EP.4 - 8
【先週更新分のあらすじ】
巡視役の男を連係プレイで倒し、賊の根城から脱出したコアンとエルミー、そしてアイザック。夜の森を歩む最中、エルミーが足を負傷している事が発覚し、以前コアンが塒としていたらしきログハウスで休憩を取る一行。しばしの休憩後、何者かの接近を察知したコアンは外に出てアイザックを木に吊るし、大型動物討伐動画を再生して「追い払え」と言い残し、ログハウスへ戻って行った。
はっきり言って、分の悪い賭けだった。
獣の咆哮を模すには出力が足りな過ぎる。
それに加え、スピーカーが持つ指向性の問題もある。
動画の音は賊どもの耳に届いてくれるだろうか、不安要素がてんこ盛りだ。
更に問題なのが、動画の内容だった。
実は撮影中に間近で喋るコアンの声を拾ってしまっていて、その声が獣の鳴き声と共に大きな音で再生されてしまうのだ。
とんでもなく分の悪い賭けだった。
そして、俺は今――――
――――囲まれていた。
(俺はここで、お仕舞いかもな)
コアンはエルミーを護りきれるだろうか。
エルミーは自棄になって囮になろうとしていないだろうか。
俺はどうなってもいい。
だが、あの二人には生きていて欲しい。
月の神様がもし、見ているのなら、
Zakuro Storeの神様がもし、聞いているのなら、
どうか、二人を無事に家へと帰してあげて欲しい。
俺の願いは天に届くだろうか。
俺の魂は天に送られるのだろうか。
――――――目の前をうろつく者共が頻りに此方を窺っている。
これが、コアンの作戦が齎した結果。
これが、それに従った俺の末路。
俺は、
俺達は、
――――――――――賭けに勝った。
(怖ええぇぇぇぇぇぇーーーー!!)
俺は囲まれていた。
あの日、俺の目の前で討伐された、
―――――あの大型の獣の群れに。
果たして何匹居るのだろうか、巨体が目の前でウロウロしているので数を把握出来ない。
ある者はけたたましい鳴き声を上げ、
ある者は目の前の木を馬鹿力で殴り、
またある者は俺を鼻先で突っついて弄んでいた。
(今度こそ本当の本当に、駄目かもなぁ……)
以前と違い、獣との距離が近過ぎてしまってどうしようもない。
何かの拍子に地面に落ちてしまったら踏み潰されてゲームオーバーだ。
だが獣達が大声で騒ぎ立ててくれているので、賊がこの辺りに近付く可能性はほぼ無くなった。
俺が此処に獣達を釘付けにしている間は、コアン達が捕まる心配は無いだろう。
そして更に、彼らが地面を踏み荒らしてくれたお陰で彼女らの足跡など見る影も無い。
図らずも賊の追跡を妨害してくれる強い味方を得る事が出来た。
(ははは……き、きっと日頃の行いが良いからだな!)
迫る身の危険に恐怖を感じながらも、降って湧いたような幸運に喜びを隠せない。
これが徳を積んだ事で起きた奇跡だとするならば、俺は既に転生する資格を得ているのではないだろうか。
ならばこれで終わり、大往生、そして転生だ。
嬉しくもあり、寂しくもあり、複雑な気分だ。
(お嬢、エルミー、そして集落の皆、長生きしてくれよな……)
俺はこの世界で共に生活した人々の無事を祈りながら、獣の群れの中で運命の扉が開くのを待った。
――――――数十分後、体に掛かる重力が少し、和らいだ。
「おまえなぁ~……さぼるなっていっただろ!」
コアンがスマホの画面を見ながら俺を叱りつけた。
(違うんです、誤解なんです、釈明をさせてください……)
小一時間、大型の獣達に弄ばれたが俺は無傷だった。
しかし鼻先で何度も突っつかれている内に再生していた動画が止まってしまい、木にぶら下がっているだけの状態になっていた。
そして俺のおサボりに気付いたコアンが此処に現れたというわけだ。
ご覧の通り彼女は無事だ。
慌てた様子が無いところを見ると、きっとエルミーも無事なのだろう。
獣達は鳴き声を発しなくなった俺に興味を失くし去っていった。
何故彼らが俺の近くに集まってきたのか、具体的な理由は解らない。
同族の声に惹かれて集まる習性があるのか、それとも狩りの最中に録音された鳴き声なので、助けを求める声だったのか。
何にせよ、視覚が弱く、聴覚に頼って活動している彼らは随分と長い間騙され続けてくれた。
お陰で集落に生還出来る可能性が上がったのだ、動画に映る彼には礼の一つくらい言わなければなるまい。
(何処かで逢えたら、直接な……)
転生というシステムは不可能を可能に変えてくれる、彼との邂逅なんてのも決して夢物語では無いのだ。
体が揺さ振られる、どうやら俺は囮の役目を降ろされるらしい。
ナイフの柄に掛かっていた紐は外され、俺は吊るされている状態から降ろされた。
「――――おばさん、いつまでかくれてるんだ?」
(……!?)
