EP.2 - 2
――――辿り着いた其処は、避暑地だった。
容赦なく照り付ける陽射しからこの地を護るかの如く生い茂る木々。その合間を縫う様に流れる川の畔には丈の低い草花がぽつぽつと生えている。土が曝露している部分が多く見られ、頻繁に人が踏み入っているであろう事が窺える。キース達が暮らしている集落から少し距離があったが、彼らは森の恵みを求めて此処までやって来ているのだろう。近くに移住した方が良さそうにも思えるが、恐らく教会の存在がそれを妨げているのではないかと憶測される。
教会の裏手は居住区画の中程とは違って手入れの施されていない雑草地帯であり、疎らに建つ住居群は教会からこの森に向けてその勢力を伸ばしている。そして無理矢理増築したと思しき教会の居住部分、これらの様子から察するに、きっとあの建物を動かす事が出来ない理由があるのだろう。今の住民には石造りの教会を再び建てる技術が無いのか、天体が信仰の対象である為にあの位置でなければならない訳でもあるのか。
(ちょっと不便だよな~……こんなに良い所なのに)
我先にと靴を脱いで川に入っていく子供達の姿を眺めながら万事が最良とならない世の理に辟易する。
「なんだ、あんましふかくないんだなー」
コアンもワンピースの裾をたくし上げ川へと入る。彼女の言う通り深さはそれ程無く、水面は子供の膝にすら届かない。流れも穏やかで、水難事故が起こる要素は無さそうに見えるのだが――――
(何が起こるか分からないし、大人が付いていて欲しいもんだな)
集落が遠い事もあり、不安を拭い去る事は出来ない。
(それとな、お嬢――――深くないって言うけど、俺は全身沈むからな? 絶対に落とすなよ? 絶対だぞ?)
――――不安を拭い去る事は、やはり出来ない。
iZakuroX6は完全防水ではない。防水性能は以前のバージョンに比べ格段に上がっているし、水没させても無事だったというエピソードを良く読んだ。だが使用を続けていればボディに劣化が起き、出来た隙間から浸水する可能性は十分にある。そうなれば応急処置が必要になってくるし、修理にも出さなければならない。だがここは異世界で持ち主はコアンだ、どちらも期待出来ない。
「おまえもしんどいだろー? ぞんぶんにみずをあびるがよいぞー」
(やめてええええええええええええええええええええ!!)
うっかり落とすどころか、まさか自ら水に浸けようとするとは思いもしなかった。
体感温度が下がり気持ちに余裕が出来たのだろう、普段優しさなど微塵も向けてくれないツン狐がここに来てデレた。何故選りに選って此処で。
俺はバイブを作動させて必死に訴えた。
「――ん? なんだおまえ、かなづちかー?」
(いいえ、スマホです! 精密機器です! あんな鉄の塊と一緒にしないで!)
泳げる筈もなく沈むだけなのでカナヅチという表現は適切であるのかもしれないが、恐れているのは故障であって泳げる泳げないは問題では無い。思いが伝わらない所為で無邪気な子供に死を突きつけられるこの恐怖は筆舌に尽くし難い。
「しょーがないなー……つかんでてやるから、はんぶんだけなー?」
(何その優しさ! 何でこんな時だけ優しいの!? ていうか半分でもやめ……イヤーーーーーーーーーーッ!!)
