3ー1『春が来たので……』
緩やかに吹く風が暖かさを帯びて、新しい緑が芽生え始める。
そんな、春を感じさせる季節となった頃合いに俺は、自身の商会であるアレックス商会のロビーにて事務仕事に従事する我がパシリ、モニカに対して声を放った。
「ちょっと王都行ってくる」
「へ? 王都?」
「そ、ファーン王都ラフェリア」
このファーン王国の首都、最大の人口密集地である王都ラフェリア。
人口は都市単体で百万人以上が住まい、周辺国を合わせてもこの辺り唯一の巨大中央都市と言える。
同規模の都市は、他には遥か北方のシベルシア帝国首都ジベル、東方シア皇王国のスーチエがあるらしい……が、どちらも遠すぎて人伝に聞いた話でしかないか。
ともかく、この辺りの一番でかい街、それが王都だ。
俺の地元であるこのレナータの街の人口が約五万人である事を考えれば、単純に二十倍の規模を誇る場所なのだ。
「……うーん、そっか……事前に言ってくれるだけマシよね。それでアレク、今度はどんな儲け話を仕入れてきたの?」
「うん? 儲け話?」
「また何かお金儲けの種を見つけてきたんでしょ?」
「いや、何言ってんの仕事じゃねーよ?」
なんで仕事の話になるんだ。俺は王都へ行こうって伝えただけだが。
「……は? 仕事じゃない?」
「うん、王都行ってくる。遊びで」
「…………遊びで?」
「うん、遊びで」
「…………ええと、何故?」
「何故も何も、春になって出歩きやすくなったし、ソフィもこっちでの生活慣れて来たし、リオナもたまには遠出に連れ出してやりたいし」
「…………………………」
「なにその顔」
ソフィが俺とリオナと共に暮らすようになってから、既に季節がひとつ過ぎた。
まあ、細かくどういう心境で日々を暮らしているかとかは流石に分からないけど、少なくとも辛そうにはしてないし、落ち着いて来ているようには見える。
リオナについても同様で、最近はけっこう楽しそうにしているのをよく見掛ける。
つまり俺を取り巻く生活環境はすこぶる安定していると言える。
言えるのだが、人間ちょっと余裕が出来ると欲を掻いちゃう生き物なのだ。
何が言いたいかと言うと、遊びに行きたい超遊びに行きたい。嬉し恥ずかしアバンチュールを誘発させたい。
なので、観光がてらこの国の中心地へと赴いて遊び倒してやろうかなと思い立った次第なのだ。
あれだね、バカンスという奴だよ諸君。ふははははは!
その旨をモニカに伝えた訳だが、コイツは何が不満なのか苦虫を噛み潰したような顔しながら睨み付けて来やがった。
「アレク、今、私の目の前にある書類、見える?」
「ん? そりゃ見えるが。だってたった今俺が渡した書類だもの」
「……書類束の厚さが二十センチぐらいあるのだけれど」
「ああ、そりゃそうだろ、なんてったって一ヶ月分の仕事の前倒し分だもの」
「いっかげ……っ……!? ちょっ、アレク? あなたどれだけ不在にするつもり……」
「王都までは馬で片道一週間ぐらい掛かるし。滞在二週間の往復二週間計一ヶ月なら普通じゃね?」
ちなみに老いぼれは歩くペースは遅いのだが、この街から王都までの街道上には宿場街が点在しており、その間隔は脚の遅い馬に合わせてある。
なので、半端に脚の早い馬だと逆に道中宿場街で暇をもて余すのだ。
野宿前提で行くなら早くても良いけど、ちゃんとベッドで寝たいじゃんか。
それはともかく、モニカはどうも俺が王都へ行くのが不服らしい。
まあ、パッと見る限り俺は部下に仕事を押し付けて遊びに行こうとしてる上役なので、分からんでもない。
というか、分かって無かったのだが以前ベルバル兄弟という濃ゆい用心棒達に優しくしてやってくれと言われて、流石に酷使しすぎかなーとはちょっと考えたのだ。
「モニカ、一応言っておくけど、それ急ぎじゃなくて一ヶ月分の書類がそれだけというだけだからな? 俺が不在の場合はそれ以上増えないぞ?」
「……私、こんな量の書類を毎月処理してたのね……あ、毎度追加があるから基本これの倍以上かな、あは、はは………………」
あれ、おかしいな。安心させようとしたのに乾いた笑いするようになっちゃったぞ。
「あと、後日になってから調整必要になったりするからこれ以上増えないは嘘よね?」
「…………」
ちっ、誤魔化しも効いてないし。
実際、仕入れの予定表等がメインで渡した書類なので、当日になってから実数と違うとか絶対あるはず。
「……というか、ある程度纏まってるけど、どうしたのよこれ、アレクが纏めたの?」
「いや? ソフィだけど」
「…………………………………………………………………」
再び渋面を作って睨んでくるモニカ。なんだよう睨むなよう。