突然発せられたコアンの言葉に俺は耳(無い)を疑った。
彼女は近くに潜んでいる何者かの存在を察知していたらしく、その人物に声を掛けたらしい。
(誰かいるの!? ……って、おばさん!?)
コアンはアクセサリー装着用リングに結わえられた紐を首に掛け、俺をお腹の前に吊るした。
そして何者かが潜んでいるらしき方向に向き直ると、太い幹を持つ木の後ろから外套を纏ったユーシィが徐ろに現れるのが見えた。
彼女の手には、いつも懐に忍ばせていた短刀が握られている。
両手でしっかりと柄を握り、左肩を木の幹に預けながら佇み此方をじっと見つめるその姿から鬼気迫るものを感じる。
彼女は何をしようとしているのだろうか。
月明かりに照らされギラリと光る刀身は、俺たちに何を伝えようとしているのか。
その答えは、ユーシィ自身の口から発せられた。
「……ノォォ~……マ、ディィィィ~~~……?」
間延びしたり裏返ったりと、何とも情けない震えた声だった。
「なにやってんだ……」
(何やってんだ……)
コアンを心配してくれている様だが、此方からすれば寧ろ心配なのはユーシィの方だった。
良く見ると足が震えている、木に体を預けていないと立っていられないのかもしれない、腰が抜けているのではないだろうか。
(もしかして、ずっと近くに居たのか!?)
再生されていた鳴き声が仲間の獣を呼び寄せ、その群れに追われてユーシィは此処に辿り着いたか、若しくは合間に入るコアンの声がユーシィを呼んだか。
どうやら獣の群れに囲まれていたのは俺だけではなかった様だ――――――よく無事にやり過ごせたな。
何故一人で森に居たのか、短刀一本で大型動物からどの様にして身を護ろうとしていたのか、疑問は尽きないが兎も角無事で良かった。
「もういくぞ~?」
ユーシィに向け、付いて来るよう手招きをしつつもさっさと歩き始めてしまうコアン。
向かう先は当然、例のログハウスだ。
情けない声を上げるユーシィを背に、俺たちはエルミーのもとへと向かった。
三人と一個、計四名のパーティーが誕生したログハウス内は慌しかった。
戻ってきたコアンと一緒に居たユーシィの姿を見るなりエルミーは大声で泣き出してしまった。
助けが来たと思い、張っていた緊張の糸が切れて押し留めていた感情が溢れ出したのだろう、痛みと恐怖に襲われながら良くここまで耐えられたものだ。
ユーシィに抱擁されるエルミー。
その光景は、まるで全てが解決したかの様に感じさせるが、決して危機が去った訳では無かった。
「おい、いそげ! ちんどばっく!」
入り口の戸を開け、一足先に表に出て二人を急かすコアン。
それを聞いたユーシィはエルミーを背負い、慌てて屋内から出てきた。
俺達はこれから、逃げなければならない。
コアンは逃げてきた賊の根城がある方向を見遣る。
俺は木々の向こうに現れた存在が蠢き空を朱に染め始めている事を再確認した。
――――――森は、燃えていた。
(次から次へと面倒事が起きやがって、全く気が休まらないな)
原因不明の森林火災から逃れる為、早足で森の雪道を歩く一行。
火の手が迫っている様子は無い。
森全体ではないが、季節柄葉が全て落ちた木が目立つ。
