4-16 転生トラック代行
車木のおじさんは無職になっちゃったし関係ないと思うんですけど、最近『退職代行』っていうのが流行ってるんですよ! お仕事を辞めたいけど自分で直接言いたくない……って弱虫の代わりに退職の手続きをしてくれるんですって。
やりたくないことを代わってあげるお仕事が成立するなんて、人間ってホントに面白いって思いませんか? え、別に? いや、おじさんのお気持ちは知りませんけど。これボクの感想なんで!
ていうかていうか、ボク思ったんですけど! 「嫌なことを代わりにやる」のを代行って言うんだったらぁ……ふふッ。それならおじさんのやってることだって、同じく代行のお仕事ですよね!
そうだなぁ。誰かの代わりにうら若き学生を轢き殺す――この使命はさしずめ、『転生トラック代行』ってところでしょうか!
「車木のおじさん。そこの角、右に曲がって下さい」
「そこの先、もろ住宅街に入ってくだろ。道幅も狭くなるし、なんだってわざわざデカいトラックで……」
「いいから」
助手席から指図されるまま、ハンドルを切る。
案の定、先の道は露骨に狭まっていた。高そうな戸建てが立ち並ぶ地域。街路樹の一本に至るまで整った、小綺麗な住宅街を走る。仕事でもプライベートでも、めったに通ることのなかった場所だ。
ハンドルを握る手が滑る。こんなに手汗をかいたこと、今まであっただろうか。
「あれ。おじさんもしかして、緊張してます?」
甲高く響く少女の笑い声。運転している手前、声の主の様子は伺えない。
「無免許運転って、そんなに緊張するんですかぁ? ……それとも、人間を殺したトラウマみたいなアレですか? ふふッ!」
だが。隣に座る少女はきっと、俺を見て笑っているんだろう。
初めて会った瞬間から変わらずに、ずっと。
*** ***
車木典孝、29歳。配送業者として働いている……いや、働いていた。
仕事中、トラックで人を轢いた。相手は80過ぎた婆さんで、当然即死だった。
遺族とはかなり揉めたし、取り調べが拗れて長く勾留することになったし、仕事は当然クビになった。留置所を出る頃には、死なせてしまった婆さんへの申し訳なさと、それを上回る疲労感で擦り切れそうだった。
そうして、ボロ雑巾同然となった俺を待ち受けていたのは。
「お勤めご苦労様でした。車木典孝さん」
笑顔を浮かべる、見知らぬ少女だった。
顎先辺りで切り揃った髪。高校の制服と思しきシャツとスカート、その上に青いジャージのようなアウターを羽織った、個性的な服装。見た目の限りでは高校生くらいに見える。
「あんた……誰だ?」
「ボクですか? アヲです。片仮名ア行のアにワ行のヲで、アヲですよ!」
聞き慣れない、珍しい名前だ。
一人称が「ボク」の女子高生というのも変わってる。そもそも、こいつは本当に女子高生なんだろうか?
「何ですか? ボクのことじっくり観察して。セクハラでもう一回捕まります?」
「……勘弁してくれ」
冗談に取り合う気も起きず、視線をそらす。不躾に見つめていたのは実際そうかもしれない。
アヲは違和感の塊だった。一見黒かと思っていた髪や瞳は、よく見れば深く暗い青。肌は作り物のように白く、不気味な程つるりとしている。おまけに顔や体のパーツが恐ろしく均等に整っていて、まるで創造物だった。
「それで、アヲは俺に何の用だ?」
「えへん。単刀直入に言いますと、お仕事のお話です」
「仕事?」
言葉の意を探るが、ピンとこない。高校生らしき少女に、何の仕事の話ができるというのか。
訝しむ俺に、アヲは訂正を入れた。
「お仕事、だとちょっと違いますね。厳密にはアレです。使命です!」
「使命って、お前……」
「ちょっと! どこ行くんですか! 車木典孝さん!」
今ので確信した。電波系の子どもに絡まれただけだった。
徒労感を引きずりつつ、アヲから背を向け歩き出す。しかし、その時だった。
「――動くな」
背後から聞こえた声に足を止める。いや、足が勝手に止まった。
心臓まで凍りそうな程に冷えきった声。今のは、アヲの声か?
