EP.1 - 13
「うぐぅ~……めがかわく~……」
(――ドライアイかよ!)
瞬きもせず空を眺めていたので瞳が乾き、それを潤す為に涙が滲んだだけだった様だ。まんまと狐に化かされた。
(大人になったら絶対悪女になるわマジで……)
成熟して色気を得た彼女が事ある毎に庇護欲を掻き立てる妖術を無意識に振り撒きながら、奔放に、欲に忠実に生きていく様を想像したら恐ろしくなった。純度100%天然女狐が爆誕する未来が見える。逆ハーレムルートすら有り得る。
(むむむ……けしからん! お父さんはそんな事許しませんぞぉ~~~~!)
庇護欲の沼に全身がズブズブと呑み込まれていく様だ。勘違いで土壷にハマる男の典型だが、どうにも止まらない。
将来の恋愛事情の心配など余計なお世話も良いところだ。だがそれはそれとして、現在の生活能力についてはどうしても気にかけざるを得ない。
麻袋を纏って、その手を罪で汚してでも食料を調達し明るく元気に今まで生き抜いてきたと思しきお嬢は逞しさの塊と言えるが、それでも非力で小さな女の子である事に変わりは無い。
ソロプレイには限界がある、せめてもう少し成長するまでは誰かに守られて生きるべきだ。キースのところに厄介になっている内に何か手を考えよう。
(俺が守護らねば……いや、守護らせねばならぬ……何とかしないと)
はやく何とかしないといけないのは俺の方の様な気がしないでもない、色んな意味で。
「コアーン?」
キースがこちらに声を掛けてきた。
「むっ、なんだそのよびかたはー」
お嬢は「全く失礼な奴だな」と文句を言いつつも素直に歩み寄った。
どうもキースはお嬢の『鳴き声』を人を呼ぶ時に掛ける言葉と勘違いしているらしい。
ホールに集まっていた人々は、現在は全員長椅子に腰掛けている。キースは例の台座の前に居て、長椅子に腰掛けた人々と向かい合って立っている。いよいよ聖職者――というか神父やら教祖っぽくなってきた。
お嬢は台座の横に用意されていた椅子に腰掛けるように促され、ぶつぶつ言いながらも腰掛けた。妙に素直なのは、言葉の通じぬ多くの人々の視線に怯えている為だろうか。
向けられる奇異の目から身を守るように俺を顔の前に掲げて縮こまるお嬢。
相変わらずガバガバな防御姿勢だが学習能力が無いと馬鹿には出来ない、きっと今の彼女にとってはこれが精一杯の抵抗なのだろうから。
(うん、ごめんなお嬢。全然守護れてないわ)
自分がちっぽけな存在であることを再認識させられた――――けど仕方が無いだろう、むしろそのコンパクトさが売りなんだから。
ざわつきが止まぬホール。そこにキースの一声が響いた。
「――――シェイク」
怒鳴ったわけではないが、彼の野太い声はホールに響き渡りざわめきを一掃した。
(静かにしろって意味だろうな、きっと)
続け様に異世界語で語り出すキース。それに無言で耳を傾ける長椅子に座した人々。大分宗教染みてきたが、老若男女が深夜に集い月明かりの下で会合を開くのはこの地域の風習なんだろうか、少々不気味だ。
お嬢はその異様な雰囲気に暫く唖然としていたが、理解出来ない異世界語を聞かされ続ける事に飽き、更には周囲の人々に怯える事にも飽きたようで、偶に体を揺らしながら膝に置いた俺を見つめている。
(今はちょっと遊んでやれないんだ、ごめんな)
長々と語られるキースの異世界語を今の段階で理解する事は不可能だが、いつどこで聞き覚えのある単語が飛び出して来るかわからない。注意深く聞いて覚えておく必要がある。
その情報をiZakuroX6が何処かに必死に書き込んでいるのだろうか、体が少々熱を帯びてきた。
知恵熱で火照り始めた俺の体をお嬢が弄り始め、ゲームアプリ『けものピラー』は起動された。
(まあ、そう来るとは思ってたよ……)
ゲームのスタート画面に切り替わり軽快なBGMが流れ出す。
――――と、辺りが静まり返り、俺から発せられる音だけが引き際を誤ってホールに居残ってしまった。
(あ、しまった……)
俺は慌ててスマホをスリープモードに移行させた。