必死の願いも空しく、俺の体は半分だけ水に浸けられてしまった。
(あっ……冷たくて気持ちい……じゃなくて、ええと水没した時の対処法は……)
真っ先にしなければならないのは電源を切る事なのだが、残念ながら俺にはその操作が出来ない。他にしなければならない事と言えば水分の除去、SIMカードをいち早く避難させたり等、何れも俺には不可能な事だ。もう祈る以外に出来る事が無い。
命の灯火が消え、安らかな眠りにつく生物の様に徐々に俺の体温は下がっていく。このまま此処で壊れてしまうのだろうか。
最終的には死を迎えなければならないのだが、今の俺が転生する資格を有している可能性は限りなく低い。殆ど子供とゲームで遊んでるだけの日々だったのだ、今逝く訳にはいかない。しかしどうにもならない。
――――――。
(……あれ? 何か、案外平気だな)
防水スマホは伊達じゃないということなのだろうか、特に異常は感じられない。それどころか適度に体が冷えて快適である。
火に近付けられた時も己の頑丈さに驚いた。実は、異世界転生した時に耐久度が上がったのではないだろうか。
(チート耐久……ステータスは防御極振りか)
転生する時、ステータスにポイントを割り振ったりしただろうか――――いや、してない。というかステータスとか無いです。
(いや、有るわ。バッテリーの残量とかなら……)
だがゲームのキャラクターが持つようなステータスは無い。あれば絶対魔力極キャラにしたのに、残念。
しかし、丈夫になったと感じた事もあったが駆け回るコアンに振り回された時は確かに体の内部に異常を感じた。異常値の温度や圧力を受信した俺が感じる不快感とは別の、明らかに物理的な異常だった。つまり高耐久なのは体の外側か。
(女神の加護……っていうか、もしかしてスマホケースがチート能力を授かってるのか?)
防水性能に関しては、単純にiZakuroX6が優れているだけかもしれない。しかし耐熱性が異常なのはハッキリしている。スマホケースが不思議な力で俺を護ってくれているとでも言うのか――――凄く良い、異世界転生って感じがする。そうそう、こういうので良いんだよ。
(でも何でこんな能力を……もう一度、この体で所有者を守ってみせろって事なのか……?)
多分、そんな意図は無い。きっと店員さんが気遣いの達人なだけだ。
何にせよ高耐久なのは非常に有難い。現在の所有者は俺の扱いが粗雑で冷や冷やさせられてばかりなのだ、もしもの時の保険があるのは心強い。
「どーだぁ? ひやひやかぁ? きもちいいかぁ~?」
(はい……冷えてとっても気持ちが良いですお嬢様……。ですがもう満足ですので水から上げてください、これ以上は肝が冷えます……)
何か意思表示をしないとと思い、バイブを作動させてみる。
「はいおわり~! つづきはまたこんどな!」
俺の願いは通じたのだろうか――きっと通じてない。
しかし心優しき水責めからは解放された。「つづき」という言葉に肝が冷えたが水から離れたお陰で体温は上昇した。
「コアーーーン!」
エルミーの声だ。続いて他の女の子達が呼ぶ声も聞こえた。
川では男の子達がはしゃいでいる。女子組はどうやら川を越えた先に集まっている様だ。
「おーう! いまいくぞー!」
コアンは暑苦しさを拭い去ることが出来て頗る上機嫌な様子だ。俺を腰紐に挟み川から上がると足を尻尾で器用に拭き、靴を履いて彼女達の待つ場所へ向かった。尻尾便利だな。
――異世界女子会の会場は、木々生い茂る森に在って野花咲き乱れる陽だまりの園であった。
所々に切り株が見える。此処にあった木を切り倒して建築材料として使ったか。そうして陽の当たる場所となり草花は成長を促され天然の花園が誕生した、といったところか。
女の子達は花を摘み、それを用いてそれぞれの感性で自身の帽子を一生懸命飾っている。
「はっぱなんかくっつけてたのしいかぁ……?」
(葉っぱじゃなくて花だぞ、花。お嬢は女子力低いな!)
