31.同窓会
眼前に広がるのは、荒れ果てた荒野。
ビルフレスト・エステレラ率いる世界再生の民との激闘の証が、今もなお傷痕として残っていた。
法導歴0520年。
ミスリアの騎士を率いる女傑。ヴァレリア・エトワールはその地を訪れていた。
争いを終えてちょうど三年が経過した日である。
「ここは相変わらずだな」
自嘲気味にぽつりと呟く。
この地の復興が手つかずという事実が、祖国に蔓延る悪意の残滓を証明してしまっている。
否が応でも、多くの悲劇が思い出される。
ヴァレリアにとっては、自分の不甲斐なさを忘れないようにする楔となっていた。
皮肉にも、今の自分の原動力はこの光景を眼に焼き付ける事で得ていた。
「よう、ビルフレスト。今年も来てやったぞ」
誰もいない大地に向かって、ヴァレリアは彼の名を呟いた。
この地で命を落とした、悪意の根源となった男の名を。
当然ながら、返事などあるはずがない。
それでもヴァレリアは気にすることなく、酒瓶を取り出しては栓を開けてみせた。
「アタシの施しなんていらないだろうけど。まあ、飲めよ」
ひっくり返された酒瓶からは、ぼたぼたと勢いよく酒が零れていく。
酒は渇いた荒野により、瞬く間に飲み干された。
飲ませた張本人であるヴァレリアは、歯を食いしばりながらその様子を眺めていた。
この大地と同じ。渇いてしまった涙の源泉を、思い出さずにはいられなかったから。
「ビルフレストよお。アタシはお前が憎い。許せない。
屍人でも、化けてでもいい。
もしアタシの目の前に出てきやがったら、思い切りぶん殴ってやる」
嘘偽りのない気持ちだった。酒瓶を握る手に力が入る。
彼が持ち込んだ悪意の伝播により、二人の妹は命を失った。
護るべき存在だった王さえも、実の息子の凶刃によって倒れた。
妹と主君の仇。
未来永劫、恨み続けるに値する存在。
決して尽きない怒りが、ヴァレリアの胸には灯っている。
「でもな、考えちまうんだよ」
それでも。
考えずにはいられない。
存在したかもしれない可能性を、追及せずにはいられない。
噛み締められた奥歯が。握りしめられた酒瓶が僅かに緩む。
「もしかすると、アタシたちならお前を止められたんじゃないかって」
そう考えてしまうのは、今とは違うビルフレスト・エステレラを見てしまっているから。
士官学校始まって以来の天才かつ、品行方正だった頃のあの男を。
ビルフレストは圧倒的な才覚で、あらゆる分野でトップの成績を収めていた。
それでいて、周囲への物腰も柔らかだった。
「ビルフレスト・エステレラ模範にしろ」というのが、当時の教員や親の間で口癖になる程度には圧倒的だったのだ。
今になって思えば、世界再生の民を作る為の足掛かりだっただけかもしれない。
それでも、まだ誰もビルフレストの胸中など知りはしない。
彼に憧れた者がいる。彼に恋焦がれた者がいる。彼に仕えたいと思った者がいる。
ビルフレストの計画は、予定通り進んでいったと言って差し支えなかっただろう。
ただ二人。
そんな完璧な彼を疎ましく思う者が居た事を除いては。
「お前はほんっとうにいけ好かないヤツだったよ」
恨みや憎しみの籠った姿とは打って変わって、どこか楽しそうに。
もう十年以上も前の記憶を辿りながら、ヴァレリアは言った。
彼女こそが、その疎ましく思う者の一人だったからだ。
ヴァレリアは士官学校時代、全てにおいてビルフレストに敗北を喫していた。
自分が不器用である為、魔術の行使では勝負にならない。
代わりに渾身の魔力を込めて剣に注ぐも、あっさりといなされてしまう。
学問も決して自分の成績が悪い訳ではないのに、勝てる気がしなかった。
同じ五大貴族の出身でありながら、「ビルフレストを見習え」と言われた時は怒りのあまり血管が切れそうだった。
容赦なく刻まれる敗北感。だが、劣等感だけは抱かない。
何が何でも、このいけ好かない男に勝てる物を見つけてみせる。
ヴァレリア・エトワールもまた、不屈の魂を持つ女傑であった。
