34.とある堅物のその後
槍の穂先を地面へ突き立て、武と大地の神へ祈りを捧げる。
彼にとって、この所作は一日の始まりを告げる合図だった。
男の名はオルテール・ニムバスト。
かつて砕突のオルテールと名を馳せた武人である。
尤も。
それほどまでに名の通った武人であるにも関わらず、彼の人生は順風満帆とは言い難かった。
堅物。頑固。意固地。強情。愚直――。
オルテールという人物を評する際に、皆が口を揃える評価だ。
彼はその性格故に、悉く裏目を弾き続けた人生と言っても過言ではない。
十代の頃は冒険者一党と喧嘩別れをした。
仲間との意識に違いが生じ、最後まで足並みを揃える事が出来なかった。
二十代の頃は幼い子供を連れて、妻が姿を消した。
亭主関白というべきか。自分の意見を押し通していく内に、夫婦仲に亀裂が入ってしまっていた。
以降、妻子とは会っていない。少しだけ後悔をしたが、後の祭りだった。
三十代の頃は貴族から武術の指南役を解任された。
基礎からみっちりと鍛えていく彼のやり方が、優雅な暮らしをする貴族には合わなかった。
この件に関しては、オルテールは今も悪くないと考えている。
見せかけだけ整えても、真の強さには至らないと身をもって知っているからだ。
こうして様々な行場で我を通した結果、彼は居場所を追われていった。
両の手には宝岩王の神槍が抱えられていたが、腹が膨れる物ではない。
大切な神器をそのように扱うなど、オルテールは考えもしなかった。
単独で冒険者ギルドの依頼をこなし、国を転々としては日銭を稼ぐ。
神器の継承者でありながら、先行きが不透明な日々。
そんな日々に変化が訪れたのは、五十代に差し掛かろうという時だった。
まだ魔導大国として名を轟かせる前のマギアを訪れた時の事だ。
宝岩族と武と大地の神に感謝の祈りを捧げる際。
マギアを旅する日銭を稼ぐ為の依頼で、彼はバクレイン家と邂逅を果たす。
周囲からすれば堅物で扱いづらい人間だったであろうオルテールを、バクレイン卿は気に入った。
嘘がつけない性分という事は、それだけ信頼に値するというのが彼の出した結論だったらしい。
頑固な物言いのオルテールも、自分の意見を正面から受け止めてくれる人物とは初めて出会った。
反発する訳でもなく、聞き流す訳でもなく。ただ向き合ってくれるバクレイン卿を、彼は尊敬した。
バクレイン家の従者になってからは、その頑固な性格も忠義という方向に作用をしていた。
彼の人柄を高く評価していたバクレイン卿は、生まれたばかりの息子。オルガルの世話役にオルテールを任命した。
主君が自らの子を、自分に任せてくれる。
オルテールにとって、それは感極まるものだった。
期待に応えるべく、その子を一人前の男に育て上げて見せると意気込んでいた。
だからこそだ。
大切な存在が人攫いに遭ったと聞かされた際は、卒倒しそうになった。
次の瞬間には、怒りで腸が煮えくり返る。頭に浮かび上がった青筋は、破裂しそうな程に膨張していた。
共に出かけていた従者を叱咤する暇など、一瞬もなかった。
すぐに人攫いを見つけ出し、生まれてきた事を後悔させてやろう。
その一心で彼は、マギアの街中を駆けずり回っていた。
自分が傍に居れば、オルガルに怖い思いをさせる事はなかった。
買物程度ならば自分は不要だ。のびのびとしてほしいという考えが浅はかだったと後悔する。
その思いから、オルテールは責任を取る覚悟でいた。
だが、バクレイン卿は彼を咎めない。
それどころか、救ってくれてありがとうと礼まで述べる。
寛大な心に、オルテールの頬を一筋の涙が伝った。
生涯をかけて、この家に仕えよう。改めてそう誓った瞬間でもあった。
しかし、運命の悪戯は彼に新たな試練を課す。
バクレイン卿とその妻が、事故により他界する。
こうしてまだ幼いオルガルは、バクレイン家の当主となってしまった。
ここから、バクレイン家の凋落が始まる。
右も左も判らない子供が、大人達に振り回される日々。
バクレイン家は資金も影響力も衰えていく日々。
季節が過ぎる度に、屋敷の広さを強く感じるようになっていった。
「じいや。もういいよ、ありがとう」
ぽつりと、オルガルがそう漏らす。
これ以上自分の下に居ても、良い事なんて起きない。
自分の人生を歩んで欲しいと、オルテールへ暇を与えようとした時だった。
「その先はなりません!
