1-14『彼女の気持ち』
フォレスタでの出来事は終わった。
彼女の心の内が今、どうなっているのかは俺には分からない。 分かったつもりで居るような傲慢な心持ちになどなれる訳が無い。
でも、ソフィちゃんは、彼女は俺と共に帰る事を肯定してくれた。 今はそれだけで俺は構わないと思った。
そして。
「では我が友よ、私はここで別れさせて貰う」
「……リュカ王子、その…………」
リュカ王子はフォレスタから関所を通り、再びファーン王国へと戻った直後、そう告げてきた。
正直、ソフィちゃんに対する強引な仕打ちには言いたい事は幾らでもあるのだが、この人はこの人なりに彼女の事を案じてくれたからの行動なのだ。
そもそも一国の王子が、わざわざたったひとりの少女の為に、はるばる故郷まで連れて行こうとするなど本来ならばあり得ない。
ソフィちゃんは一度、ひとりでフォレスタまで戻ろうとしていた。 結局すぐに、王子によって連れ戻されてはいるが、もしひとりでここまで、まあ難しかっただろうが来れてしまっていたら?
周りに人が居ない状態で、惨状を目の当たりにしていたら、彼女はどうなっていただろうか、考えるのも恐ろしい。
「少女よ、色々と済まなかったな、少々乱暴だったのは間違っておらぬからな」
「……………………」
ソフィちゃんは王子の謝罪に、無言で首を横に振ることで応える。 ディモティが引く荷馬車の上から、表情を見せないように俯いてはいるが、話し掛ければ僅かだが反応はある。
「…………ふむ、芳しくは無さそうだが、後は我が友よ、そなたの頑張り次第だろう」
「……うん?」
リュカ王子はなにやら片眼を閉じてウインクしながら微笑んでいるが、何が言いたいんだこのお方は。
「解らぬか我が友よ、そもそも私が悪役を買って出てまでその少女に真実を突き付けたのは、そなたが共に居ようとすると確信していたからなのだが?」
「………………………」
……つまり、俺が居れば最悪の状態にはならないと踏んだ上での行いだったと。 まあ、期待に応えられるかは分からないが、王子に言われなくとも放っておくつもりは無い。
丸投げされた感覚は拭えないが、ソフィちゃんの事は俺が責任を持つと言うのは既に決めていた事ではあるし、きっとそれも見抜かれていたのだろう。
一応、感謝しておくべきなのだろう。 結局この王子様の行動は正しかったとは思うから。
ここから先は、王子の言うように俺の頑張り次第だ。 そこで失敗してもこのお方は責められる謂れは無いだろう。
……しかし、思ったより考えて行動してるのなこのお方。 噂と言動から正真正銘のバカ王子だと思っていたが、実はバカの振りをしているだけなのかも知れない。
「私としても心苦しかったのだが、これも我が友の為、そして未来ある少女を慮った故のもの!! 私が去った後はふたりきりの帰路となる、存分に絆を深め合いヨロシクやるのだぞ我が友よ!!」
「一言多い上に声がデカイ!! 何言ってくれちゃってんのこの人は!?」
ごめん、やっぱりバカ王子だわ。 親指立ててヨロシクやりながら帰れとか、ソフィちゃんに聞こえるように言うとか台無しじゃねえか。
数分前の感心を返せバカ王子。 ちらっとソフィちゃんの様子見たらジト目の横目でこっち睨んでんじゃねーかよ!! 気まずい帰路になりそうだよこのやろう!!
