5.夜空の下で、交わす言葉
テランとレイバーンは、彼女が抱えているであろう悩みをストルへと伝えた。
時を同じくして、オリヴィアは秘めていた想いを吐露する。
その内容は、まさに彼らの持つ『心当たり』と同一のものだった。
言いたくなかった。誰にも知られたくなかった。
でも、もう遅い。溢れ出した想いは止まらない。
抱えていた不安を、出せなかった答えをオリヴィアは口にする。
「嫌なんです。ストルが厄介事に巻き込まれるのが。
わたしだって、出来ることなら護ってあげたいですよ。
でも、わたしの方が先に死んじゃうんです。ずっと、護ってあげられないじゃないですか。
いつかの未来で誰かがストルを悲しませるなら、回避したいと思うのは当然じゃないですか」
グラスの中で波打つ果実酒に、一粒の涙が零れ落ちる。
瞬く間に溶けていく雫はまるで、より大きな存在に呑み込まれているようだった。
オリヴィアが話している間。
アメリアとフローラは黙って彼女の言葉に耳を傾けていた。
同意するでもなく、否定するでもなく。
ありのままの彼女の言葉を、受け入れていた。
その光景を受け、オリヴィアは罪悪感に苛まれる。
「っ……。す、すみません。お姉さまとフローラさまに、こんな話をするつもりなんて無かったのに……」
決して、オリヴィアの考えは間違っていない。
ミスリアに居る貴族全てが聖人などではない。
ビルフレストが生み出した歪みは、あくまで一端に過ぎないだろう。
アメリアとフローラも、その点は正しく認識をしている。
それでも、オリヴィアは口にしてしまった事を後悔した。
ミスリア第二王女であるフローラ。祖国を愛してやまないアメリア。
彼女達の大切なものを、悪く言ってしまったのだから。
「オリヴィア、謝る必要はないわ」
「ええ、フローラ様の言う通りです」
だが、二人はそんなオリヴィアを咎めようとはしない。
可愛い妹を見守るような、温かな眼差しを送る。
「オリヴィアの言う通りよ。ミスリアにとっては、全てが解決したわけじゃないわ。
きっと悪いことをしている貴族は、まだ残っている。これが好機だと思っている人もいるかもしれない。
でも、きっとミスリアは。世界はまだまだ良くしていける。私はこの戦いで、それを学んだつもりよ」
フローラはそっとハンカチを手に、オリヴィアの目元を拭う。
その姿は主君ではなく、優しい姉の姿そのものだった。
「第一、良くしないとオリヴィアが幸せになれないのなら、良くする以外の選択肢はないわ」
「フローラさま……」
涙を拭い終えたハンカチを握りしめ、フローラは笑みを浮かべる。
優しくも力強い笑みを前にして、オリヴィアは再び目頭が熱くなるのを感じていた。
「フローラ様の言う通りです。貴女に悩みが不安があるのなら、私たちに話してください。
可愛い妹のためですから。絶対に、力になってみせます」
「お姉さま……」
アメリアはオリヴィアの頭に手を乗せ、優しく撫でる。
幼かった時に、よくこうして頭を撫でてもらった気がする。
慰めてもらう時も、褒められる時も。姉はこうやって、自分に愛情を注いでくれていた。
「それに、私はオリヴィアが羨ましくて仕方ありません。
想い人に『好き』と言われて、そのことで悩めるんですから」
物思いに耽りながら、アメリアはぽつりと呟いた。
シンとフェリーがそうだったように、互いが互いを大切に想い、大切であるが故に悩む。
アメリアにとってはとても羨ましくて、贅沢な悩み。
「お、お姉さま。その……」
古傷を抉ってしまったのではないかと、オリヴィアから血の気が引いていく。
頭に手を乗せられている為に、顔が上げらない。姉は今、どんな表情をしているのだろうか。
「だから、私は少しだけ怒っています。
真摯な想いを前にして、本心を隠そうとしたオリヴィアが」
「返す言葉もございません……」
(ああ、それで……)
僅かばかりの怒気を含んだ声に、オリヴィアの背筋が自然と伸びる。
同時に、フローラはどうしてアメリアが騎士の顔をしていたかを理解した。
彼女は相手が真心を持って接したからこそ、自分もそうするべきだと伝えたかったのだ。
アメリア自身がシン・キーランドに、そうしてもらった時のように。
「だったら、これからオリヴィアはどうしますか?」
「行きます、ストルの元に。伝えます、わたしの気持ちを」
アメリアの問いに対する答えを考える時間は必要としなかった。
オリヴィアは立ち上がり、屋敷の外へと飛び出す。自らの想いを、きちんと伝える為に。
「……少しだけ、羨ましいわ。アメリアもオリヴィアも、きちんと恋が出来ているのだから」
二人だけとなった空間で、フローラはソファへと腰掛ける。
沈む身体に合わせて、グラスの中の果実酒が僅かに揺れていた。
王女であるからか。跡目争いで色んな人間を見て来たからか。
まだ自分の中では、ピンとこない感覚だった。
「フローラ様だって、いつか素敵な方と出逢えますよ」
「アメリアやオリヴィアより素敵な人なんて、そうそういないわ」
「わ、私とオリヴィアですか……!?」
自分の理想を伝えると、驚いたアメリアが何度も瞬きをしている。
凛々しいだけではない。こういう可愛らしさもあるから、彼女が好きなのだ。
「ええ、私の理想は貴女たちだもの」
「きょ、恐縮です……」
顔を赤らめるアメリアを前に、ふっと笑みを浮かべる。
いつか自分も、あんな表情をする日が訪れるのだろうか。
いや、訪れて欲しい。そんな願いを抱きながら、フローラは果実酒を飲み干した。
……*
オリヴィアは夜空の下を駆け抜ける。
肺が冷えた空気を取り込んでいき、頭の中をクリアにしていく。
(ストル……!)
