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過去話6『言えなかった言葉』

 


 翌朝から、俺はリオナの生命を保証するべく奔走する事になる。


 結果だけ先に言うなら、リオナも、そして俺も断罪される事はなかった。


 本来ならばあり得ない。 法的にはなんの罪もない人間がひとり死んでいるのだ。 そこは感情論でどうこう言える事では無い。


 つまりは俺が行った隠蔽工作が功を奏して、危機を乗り切ったという話だ。


 後味は最悪、結果も救われているとは言い難い、苦い結末だったけどな。




 まず俺は、朝になる前にレナータの街で宿を取っていたモニカの所へリオナを連れて行った。


 目的はリオナの保護。 とにかく俺は方々へ出向き、色々とこなさなくてはいけなかった。 リオナに付いていてやりたい気持ちは当然存在したが、そうも言っていられない。


 なので、このレナータでの活動拠点……商会支部設立の為に連れてきていたモニカにリオナを預ける事にしたのだ。


 ちなみにこの時点では俺の商会、アレックス商会は本店を王都に構えており、あくまでもレナータで現在も拠点としている建物は支部扱いとするつもりだった。

 当たり前だが、父親と同じ街に本拠を置くなどあり得ないと思ったいたからな、その時までは。



「……太陽も登りきってない早朝からいきなり押し掛けてきて……何、もう仕事?」


「すまない、ちょっと事情が変わってな」



 寝惚け眼なモニカに、簡単に事情を説明する。 途中、俺の服が血だらけになっているのに気付いたモニカは、真っ青になりながら最後まで聞いてくれた。



「……そ、そ、そ、それ、それで、ど、どうするのよ!? ひ、ひとっ、お父さん殺しちゃったって……!?」


「声デカイ、驚くのは当たり前だろうけどもうちょい静かにしてくれ」


「……だ、だって……!!」


「まぁまぁ、そんでだモニカ、お前、俺の貸し金庫から引き出せるだけ現金を引き出しといてくれ。良いか? リオナの保護も頼んどいて申し訳ないが、今日お前が引き出す現金が命綱になる」


「ど、どういう事?」


「その金以外は全部手離す事になるだろうって言ってるんだよ、理由は色々だが、最終的に全部まるごと差し押さえ、もしくは譲渡の可能性があるからな、資金逃しだよ」


「……え"っ」


「最悪、俺が拘束されるなり殺される可能性も考えているが……その場合は引き出した金持って可能な限り遠くへ逃げろ、リオナも連れてな。 よほどヘマしない限りは大丈夫だと思うけど」


「なっ、なんでその役目が私なの!? 恩はあるし一応学友だったけど、つい最近よ私達がお互い知り合ったの!?」


「他に頼れる奴が居ない。 学友だったなら知ってるだろ、俺、友達居ないんだよ。 ひたすらいじめられてたからな」



 学生時代は貴族のボンボン共に酷い目に合わされた。 俺が自分の女顔を嫌いになった原因だが、それは今話す事では無いので置いておく。



「……とにかくだ、押し付けがましいかもしれないけど、俺に恩を感じてるなら協力してくれ」


「……う、うん……わかったけど、本当に大丈夫なの?」


「大丈夫だから頼んでるんだよ、無理筋ならとっくに逃げてる」



 それからリオナを任せて、俺はひとりで行動を始める。


 別れ際に、リオナが不安気にしているのには気付いたけれど、そこでは何も言わなかった。 何か一言声を掛けるべきだったのかもしれないが、そこまで余裕が無かったのかもしれない。



