、ふとした疑問がユーシィの脳裏に過ぎった。
『オバサン』
コアンが話すこの言葉の意味は、いったい何なのだろう。
予てから疑問に思っていたのだが、未だその意味が分からずにいる。
その言葉が使われる状況から、恐らくはコアンが自分の事をオバサンと呼んでいるであろう事は分かる。
自分の名前は『ユーシィ』だと何度言い聞かせても、コアンは頑なにオバサンと呼び続ける。
いったい、オバサンとは何なのか。
熱心にコアンの話す言語の研究をしているクレイス家の学者達に尋ねてみたが、皆知らないと言っていた。
オバサンとはそんなに難しい言葉なのだろうか。
実は皆知っていて、悪い言葉だから知らぬ振りをしているのではないだろうか――――。
ユーシィは訝しみつつ、決戦の地へと歩み進めるのだった。