問題は何ひとつ解決していない。
貴族の権力争いに巻き込む危険性も、寿命で彼を置いて行く事も変わらない。
けれど、オリヴィアは知らない。その話を受けて、彼がどんな答えを返すかを。
不安はある。むしろ、不安の方が大きい。
いっそ知られない方がいいのではないか。想いを伝えるだけでは駄目なのか。
弱気が顔を覗かせたその時。彼女の視界に一人の少女が映し出された。
「オリヴィアちゃん?」
「……フェリーさん」
金色の髪が月夜に照らされ、美しく輝いている。
つい先日まで不老不死だった少女。フェリー・ハートニアが袋を両腕で抱えながら、独り夜道を歩いていた。
「どうして、こんな夜中に……」
「イリシャさんのトコで、お話してたんだ。それで、お土産にお菓子を貰っちゃったの。
オリヴィアちゃんたちも、ひとつ持って帰る?」
「ええと、またの機会に……」
「そう?」
フェリーはいつものように屈託のない笑顔を見せる。
眩しい程の笑顔だが、オリヴィアは知っている。彼女もまた、深く悩んでいた事を。
「フェリーさん」
「うん?」
もしかすると、まだ酔いが醒め切っていないのかもしれない。
ともあれば彼女を傷付けかねない問いを、投げかけようとしているのだから。
「シンさんへの想いを閉じ込めていた間。フェリーさんは、辛くなかったんですか?」
失礼な事を口走ってしまったと、思わず手で口を塞ぐがもう遅い。
はっきりと、口に出してしまった。眼前には、驚いた顔をしたフェリーが居る。
謝らなくてはならない。彼女の辛い時間を、蒸し返してしまったのだから。
「す――」
「うーんとね。ツラかったっていうよりは……。
寂しかったり、ゴメンねっていう気持ちが強かったかなぁ」
「え……」
だが、謝罪の言葉を遮ったのは他でもないフェリーだった。
眉間に皺を寄せながら、振り返るように夜空を見上げている。
「シンってば、ズルっこなんだよ。ひとりで冒険者になっちゃったし。
あと、シンに殺してもらうようにお願いしてた時は――。
あたしがシンの大切なものを奪ったと思ってたから。シンはあたしのコト、キラってただろうなって思ってたの。
いっしょに居てくれるのは、シンが優しいからだって。あたしはずっと、そう思ってた」
「フェリーさん……」
フェリーは苦笑いをしてみせるものの、相当に辛かっただろう。
それでも彼女は、今はこうして笑っている。
「でもね、あとでイロイロと教えてもらったの。
ひとりで冒険に行くのはまだ弱っちくて、あたしを護れないからだって。
護れるようになったら、いっしょに行きたかったって。
カランコエのコトも、シンはあたしはやってないって信じてくれてた。
いっしょに居てくれるのも、あたしとおんなじで、好きでいてくれたから」
不老不死になるよりも前から、彼の事が好きだった。
いつかは伝えたいと思っていても、運命がそれを許してくれなかった……。というのは、言い訳だ。
きっと、どのタイミングでもよかったのだ。勇気をひとつ出すだけで、すれ違いの日々は終わっていた。
「もっと早くにちゃんとお話ししてればよかったなって、今でも思ってるよ。
もし違ったらって思うと、コワかっただろうけどね」
次第に笑顔が柔らかくなっていくフェリーを前に、オリヴィアは息を呑んだ。
幼馴染で、家族として過ごしても。やはり大切なのは、言葉なのだ。
想っているだけでは、きっと相手を幸せに出来ない。
オリヴィアは気付けば、拳を強く握っていた。
「フェリーさん! ありがとうございます!」
「うん?」
頭を思い切り下げ、フェリーへ感謝の意を示すオリヴィア。
金色の髪を靡かせながら小首を傾げるフェリーだったが、瞬く間にオリヴィアの姿が闇夜へ消えていく。
「……どゆこと?」
呆気にとられながら、オリヴィアの走り去っていく方角を眺めていくフェリー。
やがて寒さで身体の震えを感じると、小さなくしゃみを虚空へ鳴り響かせていた。
……*
(ストル……!)
