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静かな夏の始まり

 放課後の教室は、夏の光で薄く金色に染まっていた。

 黒板の上で反射した光が、机の上のシャーペンをきらりと照らす。


 「……暑いな」

 天城蒼真は、だるそうに窓を開けた。

 外では蝉が狂ったように鳴いている。だけど、その声さえどこか遠く感じた。

 テストも終わり、部活にも入っていない彼の毎日は、静止した映像みたいだった。


 誰かが笑い、誰かが走り、時間だけが通り過ぎていく。

 それを眺めながら、蒼真はいつも思う。

 ——この夏も、きっと何も変わらない。


 「蒼真!」

 背後から声がして、ふと振り向くと、桐原真白が立っていた。

 制服の袖をまくり、絵具の跡がついた手をひらひらさせる。

 「また屋上で昼寝してたでしょ。先生に見つかったら怒られるよ」

 「うるさいな。あそこ、風が気持ちいいんだよ」

 「言い訳するなら、せめてサボってないアピールくらいしなさい」

 真白はあきれ顔で笑った。

 その笑顔は、夏の光よりもまぶしかった。


 彼女は美術部のエースで、今度の市のコンクールに出す絵を描いている。

 夢があるって、いいな。

 蒼真はそう思いながら、自分には何もないことを再確認した。


 その日の放課後、真白が先に部室へ向かったあと、蒼真は校舎の階段を上がった。

 目的もなく、ただ屋上の風にあたりたかっただけだ。

 立ち入り禁止の札を避けてドアを押すと、鉄の匂いと熱気が混ざった空気が流れ込む。


 空が広かった。

 街がミニチュアみたいに見える。

 夏の雲は白く膨らみ、まるで時間そのものがゆっくり動いているようだ。


 ——その時。


 風に押されて、何かが足元に転がってきた。

 小さな、青いノート。

 表紙には英字で「CHRONO NOTE」と書かれている。

 ページをめくると、見覚えのある筆跡が目に入った。


 > 『天城蒼真へ』

 > 『このノートを見つけたということは、もう始まってしまったんだろう。』

 > 『この夏、君は“世界の終わり”を止めなければならない。』


 「……は?」

 思わず声が漏れた。

 冗談にしては手が込んでいる。だが、確かにその文字は自分の字だった。

 日付の欄には、三年後の“8月15日”。


 “未来の自分”からの手紙?

 そんな馬鹿な、と思いつつ、手が震えていた。


 風がページをめくり、最後の行だけが、夏の光に照らされた。


 > 『もし信じられないなら、明日の放課後、真白が笑う理由を見てみろ。』


 その瞬間、屋上の風が止まった。

 蝉の声も、遠い車の音も消えた。

 ただ、心臓の鼓動だけがやけに鮮明に響いていた。


 蒼真はノートを閉じ、ゆっくりと息を吐いた。

 「……くだらねぇ。そんなわけ——」


 でも、翌日の放課後、

 真白がいつものように笑ったとき、彼女の手には一通の封筒が握られていた。


 「ねえ蒼真、信じられる? 私の絵、コンクールに選ばれたんだって!」


 その笑顔を見た瞬間、蒼真の背筋に冷たいものが走った。

 ——まさか、本当に。


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