2-9『認めなくない事は誰にでもある』
ジェイワットのおっさんの工房を後にした俺は、人混みを避けるように街を歩いていた。
「ヤバい、想像以上に恥ずかしい」
理由は簡単、現在の俺の姿は怪人裸マントだからである。
襟元で端を縛っただけの布切れ一枚すっぽんぽん。 誰が得するんだこの状況、俺は確かに変態ではあるが露出趣味は持っていない。 普通に恥ずかしい。
「……とにかく、商会に戻ろう、あそこなら替えの服もあった筈だ」
大通りを避けて人通りの少ない路地をこっそりと進む。 このレナータの街は俺にしてみれば地元、つまり庭みたいなものである。 いくら街の郊外に住んでいるとはいえ道なんて完全に把握しているのだ。
「…………」
ただまあ、だからといって油断は出来ない。 道を完全に把握しているという事は、そこに住まう人達がどんな奴等なのかというのも知っているという事だ。 つまり……。
「おぉう……あんだよ、こんな所をひとりで歩いてんのは危ないぜぇ? ……ウぃ……」
「……やっぱり出たよ酔っぱらい、ああもう……」
路地の一際暗く狭い場所を通り抜けようと進んですぐ、フラついた足取りの、顔を真っ赤にして目線が定まっていないおっさんが行く手を阻んだ。
この、現在進んでいる辺りは日雇い労働者なんかが数多く低家賃で入居している集合住宅密集区で、こんな風に昼間から呑んだくれている住人がよく出没するのだ。
特に今は季節的に冬の入りで、秋の収穫を終えた付近の村落からの出稼ぎ労働者が激増する時期なのだ。
収穫を終えたばかりで、それを売った金なんかを多少は持っているし、その金で酒をたらふく呑んで金に困って来たら日雇いの仕事を探す……そういう刹那的な生き方をする連中だ。
出稼ぎの意味が無い? こういう連中は大抵農民の次男とか三男で、冬に実家に閉じ籠られると穀潰し以外の何者でも無いので仕方なく街に来ていると言っても良いかねぇ?
まあともかく、奴隷ほど酷くは無いが、良好と言われる国の現体制でもあまり恩恵を受けられない貧民層って事だ。
まあ、呑んだくれてくすぶっているだけで自分からまともに動かない奴まで俺がどうこうするつもりは無いけどね。 一応期間限定の労働口なら多少は募集しているので、真面目に働く奴なら雇ってるけどな。
というか、ここ数年はこういう出稼ぎ労働者や、根なし草になってしまった貧民層は確実に増えてるんだよね。 理由としては、賃金の発生しない奴隷の総数が増えているのでそれに比例するように職にあぶれがちな奴も……。
……ん。 閑話休題。
今はそんなのどうでもよかったな。 おっさんの酔っぱらいなんぞ別にどうなろうが知った事ではない。 この目の前の通せんぼしている酔っぱらいをどかして先を急ぐのだ。
「どけおっさん邪魔だ」
「つれねえ事言うなよ……ヒック、うぃ……ちょいと付き合ってお酌してくれよネエちゃん、なァ?」
「あ"ぁ?」
この野郎いまなんつった。
「おねーちゃんがお酌して~いっしょにのんでェ~ねんごろりぃ~て……えひっ、えひゃひゃひゃひゃっ!!」
「…………」
俺は努めて冷静に、自分の後頭部を手で触れる。
するといつもは紐できつく縛っている筈の髪の毛がほどけているのに気付く。
なんて事だろうか、人前で髪の毛を下ろす失態をかましていたとは、まさか服だけでなく縛り紐までほどけているとは気付かなかった。
「……ねーちゃんとか言ったかこの野郎」
「んん? どったのねーちゃんこわい顔して~……ウイ……」
俺は普段、常に髪の毛を後ろでひとまとめにして縛っている。 かなり乱雑に、髪の毛が傷んでぼろぼろになっちまえと言ったぐらいに。
忌々しい事に俺は相当な女顔である。 長めの髪をそのまま自然な状態にしておくと、無駄にサラッサラな髪の毛のせいで初対面の人間には高確率で女と勘違いされる。