「さて、名残惜しいがそろそろ行くとしよう!! また共に男の美学を語り合おうぞ!!」
「………ああはい、お達者で……」
「うむ!! では我が愛馬メイルシュトロムパンデミックフォーエバー号よ!! いざ我が城へ凱旋といこう!! 去らばだ我が友よ、それに幼き少女よ!! はーっはっはっはっはっ!!!!」
「…………………………………………………ヒン……」
そうしてリュカマイラス王子殿下は、呆れたような白馬の嘶きとリズミカルな蹄の音、そして高笑いを響かせて俺とソフィちゃんの前から去っていった。
……馬の名前? ツッコミ切れないから無視してるんだよ、なんでもいいよもう。
「…………俺たちも行こうか」
「…………」
ソフィちゃんに一声掛けてから、俺も御者台へと乗って、ディモティを進ませる。
ソフィちゃんは終始無言だったが、行きの時のような張り詰めた雰囲気で無い分、幾らかましだと思いたい。
「…………何かあれば言ってね、遠慮しなくて良いから」
「…………」
振り向かずに、前を見たままで声を掛けるが返事は無い。 気まずいけど、仕方がないだろう。 その内、心を開いてくれると信じて、今はそっとしておこう。
リオナも事情や状況は違うが、ふさぎこんでしまった時期がある…………と言うか、未だに影響が残っている。 だけど、リオナはしばらくして、なんとか笑えるようにはなった。
ソフィちゃんもそうだと、今は信じていよう。
別に焦る必要もない。 時間なんか幾らでもあるのだから。
◇◆◇
十日後、行きと同様に何事も無く屋敷へと帰りつく事が出来た。 ホント、内地の治安はすこぶる良いのだ、ファーン王国って所は。
バカ王子の言っていたヨロシクなんちゃらなんていうピンク色の展開などあるはずも当然無く…………と言うか、帰路の間ソフィちゃんと会話なんてほとんどしてない。
だってなんて言えば良いのか分かんないし。 下手な慰めは逆効果だし、たぶん。
でも会話を試みなかった訳でもないぜ?
まあ、効果のほどは芳しく無かったが、それでもフラッと何処かへ行ってしまうような真似もされなかったし、集落へ立ち寄った際は出逢った初日のような、刷り込みされた小鳥の如く後ろにくっついて歩いてくれていた。
何度か抱き締めて頬擦りしそうになったが、根性で耐え抜いた俺を誉めてくれ諸君。
……で、ぎくしゃくしながらも帰り付いた俺とソフィちゃんだった訳だが、帰りを待ってくれていたリオナは、待ち兼ねたといった具合に到着早々駆け付けてきた。
「ソフィ!!」
「わっぷ……!? り、リオナ……」
「お帰りなさい、心配したんだからね?」
「…………うん、ごめんなさい、ありがとう」
「……あの、俺へは挨拶……」
仲良いよな、この二人。 俺をそっちのけで抱き合ってるし、ソフィちゃん、リオナには普通に喋ったし。 リオナは俺への挨拶忘れてやがるし。
泣いて良いと思うんだけど、どう思う?
屋敷へ帰って来て、リオナが作ってくれていた食事を三人で食べて…………うん、ソフィちゃん、リオナの前でだと笑ってるのよ。
ただ、前に見たより、笑顔がぎこちない感じがしたから、リオナには心配掛けまいと無理に笑っているのかも知れないと思った。
……で、それはリオナでも分かったらしくて。
「ソフィ」
「はい、なんですか?」
「無理に笑わなくて良いよ、そんな風に笑顔作られても、逆に心配する」
「………………え、と……」
指摘されたソフィちゃんは、困ったような顔で視線をさまよわせてから、最後には俯いてしまった。
やっぱり無理に笑ってたか。 まあ、リオナに会っただけで色々と吹っ切れるほど単純な事では無かっただろうから、当たり前なんだが。
それから、リオナにはなるべくソフィちゃんを見ていてくれと頼んで、色々と留守中疎かになっていた事を片付ける為に書斎へ。
なんだかんだで二十日も仕事をサボった形になるので、流石に不味いのだ。
ソフィちゃんの事は気になるが、ここから先は長期戦のはずなので、今すぐに焦ってどうこうしても仕方がない。 リオナにも頼んであるしね。
「…………確認してからサインするだけの作業だが、こりゃ徹夜だな」
ランプの灯りを頼りに、深夜にひとり机に向かう。
書面を見ずにサインだけ記入してしまえば一時間もしないで終わる作業なのだが、まさか内容を精査もせずにサインなんぞ出来る筈も無い。
モニカに概要を纏めて貰っていた飯の種だが、全部合わせたら辞書並みの厚さの書類をこれから読破せねばならない。 めんどくせえ。
「……文句言ってもしゃーなし。 なんか溜まってたにしても計算的にいつもの倍はありそうな纏め方だが」
そういやリバースしたものを引っ掛けちゃったの面と向かって謝罪してねーや。
フォレスタ出発前にも会ってたけど、その時は精神的に余裕無かったのですっかり謝りそびれている。 うん、ホントごめんよ。
そんな余計な事を考えつつも、書類に眼を走らせる。 ランプの光だけが灯る薄暗い夜の書斎で、ただ黙して読み耽る。
それからどのくらい時間が経ったか、集中し過ぎて時間の感覚が曖昧になって来た頃、寝静まった筈の夜の屋敷に、誰かの立てた音が微かに響く。
「…………ん?」
「…………」
その軋むような音は、扉を開いた音で、そしてその扉は俺が今居る、書斎の扉だった。
「………………」
「……ソフィちゃん? どうしたんだ?」
書斎に侵入してきたのは、既に就寝した筈のソフィちゃんだった。
「…………まだ起きていたんですね」
「……え、ああ……書類確認だけはしとかなきゃならないから」
厚手の白い生地で作られたら寝間着に身を包んだソフィちゃん。 パジャマ姿もかわいい……じゃなくて、こんな夜更けに何の用件で俺の所へ来たのだろうか?