コアンは花より団子――いや、花より肉団子なのだろう、野花には全く興味が無い様で、特に何をする訳でもなく花園に座している。
そんな彼女の傍らに寄るエルミー。手には色とりどりの野花を紡いだ花輪が握られている。
「ハインザウト!」
花輪はエルミーの手からコアンの頭上に渡された様だ。聞き慣れない異世界語だったが、状況的に贈り物をする時に掛ける言葉だろうか。
「アンキモー!」
容赦なく身を焼く夏の太陽ではなく、麗らかな光で世を照らす春の太陽の様な笑顔でエルミーは例の異世界語「アンキモ」を口にした。
(ああ、そうか……アンキモの意味がやっと解ったよ)
長らく不明であった異世界語の意味を知り、俺の心は幸福感で満たされた。
「あんきも~……?」
コアンは良く分かっていない様だ。腰紐から取り出した俺の画面に映る自分の頭をまじまじと見つめている。俺は逐一理屈立てて異世界語を解読しているが、彼女は本当に必要最低限の言葉しか覚えようとしていない。頭に乗った花輪を見て「アンキモ」の意味を理解しようと思ってくれるのだろうか。
「う~ん…………おし!」
何を決心したのだろうか、コアンは唐突に声を上げると俺を再び腰紐に挟んだ。
それから花園を歩き回り辺りを物色しながら野花を摘んでいき、ある程度野花が集まると腰を下ろしそれらを紡ぎ始めた。
思い思いの場所でアクセサリー作りをしていた女の子達がコアンの様子に気付いて集まってきた。
彼女の手に依ってみるみる内に出来上がっていく花輪を見守るギャラリーに時折歓声が上がる。
(器用だよなぁ~ほんと)
スマホの扱いも、操作方法さえ覚えてしまえば割と直ぐに慣れた手つきで出来るようになった。理解させるまでが遠いが、俺の所有者に相応しい非常に優れた才能の持ち主だ。
「できた!」
コアンの作った花輪は見事な出来栄えであった。
しっかりと編み込まれた多彩な野花は、決して出鱈目に繋げたものではないと解る計算された配色で並んでいる。エルミーに貰った花輪を眺めていたのは、同じものを作ろうと考えていたからか。
「おらー! あんきもだー!」
出来上がった花輪をエルミーの帽子に乗せるコアン。異世界語に関しては、やっぱり解っていなかった様だ。
彼女は、若干赤面しながらもじもじしているエルミーに画面を向けてスマホを突き出した。
「うつせー」
(へいへい……仰せのままに、お嬢様)
カメラを起動し、画面にエルミーの顔を映してやる。
自分の顔が映った画面を見て驚いた表情を見せるエルミー。丁度良い機会なので、このアンキモガールのご尊顔を撮影してやった。俺の異世界メモリーに画像がまた一つ増えた。
エルミーはコアンに貰った花輪にご満悦の様子だ、様々な角度で画面に自分を映しニヤけている。
「あんきも!」
意味を解って言っているのか怪しいが、こういった事に疎そうなコアンらしからぬベストチョイスだ。寧ろ解ってないからこそ出た言葉なのかもしれない。
そのコアンの言葉に弾かれたような顔で硬直するエルミー。
「フ……フランクス……」
彼女は感謝を意味する異世界語を発すると、真っ赤になった顔を帽子で隠しながら俯いてしまった。
(こ……これは、どう判断したら良いのやら……)
若干危うい雰囲気を感じ取った。
恐るべき天然女狐の潜在能力、彼女達の未来が心配だ。
微妙な空気になり、一瞬静まり返ったその時――――
――――風が吹いた。
強烈な突風だった。いくら開けた場所であるとは言え、森の中でこんな強風が吹くものなのか。女の子達は叫び声を上げ、草花はざわめいた。
花輪が飛んで行ってしまったのではないかと心配になったが、風が止んだ後誰も慌てた様子を見せていない、どうやら無事だった様だ。
「――おい」
コアンがスマホの画面を見ながら俺に語りかける。
「てんき、みせろ」
(……は?)
全く想定していなかった指示に一瞬困惑したが、とりあえず言われた通り天気予想アプリを起動した。
現在の予想天気は――――晴れ。
しかし、明日以降は雨の予想結果が続いている。
(明日から雨……か。どうかなぁ……)
この出鱈目な予想天気は信用ならない、コアンもそういう認識だった筈。それが予想結果の提示を求めるとはどういう風の吹き回しか。
「ほんとだろうなー?」
(いやいや、解らないって……参ったなぁ)
散々適当だの嘘つきだの言われたのに今更信用されても困る。
時折、雲ひとつ無い快晴の空を気にしているコアンは何を考えているのだろうか。
「じしんはー?」
(…………無い)
「ほしょうはー?」
(……無い!)
「こんきょはー?」
(有りませ――――)
――――――有った。
コアンは真っ青な空を見上げた。
雲の無い空は、まるで世界が静止している様に感じさせる。
静かに、何かを待ち構えるかの様に、空は変わる事のない青だけを映していた。
「……あらしがくる」
(……台風が来る!)
これは所詮予想に過ぎない。
だがそれが呼び起こしたものは、確信めいた予感。
そしてそれは、狐娘の口から――――『予言』となって告げられた。