1話「赤いコート」
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20××年6月23日土曜日。
その日は年間で最も天気が悪かった。冷たく重い雨粒が空から降りそそぐ。そのせいか町にはたまに数台の車が通るだけで歩いている人影など見当たらない。こんな休日にはたいてい家でのんびりと時間を費やすものだ。
ただし、そこにいた一人の女性を除いては。
「ハァッ…ハァ…ハァッ!」
呼吸を荒くし、転びそうになりながらも必死に走る。雨の影響もあり結んでいた髪はほどけて乱れ、カーキブルゾンにベージュのワンピースを組み合わせたお洒落な服もずぶ濡れでだいなしになっている。靴は途中で脱いだのか…または脱げたのか履いていなく、足は泥や擦り切れた傷からの血で汚れている。
「聞いてない…ハァッ…やつが…日本に…いるなんて!」
後方を確認したあと道を右に曲がり路地裏に入る。まっすぐ奥へ進むとレンガ柄の壁に一つのドアが見える。
「捕まってたまるもんですか…。まだチャンスはある。早く行かなくては…」
足を引きずりやっとの思いでドアノブに手をかけ、落ち着き安堵したそのときだった。彼女の後頭部に雨とは違う冷たい何かが突きつけられる。その瞬間彼女の顔は再び青ざめ心音は高鳴り、鼓動が速くなる。
「ロルフ=ジョシュだな」
低く透き通るような声が彼女の名前を告げる。その声の持ち主こそが今回ジョシュをここまで追い詰めた元凶なのだろう。
「……えぇ」
「両腕を上げてこっちを見ろ。余計な真似はするな」
言われた通りにゆっくりと体を後ろに向けて"元凶"の姿を確認する。黒のスーツを着ていて地面につきそうなほどの赤いロングコートを羽織っている。顔の半分は火傷のような跡があり、よく見ると右目の瞳孔に動きはない…義眼だ。そして左手にはロシア製のマカロフ拳銃が握りしめられている。
「お願い…見逃して」
彼女は目の前にいる恐ろしい存在を知っている。知りすぎたゆえにこの状況になっているのかもしれない。
「仕事だ。それはできない……お前は今日ここで存在すらなくなる」
「___!!!」
雨の音がさらに強くなり二人が話している内容は途切れて少ししか聞き取れない。やがて雨が止み、残ったのは一発の銃声と硝煙の香りだけだった。
千城市内で起きた雨の日の出来事。
全ては数時間前に遡る_。
「いらっしゃいませ」
カランと綺麗な音色でドアベルが鳴り一人の客を店員がにこやかに迎え入れる。60代くらいだろうか、白髪に立派な口髭を生やしている。見た目から察するにこの店の店長だろう。
「やぁ、マスター。この店はいつ来ても落ち着ける良い店だ」
常連客と見られる人物はそう言いながら店内をぐるりと見渡す。喫茶店にしてはレストランのような広さがあり、日本ではあまりみないようなお洒落な感じがある。手前には木製のテーブルがいくつかあり、奥には重厚でシャビーなバーカウンターが見える。さらにその上から吊り下げ式のランプが店全体を小さくも明るく照らし出す。誰が来ても悪いとは思えないような居心地良さがその店にあった。
「恐れ入ります。いつものブレンドを用意していますよ」
「ありがとう。あとテイクアウトの注文いいかな?会社のコーヒー豆なくなっちゃってさ」
「かしこまりました。用意しておきますのでお帰りの際に渡します」
「いつも悪いね。実は他の社員達も楽しみにしててさ。あのコーヒー豆で作ったコーヒーじゃないと仕事に集中できないって言っててね〜ハッハッハッハ」
「ではより一層美味しいものを作り期待に応えなければなりませんね」
そんな他愛もない話がこの店の暖かい雰囲気を醸しだす。ここは千城市名倉町のとある一角に建っている喫茶店"リュック・ザイテ"。雑誌にも載るほどの人気ぶりがあるのは店の内装の良さはもちろん、店主が仕入れる産地直送のコーヒー豆に特製オリジナルブレンドが絶賛好評となっている。
「実は…大変申し上げにくいのですが…」
「どうしたんだい?マスター」
しばらくしてから少し困ったような表情で店主は言った。客はどうしたものかと首を傾げながら聞く。
「あと10分後にここを貸し切るお客様が来店される予定でして…なんでも取り引き場所としてここを活用したいとか。なので…誠に申し訳ないのですが…」
「それだったら仕方ないね。わかった。この1杯を味わったらすぐに帰るから」
