33.二人の目標
オルガル・バクレインには目標とする人物が二人いる。
世界が平和になっても。いや、平和になったからこそその気持ちを一層強めていた。
これから先を生きていく指針として、決して忘れないようにと。
……*
「おはようございます。旦那様」
左右から聞こえるのは、侍女達の声。
深々と頭を下げた彼女らによって作られた、一本の道。
その中心を通り過ぎていくオルガルは、やや及び腰であった。
「お、おはよう」
ぎこちない挨拶を交わす彼の姿は、とても貴族の立ち振る舞いとは思えない。
無理もない。この一年でを取り巻く環境はがらりと変わったのだから。
先の戦いで功績を挙げた結果、没落貴族だったオルガルの名は瞬く間にマギア中へと広がった。
結果、悲願だった一族の再興を成し遂げた……のだが。
オルガル自身はどこか浮かない様子だった。
「若。当主としては、もう少し威厳を持たれた方がよろしいですぞ」
屋敷を出たとたん、背後から小さな叱咤を受ける。
自分を育ててくれた師であり、付き人のオルテールからだ。
「わかってるけど、どうにも慣れなくて」
オルガルは困ったという風に肩をすくめて見せた。
若くして両親を亡くしてからは、しばらくはオルテールと二人で切り盛りをしていたのだ。
当時は訓練の風切り音さえはっきりと聞き取れる静寂な空間だった。
それが今では、大勢の気配と声が屋敷中に響いている。
住み慣れた実家とはいえ、こうも環境が違えば別世界としか思えない。
尤も。この状況に慣れない理由は、オルガル自身の気質にもあった。
彼は自分でできる事は自分でこなしてしまう。そうせざるを得ない背景があったとはいえ、苦ではなかった。
結果として、手持ち無沙汰になってしまったというのも彼の戸惑いに拍車をかけていた。
「このオルテールが帝王学を嗜んでいれば、若に恥をかかせることもなかったというのに……。
一生の不覚ですじゃ……」
「そこまで思いつめなくていいから」
武術ばかりで己の学が浅かったと、オルテールは固く拳を握る。
そんな彼を宥めながら、オルガルは気取られない程度に口元を緩める。
きっと彼には彼なりの理想像があるのだろう。
強く逞しく。そして凛々しく領地を統治する自分の姿を夢見ていたのかもしれない。
もしもそうであるなら、今の姿は希望に添えられていないだろう。
そんな主でもオルテールだけは自分を見捨てずにいてくれていた。
そして、彼と共にした時間はオルガルにとって宝物だった。
灼熱の太陽が肌を灼いても。降り積もる雪が身体を凍えさせても。
毎日、欠かす事なく鍛錬は行われた。
広げた掌には幾度となくマメの潰れた痕がある。
子供の頃は、オルテールのように硬く分厚い手が羨ましかった。
少しは追いつけただろうか。いつかは追い越せるだろうか。
その姿を、彼に見せる事ができるだろうか。一人目の目標であり、恩人でもある彼に。
「若、どうされましたか?」
「なんでもないよ」
訝しむオルテールをはぐらかしながら、オルガルは背を向ける。
理想の主ではないかもしれないが、今の精一杯を彼に見せよう。
改めて踏み出した一歩は、力強かった。
……*
オルガルとオルテールは現在、マギアの兵士に武術の指南を行っている。
理由のひとつには、ベル・マレットが大いに関係していた。
魔導石の精製技術を失ったマギアは、魔導具産業において遅れを取るだろう。
内乱で荒れ果てたマギアは、これから衰退の一途を辿るかもしれない。
それでも。向き合わなくてはならない。
だから今は、備えなくてはならない。身も心も。
マギアが得意としていた兵器は、魔術にも見劣りしないだけの力を秘めていた。
一方で『命』を軽んじていた事は先代国王を見ていれば解る。
そこで神器に認められた彼らへ、兵を鍛えなおしてほしいと要望を出したのがロインだ。
兵達としても、邪神との戦いで活躍をした英雄から指南を受けられるのはありがたい話だった。
勿論、バクレイン家にとっても復権の足掛かりになるのだから願ってもない話だ。
こうして、三者の利害が一致した事により武術指南が行われている。
勿論、全てが順風満帆だった訳ではない。
オルテールの指導方法は、魔導具や重火器の扱いに慣れていたマギアの兵士からすれば古臭いものだった。
