膝の上の獣
獣人というのは、厄介だ。
獣人は、獣として生まれ、獣ではないと発語で知らせる。発語がなければ、それはただの獣だ。変幻しようと獣でしかない。
言葉、それが獣人と獣を分かつところ。
言葉がとなるのは、獣人の信仰による。創生の神より言葉を与えられた獣が獣人となり、その他はすべて獣のままであると。
そうでもないと同族を食い殺すものたちを同族にまとめられなかっただろうから、当時の宗教家が苦労してひねり出したんだろう。
一方で、人はもっと単純で、神の似姿と言われる。それゆえに神に近いと傲慢をかましては、他種族にボコられる。そして、大人しくなっては数を増やし、繰り返す愚かさがある。
さて、私、というのは、人である。割と貴重な純血種であり、特殊事情がある個体だ。そんなわけで、いつもは人の国のある場所に隔離されているが、時折、折衝に駆り出される。
長い記憶と記録と処世術を期待されてだ。
今回は獣人相手だった。
物を言わぬ貴族の娘。御年5歳。遅くとも4歳には発語があるはずなのに、全く話さない。しかし、なにも理解していないわけでもない。
これは獣か獣人か。その判定をされる前に、人に教育してもらおうという話だった。
神の似姿である人。神が与えし言葉を一番に使うという主張をしているから、こんな目にあう。本当に神が言葉を与えたのかというところからすでにあやしくはある。
ただ、この世で観測されている言葉は同じものを語源とし、おおよそ同じ形であるということから最初の言葉というやつはあるらしいと推測されている。
「お嬢様、あたらしい教育係です」
使用人に案内されていった先の部屋は殺風景だった。なにもない冷たい部屋。そうなるには理由もあった。
獣人であるわけでもないものを手厚く遇すると獣を偏愛する博愛主義者と嘲笑される。庶民ですら冷たい目で見られるのに、貴族ともなれば致命的な傷だ。
がりがりの目ばかり大きい子供は怯えたように私を見上げた。
床に置かれた皿に目を向ける。残されたのは肉ばかり。
草ばかり食って生きていけるわけもない。そういう理解はしているのか。
「お嬢様、私は外から来ました。
一日ほどのお付き合いですが、よろしくお願いします」
彼女は戸惑ったような頷きをした。彼女は狼の獣人であるらしい。人のような顔と姿で、本当は人なのではないかと思うくらいだが、その目が獣眼だ。
3代は別種の血が混じっていないというところから、それなりの血の濃さがある。番う相手もすでにいるというのに、話せないと両親が嘆くわけだ。
私もそういう身の上なので、はあ? ふざけんな。という気持ちはあるが、それを表に出したところでいいことはない。
思想以外は自由にならぬ身の上は大変だ。
「まず、お嬢様はご自身の状況をお知りですか?」
「お客様、その話は」
「死ぬとわかれば死ぬ気を出すかもしれないではないですか。
もう、あとはない。その崖っぷちまで、ご両親は守ってくれたということを知るべきです」
打算にまみれていても、まだ、放り投げず、殺しもせず、養っているだけで温情がある。そのくらい、獣人は獣との差をつける。
同じ家に獣を出しただけで、その血は汚れていたのだと言われるほどに。その後、他の兄弟に縁談が得られることはない。つまりは、断絶が待っている。
それならば知らぬうちに事故死してもらうほうが、とても良い。
それを考えると一縷の望みで私に願うほどには、情はある。
「獣は、言葉を話しません。
というのは実は違います。
獣は獣の言葉を話します。それを我々が理解できないだけです。そういう耳も声ももっていない。
では、お嬢様は、獣の言葉は理解できますか?」
少し考えて彼女は首を横に振った。獣の言葉を知らず、人の言葉は理解している。しかし、話さない。これなら諦めがつかないということもわかる。
「では、一言でもなにか話していただければすべて解決します。
あなたは、名前を得てこの家で獣人として扱われ幸せになれるでしょう」
