4-06 推しの最下位アイドルが義妹になった
主人公の推しは人気グループの万年最下位アイドル、シオン。
とても可愛いけれど歌も踊りも下手、不愛想。そんな彼女の余りグッズをせっせと買い集めていたある日、母親から再婚することを伝えられた。
そして顔合わせの日に家に来たのは――シオン、その子だった。
卑屈最下位アイドルと、強火ぎみファンのお話。
な、なんで……。
自分の部屋で俺は呆然と突っ立っていた。
ドアの目の前には長い黒髪に紫がかった大きな目の、誰もが振り向く美少女がいる。
なんで、俺の推しのシオンが、部屋の前にいるんだよ!?
◇
「昨日の配信見た?」「見た!」始業時間少し前、下駄箱で喧騒と共にそんな声が行き交う。
「やっぱりレイのダンスが最高だよなぁ」
そう言って彼らは携帯を囲んだ。再生されているのは、すでに五十万再生突破しているとある五人組アイドルの新曲配信だ。
「やっぱ一番可愛いのはアカネだろ。この歌唱力女神」
「それに比べて、シオンのソロ」
動画の端で踊っている少女を指す。
「トークもできないし愛想ない、歌も下手踊りも下手。『すたんりぃ☆』のお荷物すぎね?」
「……おい」
「ひっ」
声をかけたのは高校生にしてはガタイのいい身体、金髪にピアス姿の人物だ。いかつい人物に見下ろされて、彼らはダッシュで逃げた。
◇
今、確かに、すたんりぃ☆の話をしてたよな!
俺は蜘蛛の子を散らすように逃げていく同級生を見送った。
今日も推しアイドルの話に入れなかったことに、大きな身体を丸める。窓に映るのは、コワモテにイカつい金髪。視線を向けると誰も彼も逃げていく。
好きでこうしているわけではない。
昔からガタイがいいため、なにかと難癖つけられやすいので、金髪とピアスで威嚇しているのである。
「……で、すたんりぃ☆がさ……ひっ」
廊下で聞こえたキーワードにぐるんと振り向くが、やはり逃げられた。
誰も近寄らない自分の机で、一人静かに動画を見る。
流れていくのは、グループの上位人気のアカネやレイへのコメントばかり。それだけならともかく、『シオンいる?』『ダンス下手すぎ』『ワンフレーズしかもらってないww』などのひどい言葉が。
「――なんでだよ、シオン可愛いじゃんか! みんな全然わかってねぇ!」
俺はシオングッズで溢れかえる自室で叫んだ。
壁一面に貼られたバッジやポスター、棚にずらりと並ぶのはアクリルスタンド。
自分でも痛いファンだというのはわかっているが、通販で売れ残っているのを見ると購入せずにはいられない。ちなみに母子家庭で金に余裕はないので、バイト三昧生活で手に入れたお宝だ。
そこで玄関が開く音がしたので、廊下に顔を出す。帰ってきたのは母親だ。
「ただいまー、ああいい匂い」
安売りしていたあさりで作った和風パスタの匂いが、狭いアパートの部屋にただよっている。
「お帰り。俺、もうバイト行くから」
うちの母親は看護師だ。
父は交通事故で俺が小さい頃亡くなって、女手一つでここまで育ててくれた。手当の多い夜勤シフトの場合も多いので、俺が家事をすることになっている。
俺の顔を見て母が顔を真剣なものにした。
「……亨、ちょっと話したいことがあるんだけど」
「なんだよ改まって」
「お母さん、再婚したい人がいるの」
「っマジか!」
高校生の息子がいると思えないほど若い母親だから、そういうことになるかもしれないとは思っていた。
「相手はこの間まで入院してた患者さんでね、話しているうちに仲良くなって……それで」
「よかったじゃん!」
そこでようやく、母は詰めていた息を吐いた。
「ありがとう、でね、向こうにも、あんたの一つ下の娘さんがいるらしくて。今度、うちで顔を合わせることになったんだけど」
「ええ……うちのボロアパートと俺の姿見たら結婚相手逃げんじゃない?」
「そういう人じゃないし、あんたもアパートも見た目の割にしっかりしてるから大丈夫。あの部屋はどうかと思うけど」
うるさい。
それにしてもこの年で妹ができるとは、人生わからないものである。
そして顔合わせ当日。
俺は部屋の鏡に向かって首をひねった。
母の再婚相手は大きな会社を経営しているらしい。少し古いけど、父のニットを借りて鏡の前で合わせていると、トントン、とドアをノックされた。
「母さん?」
ドアを開けると――そこに、すたんりぃ☆のシオンが立っていた。
「……え」
何度も動画やグッズで見た綺麗な黒髪、外国の血が入っていると噂の紫がかった大きな目。フリルのついた白いブラウスに、長い黒のロングスカート。
彼女もこちらを見て目を見開いている。
いや、見ているのは俺じゃなくて部屋中に置かれ貼られ祀られている、シオン公式グッズ。その中には、水着などのものも含まれ……。
「っうわあああ!」