再びオリヴィアは、夜空の下を駆けていく。
問題は何も解決していないし、自分の返事を以てストルが心変わりしているかもしれない。
でも、伝えなくては何も変わらない。彼がそうしてくれたように。
(オリヴィア……!)
一方。ストルもまた、オリヴィアの元へ向かうべく駆けている。
テランやレイバーンの話が問題の本質かどうかをまだ知らない。
でも、彼女の気持ちも考えも。何ひとつ聞かされていない。
だから、ちゃんと話がしたかった。その上で、納得できる答えに辿り着きたかった。
「ストル……」
「オリヴィア……」
互いを想う合う一組の男女が引き寄せられるのは、必然だった。
向かい合う相手も、自分も。双方が肩で息をしている。
逢えた事に顔が綻んだところまで、同じ所作を見せていた。
「あのっ」
二人の声が重なり、次の言葉を失う。
早く伝えたいと逸る気持ちを抑えながら、相手へ譲ろうとする動作まで全く同じ。
僅かな沈黙を挟み、互いの表情から笑顔が零れるのもまた、必然だった。
「ストル。『好き』だと言ってくれて、ありがとうございました。
さっきはわたしの気持ちも伝えないまま断って、すみません」
ゆっくりと口を開くオリヴィアに、ストルは身構える。
そうだ。問題はあくまで、互いが好き同士だった場合の話。
何より大切なのは、彼女自身の気持ち。
「わたしも、ストルのこと好きです。
好きだから、色々と不安になっちゃったんです。
貴族の諍いに巻き込むかもしれないことも、寿命が短いことも」
「オリヴィア……」
オリヴィアは、自分の抱いていた不安を吐露していく。
内容は概ね、テランとレイバーンが語った内容と同じだった。
彼女もまた、不安だったのだ。自分のせいで、大切な男性を不幸にしてしまわないかと。
「オリヴィア。それは君だけの問題ではない。
私も、君の傍で一緒に考えさせてくれ。時間の許す限り。
君が好きなんだ。君と共に過ごす時間が、私には必要だ」
ストルもまた、自分の想いを改めて伝えた。
どんな諍いも。いつか『死』が二人を分かつとしても。
二人で向き合っていきたいと。
「でも、人間は妖精族よりずっと寿命が短いですから。
今はこうですけど、あっという間にしわくちゃになっちゃいますよ?」
「人としての深みが増すということだな。素敵じゃないか」
「……意外と、口説き上手じゃないですか」
オリヴィアはそっぽを向き、唇を尖らせる。
冗談のつもりで言ったのだが、逆に自分が照れてしまった。
でも、嬉しかった。彼は自分の人生に、寄り添ってくれると解ったから。
けれど、妖精族の寿命は人間より遥かに長い。
だからこそ、オリヴィアはここで自分の想いを伝える。
彼の人生全てを、縛りたくはないから。
「ストル。それでもわたしは、貴方より先に寿命を迎えてしまいます。
わたしが居なくなった後。もしも、貴方が今と同じように誰かを愛してしまったのなら。
その時は、今日みたいに思うように生きてください」
「それは……」
思いもよらない言葉を前に、ストルは驚嘆する。
動揺する彼の頬へ手を当てながら、オリヴィアは柔らかな笑みを浮かべる。
「でも、絶対にこう思わせてみせます。わたしと過ごした時間。
後50年……。それよりもちょっと長いぐらいでしょうか。
その時間が、貴方にとって一番幸せな時間だったと。
だから。どうかわたしと一緒に、ミスリアへ来てください」
「……ああ、勿論だ。私も、君に思わせてみせる。
生涯を共に過ごせて、幸せだったと」
「期待しています」
互いの吐息が振れる距離で、視線が交差する。
初めて重ねた唇は、芳醇な果実酒の味がした。