EP.4 - 17
エスティを尾行するユーシィは道中、半年前一緒にキースのもとへやってきた学者の男性、エイクスとスクーイの二人に呼び止められ、ミノーグ家についての情報を聞かされた。
同家は別大陸の良質な香辛料を輸入する為に必要不可欠な海運ルートを荒らしていた海賊と取引し、安定供給を実現させ、本大陸で唯一の香辛料一次卸業者となり高額な手数料を上乗せして暴利を貪っていた。
歴史上、海賊との取引を行なった商家は存在していたので、マークェイ家もそこまでは勘付いていたし、何なら自分達も海賊と取引してみてはどうかという案が上がっていたりもした。
しかしそういった取引は海賊の性質が災いして長続きせず、リスクばかりが跳ね上がるので実際に手を出す商家は少ない。
学者二人が言うには、ミノーグ家は自らを強大な権威を持つ教会とのパイプ役として海賊と教会の蜜月関係を築くという、大陸規模の裏社会形成計画を海賊側に提示する事で、単なる取引相手以上の強固な信頼関係を得たらしいとのことだ。
クライス家が妙にこちらに協力的だった理由はそれかと、ユーシィは納得した。
コアンとエルミーの誘拐にエスティが関与しているのならば、そこには海賊が居る筈。なのでエイクスとスクーイは、エスティの追跡は自分達に任せて引き返すよう、ユーシィに伝えた。
その場は素直に二人の言う事を聞く素振りを見せたユーシィだが、エスティを追う二人の後をこっそりついて行くつもりだった。
しかし深く積もった雪に足を取られ上手く歩けず、二人を見失ってしまう。
夜の森を一人彷徨う事になってしまったユーシィは、覚えのある音を聞く。
何度かコアンの絵本で見た大型動物を討伐した時の『記憶』だ。
その音に導かれるまま歩いている最中、獣の群れに遭遇しながらも何とか木の陰でやり過ごし、誘拐された筈のコアンと再会する。
その際、証人はエルミーだけでも良いのではと、一瞬だけコアンの殺害を考えた。しかし肝心のエルミーの姿が見えないのとコアンに対する複雑な感情も有り、尚且つ腰が抜けてまともに動けないので直ぐに断念した。
その後、足を痛めたエルミーと合流し、森で突如発生した火災から逃れる為の逃亡を開始する。
火に巻かれれば一溜まりもないが、ユーシィは森林火災に遭遇した時の対処法を村人から聞いていた。
火が燃え広がって全体を焼いてしまわないよう、人の手によって作られた森の切れ目が沢山あるので、取り合えず炎を背にして逃げろとの事だった。
村人の教え通り火から逃げるユーシィは、背負ったエルミーから追っ手が迫っている事を聞く。コアンがそう言っているらしかった。
エルミーを背負った状態では満足に走る事が出来ないので、一先ずはコアンを先に行かせようとする。
一見、自分達を囮にしてコアンを逃がす作戦ともとれるが、ユーシィは寧ろコアンを囮にしようと考えていた。
コアンは大きなコートを引き摺りながら歩いているので雪の上にかなり目立つ跡が残る。なので自分達が上手く物陰に隠れられさえすれば、追っ手はコアンだけを追い続け、自分達はやり過ごす事が出来るのではないかと考えたのだ。
そう考えたのだが、自分達を置いて先に逃げるようコアンに伝える事が出来ず、結局一緒に逃げる事になった。
ユーシィの作戦は実行不可能となってしまったが、代わりにコアンの考えた作戦が実行に移される事となった。
それは、例の絵本を囮にする作戦だった。
コアンは絵本のページを捲り、記憶の一つを映しユーシィに見せた。
それを見てユーシィは思わず声を上げた。
絵本には、賊と話をするエスティの姿が映っていたからだ。
コアンとエルミーが誘拐されたであろう現場にエスティは居なかった筈だ。
なので攫われた二人の証言内容次第では、賊が勝手にやった事だと言い逃れられる可能性があった。
しかし絵本には、遠目ではあるが幽閉されているコアンの視線の先で、誘拐事件の主犯である賊と親しげに会話しているエスティの姿がハッキリと映っている。
なんて便利なのだろうと、ユーシィはこの不思議な絵本の能力に改めて感動した。
コアンはユーシィの背に乗ったエルミーに絵本と、左のおさげ髪を結っていた紐を解いて渡した。
エルミーは既に絵本に結わえられていた紐に、たった今コアンから渡された紐を通し、木の枝に引っ掛けて端と端を結んだ。
ぶら下がった絵本が延々と賊の根城でコアン達が見た記憶を映し出している様は、何とも奇妙だった。
逃亡を再開し、絵本を仕掛けた場所から離れたものの、ユーシィは後ろ髪を引かれる思いだった。
あれがあれば間違いなくミノーグ家を潰す事が出来る、何とか回収出来ないだろうかと考えながら歩いていると、コアンがキースの名を口にし始めているのが聞こえた。
自分には聞こえないが、コアンにはきっと自分達を探しに来たキースの声が聞こえているのだろうとユーシィは考え、背負っていたエルミーを降ろし、先にキースの所に行くように伝えて絵本の回収に向かった。
最終的には上手くいって良かったが、あの時は少々思い切り過ぎたなと、重傷を負いながらも見事回収出来た大事な絵本が映す風景を眺めながら当時の自分を振り返るユーシィ。
