EP.4 - 5
コアンは「脱出」と言った。
かなり自信有り気な声だったが、拘束を解く手立てでもあるのだろうか。
(全く想像がつかないんだが、マジでどうするつもりなんだ?)
何をする気なのか、何をさせる気なのか、期待というよりは不信感に近いものを感じている俺を、彼女は足で引き摺り移動させ始める。
踵でスカートの下に引き寄せ、
次いで脹脛で尻の辺りまで動かし、
そして尻で背後まで到達させた。
(あぁ、縄で柱に括られてるのか)
柱にぴったりとくっついたコアンの背と両脇から延びる縄、そして縄で括られた両手首が見える。
そこまで厳重な拘束では無さそうだ、彼女の自信はここから来ているのだろうか。
「よし、やれっ」
(……………………は?)
「やれ」とは、俺に言っているのだろうか。
具体性の無い指示に戸惑いを隠せない。
「…………ひも、もやせって!」
掠れ声だが語尾を強め、改めて俺に指示を出すコアン。
(マジかぁぁぁ……)
彼女の意図している事がやっと理解出来た。
以前、俺と彼女の尻尾が擦れ合い、発生した静電気で発火した事があった。
その出来事から彼女は俺を火の出る道具と勘違いしたのだ。
「いそげって!」
(――――無理だって!)
確かに火を起こす事が出来れば縄を焼き切って拘束を解ける。
だが色々と条件が揃わなければ発火現象は起きない、あれは偶然に偶然が重なって起きた自然現象であり、火炎魔法でも火属性付与魔法でも無い。
「もたもたするなよ~……あっ、だれかくる!」
(ぬおっ!?)
誰かが建物に近付いてくる気配を察し、コアンは俺を尻に敷いて隠した。
扉が開く音がする。
屋内に入って来た者が、ふにゃふにゃした声を発した。
「ニア~、ローシーイクレイティ~」
この男は酔っ払ってでもいるのだろうか、何だか上機嫌の様だ。
男のものらしき足音が近付いてくる。
すると、コアンが突然興奮して俺に尻を何度も打ちつけた。
「くいもの! よこせ!」
(ちょ、跳ねるなって! 潰れる!)
嗅覚が無く視覚も塞がれている為に確認は出来ないが、この酔っ払いは食事を持ってきてくれたのだろうか。
足音がコアンの直ぐ近くで止まる。
そして相変わらずふにゃふにゃした声の男が、口を開いた。
「ハ~インザ~ウトッ!」
「うへぇ……さけくさっ…………んぐっ」
咀嚼音が聞こえる。
どうやら食べさせて貰っているらしい。
「ん~~ふあんくふ~~」
(フランクスて……まあ、お腹空いてただろうし気持ちは解るが……)
コアンの言葉を聞いた男が笑い出す。
「ハッハッハ! アンキモォ~~」
彼は酒が入ってかなり機嫌が良いらしい。
こちらに危害を加えるつもりは無い様で安心した。
足音が再び鳴り始め、遠ざかってゆく。
そして、男の声が少し離れた場所から聞こえてきた。
「アイ、エム! ハインザウト~」
エルミーにも食事を与えている様だ。
『アイ』とは、
軽い挨拶に使われる感動詞であり、
『エム』とは、
女性を指す言葉らしい。
「フ……フランクス……」
コアンに倣い、礼を述べるエルミー。
感謝するに値しない輩ではあるが、好感度を上げて生存率を一パーセントでも増やそうという考えであるならば、なかなか賢い作戦だと思う。
エルミーはもしかしたらそれくらいは考えているかもしれない、だがコアンは多分普通に感謝していると思われる。
食い物に弱いんだ、彼女は。
再び足音が鳴り始める。
どうやら男は入り口へ向かっていった様で、程無くして扉を開く音がした。
そして彼の上機嫌な声が室内に響き渡る。