「車木典孝さん。……んー、呼びにくいし車木のおじさんって呼びますね。おじさんは大人しく見えたけど、やっぱり人間って皆言うこと聞いてくれないなぁ」
「お前、本当に何なんだ」
振り向くこともできず、背中越しにアヲへ問う。背後からため息が聞こえた。
「まずはお仕事のお話したいんで。それじゃアレ、お願いしまーす」
アヲが誰にともなく呼びかけた時、身体の硬直が解ける。
反射的に振り返った俺の鼻を、排気ガスと油の匂いが掠めた。
「おじさんが運転していたのとは機構が違いますけど。でもよくご存じですよね!」
「……トラック……」
そこにあったのは紛れもなく、2tトラックだった。
真新しい銀の外観。キャビン――後ろの箱型の部分は白く塗装されているだけで、よくある企業のロゴやら広告表示なんかは一切見当たらない。
「このトラックを運転して、ボクを目的の場所まで連れて行くこと。それが車木のおじさんにやってもらいたいお仕事、いえ使命です!」
「……いやいや、ちょっと待て」
「AT車……というので、車木のおじさんが運転していたのとは勝手が違うみたいなんですけど。多分、おじさんだったら問題ないと思いますよ!」
前のめりぎみのアヲに、思わず頭を抱える。
確かに前職で乗っていたのは大型のMT車だったが、そんなことは問題じゃない。
「あのな。俺はトラックで死亡事故起こしたんだ。運転なんかできるか」
「安心して下さい。車木のおじさんは今だけ、全てを許されています。もちろんトラックの運転も! ね、そうですよね!」
アヲが同意を求めた先は例のトラック、その運転席。
そこから顔を出したのは、信じられないことに警察官の男だった。男はトラックから降りてきたかと思うと、今度は俺に乗るよう促してくる。どう考えてもおかしい。
「ほらおじさん。早く乗ってください。それとも――また、命令されたいんですか?」
その言葉には、子どもらしからぬ凄みがあった。身震いする俺を、アヲはくすくす笑う。
「この使命はですね、おじさんが救われる機会でもあるんですよ?」
「――救われる?」
「はい! ボクは知ってるんです。おじさんが、罪の意識から解放されたいってこと!」
アヲの説得は実に的確だった。
的確に、確実に、俺の心だけを動かすための説得だった。
「おじさん。トラック、乗ってくれますか?」
「……救われたい」
噛み合わないやり取りに、アヲは満足そうに笑った。
*** ***
そして話は冒頭に戻る。
アヲの指示頼りにトラックを走らせること1時間。住宅街を走り始めてすぐのこと。
「あっ、あそこです!」
横目でアヲが指さした先を辿る。そこには建物も、信号すらもなく。
塗装の剥げた横断歩道がぽつんとあるだけだった。
「俺には何もないように見えるが」
「時間もばっちりですね! 流石おじさん、色んな意味で歴戦のドライバー!」
アヲは俺の話をちっとも聞いていない。
もう少し近づけば何か言うだろうと思い直し、再び運転に集中する。
その時、ちょうど横断歩道を渡る影があった。遠目では見にくいが、制服を着ているようだった。学生だろうか。
「あ、ターゲット発見!」
「ターゲット?」
声を上げるアヲに眉をひそめる。こいつの目的は場所じゃなくて人だったのか?
「車木のおじさん。あの人です。あの学生、轢いて下さい」
「……は?」
聞き間違いかと思う間もなく、アヲの演説は始まった。
「アレは才能ある、でも現世に恵まれない若者。かわいそう、彼にはもっと輝ける舞台があるのに! このままくだらない人間と一緒に80年余りの生を送り死ぬなんて哀れですよね。だから今ここで彼の肉体を砕き、魂をあるべき世界に送り出すんです! これが《転生の儀》、ボクたちの使命! さあおじさん――アクセルを踏んで下さい! さあ!」
「お前ッ、ふざけるのもいい加減にしろ!」
饒舌になるアヲを無視し、迷いなくブレーキに足をかける。
寸前、あの冷ややかな声が俺に告げた。
「――いいから、踏めよ」
その瞬間、脳内に映像が駆け巡った。
学生時代の記憶。埃っぽい教室の後ろで、毎日のように始まる最低の遊び。
下卑た笑いに包まれる中、床に這いつくばる友人。
四つん這いの背中を見て歯をガタガタ鳴らす俺に、誰かが言うんだ。
――いいから、ソイツを踏め。
氷のように冷えた声。聞くだけで寒気に襲われ、身体が凍り付く。周りの奴らがどんな顔をしていたのか、振り向いて確かめることさえ出来なかった。
だが、きっと。
アイツ等全員、悪魔みたいな顔で笑ってやがったんだろう。
唸るような加速音で我に返る。俺の右足が、アクセルを踏み抜いていた。
視界が急加速し、学生の姿が眼前に迫る。
「待て、待て待て待て!」
足が全く言うことを聞かない。いや足だけじゃない。
全身が硬直し、何一つ言うことを聞かなかった。
「止めろ! 止め――」
叫ぶ俺は、しかし頭では理解してしまった。
今ブレーキを踏んでも、車体はもう止まらない。このトラックは間もなく、狂った獣のようなスピードで目の前の学生に突っ込み、全部台無しにする。
もう、手遅れだった。
隣から小さく息を吸う音が聞こえる。アヲはこれまでになく厳かな調子で、何かを呟き出した。
――不浄なる肉体を砕き、魂を改めよ。
まるでその声が聞こえたように、学生が顔を上げた。
可能性に満ち溢れた少年の顔。しかし、その表情には何故か疲れが見える。
自分の死期を悟ったであろう少年は――何を思ったのか、穏やかに微笑んでいた。
――《転生の儀》を、今ここに起動せよ!
衝突の寸前、白く激しい光が少年から溢れ出す。強烈な輝きに目を開けていられず、ついに瞼を閉じた。見えなくたって、どうせ結果は同じことだった。
瞼の裏からでも、濁流のような光が辺りを包んでいくのが分かる。身体を蝕む衝撃が、音が、意識ごと何もかもが消えていくような錯覚に陥る。
そして気がついた時には、全てが終わっていた。