EP.4 - 11
「じゃーな、きーす。なにかあったらよべよー?」
「ジャーナー!」
(ああああ! またエルミーがお行儀悪い日本語覚えちゃったよ!)
朝日が差す教会の寝室にて床の上で半身を起こしているキースに向けて、相変わらず伝わっていようがいまいが構わず日本語を放り投げるコアンと、何故かそれに倣うエルミー。
彼女らの言葉がキースに伝わったかどうかは解らない。
彼の表情は変わらず、傷口に響くのか、言葉を発しようともしない。そんな状態では推測のしようが無い。
しかし、そのいつもと変わらぬ表情から察することができる事実があった。
――――キースは、一命を取り留めた。
それが解っただけでも大きな収穫だった。
寝室で一人になったキースの、シーツが掛かった膝の上で、遠ざかっていくコアンとエルミーの足音を聞きつつ、スマホの身ながら人命を一つ救う手助けが出来たという事実を確信し、感慨に耽っていた。
雪で覆われた夜の森で、動けなくなったユーシィを抱きかかえながら救助を待っていたキースを最初に発見したのは、意外な人物であった。
救助を待つ俺達の前に現れた男、幽閉されていたコアンとエルミーに食べ物を与えてくれた泥酔男は、髪の毛や着ている衣服の所々に焼け跡を作りながらも、ヘラヘラと笑っていた。
酔いが醒めていないのか、コアンとエルミーによる連続コンボの当たり所が悪かったのか。頭の状態が宜しくない感じの彼は、まるで友人に接するかのような明るい声でキースに挨拶をすると、絶命している仲間たちに、笑いながら声を掛けて回っていた様だった。
突如起こった森林火災。最初に火の手が上がったのは、彼が倒れていた建物だったのではないだろうか。
だとするならば、コアンと俺で起こした火種が完全に消えてはおらず、建物に引火してしまった為に起きた火災であると考えられる。下手したら自分の起こした火で自分を窮地に追い込んでいたかもしれないと思うと、血(そんなものは無い)の気が引いた。
火に巻かれながらも何とか逃げ果せた彼は、既に逃亡した人質たちの追跡に入っていた仲間の後を追い、ここに辿り着いたのだろう。
程無くしてコアンが引き連れた、集落の面々で編成された救助隊と鉢合わせた彼は、あっという間に組み伏せられてお縄になった。
やがてキースとユーシィは助け起こされ、数人がかりで運ばれて集落に戻る事が出来た。
状況を見て即座に外套を数枚交差させた即席担架を作成出来る、救助隊の大人達の対応の早さは流石と言えよう。遠征地での負傷者の救助には慣れているのだろう。頼もしいぞ異世界レンジャーズ。
賊どもとエスティの亡骸は放置されたようだ。
息のある者を優先するのは当然だが、やはり転生を体験をしている身としては供養のひとつもしてやりたいという気が起きてしまう。次の人生では犯罪に手を染めず真っ当に生きて欲しいものだ。
教会の寝室に運び込まれたキースとユーシィの手当ては夜通し続いた。
一向に寝る気配を見せず、夜が明けても落ち着かないコアンが二人の部屋を行ったり来たりしていたので手当ての様子を確認する事が出来たのだが、キースの容態はご覧の通り安定しているが、ユーシィに関しては正直芳しくないようだった。
二人の手当ては、どうやら医療に携わる人達が個別に付き対応していたようで、人手不足な様子は無かった。これは集落の住民が増えたお陰かもしれない。悪人は御免被るが、頼れる人が増えるのは非常に喜ばしい事だ。
しかし問題もあった。医療技術の程度だ。
煮沸消毒の概念はあるようだが、施術中の寝室への人の出入りを許したりと、衛生面での不安は拭いきれない。例え一命を取り留めたとしても、下手すれば後遺症に悩まされる事になりそうだ。
傷口の縫合をしているようだが、既に施術開始から数時間経っているにも関わらず聞くに堪えないユーシィの叫び声が未だに聞こえてくる。恐らくは彼女の体力の問題で、通しての施術が不可能なのだろう。間を置いて体力の回復を待ち、少しずつ縫合していくという手段を取っているのだと思われる。