 次に向かったのは、父の所有している商館。 そのまま憲兵の詰所へ向かうか迷って、結局そちらへ向かった。


 そこに、父の右腕となる男が居るのは事前に知っていた。


 その男の名はバナス。


 俺が幼少の頃からの知己で、父だけでなく俺にもへつらうような頭の軽い男。


 正直言って好きになれる男では無い。 父と同様、バナスという男も奴隷商で、人を人とも思わない行いを平然とする輩だ。



「突然ですな坊っちゃん、それにその格好……一体何を?」


「バナス、いきなりだがちょっとした取り引きだ。 話を聞くつもりはあるか?」


「…………ふむ、取り引きですか?」



 俺はバナスに、父親の死について話す。 リオナが事故により父を刺してしまった所は俺が刺したという事にすり替えて。


 俺が憲兵の詰所へ、迷った末に直接向かう事をしなかった理由、その中で一番大きい理由は所有財産の権利についてだ。


 罪を犯して捕まっても、その者が所有権を持つ物はそのまま維持出来る。

 大抵の場合罰金という形で没収されてしまうのだが、俺の場合は個人資産で罰金は払い切れるし保釈金も余裕で出せる。

 親殺しという事で、赤の他人を殺害した場合よりも遥かに高額ではあるが、それで破産するほど儲けが無かった訳じゃないからな。


 ただ、それはあくまでも俺の“個人資産”の話であり、殺した父の、相続されていない財産については相続が無効になる。


 当たり前だが、財産目的で親を殺した可能性もある訳で、肉親を殺害しての財産相続は認められていない。 他に相続者が存在すればその者が相続。 居なければ、国による差し押さえが原則だ。


 当然、それは奴隷の所有権も含まれている。 つまり、父親を殺したと嘘を付いた場合、俺にリオナの所有権が相続される事は無くなる。


 だが、リオナが殺したという事をそのまま外部に伝われば、俺への相続権は発生するが、リオナは法に乗っ取って、“処分”が決定される。 ここを誤魔化すのは至難だった。


 公的機関の立ち会いの元に公開処刑が原則だからな。 つまり、他の奴隷に主人に逆らった奴隷は縛り首かギロチンだぜ……と、見せしめを行うのに利用されるのだ。



「──以上だ。 質問はあるかバナス」


「……まさか、大旦那様を……ふむ……」


「…………」



 バナスは驚きはしたものの、極めて冷静に俺の話を聞いていた。 その反応は思っていた通りの反応だったと言える。 このバナスという男、言ってしまえば俗物だ。


 そして俗物は自らの利益になる話には貪欲に食らいついて来る。 このまま父の財産を国に差し押さえられるよりは、自らも介入して利を得る方に動くと確信していた。



「ひとつ、不思議に思う事が」


「……なんだ?」


「坊っちゃんの性格からして、仮に大旦那様を殺めたにしても、私を咬ませて罪を誤魔化そうというのが不可解ですな」


「……何が言いたい? 単純に親父の財産が差し押さえられるのに不服だからって事じゃ納得出来ないのか」


「出来ませんな、ですからこれは私の予想ですが、大旦那様を殺したのは坊っちゃんではなく……」


「…………」



 努めて無表情で話を進めていたつもりだったが、その時だけは顔がひりついたのを感じた。



「……昨晩、大旦那様の屋敷に居たのは大旦那様と坊っちゃんがお気に入りだったあの奴隷の娘だけでしたな」


「……てめえ」


「気分を害されたなら謝りましょう。 なに、別に大旦那様が死んだというなら、坊っちゃんの考えに便乗させていただきましょう。 坊っちゃんが思うように、その内乗っ取ってやろうかと考えていたのは間違っていませんからな。 差し押さえも困りますが、私の介入抜きで坊っちゃんに全ての利権が集まるのもおもしろく無い」



 バナスは、父を殺したのがリオナだという事に気付いたのだろう。 明言こそしなかったが、状況的に予測は容易かったのかもしれない。

 一応、旧知の間柄、そして父が右腕として扱い程には優秀な男だったという事か。



「坊っちゃん、全てこのバナスにお任せを。 坊っちゃんが望む物は死守致しましょう。 ただし、相応の対価は頂きますがな」


「……わかった、よろしく頼む。 こっちとしては正直気にいらない所もあるが背に腹は変えられない」



 バナスの要求は、父の財産と権利の無条件での譲渡。 つまり、リオナ以外の全てを譲り渡せというものだった。


 それについては要求を呑まざる負えなかった。 奴隷商としての利権やらなにやらは正直処分したかったのだが、そこが最もバナスが欲する部分だった為にそのまま明け渡す事になってしまった。