「チャンビスクス、ハイデンチュア~」
ご丁寧な別れの挨拶を済ませると、彼は扉を閉めて去って行った。
『チャンビスクス』は
複数形の単語だ。
『クス』が付く事で、その単語は複数形になるらしい。
ではそれが語尾に付いた
『チャンビス』
は、何かというと――――
(『妹』……だった筈……)
つまり先程の酔っ払いは、
『妹たちよ、また会おう』
と言って、去ったのだ。
ちなみに『姉』は、『ヘキサン』である。
(酒が入って性癖が露呈したか……)
妹キャラが好きなのだろうか。
少々不気味さを感じたが、一線を越えようとしない節度ある兄で良かった。
酒気を纏った脅威が去った後、暫くしてコアンは大きく溜息を吐いた。
「まぁ、あいつはゆるしてやるか……」
(ちょろ過ぎだろ! 気を許したらいかんぞ……)
一宿一飯の恩義に報いようとする心意気は素晴らしいが、相手は選んだ方が良いと思う。
無事、空腹に因る苦痛から解消されたコアンとエルミー。
だが未だ囚われの身であり、根本的な問題は何も解決していない。
「んしょ……うんしょ…………おいっ」
腰を使って尻の下から俺を左に除けるコアン。
何やら文句があるらしい。
「さっさとひぃかせっ! ばかっ!」
尻尾でバシバシ俺を叩くコアン、
すると――――
「ぐあっ!?」
(ぐあっ!?)
刺すような痛みを感じた、静電気だ。
屋内が暗い為、一瞬だが火花を視認出来た。
「ノーマディ……?」
遠くから心配そうなエルミーの声が聞こえてきた。
コアンが何をしようとしているのか、彼女には理解出来ないだろう。
意思の疎通が困難な三人――――いや、二人と一個でこの危機的状況を脱しなければならない。
何でもいいから集落に帰れさえすればいいのだが、様々な条件が重なり非常に高難易度なミッションとなっている。
「おまえぇぇ……かえったらおしおきだからな……」
(帰れたら、な……)
――――静電気は起きた。
だが、そうそう燃え上がったりはしない。
簡単に火がついてしまったら毎冬街は火の海だ。
しかし――――他に脱出方法は思いつかない。
(やるしかねぇ……)
俺はスリープモードへの移行と解除を繰り返し、コアンにパッシングでアピールした。
「なんだー? あおってんのかてめー」
(何でそういう言葉ばっかり覚えてるの……)
コアンはまた、尻尾で俺を叩き始めた。
俺の周りに気流が生まれ、埃が舞っているのが見える。
「ぁいてっ!」
(いてて……)
数回尻尾が俺に触れた所で、再度静電気が発生した。
「うぐぐ……つけるならちゃんとつけろよぉ……」
(着火したいのは山々なんだけどな……)
コアンは叩くのを止め、今度は画面を撫で始めた。
尻尾が燃えた状況を思い出して再現する事にしたのだろう。
程無くして不可視の細かい放電が頻発しだした。
「コアン……」
「まってろえるみー、なんとかなる」
嫁の呼びかけに頼もしい一言で答える旦那。
言葉は通じなくとも想いは通じたか、エルミーは黙ってこちらを見ている様だ。
パチパチと細かい放電が続く。
しかし一向に発火する様子は無い。
「はやく、はやく……っ!」
コアンが焦り始め、尻尾の動きが荒っぽくなる。
その時――――――
「ア~イ! ヒャンウィフクフゥ~!」
さっきの泥酔男が勢い良く扉を開けて現れた。
扉が開け放たれ、外の音が流れ込んでくる。
流れ込んでくる音の中に下品な笑い声が混ざっていた。
賊どもが獲物を捕まえる事に成功した事を祝して宴会でもしているのだろう。
コアンの尻尾の動きが止まった。
