4-17 『かの騎士は戦場を描いた』
騎士訓練校の中でも特に人気の低い「図画教育課程」に進んだアルフレドは、そこで稀有な才能を有する先輩レオンと出会った。
まだまだ有用性の評価が充分でない戦場図画の効果を示すため、レオンは王命により前線へと身を投じることに。
それからレオンの活躍の報を何度も聞いていたアルフレドだが、ある日レオンの訃報に触れることとなる。
遺品として渡された絵に遺されたレオンの想いは何か。彼が戦死した理由は何か。
訓練校を卒業したアルフレドは、戦場でその謎に迫ることとなる。
騎士爵の長男に生まれる苦労は、なかなか理解してもらえない。
世襲できる貴族家とはいえ男爵以上の貴族家からは同格とは見られないし、平民からは貴族様だからと妙に距離を取られる。
年金は、ひと家族どうにか暮らせる程度だというのに、使用人の雇用や屋敷を維持することも求められる。
戦争となれば、武装をして戦列に参加させられ、高位貴族たちの盾にされるか、突撃する集団に否応なく放り込まれる。
とはいえ出世の数少ない機会。奮闘する連中も多いと親父に聞いたことがある。
もっとも、そういう連中は真っ先に神の御許へと旅立つのだが。
「それで、戦闘に巻き込まれないからアルフレド君は“図画教育課程”に来たのかい?」
「俺は純粋に絵を描くのが好きなだけですよ」
騎士訓練校に入学した俺は、一年間の基礎訓練課程を経て、二年生として専門課程に進んだ。
そこで出会ったのが、一年先輩のレオン・ファルアノーだった。
彼は伯爵家の次男坊で、騎士訓練校では数少ない図画教育課程の生徒であった。
「アルフレド君、剣の腕は悪くないのに、こんなところで絵を描いているなんてね」
「先輩こそ、卒業試験前なのに訓練しなくて良いんですか」
俺たちは学び舎の端にある掘っ建て小屋こと『アトリエ』でデッサンやスケッチをしながら、益体も無い話題を繰り返すのが日常だった。
先輩はふわふわと柔らかな金髪を揺らしながら楽しそうに笑っていて、それでもキャンバスから目を離そうとはしなかった。
「これも訓練さ。騎士訓練校に図画学科がある理由を、君も知っているだろう?」
「戦場の詳細を描き、指揮官の判断の一助とする。戦闘後は作戦の成否についての記録としても活用される、ということでしたね」
お絵描き学科なんて揶揄されることもあるが、実際の戦場では偵察任務と同時に敵の陣形や地形、構築された砦などの情報を視覚情報として伝えることは、戦場で貴重な資料となる。
「そうだね。だから僕たちはこうして訓練しているわけだ」
「戦い、ですか。どうなるんでしょうね」
隣国との戦争が近い。
小競り合いが頻発し、近々大きな戦いになるのではないかという噂は訓練校の中にも届いていた。むしろ自分たちに大きく関わりのある話題だけに、真剣に取りざたされる。
不安もあるし、立身出世を目指す者にとっては大きなチャンスでもある。
俺はいまいち実感がわかなくて、四十にさしかかる親父が参陣せねばならないことの方が心配だった。
「そこ、歪みがある」
俺が木炭を走らせているキャンバスに、先輩の細い指が向けられる。
「こうやって線を引くとわかるけれど……ほら」
「たしかに。ありがとうございます」
俺の描いたものに少しだけ先輩が手を加えると、何がおかしいかが見えてくる。
俺ははっきり言って、先輩ほどの絵の才能があれば騎士なんてならなくても絵で食えるんじゃないかと思う。一度それを口にしたことがあるが、彼は細面の顔を少しだけくしゃりと歪めて答えた。
「僕には、そういう生き方はできないな」
才能という意味なのか、生まれの問題なのかはわからなかったけれど、それ以上突っ込んで聞く気にはなれなかったのを憶えている。
アトリエに隙間風が通り抜け、隣にいる先輩からコロンの香りが届いた。
香りに気づいた俺は、どんな表情をしていたのか自分でもわからないけれど、先輩は俺の顔を見てほほ笑んでいる。
「油絵具の匂いよりはマシさ」
「俺は好きですけれどね」
「油絵具の匂いが? それとも、僕の香りを気に入ってくれたのかい?」
俺は思わず吹き出してしまった。
「酷い冗談だ。笑わせないでくださいよ」
「貴族たるもの、身嗜みには気を遣うべきだよ。でも、君が真剣に絵具を練ってキャンバスに向かっている姿は、悪くないと思う」
「そりゃ、どうも」
それから一時間か二時間か、アトリエには誰も来ず、キャンバスに木炭が走る音と、時折どこかから入り込む隙間風の音だけが響いていた。
不意に、先輩が口を開いた。
「アルフレド君。実は、来月には戦場に出ることになっていてね」
「冗談でしょう。卒業までまだ半年はあるのに……」
先輩は「国王陛下の命令らしいよ」と呟いた。
「戦場図画の分野はまだ戦場で実証されていないからね。実戦での運用実験目的だそうだよ。ここの卒業生だけだと人数も足りないからね。特例で一足先に卒業資格をくれるってさ。ありがたいね」
