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第5話 絶対零度の皇帝陛下による、過保護すぎる溺愛生活

翌日。

皇宮の一室に案内された瞬間、ソフィアは真顔で思った。


(……ここ、職場じゃなくて高級療養施設では?)


あてがわれた『ソフィア専用の執務室』は、信じられないほど広くて快適だった。

部屋の奥にはなぜか天蓋付きのふかふかのベッドがあり、日当たりの良い窓辺には最高級のベルベットで作られた寝椅子と毛布。暖炉の前には、お茶を飲むための低いテーブルが置かれている。

肝心の仕事机の上にあるのは、上質な筆記具と、まっさらな白紙の束――ただそれだけ。


山積みになった決裁書類もない。

「本日中!」と書かれた血文字のような赤い付箋もない。

「まだ終わらないのか!」と急かす上司の怒鳴り声もない。


そして何より、ソフィアの目を釘付けにしたのは、部屋の隅に置かれた天蓋付きベッドの柱に掛けられた、小さな木札だった。


『昼寝用』


ソフィアは三度見した。


昼寝が、業務上の備品扱い。

前世でも今世でも、そんな概念には出会ったことがない。


「……あの。これ、冗談ですよね?」


ソフィアが引きつった笑顔で尋ねると、案内役の侍女が穏やかに、しかし大真面目な顔で説明した。


「冗談など滅相もございません。ソフィア様の勤務に際し、陛下より『何よりも休息の確保を最優先とすること』と厳命が下っておりますので」


厳命。

休めという命令。

ソフィアは口を半開きにしたまま固まった。


(休むことを『厳命』される職場って、この世に実在したの……?)


そこへ、コンコン、と控えめに扉がノックされる。

侍女がサッと姿勢を正し、深く頭を下げた。


「陛下でございます」


扉が開き、アレクシオスが入ってきた。

今日も月光のような銀髪は完璧に整い、漆黒の外套が彼の圧倒的な覇気を引き立てている。背が高く、彼が歩くたびに周囲の空気がピンと締まるようだ。


冷酷無慈悲な氷帝。帝国の絶対的支配者。

――ただし。

今の彼の手には、可愛らしい銀のトレイが乗っていた。

盆の上には、湯気の立つ甘い香りのハーブティーと、焼き立てのクッキーが山盛りに乗った小皿。


ソフィアは反射的に立ち上がり、「お茶出しは私の仕事です!」と言いかけて、すんでのところで口を噤んだ。


(だめだめ。ここで私が動いたら、前世みたいに『お茶出しや雑用は全部ソフィアの仕事』っていう暗黙の了解が成立しちゃう!)


ソフィアが警戒度マックスの視線を向けると、アレクシオスはそんな内心など露知らず、淡々と言った。


「座れ」

「……はい」

「仕事の前に、まずは糖分だ。頭が回らないだろう」


そう言って、彼は当たり前のような手つきで、ソフィアのデスクの上にティーカップとお菓子の皿を並べた。皇帝自らの給仕である。


ソフィアは椅子の端にちょこんと座ったまま、慎重に問い詰めた。


「……陛下。これ、もしかして勤務時間に含まれるんですか?」

「違う」


アレクシオスは即答した。


「これは『健康管理』の一環だ。勤務時間には計上しない。安心しろ」


(健康管理……)

その単語が、ソフィアの社畜脳内で瞬時に別の意味に翻訳される。


“労働力の維持”。

そうだ、ブラック企業ではよくある手口だ。「社員の健康が第一だからね」と口では言いながら、栄養ドリンクを箱で支給して三徹させる、あの地獄のシステム!


