EP.5 - 84
サンバは、だだっ広い平原に立っている。
旅立ちの日に背負っていた荷物はもう無い。
だが、彼はそんな荷物とは比べ物にならない程大きなものを今、背負っていた。
死んだと思いきや見知らぬ土地で目覚めた日から、ひと月程たった今日、サンバは己の運命を悟った。
何処へ行っても人は争うものらしい。
自分の生きている世界のどこかには、自分の国とは違って争いの無い平和な国があると子供の頃に聞かされていた。
しかし、この見知らぬ土地でも人と人が命の奪い合いを始めた。
平和な国など、どこにもあるものか。
サンバは悟った。
知能を持った多くの生物が存在し続ける限り、争いは無くならない。
国が、人によって作られる限り、争いは無くならない。
手に力が入る。
すると革製の手袋がギリギリと音を立て、その音に交じりカタカタと乾いた音が鳴る。
右手には小剣が握られていた。
彼はこれから、見知らぬ国の見知らぬ土地で誰とも判らぬ相手と戦うのだ。
この国には銃火器が無いらしい。
戦争は金属製の剣などの武具で武装した兵隊達が主力のようだ。
サンバの装備は小剣と、急所などの位置に金属板を縫い合わせた革製の服だった。
服にはフードが付いており、薄い金属板が数枚、生地の内側に縫い込まれている。防護性能は無いに等しい気休め程度のものだろう。
常時被っていると頭が痛くてしょうがないので、この防具を身につけている者は皆、脱いだ状態でいるようだ。
この場に来る途中、全身金属の鎧で身を固めた兵隊達を見た。
武器はクロスボウやコンポジットボウなどの機械式の弓だ。
近接戦闘が主体の者は防具が軽装で、遠距離武器を持っている者には重装備をさせているらしい。
統一感があるので、きっとちゃんとした戦術があるのだろうなと、サンバは考えた。
これから、この平原で多くの命が消える戦いが始まる。
目覚めた異国の地の屋敷で、成り行きで乱闘に参加する事になったサンバは、今度は成り行きで戦争に参加することになった。
屋敷での戦いで驚異的な身体能力を発揮したサンバの噂を聞きつけた者が、この戦争に彼を誘った。
言語が理解できないため、最初は何の話か全く理解出来ていなかったサンバだが、図解入りで細かく説明がされだすと、それが人間同士の殺し合い、戦争である事を理解した。
戸惑ったサンバだが、自分の担当が恐らく補給部隊の護衛という役割なのではないかと理解し始めると、何故だか急に使命感が湧いてきて、結局参加を決めたのだった。
しかし、自分の役割が後方支援だという事は何となく理解できたが、肝心な、何の為に戦うのかという点については殆ど理解できなかった。
しかし、戦争に参加する者達が皆、狐の耳と尻尾を生やした少女をまるで崇めているかのような仕草を繰り返していたのを見るに、もしかすると彼女を守る為の戦争なのではないかと、サンバは憶測した。
サンバを呼ぶ声が、後ろから聞こえた。
ああ……こんな事、あったな。
そう呟くと、サンバは両腕を目一杯横に広げて天を仰いだ。
そして、こう思った。
きっと、自分はとても長い夢を今、見ているのだろう、と。
目覚めると言葉の通じぬ見知らぬ国に居た。
気が付けば驚異的な身体能力を持った人間になっていた。
そして、まるで漫画のような戦いを経験した。
これはきっと、いつぞやに読んだ若年層向け小説の影響なのではないかとサンバは思った。
その小説では、不幸な事故で死んでしまった現代の若者が異世界に転生し、たった一人で驚異的な力を以てモンスターを倒し、各地で異世界の人々を救っていくのだ。
そんな物語の主人公になる夢を、自分は見ているのだろうと考えた。
だから、サンバは今この場所に立っている。
ここは間違いなく最前線。
重装備に身を包んだ兵隊達のその先に一人、彼は立っている。
補給部隊などは遥か後方で、完全に持ち場を離れている状態だ。
それがどうした。
視線を真正面に戻すと遠くの方に多くの蠢く影が見え、地鳴りのようなものが微かに聞こえ始めた。
あれがきっと、敵対する相手の軍隊なのだろう。
それがどうした。
もう一度、背後からサンバを呼ぶ声が聞こえた。
それがどうした。
どうせ、自分は死ぬ。
夢の中でも人と人との争いの中で、命を落とす。
そういう運命なのだ。
だからせめて、たったひと月だけでも寄り添った人々の前に立ち、一つでも多くの命を守ろうとサンバは考えた。
家族を背に、驚異の前に立ちはだかったあの時のように。
自棄になっているのかもしれない。
そんな考えが脳裏を過った瞬間、サンバは近づいてくる影たちに向けて駆け出した。
更にもう一度、サンバを呼ぶ声が後方から聞こえたが、彼はそれを掻き消すように雄叫びを上げた。
敵の軍隊の影が物凄い速さで近付いてくる。
相手の速度が速いのか、自分の足の速さが異常なのか、サンバ自身にも判断出来ない。
その現実味の薄い速度が、自身が夢の中にいるのだろうという考えを強固なものにする。
ならば、どうせ。
そう呟いたサンバは、地に足をつけながら不思議な浮遊感を感じたのだった。