4-02 呪われ魔術師は眠りから覚め幼女を拾う
雪と氷に閉ざされた森の奥、呪いを受けて眠っていた魔術師は目覚めた。
解けるはずのない呪いは彼と周囲を凍らせ永遠に眠らせるはずだった。
しかし、かつての仲間の子孫である少女と出会い、魔術師の呪いは解ける。
これは子どもとほとんど関わったことがないオジさん(ただし魔術師としては最強)が、突然の育児に奮闘し、世界を救い、幸せを見つけるかもしれない物語。
「――まさか、あの状況から目覚めるとは」
ラウルはしばらくの間、茶色の無精髭をいじりつつ緑色の目で天井を眺めていた。
周囲は水晶の結晶のような氷に囲われている。
一部の氷が溶けたのか、寝床はびしゃびしゃ……服まで濡れてしまった。
彼は、不快さに顔をしかめながら起き上がった。
「あれから、どれぐらい経った……?」
ラウルは、もう目覚めないはずだった。
……激闘の末、渾身の一撃で魔獣を倒したはいいが呪いを受けてしまったのだ。
死に際に魔獣が放った氷の呪いはラウルの全身を凍り付かせた。
ラウルはもう目覚めることはないと覚悟した……顔が凍り付いてしまう直前、仲間にも笑顔で別れを告げたはずだ。
「だが、間違いなく生きている」
――起き上がると、周囲の氷は溶けかけていた。
「花……?」
寝床のすぐ横に、花が落ちていた。
それは恐らく、仲間がラウルのために手向けたものだろう。
未だ色鮮やかな花の一つを拾い上げ、彼はため息をついた。
「この花も氷に閉じ込められていたのか? 花は今朝摘んできたばかりのように見えるが、家の劣化具合からいって数十年は経っていそうだ」
ラウルは無意識に顎を触った。
無精髭が生えているが、呪われたときと長さが全く変わらない。
氷の中だけ時間が止まっていたようだ、とラウルは思った。
それにしても、凍ってしまったラウルを森の奥にある自宅まで連れてくるのは至難の業だっただろう。
あの呪いは周囲を凍らせる。手向けられた花を閉じ込めてしまったように……だからきっと命懸けだったに違いない。
「放っておけば、よかったものを」
しかしラウルはわかっている。いつか目覚めると信じて、自身が危険にさらされようと仲間の体を保護しようとする。彼はそういう男なのだ。
『……何言っているんだよ、ラウル。それが仲間ってもんだろ?』
――耳元で彼の声が聞こえた気がした。
アディス・レイエス。彼はラウルが素直に頷けないようなことばかり言う男だった。
彼は生きているだろうか。もしかすると年寄りになっているだろうか……あるいは。
いや、もしかしたら建物の劣化が何らかの理由で早かっただけという可能性もある。
「確かめに行くか」
ラウルは寝台から降りた。
彼が歩むたびに、霜柱が生まれ、靴底が小気味よい音を立てる。
呪いが解けたわけではないようだ。だが何らかの理由で弱まっていることは確かだ。
――サクサクと霜柱を踏みしめて、ラウルは歩き出した。
◇◇◇
溶けかけた樹氷が、日差しを浴びてキラキラと輝いている。
……しかしラウルが触れれば再び凍る。
「氷が溶けたのには、呪い以外の要因があるのか」
進んでいくと、氷の世界に突然春が訪れた。
茶色い地面が所々顔を出し、氷が溶けた部分からは小さな花が咲いている。
――さらに進んでいくと一人の少女が倒れていた。
年の頃、五歳くらいだろうか。
彼女の周りだけは雪も氷も溶けて、完全に春が訪れていた。
「暑っ……春というより夏だな」
汗ばむほど暑い。少女が熱を発しているのだろうか……。
「俺の家は人里離れた森の奥。こんな場所になぜ子どもが……これは訳ありか」
ラウルが近づくと再び地面が凍り付く。
しかし少女の小さな体からは絶えず炎が生まれ雪を溶かす。
その炎の色は金色……普通の炎ではないことは明らかだ。
「呪いのせいで周囲が凍り付いているからこの程度ですんでいるんだな……おそらく魔力暴走……氷と火属性の魔力は打ち消し合う。俺が触れたらもしかすると収まるか?」
少女は生まれつき火属性の魔力が強いのだろう。
魔力が強い子どもは成長の過程で体内の魔力が荒れ狂う魔力暴走を起こすことがある。
そしてそのほとんどは周囲を破壊した上で死に至る。
「火属性の魔力暴走は最悪だ……下手をすれば村が一つ燃え尽きる」
