EP.6 - 5
コアンが負傷者達を救う為に課せられた労働は、空が赤みがかってきた頃まで続いた。
負傷者の殆どが先日見た、凱旋してきた兵隊達だった。
中には重傷者もいて、彼らは流石にその場で完治とはいかなかった。
しかし苦痛に歪む表情が少し和らいだりしていたので、コアンの能力を疑う者は居なかった。
「もういたいのはこりごりだ……」
(お疲れ様です先生)
恐らくまだまだ負傷者は居たのだろうが、周りの聖職者たちがコアンの疲労具合を察して回復チートイベントを終了させた。
しかしどうやらこの催し物はまだ続くらしい。
夕飯時が近付いてきたのでコアン達の乗る台車にはテーブルが設置され、その上に料理が並べられた。
そしてユルク達がゆっくりと歩きだし、台車が動き始める。
きっとまた街をしばらく練り歩いて、ゴールに設定している場所に着いたらそこでお開きになるのだろう。
ステージの周りを囲む群衆からは歓声が絶えない。
コアンの名を呼ぶ者。
ニーレンジークと呼ぶ者。
その他思い思いの異世界語を人々はステージ上のコアンに投げかける。
(凄い事になったなぁ)
俺はこの異世界に降り立った日の事を思い出して感慨にふける。
スマホとして見知らぬ世界に独り佇んだ時の絶望。
最初に拾った者がおバカさんだったと解った時の絶望。
異世界人がちゃんと異世界語を喋っていた時の絶望。
碌なチート能力が備わって無かった事に気付いた時の絶望。
(思えば絶望の連続だった)
しかし、絶望を引き起こしたそれらも、今になって見れば寧ろ運が良かったと思える。
言葉が通じないのであれば、人であるデメリットもきっとあっただろう。
おバカさんであったとはいえ、パートナーがコアンだったからこそ今の状況がある。
公用語が異世界語であったが故に、日本語がコアンと俺を繋ぐ掛け替えのないものになったのだ。
(チート能力はもっとサービスしてくれても良かったよなぁ)
不満はもちろんあるが、逆に言うならこの程度の不満で良かったと思える状況なのは、運が良いとも言えるだろう。
俺はコアンを見た。
彼女は今、先ほどの疲れは何処へやらという感じで振舞われた料理をテーブルの傍に立ちながらエルミーと一緒に食い漁っている。
その表情は幸せそのものだった。
俺が居た事で、コアンは幸せになれただろうか。
コアンが居た事で、エルミーは幸せになれただろうか。
キースは、ユーシィは、村の皆はどうだろうか。
徳を積むという行為は、成果が見えにくい。
だから俺はずっと不安だった。
俺のしてきた事は、コアンが今日起こした奇跡に比べたら、とんでもなく些細な事だ。
それでも、それらは無駄ではなかったと思いたい。
だからもっと、幸せになってくれ。
その幸せそうな姿を俺のメモリーに焼き付けてくれ。
そうすれば俺は、これからも希望を胸に異世界生活を続けていけるだろう。
幸せそうに料理を貪っていたコアンが急に、不機嫌な様子に変わった。
何が起こったのかと観察していると、何の事は無い、お皿に残った最後の肉片をエルミーに取られた事が不満だったからの様だ。
「えるみぃぃぃぃーーー!」
暫くあーだこーだ言いながらじゃれついた後、コアンはエルミーの手にある肉片付のフォークに飛び掛かった。
すると、俺の視界がぶれ、次いで大きな音がした。
とても大きな音だった。
音の正体はすぐに分かった。
俺が床に叩き付けられた音だ。
コアンの首から紐で釣り下がっていた筈のおれは今、床に落ちている。
そして、女性の叫び声が聞こえた。
祝賀ムードのパレードに似つかわしくない、絹を裂くような声だった。
叫び声は、それが誰のものかを特定する間も無く群衆に拡散していった。
叫び声や怒号がそこら中から上がり始める。
台車の周りで何が起こっているのか、床で空を見上げている俺にはわからない。
だが、台車上で起こった事は理解出来た。
俺は、紐が切れた事で床に落とされた。
そしてコアンは……撃たれた。
床に落ちた時に見たコアンの姿が記憶にこびり付いている。
胸のあたりから着ている服を突き破りクロスボウの矢が飛び出ていた。
その矢じりの先が一瞬、夕陽の光を受けギラリと光るのを見た。
それはまるで獲物を仕留めた事を誇っているかの様だった。
エルミーは、まだ動かずに直ぐ傍にいる。
危機的状況だが、突然の出来事で頭の中が真っ白になっているのかもしれない。
ドタドタと足音がして、聖職者達がコアンとエルミーを囲みだす。
もう一度矢が飛んでくるかもしれないと考え、壁になってくれているのだろう。
「トン……デ…………ト……」
喧騒に包まれているステージ上で、微かにエルミーの声が聞こえた。
多くの負の感情に脳が支配される中、必死に声を絞り出しているのだろう。
俺やコアンでなければ恐らく聞き取れないであろうその声はとても弱々しかったが、彼女の意図ははっきりと受け取れた。
コアンを助けたいという願望。
その為に何かをしなければという意志。
それが、おまじないの言葉を呟かせたのだ。
エルミーが消え入りそうな声でコアンの名を呼ぶのが聞こえた。
膝立でコアンに覆いかぶさる様な姿勢の彼女は、唇を震わせながらも続けて何か言葉を発しようとしている。
だが結局それ以上何も喋る事が出来ず、やがて目から大粒の涙を流し始めた。
(エルミー……)
エルミーの心はきっと、無力感でいっぱいなのだろう。
何故そんな事が解るのかと問われれば答えはひとつ、俺がそういう気持ちだからだ。
モエナの時も、ユルクの時も、俺とエルミーは何も出来なかった。
コアンならば回復チートで何とか出来たかもしれないが、俺たちにはそんな能力が無いのだから当然だ。
そして今、目の前で傷つき倒れている者が唯一頼れるコアンであるが故に成す術が無い。
俺はなんて無力なんだろう。
(何がスマートだ馬鹿野郎……)
せめて、あの時の様に……真歩ちゃんの時の様に俺が身代わりに成れれば良かったのに。
そう思わずには居られなかった。
エルミーは、一度はおまじないの言葉でコアンを助けようと考えたのだろう。
だが自分でその言葉をいくら叫んだところで誰かを救う事は出来ないとユルクの時に思い知った彼女は、それを実行できなかった。
エルミーが天を仰ぐのが見えた。
そして、これまで上手く声を出せずにいた彼女から、俺がこれまで一度も聞いたことが無い、哀哭とも絶叫ともつかない音が発せられた。