7.五つ目の星
「テランは、どうしてミスリアへ戻ろうと思ったんだい?」
ふと、アルマから漏れた質問にテランの足が止まる。
ヴァレリアも同様の疑問は持っていたようで、これ幸いと言わんばかりに便乗を試みた。
「アタシも教えてもらいたいね。アンタ、妖精族の里を気に入っていたじゃないか」
テランはエステレラ家の分家と言えど、影の薄い男だった。
恐らくは幼い頃からビルフレストの駒として、彼に仕えていた事が影響しているのだろう。
故に、知りたかったのだ。テランが何を想って、ミスリアへ帰ると決めたのか。
奇異の目を向けるのではなく、共に戦った仲間だと認めているから。
「そうだね。僕自身、妖精族の里やベルたちと研究をするのは好きだ。
ずっと彼女たちと、同じ時間を過ごしていたいと思うほどに」
自分にとって夢のような時間を振り返りながら、首肯する。
妖精族の里での毎日は楽しくて、その思い出が今も彼を支えている。
事の発端は、いつもオリヴィアかマレットだ。
彼女達は思うがままに色んなものを生み出そうと、周囲を巻き込んでいく。
ただ、決して嫌だとは思わなかった。
テランだけではない。ストルも、ギルレッグも。その熱に中てられて、共に研鑽の日々を送っていた。
休憩がてらに聞く、ピースの話も好きだった。
彼は自分達とは違う世界、違う理でこの世に『生』を受けた。
話す内容はどれも現実離れしていて、飽きる日は無かった。
何より、シン・キーランドだ。
テラン・エステレラという『自分』の存在に気付かせてくれた彼には、今でも感謝をしている。
同じ時間を過ごして、解った事がある。
彼は何者でもないかもしれない。けれど、決して空っぽではない。
ただひたすらに、一生懸命だった。力になりたいと、心から思えるほどに。
あの場所には、自分の全てが詰まっている。
テラン・エステレラは胸を張って、口にする事が出来る。
「だったら、尚更だ。お前には、大きな功績もあるだろう。
その気になれば、妖精族の里に残れたはずだ」
テランの話を受け、リシュアンが訝しむ。
転移魔術に、魔導羽砲。彼は間違いなく、ミスリアに平和を齎す礎となったのだ。
何より、フローラやアメリアがその姿を直に見ている。
彼が望めば、いくらでも恩赦を受けられたに違いない。
それでも、彼はミスリアへと帰ってきた。
理由を訊かずには居られない。
「そうだね。僕にも、誰かが救えるかもしれない。
そう思ったから、僕はこの地を訪れた」
軽く笑みを浮かべ、テランは語り始める。
……*
ミスリア五大貴族。エステレラ家。
その当主であるサルフェリオ・エステレラを、テランはいつも遠巻きに見ていた。
サルフェリオは平凡な男で、己の器と背負っている責任の釣りあいが取れていなかった。
自身も理解しているからか、優秀なビルフレストが後を継ぐ日を楽しみにしていたのを覚えている。
全ては、愛する息子へ全てを託す為。それだけを糧に、妻と共に日々を奔走していた。
だが、そんな夫妻の想いは踏みにじられる事となる。
ビルフレストはサルフェリオの目を盗み、ミスリアへ悪意をばら撒いていく。
特にエステレラ家の管轄が悪意に染まっていく様は、二人の器の差を顕著に現したものだっただろう。
それでも、当時にテランは何も感じなかった。
いいや、むしろ見下していたかもしれない。何もない、空っぽな男が全てを失っているだけなのだと。
けれど、彼もまた空っぽではない。
その事実に気付いたのは、シン達と出逢って世界が色づいてからの話となる。
……*
ビルフレスト・エステレラはサルフェリオの実子ではない。
その事実が明るみになった時の、彼の心労は計り知れない。
自らがお腹を痛めて産んだと思っていた息子は、既にこの世に居ない。
その事実を突きつけられ、彼の妻は精神を病んでしまった。
サルフェリオもまた、多くの非難に晒される事となる。
第一王子派だった点も踏まえ、世界再生の民との関わりを邪推される。
ただでさえ、領地で数々の事件が起きているのだ。疑われるのは、当然だった。
彼の器がもう少し大きければ、上手く躱す事も出来たのだろう。
けれど、彼は人々の怒りを一身に受け止め続けていた。
愚鈍な自分に出来る、唯一の罪滅ぼしだと言わんばかりに。