我ながら嘘くさい話だ。
しあわせ。
改めてなにもない冷えた部屋を見回した。温かい布団、ちゃんとした食事、抱きしめてくれる腕、そんなものでも幸せになるかもしれない。
彼女は口をひらきかけて、閉じた。なにかに怯えるように。
ここにいるのは私と最初からいた使用人だ。しかし、どちらを見るでもなかった。
天井、と視線を上に向けようとすると焦ったように彼女は私の服をひいた。
誰かと目があった気がした。なにもないただの木目の天井で。
「……ああ、まだいたんだ、あいつ」
それが記憶にある気配だと気がついた。私としたことが、アレの領域だったということを忘れていた。もう朽ちたと思ってたんだけど。封印じゃ甘かったかな。
それにしても今頃私に気がついて? というのも変な気がした。
それなら、誰が? と見回せば怯えて震えながらも私を心配するように首を横に振る彼女。
何処かからの視線。
それで合点がいった。
「わかりました。
ぶっ殺せばいいんですね。怖いですよね、あんなの」
驚いたように目を見開いた彼女に微笑んだ。
「私、負けないのでご安心ください」
お嬢様をさらってしまうことにした。
部屋にいた使用人を、え? と言われているうちに両手、両足縛って転がした。強盗の手口とそしられたこともあるが役に立つ。
そのまま軽い彼女を小脇に抱えて、窓から外に出た。鍵のかかっていない窓はどこか迷いのある両親の気持ちのようだった。
何処かに行ってほしいような、しかし、奇跡を願うような。
まあ、悩みは消えるのだからホッとしてくれるだろう。
私は迷わず、屋敷を出た。獣人の子をさらった場合には、探されるだろうが獣ならば探すこともできない。彼女はまだ判定はついていないが半ば以上獣と思われているのだから探しはしないだろう。
獣人の国というのは、平原と森が適度に混ざっている。この地域は森に近い。都合の良いとそのまま森へ逃げ込んだ。
全く、同じものをほうっておくわけにはいかないという人の良さを投げ捨てたくなる。
私、というのは、本当は、私たちだ。純血主義のやべぇ奴らが作った怨念。
そう遠くもない昔、不老不死を願ったものがいた。それも当人ではなく周囲がである。その思念を閉じ込めて、他の誰かに押し付けてその人にさせてしまう、ということをした。自我が芽生え始めるほどの子供の頃に、混ぜ合わせて。
成長して、30にもなると思念を吸われて誰かに押し付けられる。思念を抜かれた私だったものは、なにもかも忘れてそのまま生きていく。
それを幾代も繰り返し繰り返してきた。私たちの記憶も引き継いで。
その記憶の中に、自分のせいで番を失って、その番がもう一度生まれるまで待つ竜についてあった。番は基本的には一生のうちに一人だが、竜ほどに長く生きていれば番がもうひとり現れることもある。ただし、以前の番と同じではない。
その齟齬を埋めるのは、私たちの不老不死と同じことをすれば良いと言っていた。だから、この国に読んだと。気持ち悪くて、情報を外に出さぬように禁令を出したのだけど、多分遅かったんだ。私ではなく周囲を知識を食って得た。
竜は人の頭を覗くとかいう噂を本気にしておけばよかった。そして、封じるだけじゃやっぱり駄目だった。
森の中の泉の近くについてようやく足を止めた。
ぐったりした彼女を介抱して、落ち着いた頃に問う。
「君は前世があるね?」
戸惑うような顔で彼女は頷いた。
あの竜は私たちと同じように、彼女のまがい物を誰かに押し付ける形で番をつくった。
そして、生まれたはずの番である子供は、彼女であるがゆえに拒否をした。
獣であるうちは、番には選ばれない。獣であるから。
獣人とみなされれば、何よりも優先される。
番というシステムも不合理だ。これも神々の与えし、愛、であると規定されているのが最悪だ。これがお互いにということはないのだ。相手が勝手に主張し、受け入れなければいけないと強要する。
私からすれば、なんて欠陥! というところだ。
