4-19 5度のループ、僕と君の9度の失恋。
何度目かの君の死、繰り返される一年。天笠蒼は幼馴染みである彩雨雫に告白をし「好きな人がいる」と振られた日から雫が想い人に振られるまでの一年間を五度繰り返していた。
彼女の死を回避するためにその原因だと予想した彼女の失恋を回避しようとするがーー。
もう四度、同じ光景を目にする。デジャビュなんかじゃない。この繰り返される瞬間が、まるで運命に刻まれているかのような確かな感覚が、この後に巻き起こるだろう悲劇的な事象の否定を必死に願わせる。
高校の中庭。放課後になれば全くと言っていいほど人気のないこの場所で、俺は物陰に隠れながら目の前の二人を見つめていた。やや小柄で長い黒髪が特徴的な女子生徒と、ハーフなのか端正な顔立ちをした、まるで絵画から抜け出してきたかのような美形な男子生徒。
二人の距離感が、これから起こる出来事を暗示しているようで、胸が締め付けられる。
「ごめんね、君の気持ちには応えられないかな」
断り慣れているのだろう。彼の声色は柔らかく、しかし決定的な拒絶を含んでいた。
まるで練習を重ねたかのような完璧な断り方。そんなあっさりと答えないでもう少し彼女をちゃんと見てやってくれ。たった今幼馴染である彩雨雫を振った男に対し、抑えきれない憤りを覚えるけれど、覗いている身で介入するのはたとえどんなに割り込んでいきたくとも違う。と、震える手で握っていた拳をゆっくりと解く。
「そう……ありがとう」
雫の静かな回答を聞いて、彼はその場から優雅に立ち去っていった。震えた手で胸元をそっと押さえ、彼の背を無表情ながらにじっと眺める雫。その姿から、諦めきれないという思いが伝わってくる。静寂の中に漂う彼女の痛みが、まるで目に見えるかのようだった。
その痛々しさで、自分の心臓が引き裂けそうだ。彼の背が見えなくなって、ほっと小さな息を吐いた彼女は、まるで最初から知っていたかのように物陰に隠れていた俺の元へと、揺れる黒髪を靡かせながら歩いてきた。
「ありがとう、でも協力してくれたのに、ごめんね」
何度もこの光景に立ち会ってきたけど、雫が俺に声をかけてくれるなんて初めてだった。その予想外の展開に固まっていれば、彼女はこの場から逃げ出すように駆けだして行った。その背中に浮かぶ既視感と、わずかながらに見えた彼女の目にたまる涙、思考が急激に動き出す。まずい。非常にまずい。
このままだと、また雫が死ぬ。
「待ってくれ!」
必死の叫び声は、彼女を止める手段にはなりえなかった。わかってる。前だってそうだったのだから、それでも叫ばずにはいられなかった。その声には、これまでの幾度もの失敗から生まれた深い絶望と、切迫した焦りが詰まっていた。まるで魂そのものが叫んでいるかのように。
今すぐ追いついて、あの信号を渡る前に止めなければきっとその先は最悪な結末しか待っていない。その切実な思いたちが脳裏を支配する中、突如として激しい突風と冷たい雨粒が視界を遮った。水滴の幕が大切な人との距離を容赦なく広げていく。
まるで運命そのものが、彼女の悲しい行く末は既に確定しているのだと言いたげに邪魔をする。それでも必死に足を動かして、あと数十センチのところまで来たその時――。
突然の雨でスリップし、制御を失って横転したトラックが俺の目の前から彼女を無慈悲に消し去った。轟音と共に、世界が一瞬にして歪んでいく。周囲の喧騒が遠のき、体中の感覚が薄れていく。早鐘を打つ自分の狂おしい鼓動だけが、やけに鮮明に耳に響き渡る。世界が一瞬にして色を失い、音も匂いも、すべてが遠ざかっていく。まるで悪夢の中にいるかのように。
まるで、自分の意識だけが現実から切り離されたかのように。
「し、ずく……」
暫く呼吸すら忘れ、横転したトラックから静かに流れ出る色づいた水たまりを虚ろに見つめ、自分の震える口から漏れたのは彼女の名前だけ。冷たい雨は叩きつけるように容赦なく降り続け、水たまりの色を少しずつ薄めてゆく。
だめだった。今回も結局、同じ結末を迎えてしまった。時間も日付も、場所も状況も、すべて違う。そのはずなのに、彼女が失恋をした直後必ず彼女は死ぬ。まるで呪いのように。
今回も含め、四つの痛ましい死の光景が頭から湧き上がるたびに、俺の心も一緒に死んでいくような、感覚と息が詰まる実感。
彼女がいるであろう場所へ必死に駆け寄っても、確認できたのは残酷な現実だけだった。今回は直接的な死の痕跡は見えない。でも彼女の死はどうせ覆らない。それが最も辛い。
