第10話
目が覚めたのは七時半だった。昨日早く寝てしまったせいか、自然とこの時間に目が覚めた。おじさんの姿はなく、テーブルの上には充電が完了した携帯電話だけが置かれていた。携帯は綺麗に元通りだ。とりあえず顔を洗いに部屋を出て階段を下りる。洗面所にも誰もおらず、その足で居間へと向かった。ここにもおじいちゃんもおじさんの姿も無い。呆然と立ち尽くしていたらおばあちゃんが台所からやって来たので挨拶をした。どうやらおじさんもおじいちゃんも朝早くに出かけたらしい。てきぱきと用意してくれた朝食を一人で取り、俺は部屋に戻って着替えを済ませると外へ出てみた。約束の時間まであとまだ一時間もある。今日も暑そうな一日になるだろう、そんな天気だ。セミ取りとはいえ、山に入れば日影も多いだろうと安易に考える。しかしセミ取りなんてせいぜい二時間もすりゃぁ飽きるよな。そんなことを考えながら家を出て散歩を開始した。既に照りつける太陽は凄い威力で肌を焼いてきやがる。十分も経たないうちに嫌になってきた。とりあえず引き返そうとすると、いつの間におじさんが後ろに立っていた。正直死ぬほど驚いたが、動揺を見せずに冷静を装った。
「これ、読んどけ」
唐突に紙切れを差し出された。
「何、これ・・・」
俺の返事にどこか含みを持たせた笑顔を見せる。
「これをよく読んで、確実に実行しろ」
折り畳んであった紙を開けば、注意事項なる文字の後、3つほど箇条書きがされていた。
「なんなんだよ」
紙からおじさんに目を戻すと、いない。ぐるりと周囲を見渡しても誰もいない。強い日差しが照りつける朝っぱらから夢か幻でも見たのか、はたまた幽霊かって、おじさん死んでないしな。でも手の中には紙がある。何なんだよと流れる汗を拭いて家へと戻った。歩きがてら紙を見てみたが、今後持ち歩くべき物や、のんこと一緒に行動することなど、わけのわからないことが書かれていた。門をくぐって中庭へと出た時、さっきとは違う服装のおじさんが俺に気付いて、汗を拭きながら近づいてきた。
「おう、おはようさん。暑いな、今日も・・・・なんだそれ?」
手紙を見てそう言う。なんというか、これっておじさんがくれたんじゃねーか。
「さっきおじさんがくれたんじゃねーか」
「なんだと?」
「散歩してたらおじさんが持ってきたじゃん」
どうやらマジで心当たりがないらしい。仕方なく俺は事の経緯を説明した。おじさんは難しそうな顔をして話を聞き終えた後、手紙を見せるよう指示した。俺は紙を差し出す。
「ん、と・・・・え?」
おじさんはそこに書いてある言葉に絶句したようだ。
「今日必ず持ち歩く物はビニール袋。明日は無し。明後日は救急セット。帰る前日は必ずずっとのんこと一緒にいること。昼夜問わず・・・なんだ?予言か?」
おじさんは首を傾げながら何度も読み返している。あんたが書いたんじゃないのかよ。
「おじさん・・・それ、おじさんの字?」
「はぁっ?あぁ、俺んだな」
「心当たり無しでもおじさんの筆跡で、おじさんがくれた」
「ってことは、俺が書いたってか?」
どう考えてもそうだろ。本当に大学教授かって思う。
「俺の筆跡に間違いなく、でも俺は書いた覚えも渡した覚えもない」
「けど、確かにこれから起こる事を知っているってことは・・・」
「確実に未来でこれを書いているな」
おじさんは額に拳を置いて考え込んでいる。
「もしかして、おじさんもタイムスリップするんじゃない?」
「ありうる話だが、俺が飛ぶ理由がわからんなぁ・・・・待てよ?」
未来のおじさんが俺に手紙を渡した。しかも内容は俺へのアドバイス。理由は俺を無事に未来に帰すためじゃないのかな。
「・・・・そういうことか・・・つじつまが合うが、そこまで広範囲だと彼女も・・・」
考え込んでいたおじさんが何かに閃いたようだ。
「なんだよ、説明してくれよ」
