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4-01 20XX 誰ソ彼(Twenty XX:Lost in Sunset)

 失踪した日本人の夫を探してほしい。

 日本への造詣の深さを買われて、失踪人探しの依頼を受けることになったマット。

 手がかりを追い、とある地方都市の日本人街にたどり着いたマットだが、「外人」の風貌ゆえか、住民たちは彼を信用せず煙に巻こうとし――

 やがて彼自身の過去と、街が抱える闇が彼に牙を剥く。

「あんたは何者だ?」

 アイデンティティの在処を問う迷宮的探偵小説が、著者自身による全日本語訳で本邦上陸!

「答えろ。なぜ母さんを捨てた」

「言ったろう。偉大なる祖国の為だ」父は肩で息をしながら答える。左手で脇腹の傷口を抑えたまま。「この国の現状を見ろ。外人共が我が物顔でのさばる我らが祖国を。奴等の押しつけがましい正義感と優しさによって絞め殺されつつある我等の誇りを、伝統を」

「不山戯るな。あんた達の愛国ごっこに巻き込まれる身にもなってみろ!」

 父にはもう聞こえていなかったらしい。いや、或いは最初からそうだったのかもしれない。この男はきっと自分が聞きたい事だけを聞いて生きてきたのだ。

「頼む。日本を奴等の小奇麗な手から奪い返してくれ。お前や母さんの犠牲を無駄にするな。それがお前の――」

 言い切る前に、父は事切れた。


 1


 日本人同士の喧嘩に出くわしたのは、土曜の夕方の事だった。仕事で訪れた日本人街の寿司バーで早めの夕食を取っていると、奥の席でノッポと連れの酔っ払いが口論を始めたのだ。

「手前、いい加減にしやがれ!」

 最初に手を上げたのはノッポの方だった。喧嘩慣れしている様には見えないテレフォンパンチだ。だが、酔っ払いにはそれがモハメド・アリの右ストレートにでも見えたらしい。顔面にもろに一発貰い、寿司コンベアーに背中から倒れ込んだ。サーモン、イクラ、アボカド、コーンーーネタとシャリが宙に舞い、酔っ払いの上に降り注ぐ。

「おいおい、外で遣りなよ」カウンター席の壮年が苦言を呈した。「食べ物を粗末にするなんてとんでもねえ」

「喧嘩を売ってきたのはこいつだ」ノッポは酔っ払いを指差した。「畜生。酒に呑まれやがって」

「お友達なんだろう? 酒が言わせた事くらい大目に見たらどうだい」

「友達なもんか」ノッポが吐き捨てる。「金に困って、友達面して擦り寄ってきただけさ」

 そうこうしていると、酔っ払いが立ち上がった。ネタとシャリがパラパラと零れ落ちる。しかし、頭に生ハムが一切れ乗ったままだ。ふらふらとした足取りでノッポへと向かう。何かもごもごと呟いていたが、うまく聞き取れない。それより重要な事に、酔っ払いは割れた皿の破片を握っていた。ノッポには見えていないらしい。腕を鳴らして臨戦態勢だ。

「*@=&?#!」

 もはや言葉にならない叫びを上げながら、酔っ払いが拳を振り上げる。そこでようやく破片に気づいたのか、ノッポが目を見開いた。


 パシン!


 次の瞬間、破片が床に落ちて転がった。今度は酔っ払いが目を見開く番だった。その視線はたった今、自分の腕を掴んで止めた人物に向けられている。

 六フィート前後の中肉中背、撫でつけた黒髪に灰色の瞳。つまり、この()マット・マクレーンだった。

「やめておけ」私は睨みを利かせた。しかし、酔っ払いは目の前の「外人」に徹底抗戦する事に決めたらしい。私の腕に嚙みついてきた。思わず手を緩めた隙に、相手が自由になる。一度距離を取ると、助走をつけて突っ込んできた。

 そこからは咄嗟だった。体に染みついた動きが自然に出た。

 私は酔っ払いの撚れたシャツの裾を掴むと、自分の体に引き付け、そのまま背負い込むようにして床に投げた。

「一本……」カウンターの壮年が思わずといった様子で呟く。

 店のスタッフが出てきていた。簡単に事情を説明し、自分の席に戻る。

「ヘイ、ブラザー」温くなったアガリを飲んでいると、壮年が話し掛けてきた。「あんたやるな。柔道をやってたのか?」

「ああ、子供の時に」

「それはいい。柔道は情操教育にもってこいだからな」

 まさにそう言われて父に道場に連れて行かれたのだ。

「しかし、見ない顔だ。観光かい?」

「いや、人を探しててね」

「人を?」

「ああ」私は携帯端末を操作して、尋ね人の証明写真を宙に投影した。生真面目そうな四角顔の男だ。「三船浩数。日本人だ。この顔に見覚えはないかい?」



 ――夫を探してほしいんです。

 私のオフィスで、ミズ三船はそう切り出した。ブルネットの若い女だ。知り合いの牧師から、私の事を紹介されたらしい。厄介な事を、と頭の中のロペス牧師に毒づく。彼とはハイスクールからの腐れ縁だ。()()()()も知っているだろうに、こんな案件を回してこようとは。

 ――どうして私に?

 ――ファミリーネームからお分かりの通り、夫は日本人です。

 ――それが?

