4.隠していた想い
「ほらほら、フローラしゃまももっろ飲んでくらはいよ~」
「え、ええ。そうね」
いつもより酒のペースが遅いと促すオリヴィア。
彼女はすっかり酔いが回っていつもの通りだが、対照的にフローラは中々酒が進まない。
フローラは気になって仕方がないのだ。アメリアの行動が、どのような影響を及ぼすのかが。
(アメリア……)
まだ動かないのだろうかと、アメリアへ目配せをする。
普段の彼女ならば、既にオリヴィアを嗜めている頃合いだろう。
「やっぱり、三人で飲むのらいちばんでふね~」
オリヴィアはもう完全に出来上がっている。
下手をするとまともな会話が望めないかもしれない。
徐々に不安を募らせるフローラだったが、ついにアメリアが動き出す。
「ええ。私がシンさんにフラれたと慰めて頂いている時以来でしょうか」
「っ……!」
刹那、空気が凍る。
微笑みを一切崩さず、事も無げに告げるアメリアだったが、オリヴィアはそうもいかない。
かつて行った、自分の醜態をはっきりと覚えているからだろうか。
だらだらと汗を流しながら、ぎこちない動きで顔を上げた。
「そ、その説は……」
視線を泳がせながら、過去の行いを悔いるオリヴィア。
こうしてみると聖母のような微笑みも途端に怖く見えるのだから、不思議で仕方が無かった。
(ア、アメリア!?)
予想外の切り出しに、フローラも思わず目を見開いてしまう。
しかし、アメリアの表情はいたって真剣なものだ。
あくまで妹を想う姉として、彼女は口を開いている。
「畏まる必要はありません。フローラ様とオリヴィアが私を励まそうとしてくれたことは心から感謝しています。
それに、私も想いが伝えられて気持ちが晴れました」
「そ、そうれすか……」
叱られる訳ではないと知り、オリヴィアはホッと胸を撫でおろす。
だが、ここからが本題だった。アメリアはオリヴィアから、本心を訊きださなくてはならない。
「ですが、あくまでそれは私の話です。オリヴィア、貴女はどうですか?」
「へ……」
酔いのせいで頭が回っていないのか。オリヴィアはきょとんと眼を点にする。
いや、勘のいい彼女の事だ。惚けている可能性も否定できない。
「正直に言わないのは、フェアではありませんね。
実は、先ほど見てしまったのです。ストルさんが、オリヴィアへ想いを伝えているところを」
「あ、あー……」
オリヴィアは少し気恥ずかしそうに「見られちゃいましたか」と視線を泳がせる。
その動作と視線の動きをアメリアは見逃さなかった。
「み、見られちゃってましたか。あはは……」
口元に当てられた手は、いつもより広がっている。
きっとオリヴィアが本当に隠したいのは、口元なんかではなく紅潮した頬なのだ。
それさえも照れくさい様子が、見て取れる。ストルに告白された事は、間違いなく嬉しかったのだ。
「オリヴィアは、ストルさんが好きですか?」
真っ直ぐな視線を向けるアメリアに、オリヴィアの身体が強張る。
「み、見られらなら知っれるじゃないでふか……。こ、断りましたから!」
オリヴィアはまだ呂律が回り切っていない様子で、乾いた笑みを浮かべる。
決してアメリアと視線を合わそうとはせず、視線は下へと逃げていく。
感情の源泉は恐らく、後ろめたさ。アメリアはそう、推測している。
「私が教えて欲しいのは、好きかどうかです」
小さく首を振り、アメリアは再度問う。
オリヴィアは「好きか?」という問いに対して、「断った」と答えた。
決して否定はしない。
そこに彼女が本心を隠す理由。後ろめたさを抱く理由があるとアメリアは強く感じた。
「……きでふよ」
掠れるような声が、オリヴィアの口から漏れる。
「すきですよ! でも、だめなんですよ!」
「……どうしてですか?」
舌をもつらせながら、本当の気持ちを口にするオリヴィア。
その想いを諦めた理由を知るべく、アメリアは彼女が恋心を諦めようとする理由を問い続ける。
……*
「教えてくれ。一体、何が原因なんだ!?」
ストルは食い気味に、シン達へと詰め寄る。
自分がオリヴィアにフラれた理由。その心当たりがあるというのだから、訊かずには居られない。
「あくまで僕の想像だけど――」
前置きをした上で、まずはテランが己の持つ心当たりを話し始める。