「まぁ待て。確証がない可能性の問題だ。いろいろ調べたい。今日お前が帰ってきたら話す。この後町へ行くからな。お前もそろそろだろ?」
そう言われて時計を見ると、九時前だ。ヤバイ、のんこの家までは歩いて行くだけで二十分はかかるんだ。
「おじさん、バイク貸してくれ!」
「ああ。手紙に書いてた通りビニール袋、持って行けよ」
俺は階段を駆け上がりながら返事をし、昨日教えてもらった場所から鍵を取って台所に走った。おばあちゃんから大きめのビニール袋を貰って急いで玄関を出る。網もカゴも持たないでとにかくバイクを走らせた。家の前ではのんこが手に緑色した標準的な虫かごと網を持って立っているのが見える。
「悪い、遅れた!」
「今日も5分遅刻」
冷たい、心の通っていないような口調が怖い。
「・・・・すみません」
またも平謝りだよ。俺はのんこをシートに乗せ、昨日行った山へと向かった。正直手紙のことがかなり気になったが、今は運転に集中した。しかし十歳の子に遅刻を責められて平謝りする俺ってなんなんだ。もし、未来でこの子と恋人同士になっても尻に敷かれるのは目に見えてるな。ってか、そもそも無事に戻れるのかな。
「ここらへんなら、いっぱいいるんじゃない?」
網を持っているためにゆっくりめに走ってたからのんこの大声もよく聞こえた。かなりの山道でバイクを止める。木に囲まれた山の細い道にいるせいか、セミの声は周囲全てから聞こえてきていた。しかしここは田舎だとしみじみ思う。カブトムシがいたって不思議じゃないぞ。とりあえずバイクを茂み寄りの道端に止めて虫取りを開始することにした。セミなんかあちこちにいるじゃないか。しかも街中では見ない茶色いヤツ、確かアブラゼミだ。その上、結構近くでセミの代表と言えるミンミンゼミまで鳴いてるぞ。セミを探して木を見上げるなんて何年ぶりだろう。木漏れ日が綺麗で、なんとなく心が洗われる気がする。童心に返ったようなそんな感じが。のんこは既に網を手にやかましく鳴いているアブラゼミを狙っている。あーダメだよ、セミは下から狙わないと。ほれ、逃げられた。って、のんこがこっち睨んでる。顔に出てたのか、それともあいつは心の中を読めるのか?
「セミってさ、ケツの方から行かないと逃げちゃうんだぜ?」
「・・・取ってよ」
「あー、まぁ、見てろ」
俺は網を受け取ってすぐ近くにいるセミの下からそっと網を近づけた。そして素早く網をかぶせる。鳴かないでバタバタと網の中で暴れまわるセミ、ってことはメスか。俺は網の中に手を突っ込んでセミを取るとのんこが首から下げている緑の虫かごにそれを入れた。俺は自慢げな顔をのんこに向けたが、のんこは既に次のセミを探していてそれを見ていない。
「あそこ、高い所」
そう言って結構高い位置にいるセミを指差した。俺は網を伸ばし、最後にジャンプしてそれを捕まえる。うるさく暴れて鳴くアブラゼミ。素早く網を下ろしてセミを捕まえるとのんこの虫かごに入れようと手を伸ばした。
「やらせて!」
セミが怖くないってのは本当だ。のんこはうるさく鳴いているセミをあっさりと受け取ると虫かごに丁寧に入れてみせた。
「凄いね。怖いって女の子多いのに」
「かわいいじゃん」
その感性はわからん。その後もどんどんセミを取っていくのんこも慣れてきたのか、逃がす回数も少なくなっていった。そして気がつけばもうお昼前。場所を変えたりしながらだったからか、時間が経つのが早い。そういや今日は弁当が無いぞ。のんこもカゴと網しか持っていない。
「お昼、どうする?」
「ここから少し戻ったところに小さなコンビニがあるって言ってた」
「・・・戻ればいいの?」
「うん」
戻るって、そんなのあったっけかな。とにかく、まぁ、行くしかないね。俺たちはバイクの止めてある場所まで戻ることにした。セミ取りに夢中になっていたせいか、空が暗くなってきていることに気付いたのはそれから少ししてのことだった。




