35.あなただけ
潮風が金色の髪を靡かせる。
水面が太陽光を反射する光景を眺めてると、不意に足元がふらつく。
「わわ……」
バランスを崩してしまうものの、自身の不安定さはすぐに収まった。
体幹の鍛えられた身体に、支えられたからだ。
「大丈夫か?」
「うん。ありがと、シン」
青年の問いに、かつて不老不死だった少女は笑みと共に返答をする。
さりげない。でも、決して絶やす事のなかった彼の優しさが大好きだった。
一時は諦めなくてはならないと思っていた感情。
けれど、諦めきれなかった感情。
その想いが実ったという事実が、温もりを通じて感じられる。
フェリー・ハートニアは、それがたまらなく嬉しかった。
「そうか」
素っ気ない態度を見せるが、フェリーと同様の想いを彼も持っていた。
フェリー以外の大切なものを全て喪い、唯一残った彼女さえの命さえも奪わなくてはならないと思っていた。
歯痒かったが、運命を呪った事はない。そんな暇など、彼にはなかった。
懸命にもがき続けた。あがき続けた。失いたくなかったからこそ、歩み続けた。
そして、たどり着いた。彼女を喪わずに済む方法を。
シン・キーランドは、大切なものを護り抜いたのだ。
二人はその過程で、様々な出会いを経験した。
小さい頃に聞かされた冒険譚、憧れた景色とは違ったかもしれない。
けれど、構わなかった。
十年を経た旅路に得た物は、一生誇れるものだと確信をしていたから。
「シン、見えてきたよ!」
決意を新たにする中。フェリーは目の前に広がる陸を指を伸ばす。
よく知るマギアの大地が再び、彼らを受け入れようとしていた。
……*
「これからが大変だよね」
船を降り、故郷のカランコエへ戻る道中で。
フェリーがやらなくてはならない事を指折り数え始める。
「ちゃんとキレーにして、新しくおうちも建てて、住んでくれる人を探して――」
二人だけで村は成り立たない。
昔のような日常を取り戻すまで、どれぐらいの時間が必要になるかは解らない。
考えると気が遠くなりそうではあったが、大好きだった故郷の為だと思えば辛くはなかった。
「マレットが、しばらくは屋敷を使ってもいいって言ってたからな」
「じゃあ、そっちの掃除もしないといけないよね」
ありがたいと思う反面、掃除を押し付けられたような気がする。
眉間に皺を寄せるフェリーを目の当たりにして、シンは苦笑した。
「ずっと世話になってるんだ。それぐらいはいいだろう」
「むぅ。それはそうだけど」
マレットの屋敷はなんといっても広い。
中々な労力が必要になると思うと、フェリーはまた少しだけ眉間に皺を寄せていた。
尤も。決してそれが嫌だとは思えない。
きっとあの屋敷にもたくさんの思い出があるからだ。
改めて、自分は縁に恵まれているのだとフェリーは実感する。
「ねえ、シン」
だからこそ、フェリーは初めに行きたい場所があった。
自分にたくさんの縁を結んでくれた大好きなおじいちゃん。
「どうした?」
「あたしね――」
そのおじいちゃんが最初に巡り合わせてくれた人達の元へ、フェリーは行きたかった。
どうしても伝えたい言葉があったから。
……*
「おじさん、おばさん、リンちゃん。ただいま」
両手を合わせ、フェリーは静かに瞼を閉じる。
まずは久しぶりとなるシンの家族へ。
「おじいちゃんは挨拶したばっかりだけど、改めてただいま」
続けて、アンダルへの挨拶を済ませる。
カランコエへ帰る直前。
ネクト諸島で彼の妻であるシーリンと共に挨拶を済ませたのだが、この村で積み重ねた思い出がたくさんある。
改めて、大好きなおじいちゃんに返ってきた事を伝えたかった。
「皆、ただいま。時間はかかったけど、終わったよ」
シンもフェリー同様、帰郷の挨拶を家族達へ告げる。
十年前とは違い、帰ってきたという喜びを真っ直ぐに伝えた。
想いを告げる、静寂に包まれた空間。
亡き家族への積もる会話に区切りを入れたのは、シンだった。
「皆に挨拶もできたし、今日のところは種を埋めてからマレットの屋敷に戻るか?」
シンが取り出したのは、フェリーの魔力が込められた種。
ひとつはリタが妖精族の里で育てており、もうひとつはフェリーが持ったままだったもの。
発芽するかは未知数だが、リタが可能性は決してゼロではないと教えてくれた。
宝岩族の恩恵により魔石が多いマギアでならば、必要な魔力を得る事ができるかもしれないと。
もしもその仮説が正しければ、世界で二本だけの樹が育つ。
妖精族の里とマギアにとって、友好の証となるだろう。
どこに埋めるかも、既にフェリーとは相談済みだ。
この村を見渡す事ができる丘。二人にとっては、よく遊んだ思い出の場所でもあった。
「うん、そだね」
既に頭上は夕焼けに染まろうとしている。
村の復旧に本腰を入れるのは明日からだというシンの考えはよく解る。
「でも、その前に――」
けれど。
フェリーにはまだやりたい事があった。
「もう少しだけ、お話したいから……。
シンは先に、丘の方に行っててくれる?」
両手で口元を覆いながら、フェリーは言った。
頬も僅かに火照っている。赤く染まっているのだろう、夕焼けで誤魔化せているといいのだけれど。