「では、私の知っている昔話をしましょう。
それで間違っているところがあれば首を横に振り、あっていれば縦に振る。それでお願いします」
真剣な面持ちで彼女は頷く。
そんなに長い話でもない。
竜の番は、人の子で、普通の田舎に生まれ、獣人など一度も見たことのないものだった。初めて会った獣人にさらわれ、彼女は怯えた。しかし、竜の優しさに絆され、一度は応じた。
そこで終われば、ハッピーエンド。
しかし、日常は続き、竜は自分の屋敷に連れ帰った。竜は特別だと崇められていたために、普通の人である番は歓迎されなかった。なにか禍々しい手段で竜を魅了したのではないかと誰からともなく話をはじめ、竜のいないところでは番の娘はいないように扱われた。
最悪なのは、竜は、気がつかなかったことだ。
番が一番大事というくせに、その変化は気がつかなかった。種族の違いでわからないというのならば、わかるものを側におき管理すればいいものをそれすら考えつかない。
竜は困り果てた結果、弱っていく番に己の血肉を食わせようとした。
人には毒と知らずに。
「あれはないな。獣人同士なら竜の血は強力な薬だという話だけど、復活か死かという二択。それもだいぶ苦しむと知ってうわぁと思ったもの」
目のまえの童女はうんうんと頷いている。
「竜は、わからない。本当に、わからなかったんだ。同じ形をしながらも同じではなかった。
アレより強いものはなく、嫉妬もつまらない悪意も知らない。崇められるだけの純粋な守護者、だった」
首をかしげる彼女に私は笑った。
この後の話は、彼女の前世にはないだろう。死んだ後の話だ。そして、子供に話して聞かせるようなものでもない。
「番を失った竜は、この世のすべてを恨む邪竜になり、どこぞへ去った。
その去った後の竜に私は会ったことがある。その時にきちんと言ったんだが、決裂したんだよ。とどめを刺しておけばよかった」
人と獣人の区別もつかず、何もかもを滅ぼそうとするような害悪。
それでも、その狂った理由に少しばかりの同情をした。それが間違い。
「ごめんね。
君の苦しみは私のせいだ。大丈夫、私は、世界の誰よりも強い」
わからないという顔をされたけれど、わからないように、言ったからね。
私たちは、かつていた英雄の似姿。
ずっといて欲しいと願ったものにより、怨霊になったもの。
私は私に意識を渡す。あの戦闘狂なら、楽しくやってくれるだろう。
「物言わぬものは獣。
それは獣人の理。ならば、言葉のない竜もすでに獣。獣を狩るのは容易だ」
にっと私は笑う。怯えたような童女の頭をわしわしと撫でる。
先ほどまでの優しげに笑うモノではないと気がついている。賢い子である。
「この丸から出るな。なにがあっても。
一言もいうな。なにがあっても」
禁忌を重ね掛けて呪いにする。賢くとも、言われたことを守るようには思えない。自分以外など信頼するに値せず、善意も悪意もすべて意味もない。
私は、私たちだけでいい。
そうしている間に、泉の上にそれは現れる。
麗しかった白銀の鱗は半ば剥がれ落ち、赤黒い肌を晒す。
どんなものより手触りの良かった白い髪は黒く染まる。
角は一つは半ばから折られ、一つはない。
宝玉を持つ手は切り落とされ、赤黒いまま。
人の形も取ることもせず、人の肌の色は残されている。
目だけは、輝いて、自らの番だけを見ていた。
その番が怯えているということにすら気がつかず、口元をゆがめた。
漏れる声は、ただの音。
番の匂いを纏った番ではないもの。それは冷静な時ですら耐えられないという。その話が本当と思えるほどに、竜の殺意は強い。
「この世の最強だったもの。私がまみえることもないと思っていたのになぁ」
私は心底楽しかった。
既に前の私が倒したと聞いていたから。地団太を踏んでも生き返りもしない。それが嘘だったというのは腹が立つが、今なら帳消しでいい。
手に負えるかとか、そういう話ではない。
「我こそが、人の英雄である。
