EP.4 - 13
「モニクイロステゼノウォ、イクレイティエリ。ディオレイロステジクォー、ジェイコスェーリ」
キースによる祈りの言葉は続く。
この祈りの言葉は、太陽と月が信仰の対象である事を示している。
誰の目にも映っていながら決して手の届かぬ場所に存在するそれらは、信仰の対象にするには持って来いであろう。時折垣間見えるこういった合理性が、神に対するキースの不信感を強固なものにしていった。
「シェイマヌージー、ネロクシーイクレイティエリ。 イーゾルージー、ネロクソーゴーシュエリ」
空に浮かぶ二つの物体の正体が何であるかをキースは知らない。故にそれが神である可能性を完全には否定出来ない。しかし、あれらは人々の我侭を聞いて仕方なく大地を照らしているわけでは無く、自分自身で勝手にやっているのだろう。でなければ暑さに苦しむ人々を嬉々として照らし続けたりはしない筈だ。つまり人々の祈りとは無意味なものなのだと、キースは結論付けていた。
「オクティアンクネロクソー、ルージー、アテミクセリ」
――――祈る我らを、神は救わない。
祈る我らを救うのは、我らが確立した思想を体現する我ら自身である。キースはそう信じていた。
だが、昨晩の森で起きた異様な出来事が彼の其の信念を捻じ曲げた。
手練れのナイフ使いに深手を負わされた彼が藁にも縋る思いで神に祈ると、まるでそれを聞いていたかの様にコアンの所有物である『音と光を発するページの無い絵本』が眩い光を放ち、相手の視覚を奪って窮地を脱する手助けをした。
祈る彼を、神の使いである巫女が齎した書物が救ったのだ。
祈る者を救う、人ではない異質な存在を神とするならば、この石の様に硬い書物が神となる。或いは、キースを救った神がこの書物の中にいると考えられる。その考えを真とするならば、太陽や月に神が宿っているとも考えられる。
視覚が奪われる程の強烈な光は太陽の様で、真っ黒なページに突如浮かび上がる淡い光は月の様だ。
つまり、この書物は太陽と月の神の化身なのではないだろうかという考えが、キースの中に生まれた。
彼の人格を形成していた信念はその形を大きく変え、信仰という全く別のものに変異しつつあった。
己の中で起こっている劇的な変革に戸惑いながらも、彼は新たに拓けてゆく世界に感動を覚えていた。
祟り神の化身とされる狐は、命を欲するが為に人前に現れると言われている。
なので人里に狐が現れた時は、獣の肉を与えて丁重にお引取り願うという風習があった。
まるで人間に化け損なった狐の様な姿のコアンは、そういえば頻りに獣の命を欲しがっていたなとキースは思った。
祟り神が命を欲する理由は、その命を使って新たな生物を誕生させる為だと言われている。
獣の死骸を田畑に埋めるとそれが肥料になり作物が良く育つことから生まれた迷信だとキースは考えていたのだが、信念が曲がり信仰心が芽生えてしまった今は、その考えも歪んでしまっていた。
「エスティ……イェスターブ」
大型の獣肉を皆に振舞う時に執り行った儀式の最中、コアンが獣の死骸の前でした行為をキースは真似てみた。
エルミーは、その時のコアンは既に死んでしまった獣に別れを告げていたと言っていた。そして、月の浮かぶ夜空に向けて何か叫んでいたとも。
それが、奪った命に対してすべき事だと神が言うのであれば、自分の至らなさにより昨晩失われてしまった命に対してそれを行なう義務を自分は有しているのではないかと考え、キースは実行に移したのだ。
見上げた虚空から視線を落とすと、そこにはコアンの書物に映るキース自身の顔があった。
鏡のようだが、それとは明らかに違う、今ある景色が映るページ。
そこに映る自分は、鏡に映る自分のように目を合わせてこない。その事から、このページに映っているものは、この書物自身が見ている景色なのだとキースは理解した。
書物、或いはそれに宿る神に今、自分が見られていると感じた事で畏怖の念がキースの心にほんの少し芽生えた。
気持ちを落ち着かせる為にキースは目を閉じる。
そして、自分を見つめる神が何を求めているのかを考えてみた。
人を護るという思想を体現する役割を担う神父は、あらゆる悪から人を護る為に体を鍛え有事に備えた。
だが、いくら体を鍛えた神父でも、心を蝕むものから人を護る事は出来ない。
そこで教会は、神父や、その妻である巫女の前で人々に悩みや罪の意識、そして悪心を吐露させ、その心が悪に染まってしまう事を未然に防ごうと考えた。所謂懺悔である。
仮に、神が自分を救おうと、罪の意識に苛まれている心を救おうとしているのならば、
神は言っている――――懺悔せよと。
それがキースの導き出した答えだった。
教会は様々な人の罪を聞き、そして赦してきた。
重大な罪の告白も偶にはあったが、大半は下らないものだった。
いつの日だか聞いた、小腹が空いたので摘み食いをしてしまったなどという告白をコアンが聞いたらどう思うだろうかと考えると、キースは思わず笑いそうになってしまった。
また、巫女への懺悔で特に多かったのは、「あなたを好きになってしまった罪深い自分を赦して欲しい」という、罪ではなく別の意味の告白のようなものだった。
嫌がらせとすら捉えられ兼ねないそれに、巫女は笑顔で対応せねばならないのだから気の毒だ。神父が巫女を娶る事の合理性がそこに存在している様に見え、キースはそれが滑稽だと感じた。
冗談を考える余裕が出てきたなと、キースは己の心境が見せた変化を好意的に評した。
重体であった筈の体は奇跡的且つ驚異的な回復を見せた。
これは神が自分を救う為に起こした奇跡で、そして今、心までも救済してくださったのではないかとキースは考えた。
キースは笑える冗談が好きだった。
腹を抱えて笑えるような出来事が大好きだった。
今でこそ敬虔な信徒を装う為に硬い表情を貫いているが、子供の頃は自分が躓いて転んだ事が可笑しくて、出来た擦り傷など気にも留めず声を上げて笑っていたくらい、面白いと思える事に対して異常なまでに過敏であり、そして素直であった。
腹の底から笑えば心は満たされ、そして癒される。
子供の頃から既に辿り着いていた一つの真理である。
キースは、己の仏頂面を映した書物の神が伝えたかった事は、或いはこれなのかもしれないなと思った。
太陽や月や書物の神が居て我々を様々な形でお救い下さる。
では笑うことで心が救われるのならば、それは笑いの神による救済だろうか。
なんでもかんでも神の御業だ。実に滑稽、実に愉快な冗談だ。
キースは込み上げる笑いを抑えるのに必死だった。うっかり爆笑してしまったら傷口が開いてしまうかもしれない。屈強な彼であっても、流石に痛いのはもうこりごりなのだ。それでも笑えと神は仰るのであろうか。なんとも無慈悲である。
「…………マゴネック」
――神よ、お赦しを。
キースは目を閉じたまま、もう痛いのは勘弁してくれと、神に赦しを請うた。
神の存在を否定してきた事を、懺悔した。
エスティに、マークェイ姉妹に、許しを乞うた。
彼女らの不幸は自分の不徳が原因だと、懺悔した。
キースはまだ、目を開けない。
神は言っている――――笑え、と。
込み上げてきていた笑いは、いつの間にか悔恨の念に変わっていた。
だから今、キースは目を開けるわけにはいかなかった。
神が言っているのだ、笑え、と。
押し寄せる感情の波が引き、落ち着いたら一度だけ笑おう。
目と口を堅く閉じ、キースはじっと今を耐える決意をした。