EP.2 - 4
――やはり、台風はやって来た。
コアンの台風予報から日を跨ぐ猶予すら無かった。夜も更けた頃から徐々に風雨が強くなっていき、時折雨戸を風が叩く音が響く。現在の教会内は集落の全住民が此処にいるのではと思われるくらいの人数が集まっている。
コアンは昼食後もずっと教会内に居たが、キースは他の大人達と共に災害対策に奔走していた様だ。
子供達は早くから教会に集まっていて、数名の大人と協力してエントランスホールに寝床を作る作業をしていた。
此処は周辺で唯一の石造建築だ、古くから暴風による災害時は避難所に使われていたのかもしれない。造りが強固である事を願うばかりだ。
「ういろう……だいじょーぶかなぁ……」
住民が集うホールの中程で座し不安げな声を漏らすコアン。
彼女が案ずる『ういろう』、俺には『ウィオン』と聞こえたその異世界語は、動物の肉を意味する言葉と思っていたが実は少し違った。
ウィオンはこの集落で飼養され、家禽の様な扱いをされている生物の固有名詞だ。
茶系統の羽毛を持った中型の鳥類に似た形状の生物『ウィオン』は卵生で、その卵と肉は住民の食卓を潤した。
コアンはウィオンを良く見に行っていた。その度に「大きくなれよ」、「美味しくなれよ」と声を掛けながら飼料を食べる姿を眺めたり、指でちょっかいを出して逆に突っつかれたりしていた。食料として見ていた面が強いが多少は愛着がある様にも感じられ、どちらの意味でウィオンの身を案じているかは俺には分からない。
「コアン、ボーキー?」
傍らに寄り添うエルミーが声を掛けてくる。「ボーキー」の意味は解らないが、声のトーンから察するに心配してくれているのだろうか。
「あんまくっつくなって、あっついから……」
日は隠れ、降りしきる雨の影響も有り多少は熱が逃げた様だがまだ暑さを感じる。
コアンは尻尾をわさわさと動かし始めた、近付き過ぎなエルミーを遠ざけようとしているのだろう。腕で押しやり露骨に拒絶をしないのは彼女の優しさなのか、それとも面倒臭がったが故のぞんざいな対応なのか。これまでの経験から後者の様な気はするが、尻尾の猛攻を受けるエルミーは笑っている様だ――――彼女は喜んでいる。
(いいなぁ……俺もモフりたい……)
しかし悲しいかなスマホである。コアンの腰紐に甘締めされている俺の体は移動手段が無い。あの太く逞しく、そして妖艶な魅力に満ちた尻尾と戯れる事は不可能だ。
イチャイチャする二人の幼女の声を浴びた事で芽吹き始めた若干の妬み嫉みを摘み取る様に聴覚から意識を逸らし視覚に注力する。
キース含め数名の大人が何時ぞやの様に虚空を仰ぎ祈りを捧げている姿が見えた。
自分達でやれる事はやった、後は神様お願いしますといったところか。姿無きものに縋るその様を嘲る者もいるかもしれないが、何かを信じて只待つもこの状況では懸命と言えよう。今から外に出て何かをしようとするのは危険だ、気を落ち着けて嵐をやり過ごそう。
慌しく動き回る者は居ない。既に寝ている者も居れば、座して会話を楽しむ者もいる。脅威を感じる程の風雨ではないからか皆落ち着いている様だ。
今がピークで後は弱まるだけでした、大袈裟に騒ぎ過ぎでした、なんて事になれば非常に有難い。俺は危機が去ってくれるまでキースらがそうする様に月の神様に祈る事にした。
――――スマホの祈りは届かなかった。
「うおぉぉぉ……すげぇな~……」
夜が明けた頃、この地域一帯は暴風域に入った様だ。
強大な力を得た風が全力でイキる腹立たしい声に、然しもの傲岸不遜な狐娘も気圧され気味だ。
雨戸を頻りに叩き豪雨を真横から浴びせ、屋内で怯える人々を必死に煽る暴風。
時折鳴る大きな音に思わず声を上げる者や恐怖で泣いている子供も居るが、しかし周りが慌てふためいている様子は無い。教会内に被害は無いのだろう、重たい石の砦は風から皆を護り雨水の一滴も通さない構えだ。
かなりしっかりした造りで、建築技術の高さが窺える。地域住民の拠り所として申し分無い強固な建造物である。
その技術がどれ程のものなのか、ちょっと見てみようかと思いついたが、残念ながら現在の俺の視界にはエルミーの体の鎖骨辺りしか映っていない。
(どういう体勢なんだろこれ……)
暴風の唸り声で目を覚ましたコアンとエルミー。ほぼ同時に目が覚めた二人が上体を起こしたその時、強烈な風が雨戸を打ち付けた。その音に驚いたエルミーは短い悲鳴を上げ咄嗟にコアンに抱きつき現在の体勢になり、俺の視界は塞がれた。怖いのは分かるがその位置はちょっと不安なので早めに退いて欲しい。
「ボーキィ……」
エルミーの声は少し震えていた。どうやら「ボーキー」は恐怖心を表す言葉らしい。
「え゛る゛み゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛く゛る゛し゛ぃ゛ぃ゛ぃ゛……」
苦悶の声を上げるコアン。エルミーの強烈なハグが彼女の腰を締め上げる。
エルミーは起き抜けに一発大きな音を食らって少々混乱しているのか、コアンの呻き声が耳に入らない様で離れる様子は無い。
(お嬢、あと少しの間だけ辛抱してくれ。俺が必ず助けてやるから)
エルミーのハグにより圧迫されたせいなのか、コアンのお腹からゴロゴロという音が聞こえた。哀れなり女狐、堕とした女に絞め落とされるか。