「ソフィが向いてるか試してみたいってモニカが言ったんだろ、本人もふたつ返事でやってみたいって言ったし」
「どーしてそふぃあちゃんにしごとてつだわせるならわたしのところへつれてこないの」
「なんでそんな棒読みみたいな声なんだ……そんなもんメイドとしての仕事の隙間時間にさせる事にしたからだよ」
これについては俺、ソフィ、それとリオナの三人による話し合いによって決定した事で、別に俺の独断という訳でもない。
俺としては最初は純粋な使用人としての仕事だけに集中してもらい、リオナと交代で屋敷を任せられる感じになって欲しかったのだが。
『体力的な差でリオナと同様のお仕事は難しいですね……』
と、ソフィちゃん本人が言ったので、あくまでも使用人としてはリオナのサポート程度とし、代わりに俺の助手としての時間を設けたのだ。
だよね、よく考えたら腕力体力バカのリオナと同じことしろってのは、実はけっこうどんくさい感じのソフィには荷が重いよね。
「で、色々やらせてみて判断した結果、ソフィの事務能力はちょっと優秀ってぐらいだな、俺とどっこいかそれより下ぐらいでモニカと比べると明らかに落ちる」
「…………えぇ……」
ソフィが頭脳明晰なのは間違いないのだが、俺やモニカとは得意分野が違うのだ。
ソフィの得意分野は暗記能力と言語学で、モニカのような事務処理特化型の天才とはまた違う。
適職というのを述べるなら、通訳や書庫の司書役、あとは考古学者なんかも行けそうな感じだな。
とりあえず事務職員や只のメイドにしておくのは人材の無駄遣いではある。
いや、メイド服姿はメチャクチャかわいいので適職だったな。訂正。
尚、適職うんぬん言い出すとリオナだって最適職は密林の戦士になってしまうので、そんなに気にしてはいけない。
「という訳だし、ソフィを同僚としようとするのは諦めて貰おうか、モニカ」
「……くっ……道連れが……」
やめたまえ、ソフィがモニカと同じ仕事を始めたらやつれちゃうだろうが。
「話を戻すが、モニカに負担を掛けてる自覚はあるし、この書類の山だって事前になるべくスムーズにモニカや他の従業員が仕事出来るように準備しただけだからな?」
突然なんの前触れもなく遠出とかすると、キレ気味にネチネチガミガミうるさいからね、モニカ。
今回は予定組んでしっかり準備した上で、文句が出ないようにしただけに過ぎないのだ。
「……わかったわよ……はぁ……」
それでも不満なのは変わらないのか、若干不貞腐れた感じでモニカはため息を吐いてるけどな。
仕方ない奴だ、ちょっとやる気出せるようにしてやろう。
こんなこともあろうかと、俺は今回取っておきのご褒美を用意したのだよ。ふふふ……。
「モニカ」
「……なに?」
「デートしない?」
「…………………………はへっ!?」
俺の言った言葉に反応し、みるみる顔を赤くしていくモニカ。
丸眼鏡の奥の瞳は左右にせわしなく動いて、明らかに動揺している様子だった。
ふふ、驚いているようだな。この反応ならば食い付いて来るだろう。
「え、あの、でも、で、デートって! いやあの、でも、リオナちゃんとソフィアちゃんは……えと、でも、うぅ……その、あ、アレクが構わないなら、私は、えと……」
「という訳でな、ここに俺が紹介出来る男性二名の詳細と、アポイントの日程を記した書面があるから、その気があるなら──」
「いらない」
「──調整にして会ってみ……て……あの、モニカさん?」
「い・ら・な・い!!」
「あ、あれぇ……?」
悪くない反応してると思ったのだが、いわゆるお見合いの詳細を話そうとした瞬間にモニカはスゥーっと顔色が変わり能面のような顔で拒絶を始めた。
なんでだ、いっつもいっつも報酬がお金、借金の棒引ではモチベーションも上がらないだろうと思って用意したのに。
モテないの気にしてると思ったから用意したのに。仮の話だが、もしも俺がリオナと幼馴染でなく、ソフィとも出逢えて無かったとしたら異性を紹介してもらうとか絶対嬉しいと思ったから部下であると同時に友人でもあるモニカを想って用意したのに。
「いらない。必要ない。余計なお世話。どうでもいい!!」
なのにこれである。
何が気に食わないのか。
「話はそれだけ? なら仕事の邪魔になるからもう行って。上役の誰かさんのせいで激務なの知ってるでしょ?」
「……お、おう……」
「…………ふん……!!」
「…………」
なんだろう、モニカがかつてない程にキレてる。
まあ、一応は話はしたし了解は得たろうから素直に退散しておこう。
一応、お見合い話の書類は置いていこう、ホントにいらなきゃ処分するだろうし。




