過去話2『告白、そして別れ』
「………屋敷を出る?」
父親との決定的な仲違いからすぐに、俺は屋敷を出る旨をリオナへと伝えていた。
「ああ、自立するんだ」
「…………なんで……? やっぱり旦那様とケンカばっかりだから?」
「……………まあ、それも理由のひとつだけどさ」
リオナには何も伝えていなかった為、俺と親父の険悪さは少し喧嘩をしている程度だと考えていたのだろう。
だからなのか、俺が家を出る事なんて、リオナからすれば寝耳に水だったらしい事が伺えた。
「……………が、学校は?」
「中退になるけど、問題ねーよ。 もう学校で学べる事はだいたい学んだし、残りの一年は殆ど遊びで行くようなもんだったし、もう必要無い」
「…………そうなんだ……そっか」
「商人目指してる訳だし、貴族のボンボンだらけのお遊び学校なんて、な」
実際には卒業資格というのはそれなりに有用なので、貰えるなら貰いたかった所なのだが、当時としてはもうこれ以上は一日だって父親の庇護下に収まっているのが我慢ならなかった。
「…………商人なら、旦那様の下で学んだ方が良いと思う……」
「冗談、それだけはお断りだ」
リオナは、どうにか俺を引き止めようと必死で考えていたのだろう。
家を出る、そう告げてからの表情は沈む一方で、最後には泣き出してしまいそうな程にその瞳は潤んでいたのを覚えている。
だからだろうね。 この時はまあ、イケると確信したのだ。
「………………」
「………あー、なんだ、ちょっと提案がるんだけど」
「……なによ?」
「お前、一緒に来ないか?」
「えっ、はっ? ちょ……ええっ?」
何がイケるって? そりゃもちろん告白だよ。
この時の俺はなんというか、失敗するなんてまるで考えていないものすごい強気な精神状態だった訳で。
「お前今いくつだっけ?」
「え、えっと…!? その…正確には分かんないけど……今年で十四だけど、それが?」
………たった数年でよくもまあ、こんなにあちこち膨らむもんだと素直に感心した記憶がある。
この時点では俺とリオナはほぼ同身長、三歳もの差があるのに背丈が同等……詳しく言うと十五歳頃から成長が止まった俺をリオナの成長が猛追して追い付かれていた。
俺はこのまま身長があっさり追い抜かされる恐怖と戦いながらも日々女性らしさが増していく、リオナのその肉体に悶々とした思いを抱いており悔しいような切ないような、まあだいぶ劣情を催していたのである。
なんでその当時悶々としていたのに一線を越えなかったのかって? そんなもんリオナの腕力で制圧されてたからに決まっているだろうが。
後はあれだよ、婚前交渉など俺としても若さ故の過ちで決行するのはちょっと抵抗があったのも事実。
「ど、どこみてんのよ!? それよりさっきのどういう意味なのか教えなさいよ!!」
「どういうもこういうも、そのままだろ」
「つ、ついてこいって……えと、その……」
「んあ? わからんか? 駆け落ちしよーぜっつってんの」
「か、駆けっ!? ちょ……ハナクソほじりながら言うのそれ!?」
「どうするん? んん?」
「え、あぅ……えと…………ふぇ……」
この時の俺は非常に態度が悪かった。
なんて言うか、謎の自信に溢れていたのだ。
「いやさ? 父さんはたぶんお前と結婚認めてくれないと思うんだよねぇ。 だってお前奴隷じゃん? 俺んち平民だけどでかいし、胸糞悪いけど、あの糞親父結構な権力者なのよ。 そんなもんだからいくら幼馴染みっつっても結婚は正攻法じゃ無理なんだよねぇ。 あ、これも家でる理由の一つね?」
「ちょ、ちょっと!? お願い待って!?」
「でねでね? そんでさ、出来ればっつかなんというかね? この家にお前置いときたくないのよ」
「ま、待ってって言ってるのに…!!ええと……それはなんで?」
「ないしょ。付いてきたらその内教え……ぶえっくしょっ!!う”……ハンカチくれ」
「……はい」
「さんきゅー嫁」
「よ、嫁じゃない!!ま…まだき、決めて……」
「なんだよ? なんか問題あるの?」
「使用人に……まだ見習いだけどなったばっかりだし……えと、室長さんたちにも良くして貰ってたし……」
「まあ、ウチは使用人も含めて楽しくわいわいやってたからなぁ、そりゃそうかもなぁ」
「………う、うん……だからさ、その……か、駆け落ちとかじゃなくて、出ていくのは……やめ……」
「無理、もう決めてるんだよ。俺は出ていくしお前は連れてく」
俺からすれば、ただの事実確認で決定事項を口にしているだけだった。 その辺りは、その時のリオナの考えをまるで考えていない、傲慢で経験不足が目立つ言動ではあったと、今では考えている。
「…………うぅ」
「なに悩んでんだよ? 簡単だろ?」
「……か、簡単って!! アンタ一生の問題なのに何を!!」