ソフィアはさらに慎重に、というかほとんど睨むようにして言った。


「……あの。陛下。念のため確認ですが、私は『実働一日最大三時間』の契約ですよね?」

「知っている」

「残業は完全禁止ですよね?」

「知っている」

「夜間の突発的な呼び出しも禁止ですよね?」

「知っている」

「休日出勤も絶対にしませんからね?」

「それも知っているし、契約書に俺が署名した」


アレクシオスは涼しい顔で頷く。

ソフィアは少しだけ声を強めた。


「あのですね、私、もう二度と壊れるまで働くつもりはありません。絶対に、壊れませんからね」


その言葉を聞いた瞬間。

アレクシオスの表情が、一瞬だけ、ひどく静かに変わった。

それは怒りではない。過去の何かを悔やむような、あるいは自身の痛みを堪えるような、深く沈んだ目だった。


「……君を壊すつもりなど、毛頭ない」


低く、祈るような声でそれだけ言うと、彼は自分の執務机(いつの間にかソフィアの隣に設置されていた)の方へ歩き、数枚の書類を持ってきた。


「今日の仕事は、これだけだ」


ソフィアはビクッと身構える。


(来たわね! 「これだけ」と言いながら、実際は三日徹夜しても終わらない量の仕様書を渡されるパターン!)


だが、デスクに置かれた紙は、本当にたったの『一枚』だった。

内容は恐ろしいほど簡潔にまとまっている。


『新規・魔力制御具試作に向けた設計方針の整理』

・既存の制御具の破損箇所と、魔力衝突の原因の推定

・代替となる新素材候補のリストアップ

・人体に影響が出ない安全な試験手順の構築


本当に、たったこれだけ。

仕様書というより、ただのメモ書きレベルだ。


ソフィアは何度も瞬きをした。


「……あの、初日の業務、これだけですか?」

「契約通りだ」


アレクシオスは至極当然という顔で言った。


「いきなり実作業に入らせて君に負担をかけるほど、俺は愚かな経営者ではない。今日は方針を話し合うだけで十分だ」


ソフィアの中の社畜センサーが、完全に狂って逆方向への警報を鳴らし始める。

(初日に仕事を詰め込まない会社……そんなユートピア、この世に実在したの……!?)


ソフィアが書類に目を通している間、アレクシオスは何も言わず、ただソフィアのデスクのすぐ横の椅子に座り、じっと彼女を見守っていた。


距離が近い。

一国の皇帝が、新入社員のデスクの真横に張り付いて、ただ黙って見つめているのだ。


(圧がすごい……! 逆に仕事しづらい!)


ソフィアはいたたまれなくなり、わざとらしく咳払いをして本題に入った。


「ええと、陛下の既存の制御具ですが。あれは魔力を“力ずくで抑え込む”設計になっています。だから、陛下の異質な魔力と真っ向からぶつかり合って、金属や魔力線が疲弊し、ショートしてしまうんです」

「そうだな」

「なので、抑制ではなく、流れを分岐させて『逃がす』設計にします。魔力の循環ルートを複数に分け、一点に負荷がかからないようにするんです」


アレクシオスが深く頷く。


「なるほど。その『循環させて逃がす』という考え方が、君の作ったあの腕輪にも組み込まれているのか」

「はい。あの『肩こり解消グッズ』は、筋肉周辺の滞った魔力循環を――」


ソフィアが言い切る前に、アレクシオスが静かに、しかし威圧感たっぷりに訂正した。


「『命の救済具』だ」

「…………はい」


(呼び方が重すぎて怖い)

ソフィアは心の中でツッコミを入れつつ、プロの顔に戻って紙にさらさらと図面を描き始めた。

新素材の候補を数点挙げ、試作段階を三つのフェーズに分けて、安全性のアプローチを説明していく。


話し合いを進めるうちに、ソフィアはふと気がついた。


(……不思議。全然、疲れない)