故に髪を縛り、女が絶対にしないであろう表情を常にするように心がけ、間違われないように努力していたのだ。
そこまで気にしているなら髪を短く切れば良いんじゃね? と思うだろう。
だが、分かってくれないかも知れないだろうし、勘違いされたくないなら嫌でも短くしろよって話なのだが……一度、思いきって坊主頭にした事がある。 十歳ぐらいの子供の時にだが。
まあ、そしたらリオナに泣かれてしまったのだ。
髪が伸びるまで毎日毎朝毎晩、似合わない、カッコ悪い、長い方が絶対良い等々……徹底的に否定された思い出があるので切るに切れないのだ。
それに散髪はリオナに任せているし、短くしてくれよと頼んでもこれ以上は絶対に短くしてくれない。 本当はもっと伸ばして欲しいらしい。 お断りだがな。
そんな感じで、とにかく俺は女々しく情けない顔つきであって、自分の容姿が大嫌いなのだ。
男は母親に似るとか言うけど限度があるよね、親父に似るよりはマシだけども。
「…………ちっ!! 俺は男だこの酔っぱらい!!」
「……はぁ? いやいやどうみてもキレイなねーちゃんじゃね?」
「だぁぁぁ近付いてくんな!? 邪魔だっつってんだろ!!」
「ていうかねーちゃん、もしかして服着てない? なあ、着てない? ちょ、ちょっと見せてくれない? なあ……」
「や、やめろ来るな寄るな近づくな!?」
「……………………ごくっ……」
「ギャーーーーー!?」
俺がマントの下は真っ裸なのに気付いたらしい酔っぱらい。 唐突に目が据わりにじり寄ってくる。 いかん、酔っぱらいが暴漢状態にシフトしやがった。
「はぁはぁ……な? ええやんか、ちょっとだけ……うぃ……」
「だから、俺は男だと……ええぃならば!!」
このまま接触されおっさんにまさぐられるぐらいならば、俺は覚悟を決めて開示するのみである。 何をって? それはまあ、男の象徴をだよ?
「見ろ!! 俺は女じゃあないという確たる証拠を!!」
「うぇ? ……な、なにぃ!?」
俺は精神的屈辱が小さい方をやむなく選択する。 にじり寄ってくる酔っぱらいのおっさんに良く見えるように只の布切れであるマントを翻したさ。 バサァっとな。
…………なにやってんだろうな、俺。
「………………」
「……今だ、脱出!!」
信じられない物を見たような顔で硬直した酔っぱらいのおっさん。 その隙を見て俺は全力で駆け出した。
風圧ではためくマントにも意識を向けず、ただ走ったさ。
今日は泣きたくなる事がたくさんだよね。
◇◆◇ソフィ視点◇◆◇
「お買い物ですか?」
「うん、せっかくだし」
アレックス商会という所のロビーでしばらくご主人さまを待っていたんですけど、リオナは待ち疲れてしまったのか買い物へ行こうと言い出して来ました。
「うーん、待ってなくて良いんですか?」
「モニカさんが言付けはしてくれるって言うし、それにそんなに時間は掛からないから」
「そろそろただ待ってるのも飽きて来たでしょう? 私はここ離れられないし、アレクが来たら引き留めておくから行って来てもいいわよ?」
わたしはリオナと、会計の筆記かな? お仕事をしながら受付カウンターから声を放ったモニカを交互に見て、どうするか考えました。 確かにご主人さまを待ったまま、結構な時間が過ぎていたので暇になって来ていたのは当たってます。
モニカさんは、本来業務中でわたし達とずっとお話ししている訳にもいかないですし、リオナも口を動かすよりは身体を動かしていたい性格なので、ある程度話を終えると落ち着きがなくなってしまうらしいです。
お屋敷で使用人のお仕事している時は、絶えず動き回ってますしじっとしてるの苦手なのかも?