(…………あれ? いや、まさか……)
――その、まさかだった。
突然、耳を劈く様な轟音が鳴り響いた。どこかで雷が落ちたらしい。
教会内に悲鳴が響く。新たに泣き出す子供が現れ、動揺する大人のざわめきも聞こえ始める。住民のメンタルが心配だ。
「く゛あ゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛……」
コアンのお腹も心配だ。
(エルミー……気持ちは分かるけど手加減してあげて、お嬢が死んじゃう)
またゴロゴロという音が聞こえる、間違いなくコアンのお腹の音だ。
先程はこの音と落雷の前兆が重なった事が気付くのに遅れた主な原因だが、台風の暴風域での落雷という稀な現象であった為でもある。
(この世界だと当たり前だったりするのかな、めちゃ怖いなそれ……)
元の世界の常識で物事を推し量って軽率な行動をとるのは控えた方が良いと、肝に銘じておこう。
度重なる風雨の猛撃と強烈な落雷の一撃により、いよいよ楽観視出来ない状況に陥った。
荒れ狂う暴風の唸り声、人々の恐怖が悲鳴を生み騒然としたエントランスホール、震えて拠り所を求めるエルミー、呻き声を上げるコアン。
混沌としたこの空間を救うべく、ついに一人の男が声を上げた。
≪ダキシメテーーー、エガーオーデーイーターーーヒビノーーー≫
俺の時計でAM07:15、予定通りスキルは発動した。
「――ヒャアッ!?」
弾き飛ばされた様にコアンから離れるエルミー。
(俺の歌を聴けぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!)
爆音でアイドルソングを熱唱する俺。声色はキュートな女声だ、文句あるかこの野郎。
「うぎゅ……ぐぅ……よ、よくやった……ほめてつかわす……」
搾り出す様に喋るコアン。かなり苦しそうだ、良く耐えたな本当に。
騒然としていたホールの雰囲気が俺の美声で一気に塗り変わる――まあ俺の声じゃないんだけど。
子供達は泣き止んだ。大人達も喋るのを止め、聞き慣れぬ音に耳を傾けている様だ。
果たして歌は人を救えるのだろうか。その問いに対する解答が今此処でなされようとしている。
「……リオシェーイン?」
エルミーが不思議そうに俺を眺める。
「こ……こいつな、いっつもこのじかんになるとさわぐんだよ……」
エルミーを警戒しつつ俺を腰紐から取り出すコアン。
(いつもじゃないぞ、土日は休みだからな)
学校が休みの日は当然、アラームはセットされていない。今日が平日で本当に良かった。
落ち着きを取り戻した教会内の人々の様子に安堵する俺。
俺の力で得た成果かと問われると正直微妙なところだ。しかしこの体から発する歌声は、おまけで徳をプラスしてくれても良いんじゃないかと思えるくらいの効果を及ぼした。
いつの間にやらコアンの周りに集まってきている面々は、未知の音楽に聞き入っていて外の様子などは正に何処吹く風だ。
歌は、人の命までは救えないかもしれない。しかし小さな平穏を勝ち取る事は出来た――――歌は良いな、アイドルソングって最高だな。
混乱を鎮めても尚響き続けるこの歌は、真歩ちゃんのお気に入りだ。カラオケに行けば必ず歌う十八番でもある。
勿論俺も大好きだ。理由は当然、真歩ちゃんが好きな歌だからだ。
世間の評価なんて関係無い、俺の好みすらどうでもいい、恋ってそういうものだろう。
まあ、「I need you.」だの何だのと、小っ恥ずかしい単語をこれでもかと鏤めた歌詞に抵抗が無い訳じゃない。だが今は、それを発する自分自身すら誇らしく思え、これをアラームに設定してくれた真歩ちゃんへの想いが止め処なく溢れ――――
(何で止めるのぉぉぉぉぉぉおおおおおお!!)
コアンはフリップを開き、画面を下から上に指で撫でスヌーズ機能を解除しつつアラームを停止させた。
「いつまではしゃいんでんだ、おまえー」
幸せに包まれていた俺を、狐の無慈悲な人差し指が現実に引き戻した。
コアンの肩越しに俺を見ていた人達が顔を見合わせ首を傾げている――きっともっと聴きたいんだ、そうだろうそうに違いない。
「おーし、あれやろうぜー、あれ!」
俺の願いも空しく、コアンは立ち上がると俺を掲げて招集をかける。これは、いつものやつが催される合図だ。
――――けものピラーバトル。
子供達が輪になって座し、ゲームアプリ『けものピラー』を一手ずつ順番に進めてミスした者から脱落していくというルールの遊び。この世界では、間違いなく此処だけで行われているレクリエーションだ。
今日はギャラリーが多い。
慣れた手付きで俺を渡していく子供達の後ろで観戦する大人達。最早、暴風雨の必死のアピールは彼らの耳には届いていない。住民達は恐怖に打ち勝ったのだ。
教会内の何処かで大人達が歌を歌い始めた――この世界の歌だ。
歌声は勇気をくれる、それは例え異世界であっても変わらない、まるで普遍の原理のようである。
誰が為に人は歌うのかと誰かに問えば、きっと己が為だと答えるだろう。
誰が為に俺は鳴るのかと誰かに問われれば、俺は自信を持ってこう答える。
――――真歩ちゃんの為だ、と。
その為のアラーム機能なのだから。