 奴隷という存在を無くす。 そう決意して早々に自らの考えを叩き潰されたという話だった訳だが、それは敢えて考えないようにした。



 キツかったのは、身代わりを用意した事。 リオナと姿形が似通った奴隷の死体、それをバナスは用意した。


「あの方は、お気に入りの奴隷を責め立てていた時に不意を突かれて刺殺。下手人の女にしても逃亡はせず、されど処刑されるよりは……と言った具合に自刃し、そのまま事切れた所へ坊っちゃんが帰られた……そういう事に致しましょうか」


「…………」


コレ(・・)についてはご安心を、別にこの為だけに用意した死体ではありませんので。 たまたま(・・・・)死んだ奴隷が昨晩おりまして、そのまま棄てるよりは有効に活躍出来るかもと、ね?」


「…………そうかよ」



 その娘も、どう見ても酷い乱暴の果てに事切れたようにしか見えなかった。 何処で、誰が……そんなもの、都合良くすぐに用意してきたのだ、聴かなくとも分かってしまう。



「ごめん」



 俺は一言、その骸となってまで利用される娘へ謝罪し、その胸の辺りに持って来たいた父を刺した、あのナイフを突き立てた。


 なりふり構っていたら全て終わり。 そう考えて俺は躊躇わなかった。


 こんな方法しか取れない自分を、またひとつ嫌いになった。



 それ以外にも父と繋がりのあった貴族諸侯への献金や憲兵への賄賂、他の使用人への口裏合わせを含めた多額の退職金等々、様々に動いた。


 バナスと俺は、ハッキリ言って相当ゲスい手段を使って父の死の事実を隠蔽した。


 何も考えず、そのまま二人で逃げてしまった方がきっと楽だった。 それに罪も重ねなかった。


 でも、俺はどうしようも無く小賢しいだけのひよっこだった。 考えてしまったのだ、逃げる事のリスクを。


 リオナを連れて逃げて、その先の未来、彼女を逃亡奴隷のままで幸せに出来るのかとか、この国の王が、逃げた先の隠れ場所を攻めやしないかとか。


 何の保証もない未知の土地で、不安定であろう彼女に辛く当たらないで過ごせる自信があるのかとか。


 だから、俺の中で“逃げる”という選択肢は消え失せてしまった。

 何も不安に思うような事も無く安寧とした日々を得る為に、俺は嘘を付く事を選んだ。 罪を重ねる事を選んだ。




 そして、全てが済んだ時、俺には父の遺産と呼べる物は屋敷ひとつのみで他には何も残っていなかった。


 俺自身の財産もモニカに持たせていた資金以外は手離す事になっていた。

 理由としては、想像以上に献金や賄賂なんかに必要な資金が必要だった事と、バナスへの手切れ金のつもりで追加で明け渡したからだ。


 バナス自体は俺を引き込みたいようだったが冗談じゃない。 敵対しないようにだけ気をつけて、金輪際関わるつもりはないとハッキリと告げた。




 ともあれ、必死の覚悟で、法的にも倫理的にも罪を犯しながら奔走し、俺はリオナを守りきった。


 それだけしか残らなかったし、それだけ残れば十分だった。




「終わったな」


「…………」



 色々なごたごたと後始末を終えるのに掛かった時間は、一ヶ月ほどだった。

 全てを終えて、俺とリオナは殺風景になった屋敷のリビングに居た。 俺は簡素な木製の椅子に座って、リオナはその前に立っている。



「……あー、まあ……住む家だけは残ったし、なんとかなるよ、なっ?」



 口数がめっきり少なくなったリオナ。 なんとか会話をしようと話題を振るが、反応は乏しい。



「…………」


「……うーん……」



 さて、どうやって和ませるか……と、俺はリオナを見つめるが、俯いて、疲れたような顔のリオナにどう接するべきなのか、正直言って困っていた。



 それから、やや間を置いて、ようやくリオナは口を開き呟くように言う。



「どうして?」



 リオナは続けた。



「どうしてここまでするの? あたしは旦那様を………………」



 ──殺してしまったのに。



 リオナの言葉の最後は掠れて聞き取りづらかったけれど、確かにそう告げた。


 やはり、リオナにとってこの出来事は、“罪”となってしまっていた。



「……良いんだよ、言っただろ? 俺は元々あの悪魔を殺すつもりで帰って来たんだ。 あいつのやっていた事は全部説明したし、奴隷ってもんがどんなものかも実際に見せた、それでもアイツが優しい父さんだったって、今でも言えるのか?」