落ちた獣の討伐をする」
ただの肉塊にするのだ。
私も無手で龍と戦うほど無謀ではない。入国するには問題のないレベルの武器は携帯している。剣としては短く、短剣というには長い獲物は体にあわせたものだ。
さて、竜の鱗は物理最強と言われる。剥がれているならば、皮を割くのは容易い。ということはなかった。
早速折れた。聖剣でもパクってくればよかった。
一旦投げ捨てて、道具箱に手を突っ込む。どこまでも続く無限の隙間にあらゆるものが突っ込まれている。ソートすらさせてないので、なんかつえーのと念じて取り出した。
地味な剣だった。
「悪くないが」
取り出した光の剣は、鞘から抜いたら勝手に光が現れる。刀身が光そのものだから壊れないというのは、大事だ。ただ、闇の剣のほうが良かった。
相手は少しも加減もせず、遅いくるなか鞘を捨てた。自分の身長ほどの光が現れた。
「おお、切れる。良かった良かった」
ならば、細切れになるまで、やれば済む。
竜の爪は鋭いが、私に届く前に光の剣に焼かれる。焦げた臭いがあたりを充満しているが、本人は気にした風もない。
あるいはそんな余裕もない。
強くはあるが単調な動きになるのは、理性のなさが原因だろう。ただの一撃が死へと直結するなら、小技なんぞいらない。
相手がなんだか、おかしいぞ、と思えるくらいの脳がないのは幸いであると思うべきなんだろうが。
その中で怨念じみた番へ近づこうとする動きが気持ち悪い。
ちらりと童女へ視線を向ければ、ぎゅっと目をつぶって、耳を抑えていた。賢い。余計ななにかをすべて排除して、身を守ることを知っている。
そして、そんなのは、本当は知らなくていいコトだ。
「すぐにおわらせる」
腕を焼き、髪を焼き、肌を割き、骨を折ってすら、竜は動くことをやめなかった。
ただ一人の番だけを欲するように。
「いやぁ、最高にキモい」
人により純愛を感じたりもするかもしれないが私には妄執にしか……。
「死ね」
最後まで残した逆鱗を刺した。
少しは、期待した。
やっぱり、ごめん、なんていうと死ぬ種族だったな。
「終わったよ。
もう出てきてもいい。話をしても」
童女は首を横に振った。
「家に戻る?」
その問いにも首を横に振った。私はちょっと困った。ちょっとなのは、やっぱり、という気持ちが半分くらいあったからだ。
「じゃあ、私を殺すのかな」
彼女は驚いたように顔を上げてぶんぶんと首を横に振った。それから、服の裾を掴む。
「ああ、一緒にいきたい?」
うんうんと必死に訴える。私はどうしようかなと思案した。
「わかった」
ひとまずは、連れて帰ろう。やつがなにをどこまで知ったのか、調べなければならないし。
私と彼女は元の屋敷に戻った。何事もなかったかのようにそこに。
少々森までとにこやかに語る私に彼女の両親はなにか言いかけてやめた。
森で、見つかったんだろう。
死んだ、邪竜が。
あんな大騒動して見つからぬわけがない。
「お子さんは珍しい症例のようですので、本国で治療をしようと思います。そのほうがよろしいでしょう?」
母親のほうが、どうぞ、よろしくお願いしますと口にした。父親は黙ったままで。
異論はないというならばとさっさと国外に連れ出すことにした。一応は、この国の王に告げておいた。邪魔者はちゃんと処分できたかなって。
余計なことばかりをする本国の人も処分しておきたいところだけど、戦闘狂が楽しかったというなら見逃しても良い。
私は戦利品として、童女を連れて帰った。
彼女は今しばらくは獣のままでいるらしい。実は字を書けたので意思疎通はできた。私も番を見つけてしまうのが怖いからと綴った文字は震えている。
その可能性は低いが、怖くもあるだろう。あの妄執は。
だから、まあ、しばらくは膝の上にのせてわたしの獣として可愛がろうと思う。今の私が、私である間は。
いっぱいいる私が、すべて同性ということもないので、私の性別自認は行方不明です。表に出ている個別にはなんとなくあります。




