6.新たな階層
気付いたことがある。
例えば完全な球形のボールを例に挙げると、どの点から出発しようとも一直線上に進めば自ずと終着点は出発点へとその線を結ぶだろう。これは地球などの惑星にも言えるかもしれないが、生憎と地球は完全な球形ではないし何より地球自身が回転しているのでそこまで単純な話ではない。だがそれに近しい現象は起こるに違いない。
つまるところ、出発点から直進すれば単純ではあるが出発点へと戻ってくることがあると言えるだろう。
事実、俺は拠点としていた湖から太陽の移動方位と星々の動きから方角に当たりを付け、日中夜全力で一度疾走してみた。
するとどうだろう。三度ほど太陽が浮き沈みすると俺が拠点とする湖へと戻って来たのである。これは俺の勘違いではなく、間違わない印として湖付近の木々には縄張りを意識しての爪痕や拙いながらのハンモックを吊るした居住スペースがしっかりと見て取れる。
これらを顧みるに、どうも俺は世界一周をしたらしい。だが、幾等なんでもこれでは世界という舞台は小さな箱庭にしか思えない。日中夜ずっと駆け抜けたと言っても休憩や休息はしっかりと取っているし、速度にしても時速四十キロが限界だ。一日仮に十六時間走ったとして三日で約二千キロ。これは日本列島にすら及ばず、世界という称するには些か矮小過ぎる。
ならば考えられる見解として一枚の絵を無理やり端と端を繋ぎ合わせ、端という存在を消し去ったような状態だと思う。忘れられているかもしれないがこの空間は一応地下に属する場所なのだ。やはり此処は地下なのであり、何らかの方法で繋ぎとめられているのだろう。
つまり、探せばさらに下層へと繋がる階段があるはずなのだ。
そう考えた俺は狩りの規模を小さくし、代わりに次の階層へ進むための階段探しを始めた。
面積自体は日本列島よりも大きいが、ステータスも更なる向上を見せた今では然程苦労するものでもない。敏捷性の高い存在に模倣し、視界は複眼を植え付け多角的に視界情報を処理していく。今更ながらこの身体と〈改造〉のスキルの有用性と汎用性に舌を巻く。特にこの〈改造〉は自身の好きな状態へと無理矢理シフトすることが出来るので、割と無茶も通る。まさに無理を通せば通りが引っ込むというわけだ。
勿論これ以外の様々なスキルも強奪しているし、戦闘ならば宿敵であったオーガの身体を〈改造〉により圧縮して小さくした状態が現状の最強である。やはり基礎ステータスが他の怪物とは段違いであり、ずば抜けた身体能力が魅力的だ。ちなみに今の複眼も虫型の怪物を吸収した結果である。
唸る四足は地を駆け巡り、何人も逃さない八つの視界は様々な多角的な視界情報を脳へと送り、脳は並行してそれらの情報を処理していく。
手掛かりは一つもないので虱潰しに探す他ないが、それも仕方ない。時間は掛かるが未だ見ぬ獲物や能力強化の寄り道と考えて探索する。下手にそれを目的として見つからなければ精神的に参ってしまうからな。長いスパンで考えればそこまで難しい作業ではないはずである。
✝
一ヶ月。
これを早いか長いかと捉えるのは人それぞれだろうが、俺としては幾分早く見つかったと思う。考えてみれば日本列島から小さな遺跡を見つけ出すようなものだ。手掛かりも何も己の脚一つで見つけた俺はちょっとした表彰ものだろう。
目の前に佇む人工的な石造物。
木々に囲まれるようにして聳えるそれは一層目と同じ大理石のようなものから切り出されている。正確に言えば刳り貫かれていると言えばいいか。
陽の光に照らされて反射する光は眩しく、一切合財無駄なものを省き一つの建造物であろうとするそれに俺は感嘆とした息が零れた。壁に触ってみるとヒンヤリとした冷たさが手に伝わり、陽の光など無関係とばかり他社からの介入を良しとしない気概が思える。
後方に回ってみたりして全景を調べて見るとどうやら台形の形をしているらしく、入り口から奥に行くほど幅が広がりを見せ十メートルほど、高さは入り口自体が二メートル、全長は凡そ五メートルというくらいか。小さくもないが大きくもないという大きさである。
