EP.5 - 7
両開きのガラス窓から月明かりが差し込んでいる。
絨毯張りの床を照らす縦長の光は、コアンが持つ不思議な絵本のページをキースに想起させた。
彼はここ数日、コアンの事ばかり考えていた。
俗な捉え方をする者はそれを愛だの恋だのと囃し立てるだのろうが、彼の想いは別ベクトルで、その深さは信仰の領域に及んでいる。
ギリギリという音が薄暗いキースの寝室に響く。
窓の一つが半開きになっていて、風で少し揺れたのだ。
つい先程まで、ここには客人が一人居た。
全身黒ずくめで目の周りだけ露出した出で立ちであったが、キースはその者の正体を知っていて、且つ面識もあった。
森で捕らえた賊の生き残り。
泥酔していた事が幸いして命拾いした、間抜けで運の良い例の男である。
賊に堕ちるような人間らしい行儀の悪さだなと、去っていった無作法な客人を嘲笑しつつキースは窓を閉めた。
数日前にキースが尋問を行なった時、黒ずくめの男は『ジゼ』と名乗った。
男の名前としては一般的でないものなので、偽名だと思われる。
ジゼは村に連行された翌日、二日酔いに苦しめられていて大人しかったらしい。
体調が戻ったら暴れ出すかと思いきや、その翌々日にキースが対面した時も随分落ち着いていた。
まともに会話出来る状態であると判断し、ミノーグ家の差し金である事はほぼ間違いないが、エスティの死に若干負い目を感じていたキースは詳しい動機を聞く為にジゼを尋問した。
他の誰かが悪であれば己自身を赦すことが出来る、そんな悪しき感情を抱きながら臨んだ尋問は意外な結果をキースに齎した。
ジゼはキースの尋問がひと段落すると、自分は神を見たと、少々高揚した様子で語り出した。
神父である自分を前にして神を見たなどとのたまうとは随分だなと思い、キースは彼の話に耳を傾けることにした。
その話に出てきている神がコアンの事だとキースは直ぐに気付いた。
本物の狐の耳と尻尾を持った彼女は、間違いなく神であったとジゼは言う。
神は暗い室内でおぼろげな光を纏い、目に見えない不思議な力で自分を跪かせ、小さな体から繰り出されたとは到底思えない稲妻のように強烈な平手打ちで罪深き自分に罰を与えた、とのことだ。
キースは、酔っ払いの世迷言を信じて貰えるとでも思っているのかと凄んでみたが、酔っていても見た事はいつも覚えているのだと自信満々に言い返されてしまった。
ジゼは更に高揚し、話を続けた。
神の罰を受け気を失ったジゼは、地獄の業火に焼かれる夢を見たという。
その夢から醒めると、愚かしくも神を幽閉していた建物の中に一人倒れていたのだそうだ。
建物の外は火の海になりつつあったが、内部にまでは火の手が及んでおらず死なずに済んだらしい。
自分は神の裁きに身を焼かれ、卑しい海賊から生まれ変わったのだと彼は熱弁した。
海賊の根城に火を放ったのは学者のエイクスとスクーイであるとキースは聞いている。
獣の群れを追い払う為だったらしいが、なぜそのような事態になったのか、詳しい話はまだ聞けていない。
ジゼに真実を伝えようか迷ったキースだが、熱弁する姿があまりに滑稽だったので黙っておくことにした。
酒気が残ってフラフラの状態で何とか火の手から逃れたジゼは、キースが殺した賊たちの亡骸が散乱する現場に辿り着き、その凄惨な現場を見て、確信をしたのそうだ。
――――仲間たちと違い、貢物を捧げた自分は神に赦されたのだ、と。
貢物とは、食料であったという。
なるほど、コアンが喜びそうだなと、キースは思った。
高揚の止まらぬジゼに、お前が見た神とやらはコアンと名付けられ、この村で狐の巫女として暮らしていると伝えると、彼はコアンに仕えたいと言い出した。
少しの間、返答に困ったキースだったが、とある事を思い出してジゼにひとつ、提案した。
ユーシィがコアンの命を狙っている可能性がある為、気付かれぬように見張って欲しい、と。
ジゼは、そんな不敬な女などすぐにでも殺してしまえばいいと声を張り上げて抗議した。
キースは殺気立つジゼの胸倉を掴み、無用な殺生は神への冒涜だ、言う事が聞けないのであればお前も仲間のもとへ送り届けると脅した。
キースの理不尽な脅し文句にジゼは引きつった笑いを浮かべつつ、結局提案を呑んだ。
つい先程ジゼがキースの寝室を訪れていたのは、ユーシィの不審な行動を報告する為だ。
昨晩、コアンの眠る寝室に忍び込んだユーシィを見たジゼは、ついに事を起こすのだろうかと、一先ず彼女を拘束しようと思い、行動に出たらしい。
一旦は彼女を羽交い絞めにしたが、コアンの所有物である本が突然大きな音を立てだしたのを聞き、ジゼは神の怒りに触れたと思い、すぐにユーシィを解放したそうだ。
慌てていた為、怒れる神に懺悔もせずその場から逃げ出してしまった自分はどうなってしまうのだろうかと不安を露にしたジゼにキースは、神は慈悲深いから一晩眠って食事をすれば人の罪など水に流してくれると宥めておいた。
それを聞いたジゼは安心したようで、引き続き任務に当たると言い残し去って行った。
コアンを神の使いである巫女でなく、神そのものとして崇めているジゼの様子に、キースの心は揺さ振られていた。
似非巫女を神の使いとして扱い、妻として宛がわれることに抵抗のあったキースにとって、コアンを自ら望んで娶るという行為は、神の存在を認めることと同等である。
しかしその一方、真に神の使いであるコアンを妻に迎えるという行為は、実在する神への冒涜なのではないだろうかという不安が生じていたのだ。
人の身であり神の存在を疑っていた愚かな自分は、他の神父の様に、署名一つの簡単な手続きでユーシィのような利権に目の眩んだ浅ましい者と夫婦の仲になるべきなのではないかと考えるようにすらなっていた。
己の価値観がぐちゃぐちゃになっていくのを感じ、キースはそれが恐ろしくて仕方なかった。
そして、その価値観の中心には揺ぎ無い存在として、コアンが居る。
これが『狐憑き』というやつなのかと、キースは考えた。
恋しさでも、愛おしさでもなく、心を支配されるその感覚はキースを高揚させた。
利権に狂ったユーシィがコアンに愚かな行為を働かないよう、明日にでもユーシィに結婚の意志を伝えようとキースは決心した。