研究所で主任に説明をしても、常に「言い訳をするな」「専門用語を使うな」「黙ってやれ」と頭ごなしに否定され、罵倒されていた。

でもここでは、皇帝である彼が、ソフィアの言葉一つ一つに真剣に耳を傾け、論理的に理解し、意見を求めてくれる。


ソフィアが方針書の最後の項目を書き終えた瞬間。

彼女の腕に、ピクリと小さな震えが走った。


――社畜の悲しい『クセ』だ。


一つのタスクの終わりが見えると、無意識のうちに勝手に次のタスクを探してしまう。

もっとやれる。もっと細部まで詰めるべきだ。ここで手を止めたら、私には価値がなくなる。

前世で骨の髄まで染み込んだ呪いが、ソフィアの背中を無理やり押そうとする。


ソフィアはペンを強く握り直し、空白のスペースに「第二フェーズの予備設計案」を書き込もうとした。


その時だった。


スッ、と。

アレクシオスの大きな手が伸びてきて、ペンを握るソフィアの手首を、ふわりと掴んだ。

冷たいはずの手が、ひどく熱く感じられる。


ソフィアの心臓がビクンと跳ね、反射的に身を引こうとした。


「……っ」

「終わりだ」


アレクシオスは、低く、甘く、絶対的な声で言った。


「え?」

「今日の仕事は、今ので十分だ。完璧な方針書だ」

「で、でも、まだ実働三時間経ってません! あと一時間くらいは時間が……」

「時間が余ったのなら、休め」


あまりにも当然の口調だった。

ソフィアは混乱して目を白黒させる。


「……休むって、何をすれば……」


アレクシオスは、まるで「空は青い」とでも言うように、平然と答えた。


「昼寝だ」


ソフィアは、部屋の隅にある天蓋付きベッドの『昼寝用』の札をチラリと見て、再び皇帝を見た。


「……本気でおっしゃってます?」

「皇帝の命令だ。直ちにベッドへ向かえ」


業務命令で昼寝。

ソフィアの脳が、ついに理解を拒絶してショートした。


だが、さらに彼女の理解を吹き飛ばす事態が起きた。

アレクシオスがスッと立ち上がったかと思うと、ソフィアの腰と膝裏に腕を回し――。


フワッ。


次の瞬間、ソフィアの身体は宙に浮いていた。


「……えっ?」


抱き上げられた。

いわゆる、お姫様抱っこというやつだ。

冷酷無慈悲な氷晶帝国の皇帝陛下に。まるで羽毛のクッションでも運ぶみたいに、軽々と。


ソフィアはパニックになり、慌てて掴まる場所を探した結果、アレクシオスの胸元のシャツをギュッと握りしめてしまった。


「ちょ、ちょっと待ってください陛下!? 歩けます! 私、自分の足で歩けますから! 自分でベッド行きますから下ろして!」

「信用できない」


即答だった。


「君は『休む』と口では言いながら、俺が目を離した隙に、次の瞬間に仕事を探してペンを握るだろう。先ほどのように」

「……っ! み、見てたんですか!?」

「ずっと見ていた。君が限界まで自分を追い込もうとする癖もな」


アレクシオスは平然とした顔で、ソフィアを抱えたままベッドへ向かって歩き出す。

彼の体温と、微かな白檀の香りが鼻をくすぐり、ソフィアは顔が爆発しそうに熱くなるのを感じた。


(恥ずかしい! 屈辱! なのに……なんでこんなに、変に安心するのよ……!)


ふかふかのベッドの上に優しく降ろされ、最高級の分厚い毛布を首元まで掛けられる。さらに、彼の手によって枕の角度までミリ単位で調整された。

絶対に逃がさない、完璧な『休息の陣形』だ。


アレクシオスが、ベッドの縁に腰を下ろし、ソフィアを見下ろす。


「目を閉じろ」

「……私、子どもじゃないです」

「わかっている。だが、壊れるまで酷使された人間の『正しい扱い方』なら、俺は知っているつもりだ」


その一言が、ソフィアの胸に深く、深く刺さった。


壊れた人間。

そうか。私は前世でも今世でも、限界を超えて壊れていたんだ。


ソフィアの身体から、抵抗する力がスッと抜けていく。


「……陛下」

「何だ」

「どうして、私のためにそこまで……」


ソフィアが弱々しく問うと、アレクシオスは少しだけ視線を逸らし、窓の外の雪景色を見た。


「……俺は、痛みを知っている。制御できない強大な力が、毎日自分の命を削っていく絶望の痛みを」


一拍の沈黙。


「そして昨日、君の傷だらけの手を見た。……あれは、君が自分でつけた傷じゃない。誰かに無理やり、命を削らされてできた傷だ」


彼の言葉は静かで、雪のように重かった。


ソフィアは、ゆっくりと目を閉じた。

暖炉の薪が爆ぜる音が聞こえる。外の冷たい雪が、窓ガラスを微かに叩く音も。

そして、何より――。


誰も、怒鳴らない。

誰も、「早くしろ」と急かさない。


(……私、本当に、寝てもいいのかな)