あまりの横暴さに怒り出すリオナ。 そりゃそうだ、自分の意見は無視されてどんどん話が進むんだからな。
で、そんな傲慢さ故に、俺はきちんと言うべき言葉を決定的に間違ってしまった。
「いやだって、お前俺の事、超愛してるじゃん、ほらかんたん」
「………」
……思い出す度に、こりゃ無いわと思う。
自身の晒した恥の中でもこれは他のどんなものより最低だと思っている。 そんな言葉を俺はその時吐いた。
「……あ……アンタなんか……!!」
「ん?」
「あたしはアンタなんかぜんっぜん好きじゃないし!! 勘違いしないでよバカッッ!!!!」
「ええ!? な、なんだってーー!?」
……まあ、そんな訳でフラれるのも当然と言えば当然だった。
なんというか、こんな言葉でも問題無いと思ってしまう程には俺とリオナの距離は近しいものだと、そう考えていたのだ、当時は。
「……はぁ…はぁ……!! う……う”う”う”…!! ひ、一人でいっちゃえバカーーーーー!!!!」
「……え、マジで!? うそん!? おりゃあてっきりあんさんはオイラにメロメロなのかと!? そ、そんなバカなァァァァぁあ!?」
走り去るリオナ。追い縋ろうとしてコケて叫ぶ俺。
この時の俺は、最高にアホだった。
◇◆◇
「……ち、ちょっと!? ホントに行くの?ねぇ!!」
その翌日、身支度を整えて道を歩き始めた俺を、リオナが追い掛けてきて引き止める。
挨拶は誰にもしておらず、黙って出ていくつもりだったのだが見つかったらしい。
「………なんだよ屋敷の外まで追いかけてきて追い討ちか? 泣くぞこんにゃろう」
「…ぇ……あれは!! その……」
「………はぁ……もう決めてるって言っただろ、一人でも行くよ俺は」
先日のやり取りで気まずくなっているし、自分が悪いとはいえそれでもショックを受けていた俺。 まあ、つまり拗ねていたのだ。
なので、引き止めるリオナにも一瞥しただけですぐに俺は、歩き出そうとしたのだが……。
「ま、待って!!」
「ん……?」
リオナは行かせまいと、俺の服の袖を掴み、無理矢理に俺を立ち止まらせた。
「……………」
「……おい、放せよ」
リオナは俯いたまま、無言で袖を掴んだまま。
「袖が延びちまうんだけど、暫く一張羅なんだから勘弁してくれ」
「……………」
どうしても行かせたくないというリオナの気持ちだけは伝わる、その沈黙に俺はどうしたものかと考えた。
引き止められた所で、取り止めるつもりは一切無い。 かといってリオナを連れて行こうとする試みには失敗している。
この時の俺は、屋敷に留まるという事だけは受け入れるつもりは無かった為、どうにかリオナを宥めて諦めさせるつもりで考えていたのだ。
「………………」
「………………」
お互い平行線のまま、しばらく沈黙が続いた。
屋敷を出て、辺りに茂る林を突き抜ける道の途中で、俺とリオナは立ち尽くしていた。
いい加減、痺れを切らした頃に、俺は思い付いたように担いでいた鞄に手を突っ込み、持って行こうと荷物に紛れ込ませていた物を探す。
「………………………………ぁ……あたしも、や……やっぱり……」
「ちょっと待ってろ?」
「……え? あ、ああうん………」
か細いリオナの、何かの呟きを妨げてそれを取り出す。
「ほい、やるよ」
「………?………ナイフ?」
「死んだ母さんに子供の頃買って貰ったやつ。振り回して遊んでたり、お前に連れてかれてた山籠りやら樹海探索やらでも大活躍してただろ、それ」
「……あっ、あのナイフ……」
俺が取り出したのは一振りのナイフだった。
リオナに告げた通りの品で、造りも丈夫でかなりお世話になった、俺の“お守り”だった。
「それさ、調べたら結構な名工が打ったもんなんだとさ。 売って軍資金にしようかなって思って持ち出してきたけどやっぱり売るのは勿体ないし、お前にやるよ」
本当に売るつもりは無かったけれど、口から出任せでリオナへと押し付ける。
「………こんなの使わないもん」
「……まあ、こと戦闘に関してはお前、武器なんぞ要らんだろうが……」
「そういう意味じゃなくて!! その………」
「まあ、とにかく今から家に置きに戻るのも面倒だし、持ち歩いてても無くしたりしそうだし? お前にやる。 要らんなら預かっとけ、わかった?」
リオナは受け取ったナイフを両手で握り絞める。 胸の前で抱くように持たせる事で、俺を引き止める手を塞いだ。
陳腐だけれど、効果はあったらしい。 論点をずらして誤魔化しただけのやり取りだったけれど、それでリオナを言い聞かせる事が出来た。
「…………」
「……うーん、まああれだ、一人前になったら一度は帰ってくるし、二度と帰らないなんて言ってないからな?」
「……………うん……」
そして、俺は笑ってリオナに別れを告げた。
「……じゃ、行ってくる、またな」
次に会うときは、迎えに来る時だ。
そう心に決めながら。