このオルテール、何があっても坊ちゃまの傍を離れませんぞ!」
だが、オルテールは主の言葉を聞き入れなかった。
亡き先代から任された仕事を成し遂げるべく、彼はオルガルの教育に心血を注いだ。
バクレイン家の再興を夢見て、彼は日々を懸命に生きる。
オルガルもまた、そんな彼の心意気に深く感謝をした。
もう一人の父だと思える程に、二人は強い絆で結ばれていた。
……*
それから時は過ぎ、法導歴0520年。
オルテールは今日も無事に一日を過ごせる事が、どれだけ幸せか身に染みる。
堅物。頑固。意固地。強情。愚直――。
齢も百歳に達しようとしている中、彼に対する評価は以前と変わらない。
――と、思っていたのだが。
「ほーら、坊ちゃま! おひげですぞ!」
顎から垂れた髭をゆらゆらと靡かせると、赤子の笑い声がこだまする。
愛くるしい様子を前に、オルテールの顔も自然と緩んでいた。
彼は今、幸せの絶頂を迎えている。
バクレイン家の再興という夢が叶い、オルガルにも良い縁があり、こうして彼の子供を腕に抱く事が出来たのだから。
頑固で愚直な男はどこへ行ったのやら。
今はただひたすらに、赤子をかわいがる毎日だ。
人生永く生きてみるものだと、しみじみ感じている。
「あかちゃん、たのしいってゆってるね!」
老人と赤子が楽しそうに見えたのか、一人の少女が笑顔を見せる。
金色の髪を揺らし駆け寄る少女の名は、アン・キーランド。
「おお、そうかそうか! 坊ちゃまは楽しいと言っておるのか!
教えてくれて、ありがとうな」
「う!」
アンの言葉に、オルテールはますます気分をよくする。
彼女の頭をくしゃくしゃと撫でてやると、アンも屈託のない笑みを浮かべていた。
「じいやってば、すっかり子供に甘くなっちゃって」
子供に囲まれるオルテールの姿を、離れた位置から見守るオルガル。
かつて、あんな風に目尻の下がった笑顔を自分にも向けてくれていた。
緩み切った彼の顔を見て懐かしくもあり、嬉しくも思う。
「ふふ。オルテールさんって結構子供好きなんだね」
フェリーもまた、オルテールに頭を撫でられるアンの姿に笑みを浮かべる。
大好きだったおじいちゃんとの日々を思い出し、彼女も懐かしく思う。
「じいやは頑固で融通が利かなかったりしますけど、本当はああやって優しいんですよ。
どんなに困ったときでも、ずっと僕の傍で支えてくれた大切な人です」
恩人であり、もう一人の父を想って目を細めるオルガル。
彼の言葉を受けて、フェリーはふと思った事を口にする。
「そう聞くと、オルテールさんってちょっとシンに似てるかも」
「そうですよね。僕もちょっと、同じように感じてたんですよね」
「ね、そうだよね」
フェリーの言葉に強く同意をするオルガル。
しかし、言われた本人は納得をしていない。
「俺はあの爺さんと似てない」
「えー?」
仏頂面で反論をするシンだったが、フェリーから笑みが零れる。
隣でオルガルが「同じことを言いそうだ」という顔をしていた。
「逃げると思うけどなぁ。ガンコだけど、優しいし。
あたしとも、ずっといっしょに居てくれたもんね」
「……」
事実を並べているだけだとニコニコ笑みを浮かべるフェリーに、シンは言葉を失う。
気恥ずかしさから顔を背けるのが、彼にとっての精一杯の抵抗だった。
「アンもね、パパとママとずっといっしょにいるんだよ!」
「ねー」
両親の会話が聞こえたのか。駆け寄る愛娘を、フェリーが抱き上げる。
満面の笑みを向ける妻と子を前にして、シンは照れを隠すように頭を掻いた。
「ほほ、お嬢ちゃんは家族皆が仲良しじゃな」
「う!」
ゆっくりと追ってきたオルテールが小刻みに頷く。
上下に動く髭の様子を、赤子は腕の中で楽しんでいる様子だった。
「あかちゃんもね、おじーちゃんとなかよしってゆってるよ!」
喜ぶ赤子を指しながら、アンはオルテールへ笑顔を向ける。
彼女の言葉に賛同するように、オルガルが続いた。
「アンちゃんの言う通りだよ。
僕も妻も、この子も。オルテールのことは、家族だと思っているんだから」
「若……。もったいなきお言葉です……」
嘘偽りのない真っすぐな気持ちを向けられ、オルテールは感極まってしまう。
年齢を重ねて緩くなった涙腺から、大粒の涙が溢れ出した。
「おじーちゃん、どこかいたいの?」
「いいや、これは大丈夫なやつじゃよ」
「う?」
ただ一人。涙の意味をまだ理解していないアンがオルテールの頭を撫でる。
天真爛漫故の優しさに触れ、オルテールはまた感動をしてしまった。
「けど、ありがとう。お嬢ちゃんのように優しい子だったら、坊ちゃまに相応しいの。
どうじゃ? 坊ちゃまは将来性もあるぞ。今の内に――」
「じいや! そういうのはまだ早いから!」
「そういうのは、本人の気持ちが一番大切だ」
「さすがに早すぎるよね」
オルテールは鼻を啜りながら、アンに赤子との将来を打診をする。
慌てて否定をするオルガルと、突然の事に苦笑いをするシンとフェリー。
「う?」
当事者のアンだけが、言葉の意味を理解できずに小首を傾げていた。