そして地面に散乱しているであろう落ち葉等は雪で覆われている。
それらの影響で燃え広がる速度が抑えられているとも考えられるが決して楽観視は出来ない、急がねばならない。
そして面倒事がもう一つ――――
「いそげ! あいつらこっちくる!」
――――此方に何者かが向かって来ていた。
最初は去って行った大型動物の群れかとも思ったが、そんなものが背後から迫っているのなら俺でも気付く。
コアンだけが察知出来ている何者かの気配、逃げなければならない追っ手の正体、それは一つに絞られるだろう。
コアンの言っている「アイツら」とは、恐らく賊どもの事だ。
俺たちを追っているのか、それとも火に追われ逃げているのか。
恐らく後者だとは思われるが見つかっては面倒だ、追いつかれるわけにはいかない。
「いっそげ! はっやく!」
スマホのライトで辺りを照らしつつ、ぴょんぴょん飛び跳ねながらユーシィにペースを合わせて雪道を進むコアン。
(焦ってるだけなんだろうけど、まるでピクニックにでも行くみたいだな……)
一方ユーシィはペースこそ落ちないものの、呼吸が荒くなり疲労の色が見え始めている。
「コアン……アス、カナイズ……デオ、タリ……」
「だまってあるけー! おいてくぞー?」
どうもユーシィはコアンを先に行かせたいらしいが、当のコアンは急がないと置いて行くぞと言い放つ。
相変わらず意思の疎通が上手くいってなくてモヤモヤする。
「またつかまっちゃうぞ~」
急げ急げとコアンは急かすが、ユーシィの様子からしてペースアップは難しいと思われる。
しかしこのままでは追っ手に捕まってしまう、現状を打破する方法を考えねばならない。
俺の聴覚が捉えるのは雪を踏みしめる足音。
俺の視覚が捉えるのはライトに照らされた木々。
妙案を思いつく切欠となりそうなものは、ここでは見つかりそうも無い。
これまでに得た情報をひっくり返しては整理を繰り返しながら、俺は全力で思慮を巡らせた――――――。
ログハウスを出発してから一時間程経った。
月が雲に隠れてしまい辺りは随分暗くなってしまったが、まるで朝焼けの様に遠くの空がじんわりと朱く滲み、夜空には奇妙な明暗が出来上がっている。
このままでは追いつかれてしまうと悟った俺達は、とある作戦を実行に移した。
「なにやってんだえるみー」
コアンの声だ。
彼女の思考回路は単純なようで突拍子も無く、予想し易い行動の裏に予想外の発想が有る。
獣の野性と人間の知性がごちゃ混ぜになり混沌とした脳内から毀れ出た今回の作戦は果たして上手くいくだろうか。
「カリノジカンダー!」
エルミーの元気な声も聞こえる。
彼女は、身体能力、忍耐力、判断力、どれも幼い女の子とは思えない程高い。
だがそれらを全力で発揮した結果、肉体や精神の未熟な部分に亀裂が入ってしまった。
そんな状態であるにも関わらず、今も苦痛と戦っているであろう彼女は強さの塊だ。
――――ギシギシと、木が軋む音が聞こえた。
そして何者かが雪を踏みしめながら、ゆっくりと近付いてくる音が少し離れた位置から聞こえてくる。
(そうだ、それで良いぞ、たっぷり時間をかけて歩け、急ぐんじゃねえぞ……?)