キースも、椅子に座している人々もきっとこっちを見ているだろう。ゲームに夢中なお嬢は気付くだろうか。
「…………あっ」
気付いたらしい。
この場にいる全員の視線を再び浴びたお嬢は悲しそうに鳴く子犬のような声をあげて、また俺で顔を隠して縮こまってしまった。
すると、笑い声が湧き起こった。
笑い声に紛れて時折「アンキモ」が聞こえる。あんきもって何なんだ。
暫く笑い声は続いたが、キースはそれを収めると再び異世界語で語りだした。
俺はまるで敬虔な信徒の様に一生懸命キースの話を聞いていたが、詳細は分からず仕舞いだ。
だが、その内容がどんな意味を持つものであるかは大体想像できた。
一頻り喋り終えたキースが例の台座を隔てた壁際の方に行き、キリキリと耳障りな音を立たせつつ何かを操作すると、天井の、丁度台座の上に位置する場所に設置された、まだ閉まっていた扉が開く。すると、ホール内が一層明るくなる。
台座の前に戻ってきたキースは、新たに開かれた扉を仰ぎ胸の前で手を組んだのだ。
この建物はやはり教会か。信仰の対象はきっと夜空に輝く月の様なあの天体に違いない。夜に典礼を行う理由はそれだ。キースは経典の一説でも説き聞かせていたのかもしれない。
儀式らしきものは終わった。再びざわめきがホールに蘇る。
会話は弾んでいるようだが皆は未だ行儀良く長椅子に腰掛けている。
そしてお嬢は、台座の前にキースと並んで立たされていた。
「うぅぅ……なんだよぉ……なにもわるいことしてないだろ~……」
(いや、十分してるから)
不法侵入に盗み食い、典礼の妨害。お嬢は自分の犯した罪を……せめて盗み食ったパンの数くらいは数えような。
キースはお嬢の肩に手を沿えながら椅子に座る皆に何やら語りかけている。
お嬢がもぞもぞしていると、子供の大きな声が唐突に上がった。
「マトー!」
放たれたその大声は当然ながら異世界語で意味を理解することは出来ない。
その声を皮切りに、主に子供らの声が矢継ぎ早にホールに響く。一体何をしているのだろう。
わいわいと騒ぎ立てる子供達、わけも分からず子供らの声に晒され俯くお嬢の狐耳が、普段のピンと天を突いた状態とは打って変わって大分下がってきている、流石に可哀想になってきた。
俺がその境遇を気に病んでると、彼女は唐突に――――
――――大欠伸をした。
(眠たいだけかよぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!)
いい加減俺も学習しないといけない。この狐の習性を。
他人の学習能力をとやかく言えないと、俺が猛省していると――――
「「「コアーン?」」」
――――と、子供達の言葉が見事に揃い大合唱となった。
「なっ、なん……なんだばかやろー」
お嬢は狼狽しながらも強気の姿勢を保とうとしているようだ。頑張れお嬢。
しかし無常にも子供達の「コアン」コールは鳴り止まない。
またお嬢の狐耳が下がってきた、流石に今度のは眠気に因るものではないだろう。
「――――スケイツ」
キースの一声が響いた。
そしてホールには――――大勢の拍手が湧き起こった。
全くわけも分からず怯えた目をキースに向けるお嬢。そんな彼女の頭を撫でながらキースは相変わらずの無表情で言った。
「ナトゥイミシェ――――コアン」
お嬢はまた、悲しそうに鳴く子犬の様な声を上げた。
察したのだろうか――――
――――察したのだろうな。
ここに集まる皆は狐娘の来訪を歓迎してくれた。
そして皆で決めた名前を彼女に付けたのだ。
(本人は気に入らないみたいだけど、まあしょうがないよな)
理由は解らないが彼女は自分の名前を答えられなかった。
だが一緒に生活する以上、やはり名前は必要不可欠だ。
ペットを飼い始めるときの様なノリで名前を決められてしまったのは少々気の毒であったが、周辺の住民達が彼女と交流する気があるという事実は俺を安堵させ、そして期待もさせた。
――――こうして、彼女の名前は『コアン』になった。