「………………」



 どれだけ説いても、どんなに慰めようと変わらない。 リオナにとって、それは一生消えない、こびりつくような傷跡になってしまっていた。



「……………もう良いんだよ、全部終わったんだ、だからさ……」




 ──俺はリオナを愛している。




 愛していると伝えて、二人でこの先の未来を歩いて往く為に、帰って来た。


 この屋敷を出ていった時に連れて行けなかった後悔から、今度こそは失敗しないかように、ハッキリと『愛している』と伝える為に帰ってきた。 でも。




「やめて」




 立ち上がり、リオナへと触れようとした手は、その言葉によって止められた。




「あたしは……もう無理だよ……」



 きっと、何事も無ければ受け入れてくれたのかも知れない。 でも、リオナが殺したと思っている相手は、目の前にいる愛を囁こうとしていた男の父親だった。


 どんなに事故だったと説得しても、あの男は殺されて当然の奴だったと説いても、その事実だけはどうしようもなく、不変だった。



「あたしは、それに応えられない」



 それだけで、リオナが俺を拒絶するには十分だった。



「…………」


「…………」



 向かう先を失って、ただ宙をさ迷う腕。 ゆっくりとそれを戻しながら、どうにか震えだけは抑える。



「…………ひとつだけ言っとくからな、俺はお前を解放なんかしない」



 ──違う。 俺はこんな事を言う為にここに居るんじゃない。



「お前の主人はもう俺だ。 何をどう思ってても、どんなに嫌でもそれは変わらない」



 こんな事、俺は言うつもりでも無かった。 でも、言わなければ何処かへ行ってしまうように感じてしまった。



「……命令だ。 お前は、このままこの屋敷に居るんだ、分かったなリオナ」



 無理矢理にでもどうしてでも、リオナを縛りつけて離したくなかった。 これは完全に俺の我が儘だろう。


 本当に彼女の事を想うなら、この時、何処か遠くの土地へでも解き放って、そこで暮らすように仕向けるべきだったのだろうから。


 わざわざこの屋敷、彼女の罪の場に留まらせたのは酷なはずだったから。



「………はい、畏まりました若旦那様」



 リオナは俺の命令は受け入れた。




「……若旦那様ぁ?」


「今までの馴れ馴れしくして申し訳ありませんでした、これからは私の事も只の使用人としてあつかってくだひゃっ……下さい」



 俺への妙な呼び方と、まったくぜんぜんちっとも似合っていない敬語と共に。



「……おい、噛んだぞ今」


「………」



 突っ込まれてそっぽを向くリオナ。 お澄まし切れてねぇ。



「………すいません、でも……こうでもしないと、私は…」


「分かってる、気が済むまでそうしていたらいいよ」



「………似合わないな、そのしゃべり方」


「………」



 この時以降、リオナと俺は一線を越えないまま、二人で暮らし始めた。


 その暮らしは、思っていたものとまったく違う、歪な関係を維持したままの暮らしだったけれど、俺は、悪くは無いと感じている。


 少なくとも、リオナを守りながら暮らす事には成功しているし、徐々にだが、リオナは笑顔を見せるようになっていった。



 これからも俺は、ゆっくりと彼女の心を解きほぐして行こうと思う。

 どんなに時間が掛かろうと、元のリオナ、彼女が子供の頃のように快活で心からの笑顔を作れるまでは。


 正直に言えば今でも愛している。だけど、それは二度と彼女には伝えられない。


 伝えれば、また彼女の傷を開きかねない。


 彼女が自分をどう思っているのか、それは俺にはもう、分かる日は来ないだろう。


 無理矢理に押し通せば、たぶん、恐らくだが受け入れてくれるのではないかという気持ちもある。


 でも、それはリオナの気持ちを無視する行為であって、それをすればおれはあの父親と同列に堕ちる。 だったら、俺は彼女の想いを尊重したい。


 いつか、消えない傷が消えるように、彼女が“奴隷”で無くなる時に、お互いに笑えるように。


 今は二人で過ごして、傷を癒しながらお互い別々の恋でも探すべきなのかもしれない。


 少なくとも、自分はそう思った。

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