あの男に見つからぬよう、彼女は尻尾で俺を覆っている。
男の足音が近付いて――――――は、来ない。
どうやらエルミーの方に向かった様だ。
「ア~ウォ~エ~イオ~」
先程よりも更に酔いが回っているらしく、最早何を言っているのか解らない。
エルミーが困った様な声で返事をする。
「フラン…………クス……」
どうやらまた食事を持ってきた様だ、咀嚼音がこちらまで聞こえてくる。
「……ン? ……ンッフッフ、アウォタ~ッス!」
(何言ってんのかわかんねーよ……)
泥酔男はエルミーの餌付けに夢中だ。
だが、いつあの男がこちらに来るか解らない。
俺の存在がバレたら脱出計画が丸潰れになる可能性が出てくる。
絶対に油断をしてはならない。
「くっそ~……いいなぁ……」
(………………帰れたら鱈腹食おうや)
一生懸命食欲と戦っているコアンの為にも、絶対にこの場を凌いで発火作業に戻らねばならない。
かなり長い間エルミーを構っていた泥酔男だったが、ついに立ち上がり――――
――――建物から出て行った。
扉が閉じた瞬間、コアンとエルミーは深い溜息を吐く。
「くれないのかよぉ~……」
コアンは悔しそうな声でそう言い、また俺を尻尾で擦り始める。
(悔しがるとこじゃないだろ…………い゛て゛っ!)
かなり大きな音が鳴り、それと同時に強めの痛みを感じた。
その際、俺とコアンの尻尾との間に極小の稲妻が走るのがハッキリと見えた。
そして――――
――――俺の目の前が、ぼうっと明るくなる様子も見えた。
「いてて…………ん? うわっ!?」
思わず声を上げたコアン。
(点いた! 点いたぞ、急げお嬢!!)
ついにコアンの尻尾に火が点いた。
「あちゃっ! あぢぢぢぢぢ!」
コアンは火の点いた尻尾を柱に押し当て縄を焼き切ろうとしている。
「うぎゅぅぅぅぃぃぃぃぃいぃいいいいい!!」
必死に火傷の痛みに耐えるその声は痛々しさの極致だ。
俺までヒリヒリとした痛みの幻覚に襲われてしまい、思わず震える。
「ぐぅぅぅぅぅぅぅぅぅううう゛う゛う゛!!」
まだ切れないか、
いつ切れるのか、
まるで次元が歪んで一瞬が数刻にまで延ばされたかの様に錯覚する程、気持ちが急いて仕方が無い。
「ん゛ん゛ん゛――――――――あッ!」
コアンの体が、柱に吹き飛ばされたかの様に前方へ転がった。
(切れた!)
柱に彼女を括りつけていた縄がついに焼き切れた。
その後、彼女が焼き切った縄を直様後ろに縛られた手で拾い上げるのを見た。
火が残っているその縄でエルミーを縛る縄も燃やすつもりだろう。
「あぢぢっ! あぢぢぢっ!」
バサバサと音がする。
尻尾を振って消火していると思われる。
(お嬢、良く頑張った……)
今も痛みに耐えながらエルミーを縛る縄を焼いているに違いない。
小さな狐娘の努力と根性は、何も出来ない自分が情けなさ過ぎて思わず消えてしまいたくなるくらい尊いものに感じた。
「うぐ……おし、きれた!」
エルミーを縛る縄も無事焼き切れた様だ。
「あっ! さわるな! もえるぞ!?」
ドタバタと音がする。
エルミーがコアンの尻尾の消火を手伝っているに違いない。
「あだだだだ! ふむなふむな!」
(エルミー頑張れ! でも決して焦らず優しく火を消してそして早くお嬢を助けてあげて……)
大慌てで尻尾の消火を行なう二人の物音を聞きながら、最良の結果になるよう俺は祈った。
程無くして互いの両手首を縛る縄を解き、ついに脱出体勢に入ったコアンとエルミー。
二人の幼い子供は闇夜の森を抜け、見事生還する事が出来るであろうか――――。