第7話
カーテンのない部屋の朝ってのはこんなにまぶしいものなのかと思うな。まだ早朝だってのに目に直撃した陽光のせいで目が覚めた。はっきり言って寝起きのいい方じゃない。開かない目をこすりつつ携帯の時計を見れば午前五時半。老人じゃないんだから、もっと寝かせろっての。俺はそのまま転がって日の当たらない場所に行き、背を曲げて眠ろうとする。と、ここでおじさんの姿がないことに気づいた。薄目を開けて部屋中を見渡すがいない。トイレだろうと、また眠りに落ちた。そしてしばらく寝た後、おじさんに起こされた。時計を見れば七時半、まぁ起きるには妥当な頃か。俺は身を起こして座り込んだ。
「よく寝られたか?」
「まぁまぁだね」
明け方目を覚ましたこと、おじさんがいなかったことには触れなかった。俺はおじさんに連れられて洗面所に向かった。顔を洗い、昨日夕食を取ったあの居間へと行く。朝から焼き魚定食のような、まるで旅館にでも来たような豪華な朝食がテーブルに並んでいた。地主夫婦はもう朝食は済ませているようで、二人分しかない。地主さんは畑仕事に出かけたとかで不在だ。しかしこんな朝食、凄く久しぶりだよ。調子に乗っておかわりを三回もしてしまった。お茶を飲んで満腹感の余韻を味わう、贅沢な感じ。そうしていると、紙袋をもっておばあちゃんがやって来た。その紙袋をテーブルの上に置く。
「今日のお弁当です。のんこちゃんの分もあるので、持っていきなさいな」
「あ、ありがとうございます。何から何まで」
マジで恐縮しまくりだ。こうまでしてくれるって、驚きだよ。紙袋を手に取れば結構な量のタッパが見えた。大きめの水筒まである。
「外に釣り道具と、原付きバイクを止めてある。使え」
「原チャリで行くの?」
「結構な山道を行くからな。道はそれなりの道だ。場所は彼女が知ってる。車の免許でもあれば軽トッラクがあるんだが、ないんだろ?」
頷いた。めんどくさくて車の免許は取ってない。原チャリで十分だし。しかし、ようするに山奥とまではいかないけど、川は山の中なわけね。
「彼女に怪我させるなよ?あと、携帯を水の中に落とすな。もしあれなら、預かってやってもいい」
おじさんの言葉にどうしようかと悩む。確かに携帯を水没させたら、俺は未来へ帰れなくなって十年余分に、そして無駄に生きることになってしまう。戸籍もない、幽霊な人生しか送れない。
「わかった、気をつけるよ」
携帯を預けてもいいんだが、なんかそれは嫌だ。ズボンの後ろポケットではなく、前ポケットならそうそう落とさないだろうと思ってそう返事をした。約束の時間まであと四十五分程度、俺は部屋に戻った。昨日の夜に洗濯したのでシャツは乾いている。けど長袖なのでおじさんのTシャツに着替えて財布と携帯をチェックした。しかし、だ。財布ってもお金はどうなんだろ。小銭は使えるだろうけど、札はどうだが。そんなことを考えていたらおじさんも部屋にやって来た。
「ほれ」
そう言って千円札を手渡してきた。絵柄が夏目漱石だよ。俺は自分の千円札と見比べる。
「ほぅ、野口英世か。十年の間に変えたんだな」
「たしか、偽札防止とかが理由だったような」
「ま、未来を知れて満足だよ」
おじさんは俺の千円を返しながらそう言った。昨日今日でおじさんって結構未来のこと知ってるんだよな。ってことは毎年正月に会っていたけど、俺見てニヤニヤしてたんだろうなって思う。実際してたな、そういえば。なんせ未来の俺を知ってるんだから。とにかくお金を受け取ったので、後は時間になったらのんこを迎えに行くだけだ。あと軽く三十分はある。しかし釣りなんて久しぶりだよ。中学の頃は友達とよく行ったんだけどな。まぁ川釣りは初めてだ。今はこんな状況だし、楽しむことに決めた。荷物を持ってバイクの所へ行ってみるかと、弁当の入った袋を手に庭へと向かった。庭といっても日本庭園みたいな中庭じゃなく、玄関横の倉庫なんかに使っている小屋の方の庭だ。これこそ玄関先って感じの庭だ。そこにやや古い感じの原チャリが置いてる。すぐ横にはケースに入った釣竿が2つと仕掛けの入った容器、そして餌とおぼしきビニール袋があった。