入り口を潜ってみると内装は一層目の祭壇付近と類似しており、同じように祭壇には読み取れない文字が刻まれている。やはり此処が次に繋がる道筋らしい。それを証拠に、祭壇の裏手には見覚えのある石畳の道が続き、ほの暗いそれは将来を見渡せない俺を現しているようである。いや、俺だけではなくこの場所に訪れるすべての存在に向けての警告なのだろう。
これより先を目にするならば暗闇の底へと己の身を投じる覚悟が必要なのだと。一寸先も見通すことの出来ない闇と、踏み出せば足元と少し前だけは照らされる光。それはまさに生き様の行く末と言えるだろう。
俺はそれに臆することなく踏み出した。
足先からは土とは違った硬い感触が伝わり、薄暗い視界はヒカリゴケに助けられてようやく暗順するほどだ。風は大気が低い位置で留まることにより冷やされ、少しだけその風に乗ってカビ臭い臭いが俺の鼻に付く。湿度は高いとは言えず乾燥しきった状態ではあるがどうしても不気味な印象からじっとりした、まるで爪先から頭の天辺までねめつけられるような感覚が俺を覆う。
思いは想いとなり、それはいつしか像を結んで虚像を生み出す。クスクスとした笑い声、悲鳴のような断末魔、無謀な者を嘲る声、助けを願う祈り。視界には火の玉のような幻覚が見えた気がした。
それらは全て自分自身が生み出したまやかしに過ぎない。だが、まやかしであろうとも人間は――俺は人間ではないが――妄想にすら憑りつかれ殺されてしまう。ならばこそ、人は散々と危惧しそれを打ち払わなければならないのだ。それこそが進むべきための試練とでもいうかのように。
立ち止まり大きく深呼吸。
吐き出す呼気は裂帛な気合が込められている。スキル〈鬨の声〉。相手に恐怖や錯乱といったバッドステータスを付与すると共に自身には鼓舞によるバッドステータスの打消しの効果がある。スキルというよりも技に近いこれは手軽且つ便利で重宝していた。こうした場面では気持ちの一新を、戦闘では相手の力を測る術や先手を取るための意味合いとして。
響く轟音は俺の鼓膜をも無秩序に襲い掛かるが、それでも自身に潜む闇への恐怖は消え去った。ただそこにあるのは次に至る道。
ズシン、と百七十センチからは到底似つかわしくない重低音が響き渡る。
今の俺はオーガの姿を圧縮してほぼ人に近いベースとなっており、その為に外見以上もの質量がそこには収められてた。容姿こそ未だ醜いままだが、それは他のモンスターや動物たちを混ぜ合わせることにより少しだけマシとなっている。また、肌は浅黒く筋肉質と相まって遠目からは鎧を纏っているように見えるだろう。
この先にはこの難敵であったオーガよりも強大な怪物は生息しているのだろうか。心待ちにする俺が居る半面、出合いたくはないと忌避する俺も居る。どちらも俺でありどちらも間違いではない。前者ならば今以上にステータスの向上に繋がるだろうし、後者ならばより安全に命を繋ぐことが出来る。
どちらも望みべき事柄でありどちらも欠かすことは出来ないファクターである。
未だ見ぬ世界を見る為に、未だ届かぬ理想へと手を伸ばすために。
踏み出された一歩は傍目からすれば極僅かなものかもしれない。
だが、それは確かに踏み出された一歩なのであった。
✝
そこは疑いようもない大草原だった。
アフリカで見られるようなサバナのような疎らなものではなく、どちらかと言えばステップなどに近いか。また、目を凝らせば雲間が掛かる山脈その身を連ね、雲河から差し込む陽の光は森林地帯よりも柔らかい印象を受ける。気候区分自体が熱帯から乾燥帯とまでは言わないが少しだけ変わったのだろう。少しだけカラカラとした乾いた風が頬を撫でた。
踏み締める草原に足を取られないように慣らす必要があるな……
俺はその問題を即座に思い至り、すぐに運動兼偵察がてら辺り一帯を疾走してみる。最初は鳴らすように小走りで、そこから徐々に速度を上げて風を切る。走法は歩幅が小さいものから大きいものまで、短距離長距離共に試してみて、どちらも問題ないか確認。