邪神との戦いを終えた頃には、彼はすっかりとやつれてしまっていた。
真っ白になった髪は、まるで老人のようだった。
「君は、テランだね」
テランが面と向かってサルフェリオと向かい合ったのは、何年ぶりだろうか。
頭を下げようとするテランを、サルフェリオが手で制した。
「いい。私みたいな男に、頭を下げる必要はない」
「ですが……」
穏やかにそう語るサルフェリオだったが、テランは恐縮をする。
分家の人間が、本家の当主と向かい合っているのだ。それなりの礼儀を以て接するべきだと考えていた。
「いいんだ。私は君に、頼みがあってきたのだから」
「頼み……?」
しかし、サルフェリオは全く気にする素振りを見せない。
それどころか、テランへ驚くべき提案をしてみせた。
「君さえ良ければ、私たち夫婦の……。養子になっては貰えないだろうか?」
予想だにしなかった言葉を前にして、テランは瞠目した。
理解を求めるべく、サルフェリオは続けた。
エステレラ家が、他の五大貴族とは決定的に違う点。
それは本家の人間だと思われていたビルフレストが、ミスリアへ牙を剥いたという事実。
ビルフレストだけではない。彼を慕うラヴィーヌ・エステレラも当然、世界再生の民に身を寄せている。
エステレラ家の存在そのものが反逆者だと思われても仕方のない状況が、出来上がってしまっていた。
貴族の中には、エステレラ家を五大貴族から除名するべきだという声も挙がっていると言う。
「だから、功績を残した僕を担ぐことで五大貴族としての面目を保とうと?」
テランがそう考えるのも、無理は無かった。
誰だって、権力を失うのは怖い。今まで享受していた恩恵が、反転するのだから。
その事自体に忌避感はない。ただ、協力をしたいとも思えなかった。
「除名されるのであれば、私はそれでも構わないと思っている」
だが、サルフェリオは首を横に振る。
彼は決して、自分自身の為に申し出をしている訳ではなかった。
「権力を失うことに怖れはない。けれど、紡いできた歴史に幕を下ろすことが怖いのだ。
エステレラの血を引く君に、全てを託したい。自分勝手だとは、重々承知している。
だが、君しかいないんだ。頼む、どうか――」
器の小さな自分が、遺せるものはそう多くない。
それでも、エステレラ家の歴史を閉ざしたくはない。
分家の人間である自分に後を継いでほしい。それがサルフェリオの望みだった。
暫くの間、テランは沈黙を貫いた。
正直、彼は今までエステレラ家の存続を考えた事などない。
サルフェリオの気持ちと温度差がある事は否めない。
熟考を重ねた末に、テランはひとつ質問を投げかけた。
「貴方は、ビルフレスト・エステレラのことをどうお考えですか?」
テランにとっても正解なんてない。興味本位で投げかけた質問だった。
「あんな結末を迎えたことは残念に思っている。
けれど。私と妻にとっては紛れもなく、愛情を注いだ息子だ。
それだけは、胸を張って言える」
一点の曇りもない表情で、サルフェリオは言い切った。
妻にしてもそうだ。病んでしまったのは、あくまでお腹を痛めた息子が死んでいるという事実だけ。
きちんと愛情を接して弔ってやれなかったという、後悔の念から来たものだという。
エステレラ夫妻は、今もビルフレストを息子だと思っている。
血の繋がりがないと知っても、注いだ愛情に偽りは無かった。
それを否定する事は在ってはならないと、彼は堂々と言い切った。
テランは、フェリーの事を思い浮かべていた。
彼女もまた、血の繋がりを越えて深い愛情を注がれていた。
イリシャだってそうだ。
皆のお母さんとして、子供達に分け隔てなく愛情を注いでいる。
エステレラ夫妻も同じなのだ。
矮小な人間だと自嘲し、窮地に立たされても尚。サルフェリオ・エステレラは決して空っぽでは無かった。
(違う……かな)
いや、空っぽな人間などいないのかもしれない。
きっと誰でも、胸の内には大切なものが宿っている。
脳裏に浮かんだのは、一人の青年。
何者でもない。けれど、空っぽではない人間。
彼ならばきっと、また誰かを救おうとするのだろう。
気付けば、テランは左手を差し出していた。
エステレラの血が通った、生身の腕を。
「僕で良ければ、謹んでお受けいたします」