ストルだけではなく、リタも固唾を呑み込んで彼の言葉を聞き入れようとしていた。
「どうか解決できる事柄でありますように」と、愛と豊穣の神へ祈りながら。
「オリヴィアはミスリアへ戻る。だからこそ、君を連れてはいけない。
いいや、君を巻き込みたくなかったんだと思う」
「それは、どういう……」
意図を理解しかねると、ストルは眉を顰める。
戦いは終わったはずなのに、一体何に巻き込まれるというのか。
「ミスリアは、知っての通り魔術が栄えた国だ。ただ、あくまでそれは人間の世界での話。
そこに妖精族の君が加わることで、五大貴族の力関係は大きく変わる。
もしかすると、他にも妖精族の血を欲する者が現れるかもしれない。
この居住特区のように、純粋な想いではない。それこそ、またも悪意が及ぼす形で。
彼女は折角掴んだ平和が壊れてしまうことを、危惧しているんじゃないかな」
「そんなことが……」
「無いとは言い切れないな」
戸惑いを見せるストルだったが、マレットはテランの言っている意味が概ね理解できた。
力を合わせて脅威に立ち向かったミスリアだが、決して一枚岩ではない。
水面下では戦いが終わった後の事を見据える者も少なくはないだろう。
勿論、悪意へ立ち向かった者や王妃や王女たちの意にそぐわない形で。
そんな中で、五大貴族であるフォスター家が妖精族を婿に迎え入れるとどうなるか。
フォスター家は蒼龍王の神剣を保有しており、王妃や王女の信頼も厚い。
何より、この戦いに於いて突出した功績を残している。誰よりも強い発言権を得るのは、間違いない。
向こう数十年、フォスター家に逆らえる者は存在しないのではないかというレベルで。
強すぎる権力はいずれ新たな歪みを生み出しかねない。
聡明なオリヴィアの事だから、きっと先を見据えての判断だったのだろう。
「……そうか」
オリヴィアはミスリアを大切に想っている。テランの考えは概ね間違ってい居ないだろう。
コーネリア・リィンカーネルのように、現在を生きる者が未来を生きる者へ憤りを感じる様な世界にしてはならない。
その為なら、仕方がないというべきなのだろうか。
呑み込み切れない感情と共に、ストルは物憂げな表情を浮かべた。
「ただ、さっきも言った通り、あくまで僕個人の見解だ」
「十分だ。テラン、ありがとう」
テランの話を受け、ストルは彼へと礼を述べる。
再び持ち上げられた頭。その目線は、シンと研究所の外で待つレイバーンへと改められる。
「キーランド。レイバーン殿。もうひとつの心当たりも、どうか私に教えては頂けないだろうか」
いつしか、ストルの瞳には光が蘇っていた。
彼なりに結論を出そうとしているのかもしれない。
ならば、背中を押してやるべきだ。窓を挟み、シンとレイバーンは目配せをする。
頷くレイバーンの姿を受けて、シンは彼へと託す事を決めた。
「俺の方は、解決している。だから、レイバーンから話してやってくれ。
きっとその方が、皆にも伝わる」
「うむ。引き受けたぞ」
この場にリタが居合わせているにも関わらず、レイバーンは語り始める。
シンとは違い、必ず訪れるであろう未来の話を。
「ストル、オリヴィアは人間だ。寿命はお主よりもずっと短い。
いつかの未来で、お主を置いて先に逝ってしまう。きっと、それが怖くて堪らないのだろう。
余も同じだ。いつか、リタより先に寿命が尽きてしまう。
リタを孤独にしてしまうことが、余は怖くて仕方ないのだ」
普段とは違う、トーンの低い口調に周囲は息を呑んだ。
同じ不安を抱えていたシンが「解決した」と言った意味も同時に理解が出来た。
彼が救おうとした少女。フェリー・ハートニアは、既に不老不死ではない。
共に人間同士。同じ時間を生きる者として、残りの人生を歩んで生ける。
だが、レイバーンとリタ。ストルとオリヴィアでは意味合いが変わってくる。
元々が違う種族で、当然ながら寿命も違う。シンとフェリーのように、避けられる問題ではない。
「レイバーン……」
リタは己の胸をぎゅっと握り締める。
今まで彼女はレイバーンの持つ不安など、考えた事も無かった。
だけど、同時に聞けて良かったとも思えた。
何より、嬉しかった。ずっとずっと、自分と一緒に居る事を、彼が考えてくれていると解ったから。
