過去話4『リオナ』
※胸糞回です。 先に言っておくと未遂です。 苦手な方はスルー推奨。
◇◆◇リオナ視点◇◆◇
あれから、季節が一巡するぐらいの時間が流れる。
あたしは、以前と変わりない日々を過ごしていた。
アイツ、彼が居なくなってしまったのは正直に淋しいと感じている。 だが彼は帰ってくるとはっきり言って、あの時出ていったのだ。
……その内帰ってくる、だから大丈夫。
この一年、そんな事を思いながら過ごしていた。
たまに手紙も来ていたし、向こうも順調に生活していると分かっていたというのもあるけれど。
使用人としての仕事にも慣れてきた。
初めは性格なのか性分なのか、色々壊してしまったりと大変だったけれど、このところはそんなこともなく、自分に与えられた仕事はキッチリとこなしている。
幼い頃は、そういう事にまで考えは向かなかったけれど、今は素直に屋敷の人達に感謝している。
そう考えられるぐらいには、子どもっぽさも抜けてきた、そう思いたい。
アレクも、この屋敷の主人である旦那様も、使用人仲間の人達も良くしてくれた。
奴隷という身分の自分には分不相応だとも、このところは感じている。 奴隷という存在がどんなものかは知っている。 知っているからこそ自分は恵まれていると思った。
「………………」
彼は、帰って来た時に自分に何を言うだろう?
それを想うと息が上がり、鼓動が早くなって、頬に熱が帯びるのを感じる。
次は、ちゃんと素直になろう。
恥ずかしくても、今度は怒り顔じゃなくて、笑顔を見せたいから。
「………………ふふっ…」
さあ、そろそろ夕飯の支度をしよう。
今日は旦那様が自分以外の使用人に暇を出しているので、全部自分でやらなくてはならない。
どうして自分一人だけ? とも思ったけれど、そこまで深くは考えていなかった。 自分は使用人として扱われるようになってまだ二年程で、一番新人とも言える。
それなのに一人で屋敷を、一日だけでも任されるようになったと思えばちょっと誇らしくもある。
今日は旦那様と二人きりだ。 口には出さないけど、息子である彼が出ていってからは旦那様もきっと淋しいと思っているだろう。
だから、今日は旦那様の好物の物でもお作りして、夕食の時にはいつもよりたくさんお話をしよう。
旦那様は、物心付くか付かないかぐらいの自分をこの屋敷へと招き、育ててくれた人だ。 口には出さないけれど、自分にとっては父親と変わらない人だ。
とても優しい、理想的な人だった。
その日、その時まではそう信じて疑わなかった。
…………
「お前を欲しいと言う者が居る」
夕食の支度を終えて、寝室へと呼びに行った時、旦那様がそう告げて来た。
理解するのに、少し時間が掛かった。
自分を欲しいとはどういう意味だろう、よく分からなかった。
「破格だったのでな、売らせて貰った」
何を言っているんだろう?
「明日までに荷物をまとめておきなさい、それと身体をよく洗って清潔にしておくんだ」
この人は何を言っているんだろう?
「お前も奴隷だ、意味は分かるな?」
理解が及ばず、ただその場に立ち尽くす。
自分を売った。旦那様はそう告げた。
それはどういう意味?
それは何を意味する事?
奴隷ってなんだろう?
