EP.4 - 14
ユーシィの縫合手術が終わったのは大体昼食時、スマホの時計では午後一時頃だ。
寝室を訪れたコアンとエルミーにその報を聞かされると、キースはベッドを離れ俺をコアンに手渡し、寝巻きである白い丈長チュニックの上にいつものローブを羽織るとさっさと部屋を出て行ってしまった。
(どう鍛えたらそんな頑丈になるんだ……?)
瀕死の重体であった患者が術後数時間でピンピンしている。信じられない光景だった。
異常な回復能力を持っているのはコアンだけではないのだろうか。
(ま、まぁ……異世界だし?)
深く考えるのは止めよう。そう思った。
異常さで言えば俺だって異世界人からしたら相当なものだろう。
皆はスマホの事をどう思っているのだろうか、便利な道具くらいには思ってくれているだろうか。不要な物として破棄されて独り寂しく一生を終えるよりは、寿命が来るまで酷使されて惜しまれつつ逝きたいものだ。孤独死を避ける為、人々の役に立てるよう頑張っていかなければならない。
それはさておき、キースの後を追うコアンと共に何処かへと向かっている俺は、とある不満を抱えていた。
(うーむ……視界が安定しないなぁ……)
キースを追うコアンは、俺を首から提げている。昨晩、森で咄嗟に思いついた方法を気に入ったらしい。
おさげ髪を結っていた二本の紐で作られたストラップはキースによって一度引き千切られたが、コアンが首から提げるのに最適な長さに調節され結び直された。
腰紐に挿し込まれていた時と比べ、落下のリスクは減ったかもしれない。しかし揺れが酷く、更にアウトカメラのある背面が前方を向く確率が下がってしまうというデメリットが生まれてしまった。
腰紐に挿し込む時、ケースのフリップを押さえるフックが腰紐に引っかかってしまう事を嫌ったコアンは背面を前方に向けて挿し込む事が多かった。なので大抵はアウトカメラで前方を捉える事が出来ていた。
だがストラップで首から提げるスタイルで携帯されてしまうと、カメラが前方を向く可能性が以前より減ってしまう。
(逆向きになった時、カメラを前に向けさせる方法を考えなきゃなぁ……)
ゆらゆらと揺れる、天地が逆になった景色を眺めながら俺は策を練った。
キースの向かった先は当然、ユーシィの居る寝室だ。
開け放たれた扉からコアンと共に室内に入ると、ベッドで上体を起こした寝巻き姿のユーシィが視界に映った。傍らには学者の女性二人、青眼鏡とメイアが立っている。
ベッドの近くに大きめのテーブルがあり、その上には切れ目の入ったパンに野菜などを挟んだ料理が置かれている。つい先程まであったであろう医療器具は全て引き払われ、施術を担当していた医師も何処かへ去って行ったようだ。
そして施術中、そこかしこに付着していた血液は全く見られず、ベッドのシーツ等は全て綺麗なものに換えられていた。
(しかしなぁ……ここで食事するのか……)
衛生面もそうだが、ついさっきまで人の血が飛び散っていた場所で食事が出来るという異世界人のメンタルの強さに思わず閉口する――――スマホなので閉じたり開いたりする口は無いが。
「ユーシィ、ノーマディ?」
キースがユーシィに声をかける。いつもと違って積極的だ、それだけ彼女の事を心配していたのだろう。
キースの声を受けたユーシィは、丁度メイアが差し出したパンを手に取り笑顔で、
「ノーマディ」
と答え、手渡されたパンを勢い良く頬張った。
(ユーシィ、お前もか)
ほんの数時間前まで痛みのあまり絶叫していたユーシィは、今現在笑顔でパンをモリモリ食べている。
キースとユーシィはご覧の通り元気だ。そしてエルミーは昨晩負傷した足を全く気にしておらず、半分以上燃えてしまった筈のコアンの尻尾は既に元通りだ。
(ああ、なるほど。異世界では回復力が上昇するんだな……そうだ、そういう事にしておこう)
――――俺は、考えるのをやめた。
ユーシィの寝室では、すっかり体力を取り戻したユーシィを囲んで談笑が続いていた。
そう、談笑が続いていたのだ。
(キース、どうしちゃったんだ?)