その気持ちを早く伝えたい。気付けばリタは、研究所を飛び出していた。
「レイバーン!」
「リタ」
冷えた空気が、体温を奪っていく。でも、胸に秘めた熱は決して冷めない。
だから、リタはこの熱をレイバーンへ届けなくてはならない。
「大丈夫。いつかその日が来ても、レイバーンとの思い出があるなら孤独じゃないよ。
私は、ずっとレイバーンのことが好きだよ!」
小さな身体を目一杯広げ、レイバーンへ埋めていく。
彼の温もりは心地よい。自分の温もりはどうだろうかと、リタは顔を上げる。
「リタ……! 余も、命ある限りお主を愛しているぞ!」
「うん!」
レイバーンもまた、彼女の確かな温もりを感じ取っていた。
大きな手を目一杯に広げ、彼女の頭を撫でる。リタはくすぐったそうにしながらも、この上ない幸福を感じ取っていた。
「おーおー。見せつけてくれちゃって」
窓を覗き込むようにしながら、マレットがケタケタと笑っている。
ストルの悩みを差し置いて、二人は仲を深めあっている。
だが、リタの悩む事なく出した答えはストルにとってひとつの道標になるだろう。
現に、抜け殻となった彼はもう居ない。
「貴族の確執。寿命……」
ぶつぶつと呟きながら、ストルは思いを馳せていく。
ふたつの心当たりがそのまま通るのなら。オリヴィアは、自分の為に敢えて断ったという事になる。
彼女の気持ちが、解らないまま。
「テラン様もレイバーン様も。お二人の考えは、恐らく正解ですよ」
声と同時に、ふらりと研究室の奥にから一人の女性が現れる。
左眼を眼帯で隠した女性。かつて『嫉妬』に適合した侍女の、サーニャだった。
「……サーニャ。どうして、そう言い切れるんだ?」
義眼の魔導具を造るべく、全面的に協力をしている彼女は、研究所で寝泊まりをしている。
少しよろける動作を見せたのは、きっと気分が優れないのだろう。
義手や義足と違い、脳に近い位置で負担をかけているのだから無理もない。
「ワタシは、オリヴィアお嬢様によくして頂いていましたから」
休んでいたとしても問題はないというのに、サーニャは敢えて姿を現した。
伝えなくてはなららないと感じたから。自分の知る、オリヴィア・フォスターという人間を。
「オリヴィアお嬢様は、あんな態度を取っていますがとても情に厚い御方ですよ。
アメリアお嬢様の命と天秤に掛けられていても、裏切ったワタシを棄てられないのですから。
ストル様にも傷ついて欲しくない。だから、貴方の申し出を断ったのだと思います」
サーニャは無意識のうちに、自分の腹部へ手を当てていた。
あの時、ミスリアでの戦いで。開いた傷から流れる血で、自分は命を落とすはずだった。
すぐ傍では、アメリアも同じ状況に陥っている。
憧れで、親愛なる姉。裏切り者で、自分を殺そうとした敵。
どちらを救うかなんて、迷う要素は無かった。しかし、オリヴィアは思いの丈を吐き出した。
両方救いたいと、言ってくれた。
だから、これは恩返しだ。
オリヴィアだけが貧乏くじを引く必要はない。彼女の周囲には、沢山の頼れる人達がいる。
何より、彼女の恋心が報われて欲しい。他でもない、彼女のお陰で自分は人を好きになれたのだから。
「ストル様。貴方がこれから出すであろう結論に、口を挟むつもりはありません。
けれど、もし許されるのなら。もう一度オリヴィアお嬢様の元へ、向かっては貰えないでしょうか?」
深々と下げられた頭からは、確かな誠意が感じられた。
サーニャの懇願を前にして、ストルはゆっくりと腰を下ろす。
「サーニャ、顔を上げてくれ。大丈夫、私もそのつもりだ」
そう宣言をした瞬間。ストルは心臓の鼓動が速くなるのを感じた。
立ち直ったつもりだったが、まだフラれたダメージは残っているらしい。
我ながら、案外臆病なのだと苦笑いをしていた。
「では……!」
「ああ。私も確かめたいと思ったよ。皆の言ったことが本当なのかどうかを。
他の誰でもない。オリヴィア自身の口から、聞かせて欲しいんだ」
改めて、きちんと話したいと思った。
考えも、気持ちも。オリヴィアの頭の中にあるものを、全て教えて欲しい。
その上で、少しでも自分に可能性があるのなら――。
ストルの中で、ひとつの決意が固まった瞬間でもあった。