色々考え過ぎたので深呼吸して頭の中をスッキリさせようと息を吸い込んだその時、絵本から音楽が流れ始めた。
「――――ッ!?」
勝手に音楽を奏で始めると聞いてはいたのだが、完全に油断しきった状態で入れられた不意打ちであるため、呼吸か悲鳴か判断つかないような声を上げて驚いてしまった。
学者達が、この絵本には音楽を奏でるページがいくつかあると言っていたのを思い出した。
現在のページには、机に置かれた本を椅子に座して読む女性の後ろ姿と、遠くで手を繋いで立っている男女の姿が描かれている。
これがそのページかと思いながら、流れ始めた音楽に耳を傾けていると、音楽に混じって歌声が聞こえ始めた。
歌詞の内容は理解できないが、その歌声自体にユーシィの心が揺さ振られ始める。
美声でもあるが、それよりも妙に訴えかけるような歌い方のせいで、まるで絵本に話しかけられているようだった。
そういえば姉は歌を歌うのが好きだったなと、ふと思い出した。
この絵本から流れる歌に負けないくらいの美声を持った姉の歌う歌を、神懸り的だと評する人も多かった。
これならば教会の人達も姉を気に入ってくれるとユーシィは思っていた。
自分はそれ程好みではなかったが、姉はキースに一目惚れしてしまったそうだし、何だか全てが上手くいきそうだと思っていた矢先、ミノーグ家の策謀により悲劇は引き起こされた。
その憎きミノーグ家の巫女エスティが、自分に背を向け夜の森で一人立っている。
そんな状況で、冷静に物陰から眺めていられるだろうか。
ユーシィは背後から忍び寄り、悲鳴を上げられぬようエスティの口を押さえ、短刀で腹部を刺した。
トドメを刺す前に反撃を受けてしまったが、何とか彼女の息の根を止めることに成功し、ユーシィはマークェイ家とミノーグ家の巫女達による神父争奪戦の勝者になった。
その後、賊に囲まれて絶体絶命のピンチに追い込まれたが、キースが助けに来てくれたお陰で無事に生還する事ができた。
あの時は、まさか彼が現れるとは思っていなかった。
けたたましい音を鳴らす絵本に触発され、たとえ無駄に終わったとしても助けを呼ばねば、最後まで足掻かねばと思い立った。
一体誰を呼べば良いのかと一瞬悩んだが、人を護るという月の神の思想を体現する為に体を鍛えに鍛えぬいた神父という存在、キースの名が最初に思い浮かんだので取り合えず叫んでみた。
するとどうだろう、彼の声が聞こえてくるではないか。
今思えば、エスティとの一騎打ちの際には押し黙っていた絵本が突然騒ぎ始めたのは、自分よりも先にキースを呼んでいたからなのではと、ユーシィが思いついた次の瞬間、ある可能性が脳裏に浮かんだ。
姿かたちは違えど、妹を彷彿とさせる性格のコアン。
姿かたちは違えど、姉のように美声で歌う不思議な絵本。
この二つが揃って自分の前に現れたのは、偶然ではないのでは、と。
生物の肉体に宿る魂は不滅で、それは生物の死と共に空にある神の国へ一旦送られ、やがて生まれる新たな生物の肉体へ宿る時をそこで待つ、という思想がある。
それが真実かどうか確認する術が無いのでなんとも言えない。
だが仮にそれが真実であるとするならば、所有者であるコアンではなく自分を救おうとしてくれた絵本には、自分に味方してくれる存在の魂が宿っていると考えても良いのではないだろうか。
絵本は生き物ではないし、そもそも魂という存在自体が不確かなものだ。
うっかり他人に話してしまったら、都合が良過ぎると笑われそうだなとユーシィは自分を嘲った。
馬鹿馬鹿しい話だと頭では理解している筈なのに、心の底から際限なく湧き起こる想いが涙となって溢れ、いくら歯を食いしばっても、もうユーシィにはそれを止める事ができなかった。
姉はキースや教会の人達の前で披露する歌を、ユーシィとリニーの前で良く練習していた。
とても上手に歌えていたが、練習を終える度に姉は、彼の前では舞い上がってしまってちゃんと歌えないかもしれないと嘆いていた。
長女の癖に初々し過ぎるだろと、ユーシィは妹と一緒に呆れながら姉の嘆きを聞いていた。懐かしい思い出だ。
何となく、絵本から流れるこの歌を、そのうちキースに聞かせてやろうかと思い立った。
リニーがこの場に居たら、きっとその案に賛同してくれるに違いないなどと考えていたその時、
「どしたー? いたいかー?」
コアンが現れた。
ユーシィは、確か『どした』という言葉は何が起きたのかを尋ねる時の言葉だったなと思い出し、「ノーマディ」と返答した。声の震えを抑えきれなかったが、不審に思われなかっただろうかと不安に駆られる。
しかし、そんな不安を他所にコアンは、
「のーまりー? じゃあはやくねろよー?」
と、言い残しさっさと去って行った。
普段ツンツンした態度の癖に時折世話を焼いてくる、本当に妹を見ているようだった。
絵本が歌う優しげな歌に身を委ねながら、姉妹三人揃っていた頃の楽しかった思い出にしばらく浸った後、絵本を閉じて枕元に置き、シーツに潜り込んだ。
そして瞼を閉じ、
――――まだ決着はついていない。
そう心の中で自分に言い聞かせ、ユーシィはとある決心を固めて、意識を闇に飲み込ませるように眠りについた。