あぁ、どうすればよかったんだ。あの男と雫との関係はそこまで悪いようには見えなかった。ともすればうまくいっていそうだった。今回はまだ希望があった。いや、あったはずだった。俺は何を間違えたのだろうか、深い後悔と絶望の感情に身を委ねていると、突如として甲高いクラクションの音が不吉に鳴り響いた。
遅れて襲いかかる、全身を貫く凄まじい衝撃と痛み。
意識が遠のき暗闇と静寂に支配されてゆく感覚。これも、もう慣れてしまった。
彼女の死のすぐ後に俺もまたそらく死に……。
「ごめんなさい。他に好きな人がいるの」
一年前、俺が雫に告白し振られたそのタイミングに、また理解し難い現実に引き戻される。相変わらずの無表情、それでも長い関係から痛いほど伝わってくる彼女の果てしない申し訳なさを帯びた雰囲気。に、やっぱり自分の気持ちは何度やっても変えられないのだと嫌になる。
「そっか」
今回でもう五回も振られているのだ。五回もこの時間をループしているのだ。最初の時のように取り乱すなんて、もはやできなかった。初めは感じていた混乱や安堵感は、今では確認と新たな決心のタイミングでしかない。
「でも、蒼が嫌いなわけじゃない。青は大切な幼馴染。家族みたいな存在だから、これからも今まで通りに、できたら……嬉しい」
俺の制服の襟を小さな指で摘み、必死な眼差しで静かに訴える彼女の潤んだ目。
「当たり前だろ」
と返せば、安堵したように小さな溜息をこぼす。いつもと変わらないやり取り、けれどこれだけは何度経験しても心の奥深くまで染み渡る。彼女からの深い信頼が今はとても心強く感じられるのだ。まるで暗闇の中の一筋の希望の光のように。
誰もが無表情だと評する彼女の中に、長年の付き合いから読み取れる確かな悲しみがあった。その切ない表情と、まるで呪いのような言葉が、どこまでも俺の心を狂わせていく。でも、今度こそは絶対に違う。この失恋を糧に、彼女が幸せになれるよう、この五度目の高校二年を、彼女が失恋することなく穏やかに過ごせるようにしたい。それが、俺にできる唯一の償いなのかもしれない――。そう、きっと。
◆◆◆
「当たり前だろ」
誰よりも優しい顔で、誰よりも優しい声で私に言葉をくれる大切な幼馴染み――天笠蒼。その柔らかな微笑みを、本当に私だけに向けてくれるから、胸が幸せな気持ちと申し訳ない気持ちで一杯になる。
表情筋が死んでいる私なんかの表情を正確にあててくる彼の視線から逃れるように、背を向ける。まるで心の奥底まで見透かされているかのような感覚に耐えられず、この彼を前に『他に好きな人がいる』なんて、毎回のこととは言えよく大嘘を吐けたものだ。真実は、貴方以上に好きな人なんていない。その事実が、私の胸を更に締め付け、呼吸さえも苦しくなる。
私が最も嫌いな相手に受け入れられ、私が一番好きな人からの恋愛感情を失わせる。この残酷な条件を一年以内に達成しなければ、私は死に、蒼に告白されたタイミングからやり直しになる呪い。まるで悪魔との契約のような、この理不尽な運命。
『ごめんね、君の気持ちには応えられないかな』
なんて、言い慣れていると分かる、作られた優しさを含んだ言い返し。自分の印象を下げないように、けれど確実に相手を諦めさせるようなそんな計算された声色。本当に嫌いでたまらない。
大好きな人が近くで隠れている状況で、大っ嫌いなこいつに告白をしなければならない。その状況の皮肉さと残酷さが、
それが、辛くてたまらない。毎回味わう屈辱的な感情が、私の心を引き裂いていく。
記憶的には数分前の出来事なのに気持ち悪くてしょうがない。それに、一年間協力してくれた蒼に申し訳なくて、また涙が出てしまいそうだ。この繰り返される時間の中で、彼の優しさだけが私の心の支えとなっている。
私は今度こそ、やり遂げなければ……。早くこのループを抜け出して、蒼と幸せな人生の続きを送りたいのだ。この呪われた時間から解放されたい。
この呪いから解放されて、彼と本当の恋人になりたい。だから、本当に私なんかのことを好きでいてくれる彼に、どんな表情を浮かべればいいかわからない。無表情と言われる私だけど、彼はそんな私の些細な表情変化を読み取ってくれるから。そんな彼の為に、このループから抜け出すために憎きあの男から好意を持たれるために。蒼をこれ以上苦しめる以外でなんだってやらなければ、
だって、多分僅かだろうけれど、蒼もこのループの記憶を持っていそうだから。
時たま私を見る顔が、死んでいないかを確かめるようなそんな眼差しになっているから。
「ねぇ、蒼お願いがあるんだけど」
私と蒼が壊れてしまう前に、ここから抜け出さなければ――。