というか単純に、過酷すぎるが故に振り落とされる者が少なくなった。
ただでさえ皺の多い眉間に、新たなる縦筋を刻みながらもオルテールは指導を続ける。
彼もまた、他の方法を知らないのだ。
自分自身も耐え、オルガルも耐えてしまったやり方なのだから。
「……軟弱者が」
老体の自分でこなせるのだから、若者がこなせないのはおかしい。
そう言わんばかりに、オルテールは悪態を吐いた。
このままでは無茶苦茶な師に壊されると、兵が恐怖を抱いてしまう。
「まあまあ、僕だって最初はすぐにバテていたんだから」
しかし、オルガルは違っていた。
兵ひとりひとりの体格や体調を見極め、負荷を変えていく。
頑固なオルテールを宥められる唯一の人物ということもあって、兵にも慕われていた。
「オルガル様のおかげで、何とか続けていられます」
ある一人の青年兵が、汗を拭いながらそう言った。
彼はオルテールの指導による負荷に身体が耐えきれず、訓練中に倒れた第一号でもあった。
「オルテールは僕に華を持たせてくれているだけだよ。
本当は優しいんだ、ちょっと不器用だけどね」
「はあ……」
青年と共に休憩を取りながら、オルガルは苦笑した。
さながら飴と鞭の関係で、彼は普通なら嫌がる鞭の部分を担ってくれていると伝える。
オルガルとしても、自分に尽くしてくれたオルテールが誤解されるのは不本意だからだ。
彼は少し不器用なだけだ。本人曰く「今更、素直に話すのも難しい」と弱音を吐いた事もある。
だから、どうしても頑固な態度を取ってしまう。ならば、その部分は自分が補ってしまおう。
それがオルガルにとって、恩返しのひとつでもあった。
「それにしても……。オルガル様も、オルテール殿も流石ですね。
やはり、神器に選ばれる方は違うというか……」
無論、青年とてオルテールに悪感情を抱いている訳ではない。
そうでなければ、とうにこの訓練場から姿を消している。
青年はむしろ、オルガルとオルテールに尊敬の念を抱いていた。
凛とした佇まいで、無駄な動きが見当たらない。
鍛錬の末にたどり着いた境地。その褒美として、宝岩王の神槍に認められたのだろう。
その結果。世界を救う力になったと考えれば、憧れるのも無理はない。
事実、青年と同じような考えはマギアに広がりつつあった。
きっかけはふたつ。
ひとつは邪神との戦いで、神器の継承者が大きな戦果を挙げたから。
もうひとつは、宝岩族の遺した奇跡。
武と大地の神を通じて、魔石がその力を失う瞬間。
絶望の光が霧散していく様子を目撃した解放軍は、彼らへの感謝を次々に述べていた。
それらが巡り巡って、宝岩王の神槍の継承者であるオルガルとオルテールは羨望の眼差しを送られているのだ。
「神器は関係がないよ。世界には、もっとすごい人がいるんだ」
「すごい人というと、ベル・マレット博士やミスリアの魔術師たちですか」
「ううん、彼女たちとも違うかな」
青年の肩に手を乗せ、オルガルは穏やかな笑みを浮かべた。
勿論、武と大地の神や宝岩族に祈りや感謝が集まっている事は嬉しい。
けれど、それだけではない。
自分が目標とするもう一人の人物は、神器などとは縁のない人間なのだから。
「ただひたすらに優しくて、ただひたすらに誰かへ手を伸ばそうとする。
それだけで人は強くなれるんだ」
思い浮かべたのは、一人の青年。
大切な少女の為に戦い続けていたはずなのに。優しい彼は、他の困っている人を放ってはおけない。
何かと理由をつけては、手を差し伸ばそうとする。
神器の継承者でなくとも、魔術なんて扱えなくても。
仮にひとつも魔導具を持っていなかったとしても、その姿勢は変わらないだろう。
根拠はある。
彼は見ず知らずの子供だけではなく、神にすら手を差し伸べたのだから。
どれだけの本心や感情を己の内に閉じ込めても、優しさだけはとめどなく溢れ出ていた。
そんな彼が、戦う力を持たないぐらいで歩みを止めるとは思えなかった。
自分も彼のように、優しい人間になりたい。
オルテールとはまた違った強さを持つ、もう一人の目標。
きっと今は、世界中を旅している頃だろうか。
彼が故郷であるマギアに戻ってくる日を、オルガルは心待ちにしていた。