「せっかく来ていただいたのに本当に申し訳ありません」
深々と店主は頭を下げる。
「いいよいいよ。そんな大事なことがあるにも関わらず飲ませてもらえたし十分だよ。じゃあまた来るねマスター。今日も美味しかったよ」
出入口用のドアを開けながらそう言うと上機嫌で客は店の外に出る。
「休日に取り引きとは随分仕事熱心なんだな。俺も見習おう。さてと…天気も悪くなってきたし早く家に帰るか」
途中で急に雨が降っても困らないようにカバンに入っている折りたたみ傘を取ろうとした時だった。いつの間にか前方からきた人影にぶつかり体勢を崩しそうになる。
「うわっと。すみません、こちらの不注意で」
「こちらこそ悪かった。気にするな」
ぶつかった相手は表情のひとつも変えず、詫びの言葉を軽く言うと何事も無かったかのように去って行った。気づいた時にはもう男の姿はなかった。
「(顔はわからなかったが…こんな季節に赤いコート?だったな)」
すぐさま頭を下げて視界は下だったので顔は見えなかったらしい。それよりも印象に残ったのは地面につきそうなほどの"赤いロングコート"。6月の蒸し暑くなる梅雨の時期に着るものではない。
「(この町は物騒だからな。あまり関わらないほうがいいだろう)」
そう思い気持ちを切り替えると一刻も早く家でコーヒーを味わうために歩きだす。
彼の名前は永樹京介。後に彼は千城市の怪奇事件に巻き込まれることになるのだがそれはまた別の話になる。
「いらっしゃいませ」
本日2度目のドアベルが鳴り店主は客を迎え入れる。ドアを開けた向こうに立っていたのはまぎれもない先程の"赤いコート"の男だった。
「6番からの席は空いているか?」
店は貸し切りで店主以外誰もいないというのに男は妙な質問をする。
「はい。お好きな席へどうぞ」
店主は気にもせず前の客と変わりないにこやかな顔で接客を続ける。男はなんの迷いもなくカウンター席の"5"と書かれた椅子に座る。
「ご注文はいかがなさいましょうか」
店主は男のすぐ横に立ち、手にはメモ用紙とボールペンが握られていた。注文を一言も聞き逃さないようにするためだろう。しかし男はメニュー表などは一切見ていなかった。
「そうだな…ピザと豚肉料理。あとワインも頼めるか?」
意外なことに男は喫茶店には普通はないであろう品名を出してきた。しかもここの店の有名なコーヒーすらも頼まないのはどういうことなのだろうか。
「焼き加減はいかほどに?」
「中までじっくりと」
「ソースは?」
「おまかせしよう」
「お客様…確認ですがウチはレストランではありませんよ?」
しかし、店主は驚く様子もなく注文のやりとりをする。ここまでの流れからみると常連客のようだが最後の店主の一言がそうではないと言っている。なぜなら常連客にわざわざ勘違いをしていないかの確認をとるはずがないからだ。
「構わない。いつも通りでいい」
「…………かしこまりました」
低く透き通るような声で男は答えた。店主はそれを聞くと出入口のドアにある"OPEN"と書かれた札をひっくり返し"CLOSE"の文字を外側のほうに向ける。
「奥の部屋へ行け」
丁寧な感じではない口調で店主は言った。
その瞬間店主の様子が豹変する。
鋭く殺意のある目つきは別人と思えてしまうだけでなく店内全体を緊張感に包み込む。
さっきまでいた優しい店主は今はどこにもいない。
「わかった。案内しろ」
男は立ち上がり店主のあとについて行く。店主はカウンター席の奥にあるドアを開け男を部屋の中に入れたあと再びドアを閉める。
部屋に入ったとき最初に男が見たのは足を組みながら本を読む、タキシード服を着た16歳くらいの少年だった。
「これがドイツ式の通過儀礼ってやつなのか?随分めんどうじゃないか」
「こんなのも簡単通れないようじゃあ信用性に欠けるんでね。待っていたよ"赤の殺し屋ロウ"…いや…仕事名ではなくこっちの名前で呼んだ方がいいのかな?"大塚真実"」
少年は真実の顔を見上げながら怪しげな笑みを浮かべる。
「どちらでもいい。はやく依頼を言え」
「そう焦るな。ようこそ我ら"クロノイドファミリー"へ。このファミリーのドンであるノア・シュタインが手厚く歓迎するよ」
ノアと名乗る少年は真実の顔を見上げながら怪しげな笑みを浮かべていた。
ただの喫茶店ではなくファミリーのアジトであった"リュック・ザイテ"。果たしてどうなってしまうのか…次回もお楽しみに!