消えた夏と残されたノート
——翌朝、蝉の声がやけに遠く聞こえた。
教室に入っても、いつも騒がしい結人の席は空のままだった。
机の上には、ノートが置かれていた。
青い表紙。見覚えのある、あのノート。
けれど、表紙には新しい文字が刻まれていた。
> 「書き換えの限界を超えた場合、“記録者”以外の痕跡は消去される。」
蒼真は震える手でノートを開いた。
中のページは、ほとんど真っ白だった。
昨日まで書いてあった未来の記録も、警告の文字も、何もかも消えている。
あるのは、たった一行だけ。
> 「真白を守れ。」
その文字だけが、青く、強く、残っていた。
放課後、蒼真は屋上に立っていた。
真白がフェンスにもたれて、空を見上げている。
「今日の空、またおかしいね。」
空は淡いグレーと群青の間で揺れていた。
“書き換えの影響”だと頭ではわかっていても、言葉にはできなかった。
「なあ、真白。……結人のこと、覚えてない?」
「け、結人? だれ?」
彼女は首をかしげて、微笑んだ。
その笑顔が痛かった。
蒼真は言えなかった。
その笑顔を守るために、自分が結人を“消した”ことを。
真白はふと、ノートに目を留めた。
「それ、また書いてるんだ?」
「……ああ。でももう、使わない。」
「ふーん。でも、なんか好きだな、そのノート。青くて、夏って感じがする。」
彼女の言葉に、胸の奥が熱くなった。
——この時間だけは、誰にも書き換えられたくない。
その夜、蒼真は自分の部屋でノートを開いた。
ページの隅に、見覚えのない文字が滲んでいた。
> 「記録者に残された時間:あと三回。」
「三回……?」
未来を書き換えられる残りの回数。
それを超えたとき、何が起きるのかは書かれていない。
窓の外では、花火の音が遠く響いていた。
真白と、また一緒に夏祭りへ行きたい。
去年、結人を含めた三人で見た花火。
あの光景を取り戻したい。
蒼真はペンを取る。
> 「明日、真白と花火を見に行く。」
書き終えた瞬間、風がページをめくった。
青い光が一瞬、部屋を照らす。
その光の中に、一瞬だけ、結人の笑顔が見えた気がした。
——翌日。
真白は校門で蒼真を待っていた。
「昨日のこと、どうして知ってたの?」
「え?」
「“花火、見に行こう”って夢であなたに言われたの。変だよね。でも、楽しみ。」
真白は少し恥ずかしそうに笑った。
夜空に咲く花火の下、二人は並んで立っていた。
けれど、どこかが欠けていた。
去年と同じ場所なのに、風景の奥に“誰かがいた空白”だけが、はっきりと残っていた。
花火の光に照らされた真白の横顔が、少し霞んで見えた。
蒼真は、そっとノートを握りしめた。
> 「この夏を終わらせたくない。」
風が吹き、ページがひとりでに開いた。
そこには、新しい文字が浮かんでいた。
> 「記録者が願いを続ける限り、“世界”は修正を繰り返す。」
その夜、夏の空は、一度だけ逆に流れた。