 ――日本人には日本人のコミュニティがあります。こんな事は貴方の方が詳しいでしょうが――

 ――つまり、半分日本人の私が適任だと?

 私の父は日本人だ。とはいえ、日本人からすると私の風貌は「外人」そのものらしいが。

 ――お願いします。他に頼れる人がいないんです。

 ――藁の山で針を探すのは勘弁願いたい。行方に何か心当たりは?

 ミズ三船は頷いて、

 ――夫が居なくなる前のことです。自宅に電話が掛かってきたんです。詳しい会話の内容は分かりませんが、夫は或る地名を口にしていました。

 夫人がその地名を告げる。それは、()()()でも有数の日本人街だった。



 寿司バーを退店した私は予約した民宿へと歩き始めた。この街は空が広い。高層ビルやマンションは数える程しかなく、市街地の大部分に瓦を葺いた低層住宅が並んでいる。

 台風一過の一日で、旧東京都外のこの街からも、タワーとスカイツリーがよく見えた。

「随分と警戒されてたな」一連の会話を端末越しに聞いていたザックが呟いた。

「ああ」私は端末越しの相棒に答えた。「何かを隠しているのか、単に閉鎖的なのか」


 ――知らない顔だな。

 壮年は言った。

 ――本当か? よく見てくれ。

 ――なあ、ブラザー、こんな言葉を知ってるか? 「郷に入っては郷に従え」ってな。

 ――すまん。何だって?

 ――あんた等の言葉で言うなら、When in Romeってやつさ。調べ物がしたいって言うんなら筋を通して貰わないと困る。

 ――成程、誰かの許可が要るんだな?

 ――物分かりがいいじゃないか。

 ――その誰かとは誰だ。どうすれば会える。

 ――俺の口からは言えんよ。

 ――なら、誰の口からなら聞ける?

 壮年は黙り込んだ。

 ――それも秘密か?

 ――ブラザー、ここは日本だ。日本人の遣り方に従ってもらう。


「次はどうする」ザックが尋ねた。「あの日本人が言っている事が本当なら、この街の有力者に話を付ける必要があるらしいが」

「さてね」

(とぼ)けるな、騒動の後もやけに粘って寿司を食ってたじゃないか。聞き耳を立ててたんだろ? 奴さん達は日本語で何か言ってたんじゃないか?」

 店内では英語で通していた。「郷に入っては郷に従え」にもすっとぼけて見せたし、私が日本語を理解できると知る者はあの場にいないだろう。とはいえ、柔道の心得がある事はバレてしまった。多少の日本語は分かってもおかしくないと警戒されたかもしれない。

「センセイ、だ」

「何だって?」

「彼らが言っていた。『センセイに伝えるか?』と」

「すまん、そのセンセイっていうのは何だ」

「一般的には教師という意味だ。だが、弁護士や政治家の敬称として使われる事もある」

「何だそりゃ」

「兎に角、そのセンセイというのがこの街の元締めかもしれない」

「しかし、そのセンセイってのが教師か政治家かも分からないんだろう? どうする? 今度は天ぷらバーでも探して聞き耳を立ててみるか?」

「そう焦るな。それより先に話したがりのお客さんが居る」

「客?」

 私はそこで背後を振り返った。驚いた様にして肩をびくつかせる青年が一人。インドア派の学生といった風体の日本人――さっきの寿司バーでも見た顔だ。

「私に何か?」

「す、すみません」青年は言った。

「いや、いい」私は英語で答えた。「何か話したい事があるんだろう?」

 青年は話し掛けるタイミングを窺っていたのだろう。誰が聞き耳を立てているか分からない寿司バーでは話せない事もある。

「いえ、話したい事というか――あの、マット・マクレーン先生ですよね? ハードボイルド作家の。僕、ずっとファンなんです。サイン貰えませんか?」



 ――しかし、ミズ。今更だが、私は探偵はとっくに廃業したんだが。

 私が探偵だったのは、処女作を上梓する前の事だ。探偵時代の経験を元にした私立探偵小説は作者の私でも戸惑うほど好意的に迎え入れられた。探偵から専業作家への転身を決断できる程には。

 ――ええ、知っています。夫は貴方の著作の愛読者でしたから。貴方がその……この数年、新作を発表していない事も知っています。

 ――成程。暇を持て余していると思われた訳だ。

 ――そうではありません。ですが、牧師様が……

 ――ロペスの奴が何か?

 ――はい、あいつにとってもいい刺激になる、と。

 ――全く、不良牧師め……

 ――夫は何か悪い事に巻き込まれている気がするんです。

 ――何かとは?

 ――分かりません。だけどそれ以外考えられない。あの人がこんな時期にいなくなるなんて。

 ミズ三船はお腹を撫でた。私に子供はいない。妻も。ミズ三船が妊娠何ヶ月目に相当するのかの判断はできなかった。

 ――お願いします。

 ミズ三船が深く頭を下げる。

『なぜ母さんを捨てた』

 処女作のクライマックスで主人公に吐かせた台詞が脳裏を()ぎる。物心つく前に居なくなった父を憎み、その跡を追う主人公の。

 このまま彼女の夫が戻らなければどうなる? お腹の子は矢張り父への憎しみに人生を狂わされるのではないか。あの主人公の様に。

 ――分かりました。しかし、今の私は探偵でも作家でもなければ、日本人でも外人でもない。何者でもない男です。それでもよければ、お受けしましょう。

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