だから魔力が強い者は少なく、貴重であり、それと同時に周囲から忌避される。
「子どもは苦手なんだが」
しかし、そう口にした途端、アディス・レイエス――仲間だった彼の声が脳裏に浮かぶ。
『ラウルは子どもが嫌いなんじゃない。接した経験が少ないだけだ』
子どもときたら、ラウルを見れば恐れるし、逃げるし、いたずらしてくる厄介な存在だ。
貧民街で生まれ育ったラウルが知るかぎり、子どもとはそういうものだった。
「ラウルが接してきた子どもは、違うのか?」
少女の足はまだ小さい――しかも素足だ。
「なんで、靴すら履いていない……こんな雪の中で」
ラウルの体内の魔力はまだ回復していないが、出来る限り呪いを抑え込む。そして恐る恐る少女に触れた。
その直後、少女の体から生まれていた金色の炎は一際強く輝いて、生き物のようにラウルの体を包み込んだ。
◇◇◇
――名前すらわからない子ども、雪の中に靴も履かずに一人きり。
そして、彼女の魔力はラウルの呪いを解いた。
「火属性の魔力……アディスを思い出すな」
アディスは火属性の魔力が強かった。アディスとの付き合いは、彼の魔力暴走を魔術師であるラウルが助けたことが始まりだ。
そのとき、雲の間から光が差し込み少女の首元が金色に輝いた。
「――はあ、なるほど」
ペンダントに彫られた紋章は、よく知っているものだ。
それは――レイエス伯爵家の紋章……。
「つまり、アディスは死んだか」
ラウルはため息をついた。
これだけの情報では確証がないと言われるかもしれないが、ラウルは確信していた。
自身の家門に連なる少女が魔力暴走を起こしたとき、彼が放っておくはずがないのだ。
それどころか、彼ならば命懸けで助けるだろう――凍り付いたラウルの体が保護されていたように。
しかし、少女は靴も履かされずに氷に閉ざされた森に放置されていた。
「それとも、何らかの理由で助けることができなかった?」
真相を知るにはまずは少女を助ける必要があるだろう。
ラウルは自らの手に、魔力を集めてみた。
呪いにより凍り付いていた魔力は、以前のように循環している。
自由に魔法を使うことができそうだ。
ラウルは少女を抱き上げると、自宅への道を引き返した。
◇◇◇
「ん……?」
「起きたか」
「ここは?」
少女が目を覚ます。
ラウルの呪いを相殺して、魔力暴走はいったん沈静化したようだ。
「とりあえず、飯か」
ラウルが指先を振れば、少しだけ溶け残っていた雪から雪玉が出来た。
さらに指を振ると、たくさんの小さな雪だるまが出来上がる。
それらは、ラウルの指示通りに動き、森の中から食材を集めてきた。
ラウルは食材を鍋に放り込んでスープを作る。
「ゆきだるまさん!」
「あ、触ってくれるな。魔力暴走が落ち着いたからといって、火属性の力が強いお前が触ったらすぐに溶けちまう」
「……わかった」
少女は聞き分けがいい。それに行儀よく座っている。
放置されて薄汚れているが、着ている服も上等なものだ。
ラウルが少女のことを観察していると、その視線に気がついたのか、彼女は首をかしげて口を開いた。
「ねえ……もしかしてオジさんはでんせつのまほうつかい?」
「は?」
「おうちの庭にでんせつのまほうつかいの像があるの。それにそっくり」
「おいおい、あいつなんてことを!」
アディスにはそんなところがあった。
彼の善意か悪戯かよくわからない行動に、ラウルはいつも翻弄されていた。
「……ぴえ」
「わわ、泣くな! お前に怒ったんじゃない……えっと、レイエス?」
家名を呼ぶと少女は深紅の目を見開いて次いでニッコリと笑った。
黒髪に深紅の瞳――彼と同じ色合いの彼女はやはりアディスの血縁なのだろう。
「シェリア・レイエスというの」
「そうか、とりあえず食べろ。使えそうなものが塩しかないから素材の味だけだが……」
「美味しい……」
「泣くなよ」
「うっ、うん……」
そうこうしているうちに、シェリアはお腹がいっぱいになったのか、テーブルに突っ伏して眠ってしまった。
「はあ……とりあえず。寝場所だけはなんとかしないとな」
部屋の中は劣化している上に水浸しだ。
ラウルはため息をつくと目覚めたばかりでまだ回復しきっていない魔力を絞り出して、もう一度魔法を使い、寝床だけは乾燥させたのだった。