決して良い方法だとは思えないし、環境も悪い。ユーシィは無事では済まないかも知れない。
(治癒魔法とか、あればいいのに……)
何も出来ないが、せめて彼女の無事を神に祈ってみようかと考えていると、唐突にキースが口を開いた。
「シェイマヌージー、ネロクシーイクレイティエリ。イーゾルージー、ネロクソーゴーシュエリ」
フリップの開かれたスマホの画面を見つめながら、そうつぶやくキース。
典礼で必ず彼の口から語られる、祈りの言葉である。
日本語に訳すと、
太陽の神よ、我らに与え給え。
月の神よ、我らを護り給え。
である。
彼の祈りは神に通じるだろうか。
Zakuro storeの爺さんに異世界語は通じるのだろうか。
スマホである俺に祈ったところで何の意味も無いのだが、尚も彼は祈りの言葉を続ける。
続きの日本語訳は、
暖気と光を与え給え。
冷気と闇を払い給え。
太陽の神よ、我らに与え給え。
月の神よ、我らを護り給え。
祈る我らを、
神よ、救い給え。
である。
最初に聞いた時は全く意味不明であったが、一年間共に暮らすなかで少しずつ覚えた異世界語の意味を当てはめていくと、実に分かり易い祈りの言葉であった。
キースはユーシィの無事を願い、神に祈りを捧げているのだろう。
丁度、微かにユーシィの悲鳴が聞こえた、苦しそうだ。こんな声を何度も聞かされたら神に祈りたくなるのも当然だ。
しかしだ、延々と斬りつけられ、仕舞いには内臓を抉られたであろうキースの方が重傷の様な気がしないでも無いが、彼は異様なまでに落ち着いている。皮膚の傷は縫ったのだろうが中身はどうしたのだろうか。謎過ぎる、流石異世界人。
(まあ日頃から模範的な聖職者だったし、人を救う為に命を賭けて戦ったんだ、これくらいのボーナスはあっても良いよな)
祈りの言葉を終えたキースは暫く俺と見詰め合っていたが、不意に虚空を見上げ、また口を開いた。
「エスティ……イェスターブ」
ユーシィとの一騎打ちで息絶えたエスティに、彼は別れの言葉を捧げた。
今回の騒動の全貌は未だに解っていないのだが、どうやらキースは騒動の中心に居て、全てを把握しているようだ。
教会での地味な小競り合いを見た時は、ユーシィとエスティによるキースという一人の男性の奪い合いだと思っていたが、そこにコアンの誘拐という要素が絡んできて事件が複雑化した。
事件に絡んだ女性三人の共通点は、恐らく『巫女』だ。それが全貌解明の糸口になってくるのだろうが、俺がこれまでに得た情報だけでは推測することすら出来ない。所詮はスマホで部外者だ。
(教えてくれないかなぁ……)
何か聞き出せないかと、自撮りモードでカメラを起動してみた。
画面にはキースの顔が映っている。それを見た彼は少しだけ目を見開き驚いた様子を見せたが、やがて目を閉じてしまった。
(なんだよケチ! ……まあ、怪我人にベラベラ喋らせるのも酷か)
カメラでのアピールも効果無しと見て、仕方なくスリープモードに切り替えた。
キースは祈る様に、または眠る様に、目を閉じたままでいる。
何かを考えているのかもしれない。沢山人が傷つき死に絶え、そして自らも傷ついた。
この不幸な事件を未然に防ぐ方法があったのではないかと、渦中に居る自分に何か出来る事があったのではないかと、悩んでいるのかもしれない。
或いはエスティも救えたのではないかと、悔やんでいるのかもしれない。
及ばぬ事は、多々ある。
動けない、喋れない、人でない。無い無い尽くしのスマホである俺は、そんな事だらけだった。
なので、そういった悔しさに関しては人一倍理解しているつもりだ。人ではないけど。
(あんまり重く考え過ぎるなよ、お前は良くやったと思うぞ……)
俺には、目の前で思い悩む男を慰めてやる事は出来ない。
彼を救えるのは、多分ユーシィだ。彼女が元気な姿を見せてくれれば、きっとキースの心も救われるだろう。
(ユーシィ、頑張ってくれ……神様、爺さん、頼むぞ……)
俺は願い、そして祈った。
「…………マゴネック」
俺の祈りに呼応するかのようにキースの口から発せられた異世界語は、聞き覚えのないものであった。