わたしは商会に置いてあった本を読ませてもらっていたのでそこまで暇をもて余してはいなかったんですけど……最初は一緒にリオナも読んでいたんですよ? でも、読んだ事がある本だったらしくてすぐ飽きたらしいです。
しょうがないかな、だって読んでいるのは例の勇者と魔王のおとぎ話ですし。 わたしも何度も読んでますし、リオナだって子供の頃からご主人さまに読んでもらっていたらしいですから。
……ちょっと、羨ましいかな? やっぱり幼なじみだけあって、思い出話はたくさんあるみたいだし。
「ソフィ?」
「えっ、ああごめんなさい、お買い物ですよね?」
「うん、どうする?」
「うーん……」
リオナは一緒に行きたいみたいなんですけど、わたしはちょっと、モニカさんに確認したい事がある。 だからリオナが残念がらないように断りを入れたいんですけど、なんて言おう?
「……えと、モニカさんが言付けしてくれると言っても片方は残った方が良くないですか?」
「え、そうかな?」
キョトンとした顔で不思議がるリオナですけど、なんというか、ご主人さまを見つけて謝らないといけないって事、そこまで意識してないのかと思ってしまった。
それともわたしが深く考え過ぎている? どちらにしろまだまだリオナよりはご主人さまを理解出来ていないですし、どちらが正しいのかとかは分からないけれど。
「念のためです。 もしかしたら引き留めても何処かへ行っちゃうかもしれないですし」
「……そっか、うん、わかったそれならひとりで行ってくるね?」
リオナはわたしの意見に納得して、座っていたソファーから身体を起こして立ち上がります。 ホントはわたしも行きたい所ですけど、ここは我慢です。
ちなみにリオナは、モニカさんには余所行きの丁寧口調を使って話し掛けていました。
でもわたしに話し掛ける時に砕けた口調に戻るからなのか、たまに混ざって変な口調になってます。 そこまで口調の矯正が苦手だとは……混乱するぐらいならもう戻しちゃえば良いのに。
わたしは外に出るリオナに付いていって見送ります。 ディモティも連れて行くつもりらしく、もしかしたら大荷物のお買い物をするつもりなのかも?
「ディモティも連れて行くんですか、何を買ってくるんです?」
「えーと、食料……おにく?」
「…………ひ、ヒン……」
片手で手綱を引っ張って、もう片方の手でディモティを撫でているリオナが、お肉とディモティの瞳を見詰めながら呟くと、ディモティは少しだけ嘶いてから全身震え出しました。
「ひ……ヒィン……ブルルっ……」
「……? ……ん、良い子」
「…………リオナ、ディモティが怖がってる」
「え、そうなの? いつもあたしとかアイツの前では震えてるよ?」
「…………ヒィン……」
ディモティはリオナに鼻先を擦り付けて必死に何かを訴えていました。
「何のお肉が良いかな、ソフィは何が好き?」
「……へ? ええと、お肉で特に好きなのっていうのは別に……リオナは?」
「あたし? ばにく」
「ヒィン!!」
ディモティの瞳がどことなく虚ろでした。 それでも首を擦り付けてくる馬の愛情表現は決して止めません。
……ああ、これ命乞いだ。
「リオナ、大事にしてる馬なんでしょ? 虐めたらダメだよ……」
「え? いじめてないよ、ちゃんと撫でてるし、痛くしてないもん」
「……この子の前でお肉って言っちゃダメだよ、怯えてるよ」
「……そうなの? でも馬って人の言葉とか、分かるの?」
「…………そ、そこは自信無いですけど」
「…………ブルル……」
たぶん、ディモティはなんとなく理解している。 そしてお肉にされないように必死にリオナやご主人さまに媚びている。
「………………あなたも大変なのね、ディモティ」
「…………………ヒィン」
「……???」
なんとなく、共感してしまう。 わたしもこの年老いた馬であるディモティぐらい、必死になるべきなんだろうか?
「………………………うーん……」
媚びる。 必死に身体を使って。 優しくしてもらうのに。
「ソフィ、顔が赤くなってるけどどうしたの?」
「……いえ、なんでもないです」
……昨晩の二の舞にしかならない、はず。 なので考えないようにしよう、当分は。