次は一通りの日課としている無手の型の復習に入る。本来ならば剣や槍、斧、弓といった原始的武器の練習もしたいのだが如何せん材料となりそうなものが近辺には見当たらなかった。流石にそこまで必須でない武装では邪魔になるだけなので余り所持しないようにしていたのが仇となったか。まぁ無いものは仕方ない。それに近しいものを見つけられるまで無手の訓練を主体としておこう。
唸る拳は空気を弾けさせ、独楽のように回転しながら振るわれる回し蹴りは死神の鎌のように周囲の草を狩り取った。
軸足を中心に円を描くよう意識し摺り足。突き出される拳をイメージし、右手で払い左手相手の首元を掴み引き寄せた。そのまま力一杯大地に叩き付け、追撃とばかり体重を乗せた踏み付け。強靭な肉体とより高められたステータスから生まれる超絶な威力は容易くその一点を中心に罅を広げる。
最後の調整としてその罅に向かって全力の正拳突き。ドゴン、という音と土煙が視界を覆い、膨大な肺活量を元に口から吹かれる息吹によってその煙は瞬時に消え去った。そこに痕を残すのは最早罅ではなく地割れである。直径八メートル、深さ一メートル強もの惨劇がそこにはあった。
満足いったとばかり俺は笑みを凶悪な笑みを浮かべ、そして辺りを見渡す。
周りは一面大草原と疎らな木々。遠くには山脈が雄大に誇り、とりあえず山脈の麓を仮の目的地とでもしようか。目が及ぶ範囲には生き物らしき存在は見受けられず、拠点となる場所も欲しいところである。
遠近感が狂っていなければ夜の帳が降りる前にはその付近まで確実に接近できるはずだ。
早速と俺は駆け抜けることに専念する。視界は変わり映えのしない風景でうんざりとするが、次第とその大きさを増していく山々は俺の胸を高鳴らせた。山頂付近が白いのは雲のせいではなくどうやら雪が降り積もっているらしい。草原地帯が乾燥帯だというのに山頂は寒帯とは気候区分の節操なしさには頭が下がる思いだ。しかし、雪があるということは雪解けからの水、そしてそれが流れる川があることも明白。当面の目標はそうした給水地点を探すことだろうな。
段々と近づく山々と同じように太陽も西の地平線と接し、今ではその色を黄昏色に染めていた。太陽がその位置を変えることから地軸を中心に回転していることは見て取れ、この場所は森林地帯と同じようにどこかの惑星の一地方なのだろう。流石に魔法という存在が魔力というステータスがあることから見て取れるが、惑星間を起動するような魔法が存在するとは思いたくもない。それは最早ファンタジーというよりもサイエンス・フィクションの分野だろう。
しかし、魔力というステータスが簡単に上昇しないことから、やはりというべきか魔法という存在は特別な力なのだろう。ステータス自体は漸く10を超えてはいるが、力や敏捷は既に20を超えて30に近い。上がり幅に差があるのは当然と言えるし仕方ないと言えよう。
また、どうもステータスの上昇値はその数値に比例するのではなく、どちらかというと指数関数のように上昇すればするほどのその力は増していくように感じられる。例えば初期の敏捷ステータスが1から10に上昇した時と20から30となった時でを比べてみると圧倒的に後者の方が伸びがいいと感じられる。勿論、俺のステータス向上による勘違いという説も捨てきれないが、逆に指数関数説も捨てきれはしない。まぁどちらにしろ問題がある訳でもないので放置が一番かと、結局いつもの思考パターンに嵌って終了。
そんな思考の海から復帰したころには辺り一面は黒の幕が張り巡らされ、夜空は燦々と輝く宝石箱のように輝いていた。
いつしか山脈の麓という様相を示し、地面は草原から砂利道と姿を変える。参道へと続く通りは獣道のように慣らされてはいるものの、やはり人の手が込んでいない無塗装のままである。
見上げた山脈はよもや富士山などを遥かに凌ぐ規模でその険しさも比ではないのだろう。すぐさま登るというわけにもいかず、当初の目的通り麓の近くにある水辺とこの階層の怪物と捕食して現状の自分の力関係を把握しておきたいところだ。
余裕があるならばそのまま登山することも厭わないが、僅差などであれば登山は控えて能力の向上に専念した方が無難だろう。こういったところだと山頂に行けばいくほど敵は強大になっていくのお約束なのだから。