あたしは奴隷で、この屋敷に買われて来た娘で、この目の前のヒトの所有物。
それは子供の頃から理解していた。 自分にはこの人の命令には逆らう権利が無い。 だからこれまで、子供の頃からこの人だけには逆らった事がなかった。
それが、普通だと思っていた。
「…………………ぁ…あたしは……」
何かを言おうとした訳ではなかった。
ただ、その言葉が自然と口から漏れだしていた。
「………ぃ……いやで……す……あたし……待っ……なきゃ……」
ただ頭の中に、あの時の、出ていってしまった時の彼の、あっけらかんとした笑顔だけが浮かんでいる。
あたしは、初めて自身の所有者へ異を唱えた。
「…………」
反発の言葉を放ってすぐ、目の前の、親しみを感じていた筈のヒトの、その眼が細められる。
怖い。
初めて、目の前の人が恐いと感じた。
今まで優しく、理想的な父親として見えていた顔が、まったく違うように見えてしまう。
「主人に逆らうような娘ではなかった筈だがな」
近付き、頬を触れられる。
拒絶感が身体を巡って、逃げ出したい衝動に駆られる。 でも、足がすくんで震えが止まらなくて、動かない。
「来なさい、仕置きが必要なようだ」
手を引かれて無理矢理にベッドへと歩かされる。
「仰向けに横になりなさい」
何を意味するのかは、聞き返さなくとも理解出来た。
つまり、仕置きとはそういう事なのだろう。
嫌だった、当たり前だ。
何故こんな事になっているのか理解出来ない。
それでも旦那様……主人の声は続く。
「早くなさい、聞こえないのか?」
従うしかなかった。
機嫌を損ねたら、それこそ本当にこの屋敷に居られなくなってしまうかもしれない。
「そうだ、良い子だ」
嫌だった。 当たり前だ。
でも、これ以上怒りに触れる訳にも行かなかった。
血が滲むほど下唇を噛み締めて、振り払いそうになってしまう腕を、シーツを握り締めて堪えた。
例え衣服を引き裂かれても、身体が寒感に苛まれようと、我慢した。
溢れそうになる涙をせき止めて、ただ終るのを待つ。何をされようと何も言わず、ただ待った。
嫌だった。当たり前だ。
だけど、このまま彼に会えないまま何処かへ連れていかれてしまうのは、もっと嫌だった。
だから耐えようと思っていた。
耐えて、この人が満足さえすれば、もしかしたら自分を売るという事を考え直すかもしれない。
自分は汚れてしまうけれど、それによって彼が幻滅してしまうかもしれないとも思うけれど。 それでも、二度と会えなくなるよりは全然マシだと思うから。
耐えようと思っていたし、耐えられると思っていた。
結局、ただ気持ち悪い事をされているだけだ。 殺される訳じゃない。
あたしは奴隷なんだ、だから、このぐらいの扱いなんて当たり前なのだろう。
そうやって、諦めてしまえば嫌な事を受け流すぐらい、簡単だと思っていた。
「なんだ、息子には抱かれなかったらしいな」
……………。
「興味を持たれなかったか」
違う。
「それとも、感情に任せてお前が拒んだか、お前はそういう娘だからな」
その言葉を囁かれた瞬間に、せき止めていた涙が溢れてきて、止まらなかった。
そう、自分が悪いんだ。
どうして素直になれなかったんだろう。
本当は嬉しかった筈なのに、ついてこいと言われた時、本当は抱き付いてしまいたいくらいに胸が高鳴り、喜んでいたのに。
変に言い訳ばかりして、先へ進むのが恐くて立ち止まって、それで彼は一人で行ってしまったじゃないか。
「……っ……う…ひっく………ぐっ…!! ……うぅ……!!」
本当は連れて行って欲しかった。
二人で歩んでいきたかった。
ずっと一緒に居たかった。
「ひぐ……うぅ……ぁ…ぁああ……!!……ふ……ぅあ……!!」
たまに貰っていた手紙にだって、彼は居場所を記していた。 それを頼りに追いかけたって良かった筈だ。
でも、それもしなかった。 自分には勇気がなかった。
彼と二人で居られていたなら、こんな嫌な思いなんかしなくて良かった筈なのに、淋しい思いなんかしなくて良かった筈なのに。
自分が、なにもかも自分が悪いんだ。
……そう考え出したら、もう止まらない。
両手で顔を塞ぎ、零れる涙と嗚咽混じりの泣き声が自らの耳に響いていく。
泣きじゃくるあたしの腰を浮かせて、そこに何かあるのに気付く父親だと思っていたヒト。
「………なんだこれは?」
それは、あの時から肌身離さず身に付けていたあの時渡されたナイフだった。
「アレの物か、健気に持ち歩いていたのか、バカな子だ」
「どうせもう二度と会うことなど無い。 それにこんなもの……奴隷不勢が持ち歩いて良いものでもない」
取り上げられたそれを、私は咄嗟に取り返そうとしてしまった。
「……か、返し……て…!!」
旦那様が握っていたのは鞘の部分で、私が取り返そうとつかんだのは柄の部分だった。
「……………!!」
危険を感じたのだろう、旦那様は力ずくで奪い返そうと覆い被さってきた。
そして、気がついたら呻き声と共に旦那様は倒れこみ、床へとずり落ちた。
私の手には、刃物が肉を突き刺す感触がハッキリと伝わっていた。
「………ぇ……あ……うそ……」
掠れるような声を出すのが精一杯で、身体は震えてその場から身動きも出来ない。
その時、突然扉が開く。
そこにいたのは、あの時、出ていってから一年以上帰って来なかった彼だった。