心の隅っこで、社畜特有の罪悪感がまだ燻っている。

寝たら、役に立たない人間になる。

休んだら、自分の価値がなくなるんじゃないか。

そう思ってしまう自分がいる。


その瞬間。

アレクシオスの大きく冷たい指が、ソフィアの金糸の髪にそっと触れた。

壊れ物を扱うように、ひどく優しく、撫でるように。


「……君に価値がないのなら、俺は最初からこんな場所へ君を呼ばない。君はただ、そこにいて呼吸をしてくれるだけでいいんだ」


その言葉が、凍りついていたソフィアの心に、温かい雪解け水のように染み込んでいく。


まぶたが、心地よく重くなる。

気づけば、ソフィアの意識は、深く甘い眠りの底へと沈んでいった。


◇◇◇


どれくらい眠ったのか分からない。

ハッと目を覚ますと、部屋の光が少し傾いていた。窓の外は薄い夕暮れ色に染まり、暖炉の火が静かに燃え続けている。


ソフィアはガバッと身体を起こし、慌てて周囲を見回した。


(や、やばい! 私、何時間寝てたの!?)


壁の魔道時計を見る。

――時刻は夕方。まだ、契約で定めた『実働三時間』すら消化していない時間だった。


ソフィアが青ざめてベッドから降りようとした、その時。

ガチャリ、と扉が開き、アレクシオスが入ってきた。今度の彼の手には、銀の盆ではなく、ワゴンが押されていた。

ワゴンの上には、湯気を立てる極上のコンソメスープと、焼き立てのふかふかのパン、そして色とりどりの果物。


「起きたか」

「……ひぃっ! す、すみません陛下! 私、初日から仕事中に寝てしまって……! 今すぐ減給の手続きを――」


ソフィアが土下座の勢いで謝ると、アレクシオスは眉一つ動かさずに言った。


「予定通りだ。何も問題はない」

「え?」

「先ほどの昼寝は『業務の一環』として勤務計画に組み込まれている。減給の必要などない」


ソフィアは完全に絶句した。

勤務計画に、昼寝が組み込まれている。

それを言うなら、もう「労働」の定義とは一体何なのだ。


アレクシオスは、ベッドの横に小さなテーブルを引き寄せ、ソフィアの前にスープの皿を置いた。


「食べろ。腹が減っているだろう」

「……あ、ありがとうございます。自分で食べられます」

「知っている」

「なら……」


ソフィアがスプーンを手に取ろうとした、その時だった。

アレクシオスがスッと手を伸ばし、ソフィアより先にスプーンを取り上げた。


そして、スープをすくい、軽く息を吹きかけて冷ますと――。

当たり前のような顔で、ソフィアの口元へスプーンを差し出したのだ。


「ほら、口を開けろ」


ソフィアの脳が、再び激しくショートした。


(あーん、ってやつだ……!)


社畜が接待で上司にやらされるやつじゃない。これは間違いなく、糖度1000%の『恋愛』の文脈でやるやつだ!


ソフィアは顔を耳の先まで真っ赤にして、首をぶんぶんと横に振った。


「だ、だめです! 自分で食べますから! 恐れ多すぎます!」

「食べないなら、今すぐ仕事に戻るか? 残業させるぞ」

「食べます!!」


社畜の悲しい反射神経で、つい即答してしまった。

アレクシオスは微かに口角を上げ、淡々とソフィアの口にスープを運ぶ。


一口飲むと、温かく優しい味が、空っぽの胃の腑から身体の芯までをほぐしていく。

悔しいのに、抗えないほど満たされていく。


(……この人、本当にズルい……!)