「ありがとう……!」
驚きと感謝を入り混じらせながら。
サルフェリオ・エステレラは、その手を両手で握り締めていた。
……*
エステレラ本家の養子となったテラン。
養父となったサルフェリオも、養母となった彼の妻も、本当の息子のように彼と接してくれていた。
特に、養母はテランが来てから次第に明るさを取り戻していったという。
「テランのお陰だ。本当に、ありがとう」
「お役に立てているようで、何よりです」
一方のテランは、養父母に対する硬さがまだ抜けていない。
警戒している訳ではなく、家族の団欒というものがよく解っていないからだ。
ただ、彼らはそれさえも受け入れようとしてくれている。その優しさは、心地よかった。
テランが養子となった際。彼は、あるひとつの目的を抱いていた。
夫妻は自分に心を開いてくれている。実行をしても問題ないと、彼は判断を下す。
……*
「テラン? どうして、ここに……?」
ある晴れた日。
テランは養父母を連れ、小さな墓を訪れた。
ビルフレスト・エステレラが生まれた日。
同じ日に、命を失った赤子が眠る場所へ。
ファニルの子の為に建てた墓だったが、実際にはエステレラ夫妻の子が眠っている。
その場所へ向かって、テランは己の魔力を解放した。
彼の魔力に反応して浮かぶのは、とても小さな光。
産声を上げる前に亡くなった、赤子の『魂』。その魔力の残滓だった。
「テラン――」
「紛れもなく、お二人のご子息です。
出過ぎた真似かもしれませんが、伝えたい言葉があれば」
屍人を操る。
かつては、それが死霊魔術師の存在価値だと思っていた。
けれど、今は違う。
命を弄ぶのではなく、誰かを救えるかもしれない。
魔導具と同じだ。魔術は技術に過ぎない。使いようによって、善にも悪にもなる。
これも妖精族の里で仲間達と学んだ、大切な事だった。
「あ、ああ……!」
「ごめんね。今まで気付かなくて、ごめんね……!」
光に向かって、涙を流す夫妻。二人は今、注げなかった愛情を伝えている最中だ。
水を差してはいけないと、テランはそっと瞼を閉じた。
彼の身体が温もりに覆われたのは、しばらくしての事だった。
「テラン、ありがとう。ありがとう……」
目一杯の感謝を息子へと注ぐ、エステレラ夫妻。
苦しいほどに強く抱きしめられながらも、テランはどこか居心地が良かった。
自分でも、誰かを救えたのかもしれない。
そう思うと少しだけ、誇らしく思えた。
……*
「じゃあ、サルフェリオさんたちのために、ミスリアへ来たのか」
意外な理由に、ヴァレリアは驚きを隠せない。
けれど、テランは首を左右に振る。
「それだけじゃないさ」
そう言うと、彼はそっと義手の指を天へと掲げる。
指し示した先には、満天の星が輝いている。
「知ってるかい? 星は、空の向こう側にあるんだ」
「なんだそりゃ」
意味が解らないと、肩を竦めるヴァレリア。
アルマとリシュアンも、首を傾げている。
「僕の友人が言っていたんだ」
異世界から来た少年、ピース。
彼がかつて生きていた世界では、人は空の向こうにさえ足を踏み入れたと聞く。
マレットやギルレッグと共に、目を輝かせながら聞いていたのが懐かしい。
この世界でもそうなのか、確かめる術はまだない。
けれど、いつか判る時が来るとテランは信じている。
頼りになる仲間が、成し遂げてくれるだろうと。
「大丈夫、ベルがきっと証明してくれる。
彼女は、星に手が届きそうなぐらいに世界を豊かにしてくれるよ。
だから僕は、一人でも多くの人が恩恵を受けられるようにしたいんだ」
マレットがどれだけ素晴らしいものを生み出しても、道具は道具だ。
使う者によってその性質は変わっていく。
一人でも多くの人間が、彼女の意を汲めるように。幸せになれるように。
そんな世界を目指すべく、テランは己が立つべき場所を見定めた。
義手となった右腕で、夜空を掴む。
不思議と、失われたはずの右腕は以前よりも血が通っているように感じられた。
間違いなく、自分は空っぽなどではない。
テラン・エステレラは、胸を張ってそう言えるようになっていた。
ミスリア五大貴族。
魔術大国ミスリアに輝く五つの星は、強い輝きを以て国を守護していくだろう。
正しく紡がれる、想いと共に。