2-10『どうしてこうなった』
◇◆◇ソフィ視点◇◆◇
買い物へ出掛けたリオナを見送った後で、わたしは商会の中へと戻り、事務仕事をこなしているモニカさんへと近付いて行きました。 ちょっと、どうしても確認しておきたい事があったので。
「モニカさん、ちょっといいでしょうか?」
「なにかしら?」
作業の手を止めずに返答したモニカさん。綺麗な黒髪をおさげにした、知的な雰囲気の人で、眼鏡が良く似合っている。
「えと、この商会の事なんですけど」
「ここの? 何かしら?」
「はい、リオナはこの商会があんまり儲かってないって思い込んでいるみたいですけど、そうなんですか?」
「……あー、それね?」
モニカさんはわたしの質問に、走らせていたペンを止めて此方へ顔を向けてくる。 その表情は困ったような、呆れているような、そんな表情です。
「私もどういう意図でなのかは知らないんだけど、リオナちゃんには詳しい事を話さないからね、アレク」
「……はあ、それはなんででしょうか?」
「……うーん、話せない所は省くけど、それでも良い?」
「はい、構いません」
モニカさんは、少しだけ思案するように瞳を閉じてからそう訪ねて、わたしは取っ掛かりさえ得られればとそれに頷きます。
そして、モニカさんは「ちょっと長くなるわよ?」と、ひとつ言ってから話しを始めました。
「ソフィアちゃん、貴女はアレクに、あの時買われた子でしょ? 経緯や手順なんかはゴリ押しの強硬手段だった訳だけど」
「そうですね、分かっています」
「アレクってね、奴隷になってしまった人達を解放する為にこの商会を大きくしようと躍起になってるのよ、リオナちゃんと……それと今は貴女もね、二人を養う程度ならここまで商会の規模を拡大する必要なんて無いのだけど、アレクはそれじゃ納得してないみたいなの」
「…………」
奴隷の解放。 なんとなく気付いてはいたけれど、あの人……わたしのご主人さまは、そういった事をしている人なのだとモニカさんは言いました。
そして、わたしも知りませんでしたけれど、このアレックス商会は相当な規模を誇る商会で、非貴族中級階層者としてのご主人さまの総資産は、本来ならば既に古参の大商会に並んで序列に名を刻んでいてもおかしくない程との事です。
簡単に言うと、ものすごいお金持ちで、このレナータの街ぐらいの規模なら半分ぐらいはお金で土地を買い取れるぐらいは稼いでいる……らしいです。 そんな商会を、二年という短い期間で成長させたという話でした。
「まあでも、貯蓄なんかは先に言った通り奴隷の解放に使ってしまうから、そう余裕が無いのは事実なんだけどね」
「……そうなんですか……でも、それって……」
「あんまり良い方法じゃないって言いたい? 確かにそうだけど、それを批判は出来ないわよ、私はともかく、貴女はそのおかげで今ここに居るんだから」
「……そうですね、はい」
言われなくても批判をするつもりは無い。 間違いなくわたしを助けてくれたのはあの人、ご主人さまであって、ご主人さまと出会えなかった場合の事なんて、考えたくも無いのだから。
「……でも、それをリオナに知らせない事になんの意味が?」
「……うーん、それなのよねぇ……私もアレクにはなんで言わないのか聞いた事あるんだけれど、“余計な口出しするな”としか言われなくてね」
「……余計な口出し……ですか、わたしも言わない方が良いのかな……」
結局、ご主人さまが何を考えてリオナに商会の事を隠しているのかははっきりとはわからない。
伝えるのもダメだと口止めもされているという事でした。 詳しい事情はモニカさん曰く、自分からおいそれと話せる事では無いとの事で、教えて貰えませんでしたけれど。
あの二人の今の状況へと至らせた出来事が、二年ほど前に起こった。
それをモニカさんは、細部をぼかしながら教えたくれました。