ボロアパートが壊れる勢いで扉を閉めた。すぐにばたばたとこちらに近づく母の足音がする。
「ちょっと! 汐ちゃんってあんたの崇拝するアイドルに似て……」
「うわぁぁあ!」
「わあああ!」
余計なことを言われる前にと、もう一度扉を開けると、同じく顔を青ざめたシオンが母親を俺の部屋に押し込む。
シオンは、部屋のことなど目に入らない様子で手を組んで小声で叫んだ。
「――お願いです、アイドルしてることはパパには内緒にしてください!」
「こちらは娘の汐だよ」
狭い我が家のテーブルについてにこやかに話すのは、母よりも少し年上の落ち着いた男の人だ。
挨拶された汐ことシオンは無言で頭を下げた。
母と、再婚相手が楽しそうに喋っている中、つくっておいた料理をテーブルに運ぶ。こういうとき、やることがあるのはありがたい。
「聞いていたとおり亨君の料理とても美味しいね。ほら、汐も食べなさい」
「……」
汐がようやく箸を持って、サラダを食べる。そこでぱっと表情が明るくなった。
そのままもきゅもきゅとウサギのように食べてくれている。バイト先で教えてもらった特製ドレッシングがお気に召したようだ。
「素晴らしいですね。お恥ずかしながら、うちの子は遊び回ってばかりで」
「パパには関係ないでしょ」
「汐~」
きっと家にいないのはアイドル活動を頑張ってるからだろう。
それを家族である彼が知らないことが悔しい。
食事が終わった後、汐が言った。
「部屋、見せて」
「こら汐! 亨くんにちゃんと敬語を使いなさい」
「い、いや、俺は別に……」
「見せて」
有無を言わせない口調。見せていいのだろうか。しかし大きな目で見つめられると「はい」しか返せない。
「二人並ぶと犯罪臭がすごい」と言う母を睨んで、汐を部屋に案内する。
グッズを隠す時間も与えられず、身の置き所がない俺は入り口で切腹を待つ武士のように正座した。
汐は改めて俺の部屋を眺めて、口を開いた。
「きもちわる」
辛辣!
「いや、あの、否定しないけど……グッズ全部買ってたら結果的にそうなっただけで……」
「こんなに買う奴コンサートで見たことないけど」
「……ファンクラブ入ってるけど、ことごとくチケットが外れて……っ、当たっても急にバイトで病人出て」
ごにょごにょと不運を告げる。汐はどうでもよさそうに「ふうん」と呟いた。持ち上げたのは水着タペストリー。
ジロジロ見たあと、それと同じ顔で、上目遣いで言う。
「『お兄ちゃん』、こういうの好きなんだ?」
スキデス。公式だし! 健全な男子高校生としてファンなら買うだろ!
「し、汐さん、そろそろ」
「……どうして」
そこで小さく呟く声がして、汐が俺を見る。
眉をひそめた苦しそうな表情で。
「シオンなんかより、レイやアカネのほうがいいでしょ」
「え……」
「愛想もないしダンスも歌も下手だし、すたんりぃ☆のお荷物で……」
思わず無言のまま立ち上がっていた。そのまま、汐の前に立つ。
わずかに彼女が怯むように息を呑んだ。
「――そんなこと、ない」
俺がシオンを初めて知ったのは、偶然商業施設であったショーだ。
まだ駆け出しアイドルグループのすたんりぃ☆が踊っていて……そのステージの端っこにいて、歌もワンフレーズしかなくてでも一生懸命に踊るシオンの姿を見て胸を貫かれたのだ。
顔は無愛想だけど楽しくて仕方がないっていうのが伝わってきた。
それからもライブや動画で頑張ってるシオンにどれだけ救われたか。
「こんななりで、ケンカに絡まれて怪我をして学校を休むことも多かったから……最下位がどれだけ辛いかは落ちこぼれの俺がわかっている。でも、シオンが頑張ってるから俺も頑張ろうって思えるんだ」
べらべら話した後、汐が無言で見上げていることに気づく。
「あ、いや、汐、ちゃんは俺よりもっと大変だよな」
そこで俺を見て彼女の口元が持ち上がる。
――微笑んだ。
「……こんな変なファンがいるなら、もうちょっとだけ、アイドルを頑張ってみようかな」
どの動画にもない、その奇跡のような笑顔を見て、俺はその場に膝をついた。
「――か……」
もうちょっとってどういうこと、もしかしてやめる気だったのか、そんな言葉が巡るがそれより。
「…………、……解釈違い……っ」
脳みそが混乱して吐き気がする。
「し、シオンが微笑むなんてあり得ない! あの子はそんなファンサはしねぇ!!」
「……」
うずくまる俺を前に冷ややかな表情になった汐が、壁に飾っているシオンの水着タペストリーをひっぺがした。
「これは没収!」
「あああっ! ご慈悲をおおおお!」
しかし嘆願は認められず、タペストリーとともに扉は閉められた。
◇
足音大きく、汐はこれから兄になる人の部屋を出た。
その頬は真っ赤で目元は泣きそうに潤んでいる。
けれど、口元は嬉しそうに持ち上がっていた。