本の紹介53『上京生活録 イチジョウ(全6巻)』 萩原天晴 ほか/著
都会に翻弄される若者を描き、本編のテーマをリブートする意欲的スピンオフ・・!
「賭博黙示録カイジ」から始まる「カイジ」シリーズのスピンオフ作品で、本作で主人公となるのは一条聖也という青年です。一条はシリーズ2作目の「賭博破戒録カイジ」で裏カジノの店長としてカイジの前に立ち塞がる、いわゆるライバル的キャラクターです。
本作は一条が裏カジノの店長になる前、地方(岡山県)から上京したばかりのフリーター時代の物語となります。 時代設定などを考えると、本編に繋がらないパラレル的な作品と捉えることもできそうですが、描かれているテーマを踏まえると、本編と直結する作品という印象が強く受けました。
シリーズも長く続いているので、本編「カイジ」が今どうなっているかは追えていないのですが、私が読んでいた範囲ではカイジのテーマの一つが「金は命よりも重い」という思想への反抗だと思います。
本編でカイジが対峙するのは、政財界に大きな影響力を持つ「帝愛グループ」という組織なのですが、帝愛は金にものを言わせて人の命さえ弄ぶ存在として描かれています。借金を背負ったカイジがその機転を活かして、闇金融を営む帝愛に一泡吹かせるというのが本編のざっくりとした物語です。
本作で描かれるのはその帝愛に入る前の一条の姿です。自尊心が強く、野心を持って東京にやってきた一条が何者にもなれず燻っていた時期が描かれているのですが、その中で一条が直面するのが、人間に上下があるのか、他人を蹴落としてまでのし上がることは正しいのか、より多くの金を稼ぐ人間が偉いのかといった、いわゆる弱肉強食的な世界への疑問です。
上京してきたばかりの若者の困窮、自尊心から生じる空回り、人間関係の悲喜こもごもが基本的にはコメディ調で展開されるのですが、要所要所で一条が上昇することばかり考えている自分のことを顧みるような展開が盛り込まれています。
それを効果的に見せているのが、同居人の村上の存在です。村上は本編でも裏カジノで一条の部下として登場するのですが、本作では純朴な青年として描かれています。
共にに上京しながらも、東京での生活ぶりにおいて一条との対比を描く役割を担ったキャラクターです。一条は家庭の事情で大学進学が出来なかった自分を馬鹿にする地元の人間を見返したいという野心から上京を決めたのに対し、村上は大学を中退して一条にくっついて上京します。何か野心を抱いているような描写もなく、深い考えもない印象を与えます。
また、一条は家庭環境に恵まれていなかったことが匂わされているのですが、反対に村上は家族の愛情を受けて育ったことがいくつかの話で分かるようになっています。
一条と村上が繰り広げる息があっているようであっていない同居生活、絶妙な凸凹ぶりが本作の大きな魅力になっているのですが、自分と同じようには都会に馴染まない村上という存在が一条の価値観を揺さぶる一因となっているように思えます。
村上だけでなく、アルバイト先の同僚や上司、東京での様々な人間との交流を通じて、一条の気持ちの揺れ動く姿が本作の肝であると感じます。
本作の終盤、帝愛の説明会に参加した一条と村上は帝愛幹部に強烈な言葉を浴びせられます。村上はその言葉に反発を覚えますが、一条の心は大きく揺れうごき、バイト先での正社員採用か、帝愛への転職かという岐路に立ちます。これはどの会社に就職するかという文字通りの意味を超えて、どんなことをしてでも勝ち続ける人生を選択するかという瀬戸際を描いたものだと感じました。実際、その話では一条の葛藤が結構な尺を取って印象的に描写されています。
最終話は帝愛で一条が失脚した後、帝愛を退職し無職となった村上の姿が描かれます。村上は一条の強い願いを受けて帝愛に入ることになるのですが、働く中で村上自身も帝愛の価値観に染まってしまいます。
村上が思い出の場所を巡りながら、かつて一条と同居していたアパートに戻っていくのが本作のクライマックスになるのですが、そこでの描写が秀逸で、初めて読んだ時は思わず息を呑みました。
自分たちの住んでいた部屋には入居者がおり、村上は思わずその入居者に部屋を明け渡すつもりはないかと投げかけます。金は持つからと万札の束を無造作に出すのですが、当然相手には断られます。
その際、村上は自分の手にある万札を見ながら「ホントに・・・・オレは何を・・」と述懐します。ここがとても印象的で、帝愛に入って金にものを言わすことに慣れ切ってしまった自分に戸惑い、自己嫌悪に陥っていることが非常に効果的に伝わってきます。そして、村上はここで帝愛に入る前の自分に立ち返ったのだと思います。
結局、入居者はすでに引っ越しが決まっており、村上は晴れてかつての部屋で一条の帰りを待つというラストになります。
なぜ村上がその部屋で一条を待つことにしたのかという独白は中々に感動的なのですが、それは本作でこれまでに積み上げてきた描写があればこそというもので、全6巻という比較的短いボリュームながらも物語としてよくまとまっており、スピンオフ系の作品に食傷気味な方にもオススメの一作です。 終わり