コアンとエルミーはスマホゲームで遊んでいるので参加していないが、ユーシィと学者の女性二人、そしてキースは笑い声を交えて会話を楽しんでいるようだ。
(なるほど、異世界人は瀕死の状態から回復すると人間的に成長するのか……って、そんなわけあるか!)
キースは今まで、会話をする事はあってもいつも仏頂面で、声を上げて笑うなんて事は全く無かった。
それが今ではどうだ、部屋中に笑い声を響かせて楽しそうに話をしているではないか。
(なんだかわからんけど、吹っ切れたのかな……良かったな、キース)
人の死を通じて人間的に成長したのだろうか。
――――――物語の主人公みたいだなこの男は。
彼は死んだエスティの事を気にしていた様子だったが、今こうして談笑している相手はそのエスティを殺したユーシィだ。
ユーシィとエスティの関係をどこまで彼が知っていたかは解らないが、エスティを殺したのがユーシィである事は流石に勘付いているだろう。そして、その事件の発端は恐らく彼自身の奪い合いだ。
そんな重苦しい事実に直面しながらも、それを吹っ切れたということは相当な心境の変化があったに違いない。
(何があったんだろ……めっちゃ気になるな!)
部外者の立場というのもなかなかどうして辛いものだ。
何も知らず、何も知らされず、ただただ他人の運命を眺め、激動の分岐点を見せ付けられヤキモキするだけの存在でいなければならない、実にもどかしい。
(……あれっ? もしかして俺って、モブ!? 何かの物語の脇役なのか!? 普通、異世界転生者っつったら主人公だろうがよぉーーーーー!)
スマホに主役は荷が重過ぎるのだろうか、やはり擬人化は必須かなどと考えていると、カーアクションゲームをエルミーと一緒にプレイしているコアンが不意に話しかけてきた。
「なぁ~……おまえのこれ、なおらないのか~?」
(治らないのかって、何のことだろう……?)
コアンは空いた左手でスマホの画面を撫でているようだ。
「せんがあってじゃまなんだよなぁ~」
(線があって邪魔なんだよなぁ!?)
なんということでしょう。
現行機種最高硬度を誇る『サファイア』の名を冠した液晶画面のガラスに加え、異世界転生で付与されたチート耐久を持つこのiZakuroX6に傷が付いてしまった。
線状の傷というと、恐らくは賊の早口おかっぱ男が投げたナイフによって付けられた傷だろう――――あの野郎、許せん。
(いや、待て待て。真歩ちゃんは確か保護フィルムを貼ってくれていた。それに傷が付いているだけかもしれないじゃないか)
画面に映る映像を見ている俺には、鏡でも見ない限り画面そのものに付いた傷を確認する事は出来ない。
確認出来なければそれは無いも同然、傷を目視するまではある意味無傷、シュレディンガーの傷なのだ。
(体に異常も無いし、きっと大丈夫だろう……貼ってて良かった保護フィルム!)
俺は保護フィルムという薄皮一枚に一縷の望みをかけることにした。
そんな俺の気を知ってか知らずか、コアンが煽ってくる。
「えるみーも、きーすもおばさんもなおってるのに……おまえはよわっちぃなー」
(生き物とは根本的に違うんだからしょうがないだろ!)
データどころか機体自体を自己修復するスマホが現れたら、それこそチートスマホだ。
加えて自己増殖や自己進化までしだしたら、スマホでも物語の主役になれそうだ。
(究極のスマホか……いや、チートが過ぎるな。そんな風になったらいよいよ元の世界に帰れなくなる……真歩ちゃんに会えなくなっちゃう! ダメだダメだ、却下!)
下らない妄想にかまけて本来の目的を忘れてはならない。
先の見えない道程だが、ゴールで待つ美少女JKにしっかりと向いて歩んでいかねばならないのだ。
(スカーフェイスも悪くないんじゃないか? 傷は男の勲章だ、誇ればいいじゃないか)
顔なのか体なのか悩ましいところだが、この傷が人の命を救おうと行動した結果出来たものである事は間違いない。徳を積もうとした証だ、そう思えば寧ろ大歓迎だろう。
(どれだけ傷ついてもいい……必ず真歩ちゃんのところに帰るんだ!)
コアンに「弱っちい」と言われて少々傷ついたが、俺は愛しの女神の事で頭を一杯にして自尊心の回復を図った。