これから二人で生活を始めていく。
本来なら、除け者にするのは間違っているだろう。
フェリーは申し訳なさを覚えつつも、ここだけは譲れなかった。
自分がしようとしている話をシンに聞かれるのは恥ずかしい。その一心で、懇願をした。
「わかった」
尤も。フェリーの心配は杞憂に終わる。
シンもまた、彼女の言動と仕草から自分が居るのは野暮なのだろうと察したからだ。
「じゃあ、話が終わったら追ってきてくれ」
「うん、それはもちろん」
フェリーは軽く頷くと、背中を向けるシンを見送る。
小さくなった彼の姿を確認し、再び墓前へと振り返る。
「えへへ。ごめんね、ホントはシンとももっとお話ししたかったよね。
あたしのワガママ、きいてもらっちゃった」
頬を掻きながら、照れくさそうに笑みを浮かべる。
もう、この場には自分しかいない。だからこそ、伝えられる言葉があった。伝えたい言葉があった。
「シンはね、ずっといっしょにあたしと旅をしてくれたんだよ。
ツラいコトもたくさんあったけど、楽しいコトもたくさんあったの。
まずはね――」
改めて、この十年の旅路がどんなものだったかを簡単に伝える。
本当はもっと詳しく聞いて欲しいから、たくさんお参りをすると添えながら。
「――それでね、シンが結婚しようって言ってくれたんだ」
頬を紅く染めながら、フェリーは墓前へ目いっぱいの笑顔を向ける。
一拍の間を置いて、彼女は自らの想いを語り始めた。
「あたし、すっごく嬉しくって。シンとずっと家族でいられるのが、幸せだなって思ったの」
幼い頃からずっと一緒だった。
アンダルを亡くしてからは、皆が家族として受け入れてくれた。
その家族さえも、崩壊してしまった。
自分はもう、誰かと家族ではいられない。いてはいけないと考えていた。
けれど、違った。
シンは子供の頃から、何ひとつ変わらなかった。
ずっと自分の手を離さないでいてくれた。
これからも離さないでいてくれる。自分は幸せ者だと、つくづく思った。
「それでね」
だからこそ、フェリーは伝えなくてはならない。
彼の大切な家族に。彼と同じぐらい優しい人達に誓わなくてはならない。
「あたしはみんなにたくさんの幸せをもらってるから。
今度はあたしが、シンを世界でいちばん幸せにしたいなって」
フェリーは願い続けていた。
いつか自分から解放された時。シンには幸せになって欲しいと。
だけど、願うだけではいけないと感じた。
彼が自分にしてくれたように、自分が彼を幸せにしなくてはならない。
その決意を、きちんと口に出したかった。
照れくささはあるけれど、偽りのない本心だった。
「あ、でも」
ちゃんと言えたと思ったフェリーだが、ふと口元に手を当てる。
「シンが幸せだったら、あたしももっと幸せだから……。
もしかして、世界でいちばん幸せなのはあたしになっちゃうのかな?
なんてね」
ふと、解決する必要のない悩みに気付いてしまう。
心からそう思える幸福を感じながら、フェリーは思わずはにかむ。
「でも、本当にそうなったらステキだと思うから。
見守っていてね。リンちゃん、お――」
ほんの僅かだが、言葉が止まる。決して詰まった訳ではない。
フェリーはずっと考えていた。
大人っぽく振舞おうとし始めた頃を思い出す。
一人称を「フェリー」から「あたし」に。
同時に、カンナの事を「おばさん」と呼ぶようになった。
いつまでも「ママ」と呼ぶのは子供っぽいと思ったからだ。
初めて「おばさん」と呼んだ時。
カンナは少しだけ驚いた顔をしていたのを覚えている。
リンにこっそりと理由を訊かれたと教えてもらった。
少しだけ申し訳ない気持ちになった。
決してカンナへの想いが薄れた訳ではなかったから。
けれど。
自分を産んだかもしれない女性に出会って、改めて感じた。
どれだけ皆が愛情を注いでくれていたかを。
確信が無かったからではない。
きっと確信を持てていても、フェリーが彼女をそう呼ぶ日は来なかっただろう。
自分がそう呼びたい人は、たった一人だけ。
仄かに憧れた、この人だけだ。
「――おかあさん」
刹那。そよ風がフェリーの頬を撫でる。
かつて彼女が自分にそうしてくれたような、優しい感触だった。
たとえ偶然だとしても、嬉しかった。
「おとうさんも。また、来るからね!」
満面の笑みを浮かべ、フェリーは墓前を後にする。
……*
「話は終わったか?」
「シン、待っててくれたの?」
思ったよりも早くシンを視界に捉え、フェリーは目をぱちくりさせる。
急いで追いかけなくてはならないと思っていたのだが、丘の麓で待ってくれていた。
たったそれだけの事でも、嬉しくなってしまう。
「種はフェリーのものなんだから、俺が埋める場所を決めるわけにもいかないだろ」
そう言って、シンが手を差し出す。
フェリーは差し出されるままに、彼の手を取った。
たくさんの努力が解る、肉厚な手。
いつも自分と傍に居てくれる手。
手の大きさも硬さも変わっているのに、同じ温かさを持った手。
「ねえ、シン」
「どうした?」
「だいすきだよ」
シンの手を握り返せる事が、幸せで堪らない。
彼への想いを言葉に乗せ、フェリーはとびっきりの笑顔を浮かべていた。