内心、どこか戦争を噂だけだと思いたかったのに、実はかなり身近に迫っていることを否応なく突き付けられた。
「いいかい、アルフレド君。僕たちが学んでいることは、戦場の情報を正確に、素早く伝えることで戦いをとても有利に運ぶことができる技術だ。それは勝利のためでもあるけれど、同時に多くの味方を危地から救うことでもある」
だから、先輩は自分の役割に胸を張っていられる。
「戦争は数が多い方が有利だ。でも古来より戦場を上手く利用できた方が勝つんだよ。このちっぽけな木炭が、数百の剣よりも役に立つのさ」
先輩との会話はこれが最後だった。
時間があると思っていたけれど、バタバタと遠征の準備に追われた先輩は、その後アトリエに顔を出すことなく、訓練校を去っていった。
訓練校の習わしとして、本当ならば卒業生は多くの在校生から拍手で送りだされるのだけれど、先輩は一人で静かに戦場へと向かったのだそうだ。
俺は、見送りをすることすらできなかった。
それから下級生も少ないながら入ってきて、俺は剣術や馬術を修めながら、それでもアトリエでずっと絵の腕も磨き続けた。
その間、卒業生レオン・ファルアノーの噂は何度も入ってきた。
曰く、見事な偵察で指揮官に敵の弱点を伝えて圧勝を齎したとか、戦場で有利な地形をいち早く発見し、待ち伏せを成功させたとか。
「もはや英雄だな」
卒業を控えた俺は、ずいぶんと出世した先輩の報に触れるたびに何やらおかしくて笑ってしまう。
あの細身の先輩が、戦場で大活躍しているのは想像がむずかしいけれど、実際に時折届く手紙には戦場で描いた物が添えられていて、実際の戦場に漂う雰囲気を嫌というほど伝えてくる。
もちろん、機密情報に触れない程度のスケッチでしかないのだが、戦場に向かう緊張した面持ちの騎士たちの姿や、糧秣を懸命に運ぶ荷役の男たち。傷を負って横たわる馬や、友の亡骸を前に祈りを捧げる姿など、先輩の正確な筆致が見事に表現していた。
卒業したら、俺もこの戦場に身を投じ、彼と同じように戦場の今を切り取る仕事をすることになる。
新しく届いた手紙は、とてもシンプルだった。
「転属か。しかも第一騎士隊とは」
第一騎士隊は、勇猛果敢で知られる不敗の猛将ディシウス・ゴートルーが率いる王国最強の集団であり、対外戦闘や反乱では常に最前線に立っている部隊だ。
配属は騎士として最高の栄誉であり、ここで活躍ができれば栄達は確約されたようなものだと言われている。
「すごいけれど、果たして先輩がやっていけるのか、不安だな」
成果を多く挙げるということは、それだけ危険な戦場に投入されるのと同義だ。
ただ、これは戦場図画の有用性が王国内で広く認められ、最前線で重く用いられるようになる証左でもあると感じる。
「“戦場で待っている”とは。先輩にしては随分乱暴な誘い文句だ」
相変わらず隙間風が吹くアトリエで、俺は以前と同じスケッチを前の五分の一の早さで描けるようになっていた。
とにかく数をこなしていくうちに、入学の頃に比べればずっと、早く正確に描ける自信が出てきた。
文字通りの実戦を繰り返している先輩には、まだ敵わないだろうけれど。
「あの、すみません。お尋ねしたいのですが」
手紙を脇においてスケッチの続きを始めた俺の耳に、訓練校ではあまり耳にしない女性の声が聞こえた。
下級生が対応に立ったかと思うと、なぜだか俺のところへ女性を連れてきた。
シンプルながら上質なドレスを着た女性は、恐らく貴族令嬢だろうと一目でわかる。
「アルフレド・キーン様ですか?」
金髪を揺らしながらおずおずと俺の前に進み出た女性は、俺よりいくつか年下で、まだ少女と言って良いくらいの年齢だろうか。
両手に抱えた小さな荷物を胸に抱き、一礼して俺の名前を問う。
「そうですが、あなたは?」
俺が答えると、彼女は眉間を狭めて泣きそうな顔をする。
「わたくしはリーシア・ファルアノーと申します」
「ファルアノー? では……」
「レオン・ファルアノーの妹です。兄が大変お世話になったそうで、本人から何度も手紙で聞かされていました」
先輩に妹がいたのは初耳だったが、言われてみると柔らかな金髪や、涼し気な細面の顔つきは確かに先輩と似ている。
用件を問う前に、彼女は抱えていた包を俺に差し出した。
「これを、受け取っていただけますでしょうか。兄からです」
「そうですか、先輩が。わざわざすみません。でもいつもは直接手紙が届くんですが……」
渡された布包そっと開いてみる。
そこには、一枚の戦場絵画があり、一通の短い手紙が添えられていた。
――アルフレド君。君にはこれが何かわかってもらえるだろうか。
「これは、一体……」
「それは……兄の遺品として当家に届いた荷物の中にあったものです。アルフレド・キーン様へお渡しするよう、手紙が添えられて……」
遺品という言葉をうまく呑み込めずにいる俺に、リーシア嬢ははっきりとした言葉で悲報を口にした。
「兄は、戦死いたしました。いえ、味方に殺されたのです」
嗚咽が混じる言葉に、俺はしばらく呆然としていた。