「ひとつ言えるのは、アレクは他の何を置いてもリオナちゃんを第一に考えて行動してるわね、少なくとも貴女が来るまでは」
「…………」
「……ああ、ええと……別に貴女があの二人の邪魔になっているとかそんな事を言ってる訳じゃないわよ? そもそもアレク自身が貴女を招いた訳だし」
「……はい、ありがとうございますモニカさん」
やっぱり、他の人から見てもあの二人はそういった関係にしか見えないみたいです。 モニカさんはわたしに気を使って邪魔者という訳では無いって言ってくれていますけれど、表情を見れば誤魔化そうとしているの、分かりますし。
わたしのご主人さまは、やっぱり困った人みたい。 事情まではわからないけれど、ずっと一緒に居て、お互いに好き合っている人が居るのなら余所見なんかするべきじゃないのに。
一時の気の迷いに引っ掛かって、ほだされてしまった者の気持ちも考えて貰いたい所です。
それとリオナも、やっぱり素直になるべきだと思う。
それとも、そんなに拗れてしまうような事があったのかな? ものすごく好きで好きで仕方がないとお互いに思っているのに、いつまでも歩み寄れなくなってしまうような事が。
「……気になります、でもあんまり詮索も出来ないですよね」
「うーん……私と違ってソフィアちゃんは一緒に暮らす訳だし、多少は知っておいた方が良いと思うけれど、どうだろうね? ソフィアちゃん、かなり聡いみたいだし」
「うーん……そこまでとは自分では思っていませんけれど」
聡い、って言われると少し恥ずかしい。あまりそういう言い方はされてこなかったので、こそばゆくなっちゃう感じ?
かしこいかしこいとは言われて育ちましたけど、その、成人しても幼い子供を誉める口調でしか誰も誉めないので、本当の意味で頭が良いって言われてたのかすごく疑問ですし。
あ、そうだもうひとつついでに聞いてしまおう。
「それと、ここってどうして店名のご主人さま名前の綴りが違うんですか?」
「あ、気付いたの? 案外気付かない人多いんだけど」
ご主人さまの名前はアレクシスで商会名はアレックス。基本的に同名なんだけれど、わざわざ短縮形で商標したのはどうしてなんだろうって。
「この国や周辺国ではアレクシスって名前、略称だとアレクなんだけれど、ちょっと離れるとアレックスになるのよね」
「ああ……なるほど、認識しやすい名称にしたんですか」
「そういう事。アレクって、ゆくゆくは世界的な商会にしたいらしいわよ、ここ」
「へぇ……すごいですね」
「最初聞いた時は正直気概ばっかりで地に足が付いてないと思ったんだけどね……実際に一緒に仕事してみたら、うん、もしかしたらそう時間掛からずに行くとこまで行くかもって思うわ……」
モニカさんはそんな風に言って疲れたようなため息を吐いていました。
たぶん、任されているお仕事、大変なんだろうな。
「それにしてもソフィアちゃん、店名なんてところ良く気が付いたわね。普通は気にしないで流すと思うけど?」
「はい、ええと……細かい所が気になる性格と言いますか……」
「ふぅん? ならやっぱり貴女、相当優秀じゃない? 人と観察する所が違うもの」
「そ、そうですか?」
「うん、ちょっと試していい?」
「はい?」
そう言って、モニカさんはわたしに紙とペンを渡して来ました。
「外国語って、どのぐらい書ける? 自分の名前で良いわ、ちょっと分かるだけ書き出して貰える?」
「は、はぁ……」
言われるままにわたしは、自分の名前を書き出してみます。
語源が同じ国や地方でも、何故か綴りが違っていたりするのでけっこう面白くて、子供の頃に調べて比べたりしていたので得意だったりします。
「えーと、これがファーンで一般的に使用される綴りで、これは西のヴァリエや南のシーメリルとも共通の物になりますよね、それでこれがフォレスタや諸国連合での綴り。 似てる綴りなんで大元は同じ言語なのが風土や歴史によって変化したんでしょうって以前お父さんが言ってました。 おもしろいのは諸国連合の国によってはソフィアという読みがゾフィーと呼んだり、ソピアとかソニスって読む事もありますね。