ここで稼いだ時間が逃走計画にどれ程の影響を及ぼすかは解らない。
逃走成功の鍵を握るのはユーシィだ、大変だろうが頑張って欲しい。
「もうちょいむこうだなー」
コアンがエルミーに何やら指示を出している。
日本語のゴリ押しでも何とかなっている、不思議だ。
コミュニケーションを取る上で重要な事とは何なのか、改めて考えさせられる。
少しずつ、少しずつ近付いてくる足音が――――複数。
(やっぱり居やがるな、あいつ……)
「ん、どーした…………あいつか!」
俺の思考とコアンの声が偶然シンクロしてしまい、笑ってしまいそうになる。
感情が動くと体を震わせてしまう癖があるので気をつけないといけない。
「おいえるみー、やるぞ!」
緊張が走る。
奴らの歩行速度が上がった、接敵までもうすぐだ。
(焦るなよ……俺は逃げも隠れもしねぇからよ、ゆっくり来いよクソどもが)
足音が慌しくなる、走り始めたのだろう。
あと数秒で奴らはここに辿り着く、それで『終わり』だ。
(さあて、間抜け面を拝む準備でもするか)
記念撮影でもしてやろうと思い立った、何かの役に立つかもしれない。
そして、
奴らの足音は、
すぐ、
そこまで――――――――
≪なにやってんだえるみー≫
コアンの『声』が聞こえ、やがて俺は賊どもに取り囲まれた。
賊どもは、木にぶら下がっている俺だけを取り囲んだ。
俺は再生している動画をスリープモードへの移行で止めた。
そしてカメラアプリを起動し、賊に混じって間抜け面をしているアイツの写真を撮ってやった。
(よぉ、ケバケバおばさん。男侍らして良い気なもんだな?)
どうやら賊どもは雇われで、その雇い主はエスティだったらしい。
彼女が現れて数日後に起きた出来事なので解ってしまえば納得の事実だが、賊の根城で撮影した動画に映る彼女の姿を見つけるまで気付けなかったのは少々口惜しい。
(まあ何にせよ、これで作戦は終了だな)
コアン達は既にこの場を離れて集落に向かっている、奴らがここでもたもたしてくれれば彼女達との距離が更に開くのだが、どうだろうか。
(おーおー探してる探してる、ついでに雪合戦でもしていけって、楽しいぞ?)
暫くこの場をうろうろしていた賊どもだが、やがて散り散りになって別の場所を捜索しだしたようだ。
そしてエスティは、俺を手に取り無言で真っ黒な画面を眺めている。
(最初は只の感じ悪い姉ちゃんかと思ってたが、とんでもねぇ悪党だったんだな)
俺の怒りは、遠い空を朱に染めるあの炎の様にメラメラと燃え上がっている。
幼女誘拐を画策した罪人をこの場で張り倒してやりたいところだが、スマホにはそれが出来ない。
(ま、お嬢はコイツの存在に気付いてたようだし、どの道お仕舞いか)
エスティを罰する役目はこの世界の法に委ねる事にして、俺はゲームアプリを起動させた。
俺の役目は追っ手の足止めだ、出来る限りの時間稼ぎをしよう。
(ちょっとゲームで遊ん―――――ッ!?)
その時、全く予想外の出来事が起きた。
俺を見つめていたエスティの背後から真っ白な手が現れ彼女の口を塞いだのだ。
そして目を見開いた彼女の手から滑り落ちてぶら下がった状態に戻った俺の視界に、彼女の右脇腹に深々と刺さる短刀が映った。
「エスティ…………イェスターブ」
優しげな、聞き覚えのある声がした。
膝から崩れ落ちるエスティ。
俺の視界から彼女の体が消えた為、後ろに居た人物の姿が露になった。
(ユーシィ……)
初めて会った時の、あの深い闇を湛えた目をしたユーシィが、そこには立っていた。
彼女は短刀の柄を両手で握り直し、切っ先を真下に向け振りかぶる。
(待てよ、嘘だろ……?)
俺は、憎悪と憤怒の炎が理性の鉄扉を飴細工の如く溶かし、深層に雪崩れ込んだ激情が彼女の純真を飲み込み侵してゆく様を見た。
――――これは、殺意だ。
彼女はそれで自分を汚し、口元を歪ませた。
彼女はそれで己の最奥を掻き回し、眉間を苦痛で締め上げた。
俺の知らない何かを成す為に、彼女は精神の純潔を罪の泥濘に浸してしまったのだ。
いつの間にか姿を現していた月の光を受けて一瞬輝いたユーシィの刃は、地面に伏しているであろうエスティに容赦無く振り下ろされた。