ソフィアが何とか自力でスプーンを奪い返し、顔を赤くしたまま食事を進める中、咳払いをして話題を変えた。


「……陛下。あの制御具の試作なんですが。皇宮の立派な工房だと、どうにも緊張してしまって……できれば、私のあの小さな店の裏で作業した方が、効率が上がると思うんです」

「……ふむ。ならば、皇宮の工房を、君の店の裏と『完全に同じ間取りと環境』に改装させよう。職人を呼ぶ」


即答だった。


「えっ!? い、いや、そこまで大掛かりなことは……!」

「必要だ」


アレクシオスはきっぱりと言い切った。


「君が落ち着いて安全に作業できる環境を作ることが、俺の最優先事項だ。金ならいくらでも出す」


ソフィアは、スプーンをギュッと握りしめた。


(この人……すべての基準が、『私』なんだ……)


祖国では、すべての基準は傲慢な王太子だった。

研究所では、すべての基準は「国の体裁」だった。

ソフィア自身の意思や健康は、常に一番最後、後回しにされてきた。


でも、ここでは、自分が『基準』になる。

それが、どうしようもなく怖い。

怖いけれど――胸が苦しくなるほど、温かかった。


「……陛下」


ソフィアは、消え入りそうな声で言った。


「私、たぶん、放っておかれると、またすぐに頑張りすぎちゃうと思います」

「知っている」

「だから……私が無茶をしようとしたら、止めてください」


アレクシオスは、迷いなく深く頷いた。


「ああ、何度でも俺が止める」


その返事が、あまりにも力強く、自然で、ソフィアは泣き笑いしそうになった。

(止めるって、こんなにはっきり言い切ってくれる人がいるんだ……)


食事が終わった頃、扉をノックして侍女が入ってきた。


「陛下。ソフィア様の本日の実働時間が、契約の上限である『三時間』に達しました」


ソフィアは目を見開いた。


「え!? 私、今日は設計方針の紙を一枚書いただけなんですけど……!?」

「睡眠時間と、お食事の時間も『健康管理業務』として労働時間に含まれておりますので」


侍女は、どこ吹く風という澄ました顔で言った。


含まれている。

ソフィアの脳内で、ついに『労働』という概念のゲシュタルト崩壊が起きた。


アレクシオスが立ち上がり、ソフィアの外套を手に取る。


「帰る準備をしろ」

「え、帰るって……私の店にですか?」

「そうだ。定時だ」


ソフィアは、胸の奥がじん、と熱くなった。


定時。

前世からずっと焦がれ続けてきたあの言葉を、この人は当然の権利として扱ってくれる。


アレクシオスは扉の前で立ち止まり、振り返った。


「明日も来い」


ソフィアが「はい」と返事をする前に、彼はすぐに言葉を継ぎ足した。


「……いや。来たくなければ、明日は休んでいい。契約は俺が必ず守る」


ソフィアの喉が、きゅっと締まった。


「……行きます」


思わず、そう即答していた。

アレクシオスの蒼い瞳が、安堵したようにわずかに柔らかくなる。


「馬車で送る」

「ご、護衛は最低限でお願いしますね!」

「わかっている」


ソフィアは温かい外套を羽織り、アレクシオスと並んで皇宮の廊下を歩いた。

ふと窓の外を見ると、本格的な雪が降り始めている。


寒いはずの雪国なのに、ソフィアの胸のあたりは、ぽかぽかと温かかった。


(社畜の私、いつか本当に……この国でなら、“休むのが当たり前”の生活に慣れることができるのかな)


そう思った瞬間、アレクシオスが隣で、ボソリと低く言った。


「寒くないか」

「……大丈夫です。陛下の外套、とても温かいので」

「……なら良い」


短いやり取り。

でも、そこには絶対的な命令も、理不尽な罵倒もない。

あるのは、不器用な確認と、極上の配慮だけ。


ソフィアは小さく息を吐き、心の中で静かに決意した。


(この国でなら)

(私はもう二度と壊れずに、生きていける)


――その頃。

遠く離れた祖国では。

誰もまだ、はっきりとは理解していなかった。


天才社畜を失ったことで、王都を覆っていた絶対の防御結界の“綻び”が。

今夜ついに、目に見える『亀裂』となって空に広がり始めたことを。


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