……夜這い? まさか、ソフィちゃんはそんなはしたない真似なんかしませんよ。
「何か話? それなら聞くよ、読みながら聞く事になっちゃうけど、それで良いなら」
「…………」
「…………ソフィちゃん?」
書斎に入って来たは良いものの、ソフィちゃんは扉の前で立ったまま、俯いて押し黙る。
右手で左手の指をいじりながら、目線を下げて動こうとしない。
…………なんでモジモジしてるんだこの子は。 話があるから来たんじゃないのかね?
いや、ホントに話があるなら、このところずっとふたりきりだった訳だし、その時に話しても良いんじゃないかなとは思うんだ。
だが、ソフィちゃん道中はずっとむっつりしててまともな会話出来なかったし、それが今になって急にお話しましょうになるかなー? とは思うのだが、他にわざわざ来る理由とかって、何よ?
「…………寝ないん……ですか?」
「今日は徹夜だな」
「……そ、そうですか……その、でも……」
「ん?」
薄暗いので良く見えないが、なんとなく瞳が潤んでいるように見えた。 先程、書斎に籠る前に見た暗い雰囲気は感じない。 細かな仕草が重なって、妙にそわそわしているのだ。
「…………ホントにどうしたのさ? 落ち着き無いけど、寝れないの?」
やや間を置いてから、コクンと頷くソフィちゃん。
「……えーと、お茶でも……いや、お湯沸かす手間があるし、それにお茶は逆に目が覚めるか……えーと、それならちょっとだけお酒でも飲む? ほんの少しなら寝付きが良くなるし、ソフィちゃん成人してるし問題ない…………」
ブンブンと首横に振って断られる。 どうやらお酒は飲みたくないようだ。
「…………」
「…………」
さて困った。 ソフィちゃんと居られるのは嬉しいが、意図がまったく分からないのは不安に感じてしまう。 なんか雰囲気的に話をしに来た訳でもないし、寝付けないにしてもここに来る理由は無かろう。
…………まさか、本当に夜ば……ははは、まさかそんな馬鹿な事があるわけ無かろうに。
もう良いや、直接聞こう。
「ソフィちゃん、何か用があるなら言ってくれ、出来る事ならなんでもするから」
「…………その……」
「うん、なにかな?」
なるべく優しく、なんでも言って良いんだよ? と、語り掛けるように言う。
そうだな、ソフィちゃんの為なら、今から裸でレナータの街を走り回れと言われようがやりきってみせよう。 そんな無意味でお粗末なお願いをソフィちゃんがする訳ないが。
と、ちょっと言い淀むソフィちゃんが中々言葉を放たないので、色々妄想と言う願望を頭に描いているが、外面は優しく微笑んだまま表情をキープだ。
「…………あのっ!!」
「……うん?」
やがて、ようやく決心が付いたのか、ソフィちゃんは顔を上げて、良く見たら真っ赤だった顔を俺に向けて、言った。
「……わ、わたしを抱いてもらえませんか?」
「……………………………はい?」
え? いまなんと?