俺は仕掛けの容器と餌、そして弁当を原チャリの機首にあるカゴに入れる。ぎゅうぎゅうな感じだけど入った。あとはのんこに釣竿を持って乗ってもらったらOKだろう。けどその釣り場までどれくらいの時間が掛かるか聞いてないな。おじさんが降りてくる気配はなく、おばあちゃんもいない。まぁまだ時間はあるし、とか余裕をこいてたが、結局時間になっても誰も姿を見せなかった。仕方なく原チャリにまたがってエンジンをかける。ガソリンはほぼ満タン。俺は原チャリを発進させてのんこの家に向かった。昨日はゆっくり歩いて二十分ぐらいだったが、普通に歩けば十五分ぐらいの距離だ。だからバイクだと5分もかからない。だけど待ち合わせ時間は少々過ぎてしまっている。のんこは家を出て、道路にしゃがんでいた。Tシャツに丈の短いジーンズ、麦わら帽子をかぶっていた。肩から水筒をかけて手には袋を持っている。俺はのんこの目の前にバイクを止め、エンジンをかけたまま降りた。
「悪い、遅れた」
「5分遅刻」
抑揚のない声でそう言われる。まるで自分の彼女をデートで待たせた気分だ。
「・・・・すみません」
素直に謝った。十歳も年下の彼女に平謝りの俺。とりあえずのんこの荷物を受け取り、原チャリのカゴに乗せた。小さめの袋だったから乗ったけど、もうちょっと大きかったらヤバかった。弁当のようだけど、こっちでも用意してるんだが。まぁ、多くてもいいかな。とにかくバイクにまたがり、のんこが乗れるように前ギリギリまでつめる。のんこに乗るよう促し、乗った後で釣竿を渡した。釣竿を俺の腹の前に持ってこさせてそれを掴んで彼女を固定させて2ケツする。
「場所は?俺、詳しく聞いてないんだ」
「この道をずーっとまっすぐ行くと途中でガードレールの山道が出てくるの。そこに入ってまっすぐ行けば着く。すぐ川が見えるけど、釣りするなら奥に行くの。一度おじいちゃんと行ったからわかる」
十歳にしてはしっかりしてると思うけど、こんなもんなんかな。俺は頷き、ゆっくりとバイクを発進させた。今日も日差しが強い。俺も帽子がいったかなとか思う。フルフェイスのメットじゃないから風を顔で感じられるのがいい。のんこがいるのでスピードは落とし気味でバイクは走らせている。田舎の風景が変化を始めてきた。緑豊かな水田が左いっぱいに広がっている。右側は山が大きくなってきた。どうやらこの右側の山の中に入っていく感じになるんだろう。正面の山すそと合体している。すれ違う白い軽トラック1台に遭っただけで、あとはトラクターを見た程度の交通量だ。のどかな風景を見ていると、右側すぐ横に山が来ていた。白いガードレールが随分先に見えている。どうやらガードレールは山に入っているようだ。ってことはあの道か。そう思っているとのんこが大声であそこだと言ってくれた。俺はミラーを確認して他の車がいないことを見てからバイクをガードレールに沿わせて山道に入った。申し訳程度の舗装しかされてないな。結構揺れる。のんこを気にしながらスピードを落として揺れを抑える。車がすれ違ったら通れないような山道を慎重に進むと、確かに右側に川が姿を現した。小川っていうよりかは少しデカイ川だ。でも釣りをする感じじゃない。せいぜいカニを捕まえる程度だな。バイクはどんどん山を上がっている。少ししたら川は見えなくなって、広い道路に出た。ここは舗装もされているのでスピードを出すが、五分としないうちにまた山道に入る。そしてそのまま十分。トンネルだよ。夜に来たら間違いなく何か出るだろう、心霊スポットのようなさびれたトンネルだ。俺はバイクを加速させた。俺に捕まるのんこの手も力が入っている。オレンジの明かりが薄暗いトンネルを照らしているけど、これ怖いよ。逆効果じゃん。中はひんやり、じゃなくて寒いし。結構長いそのトンネルを、俺は前だけ見て走り続けた。ようやく不気味な雰囲気のトンネルを抜ける。日の光が目を焼く、って感じの明るさが戻ってきた。と、いきなり十メートルぐらいの谷が姿を見せ、川が流れているのが見えた。古臭い橋がかかり、草ぼうぼうの川原が秘境を思わせる。