それからこっちが更に北にあるシベルシア帝国とその周辺国を中心とした言語圏の綴りで、読みは同一ですけど綴りに関してはこちらの言語圏とはまったく違った体系になってます。 文字その物は多少違いがあるだけで同一起源の物を使用しているって推測出来るのに、遠く離れた土地になるとここまで違うのが興味深いです。
で、それからこっちが人種から何から全然違う起源を持つ別大陸にある国の文字で、こっちが南東のアランと言う国の文字で、みみずみたいですけどちゃんとした文字です。 で、これが遥か東方に存在すると言われるシア皇王国で扱われている文字で……」
「そ、そう……思った以上に知ってるのね、会話も出来るの?」
「ええと、少しならたぶん」
「…………アレクに言えばこっちにまわしてくれるかしら? 使える人材だわ」
「ええと、それはちょっと自分からはなんとも……」
モニカさんのわたしを見る目付きが獲物を見定めるような鋭い物に変化しているのに気付いて、ちょっと後退ります。
思ったよりも食い付きが良いです。 このぐらいなら珍しいまでもそれなりに出来る人は居そうだと思ってんだけど……。
「自分の名前とはいえ数十ヵ国にも及ぶ綴りを網羅している人間がそうそう居る訳ないでしょ……アレクですらそこまでじゃないわよ」
「は、はぁ……」
「……うーん、まあ貴女にだけ意思確認しても話は進まないか、それにアレクがうんと言うとは思えないし」
「……そう、ですか? ……やっぱりそうなのかな……」
「たぶんだけどね?」
正直どうしようか判断に困る。 ご主人さまの機嫌を取るだけなら、まあ、恥ずかしいけれど出来なくはない。 でもそれは人として間違っている気がしてならない。
「…………うーん……」
「……相当悩んでるわね」
そりゃそうです。 冷たく突き放そうにも傷ついて逃げ出すし、だからといって全力で甘えに行けばリオナに申し訳なさすぎる……どうしろというのか、本当に。
「……わたし、どうすれば良いと思います? あぁええと、わたしがご主人さまに対しての接し方なんですけれど」
「えーと、リオナちゃんに悪いって?」
「……はい」
「気にしなくて良いと思うけれど、何かあった場合の責任は全部アレクに行くもの」
「……それは……うぅ……」
気にしないでいられるならそうですけど、気になるんです。 自分の気持ちも誤魔化せないですから。
モニカさんにはわたしがご主人さまを好きになってしまった事までは言っていない、つまりご主人さまが一方通行でわたしに気を向けているだけだと思っているだろうから、そう言うのも仕方がないのですけど。
「……ん、なにかしら?」
「はい?」
「いや、外が騒がしいから」
そこで、モニカさんが入り口の方へと気を向けたので、つられてわたしもそっちを向きます。 すると……。
「モニカぁーーー!! 困ったときの便利役のモニカさーーーん!! こんな格好ですまねぇが!! こんな裸マント姿ですまねぇが!! 憲兵さんに追われて困っているから助けてーーーー!!!!」
誰がが勢い良く入り口から飛び込んで来ました。
束ねていた髪を下ろして、何故か只の布切れしか身に付けていないご主人さまでした。
「なに、そのカッコ」
モニカさんが突然の事に、強ばらせた口調ながら声を出して質問しています。
「海より深い事情があるんだ、すまんが着替えている内に追っ手をなんとか誤魔化して追い払って……あ……」
ご主人さまと目が合いました。
「…………そ、ソフィ……ちゃん……?」
「……………」
わたしは青ざめていくご主人さまから視線を外して、黙って後ろを向きました。
なんて言えば良いのか分かりませんし、はい。