でもこんなに草ばっかじゃ釣りできないぞと思いながらバイクを進めること五分、石の川原が姿を見せた。川幅も広くなり、深さも結構あるようだ。大きな石もあってかなり楽しめそうだ。俺は大きめの橋を渡って左側に川を見る状態にして駐車場所を探した。すると少し広めの場所に出て、道路から外れた場所に砂地がある所でバイクを止めた。ここなら車の通行の邪魔にならないし、下からもバイクが確認できるな。のんこに降りるように言い、それからエンジンを切った。のんこは川を見ている。俺は全部の荷物を持ってから川を見下ろした。降りられそうな場所は少し進んだ所にある草薮の中っぽい。俺はのんこを促してそこに向かった。草薮が嫌だなと思っていたが、釣りをする人が切っているのか、細い道のようなものがある。これは降り易い場所になってるじゃないか。両手に荷物を持ちながらでも楽々川原までたどり着けた。のんこも余裕で降りてきた。
「前に来たときもここで釣ったの?」
「ううん。トンネルより手前」
「あのトンネル怖かったなぁ?」
その言葉にのんこは神妙な顔で頷いた。やっぱ結構怖かったんだな。俺たちは日陰にある大きな平べったい石の上に荷物を置いた。奥には泳げそうなぐらいの深さがあるようだ。とりあえず俺は仕掛けを作った。餌はなんか、ねり消しみたいなものだよ。うどん粉か?
「何が釣れるんだ、ここ」
「いわなとか、だよ」
「あっそ・・・よくわからねーや」
釣りを趣味にしてないし、何より魚に興味もない。とにかく釣竿を完成させ、まずのんこに手渡した。
「あのでっかい石の上で釣るか?」
そう言って指をさしたのは本当にバカデッカイ石だ。川の中央に位置するあそこなら深い所で釣りが出来る。その石までは何個かの石を伝って行けば十分だろう。のんこは石を見て頷いた。俺は釣竿を手に石へと歩き出し、のんこが後ろからついてくる。所々小さくジャンプしないといけないぞ。俺は何度かのんこに手を伸ばして助けてやりながら巨大岩まで登った。かなり大きい。人ならば大人で5、6人で釣りができるぞ。しかも日陰だ。俺が腰を下ろすと少し離れた場所にのんこも座った。釣りをするだけのスペースを空けたのだろう。
「んじゃ、プレーボール!」
開始の合図をする。
「それ野球でしょ?」
ツッコミみが入った。
「開始の合図だ、気にすんなよ」
「わかった」
返事が納得してません感全開だよ。細かいのかな、この子。とにかく、綺麗な水に釣り針を垂らした。俺はせっかちな方じゃないので全然待てる。のんこはどうなんだろう。
「釣りって結構待つもんだけど、大丈夫?」
「釣れたよ」
引いてるし、すんげー引いてるし。おいおい、何秒だよ。のんこは魚に負けじと懸命に竿を操る。手を貸そうかと思ったが、とりあえず見ておいた。変に手助けして怒られるの嫌だし。のんこは一生懸命に竿を引き、釣り上げることに成功した。あまり大きいとはいえないが、第1号だ。魚を生きたまま川に入れられるカゴまで用意してくれていたので、緑のその筒状の網のカゴに魚を入れ、岩から降りて少し小さめの石と石の間にそれを挟むことにした。
「記念写真、撮る?」
そう言うとのんこは頷いた。相変わらず無表情だが。俺は携帯を取り出して撮影モードにした。のんこの顔に魚を近づけさせ、カメラを向ける。魚が怖いのか、やや引きつった表情に変化する。
「はい、いくよー」
そう合図すると、怖いながらも笑った。見事にそれを収める。そしてそれをのんこに見せた。
「しかしプロだな。入れたら即だぞ?凄いな」
「凄いでしょ?自分でもびっくり」
照れた笑いを浮かべてそう言う顔がまた可愛い。俺は不覚にものんこに萌えてしまった。誤魔化すように針に新たな餌をつける。
「幸先いいぞ」
俺の言葉に竿を受け取るのんこも笑った。いい顔するなぁ、この子。笑顔がいいよ。そんな俺がのんこを見つめていたせいか、少し怪訝な顔をされた。誤魔化すようにして周囲へと顔を向ける。水の流れる音、木々の揺らぐ音、自然って本当にいいもんだと思える。俺は携帯をズボンの前ポケットに戻し、自分の釣竿を手に持った。負けていられない、そう思ったからだった。