そこからヴァレリアの戦いが始まる。
どんな些細な事でもいい。ビルフレストに一泡吹かせる物を見つけたい。
必死だった。今思えば、馬鹿としか思えないような勝負さえも挑んだ。
しかし、幾度となく負け続けた。それでもビルフレストは、ヴァレリアとの勝負を避けようとはしなかった。
晩年の彼では考えられない人付き合いの良さだった。
「それで結局、酒は一回だけ勝てたんだよな」
空になった酒瓶を持ち上げながら、虚しそうな顔を浮かべながらも口元を緩める。
士官学校の卒業が迫ったある日。同期で互いの健勝を祈っての宴会が行われていた。
そこでヴァレリアはビルフレストに酒の強さで勝負を挑んだのだ。
在学中に何ひとつ勝てなかったが故の焦りが多分にあったものの、言った直後は後悔した。
いくら何でも、馬鹿な勝負を挑むのは違うだろうと思っていた。
しかし、意外にもビルフレストはこの勝負を承諾した。
彼もまた、同じ日に敗北を喫しているが故に勝負から逃げるという選択肢を失っていたのだ。
ビルフレストが敗北を喫した内容と、彼の負けず嫌いな一面を知ったのは、全てが済んでからの事である。
酒を流し込む度に強くなる浮遊感。薄れていく判断力。
一方で、闘争心だけは衰えなかった。
ビルフレストがグラスを握っている限り、自分も決して離しはしない。
そんな意地がまかり通ったのは、限界をはるかに超えた後の事だった。
ビルフレストは苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、「もういい」と呟く。
その言葉を聞いたヴァレリアは嬉しさのあまり、そのまま意識を落としてしまった。
目が覚めた際、仏頂面をした彼に水を差し出されたのを覚えている。
勿論、したり顔で受け取った事も。
そこから先は共に王宮へと仕えた。
子供じみた遊びは士官学校に置いてきたのか、任務と訓練に明け暮れる日々を送る。
その裏で悪意が襲るべく速度で育っていく様に、ヴァレリアは気付いていなかった。
だからこそ、ヴァレリアは余計に感じてしまうのだ。
自分達ならば、ビルフレスト・エステレラを止められてのではないかと。
「結局、お前に必要だったのは暇つぶしだったのかもしれないな」
もしもずっと、ビルフレストの後塵を拝す事を嫌っていたら。対抗心を燃やし続けていたら。
呆れながらも彼は逃げなかっただろう。
巡り巡ってそれは彼の悪意を抑制する事に繋がったのではないだろうか。
ほんの僅か、存在したかもしれない可能性を考えずにはいられなかった。
何故なら、ヴァレリア・エトワールにとってそれが一番幸せな結末になっていただろうから。
「ま、もうどうしようもないんだけどな。
けど、あの世でも無茶苦茶やりそうだからアタシがたまには顔を出してやるよ。
だから逃げんなよ、ビルフレスト・エステレラ」
こう言えば、負けず嫌いな彼はきっと自分への意識を絶やさないだろう。
代わりに存在するかどうかも分からない彼の相手をしなくてはならないが、仕方がない。
同期のよしみでそれぐらいは相手をしてやってもいいと、ヴァレリアは考えていた。
伝えるべきことは伝えた。
きっと彼への怒りや憎しみが完全に消える日は訪れない。
自分への自戒も含めて、またこの地を訪れよう。
そんな事を考えていたヴァレリアに、ひとつの影が忍び寄っていた。
「ヴァレリア嬢? さっきから何を言っているんだ?」
「うわぁ!? ラッ、ライラス!?
なんでお前がここにいるんだよ!?」
影の正体はライラス・シュテルン。
士官学校でビルフレストの存在が気に食わなかったもう一人の五大貴族。
ヴァレリア同様に彼へ強い対抗心を燃やし、彼女より早くビルフレストに勝利を収めた人間でもある。
「なんでと言われても。今日はビルフレストの命日だろう?
奴は悪人だったが、同期のよしみで顔ぐらいは出してやろうと考えていたのだ」
ヴァレリアは言葉を失った。
示し合わせてもいないのに、まさかライラスが自分と全く同じ行動を取るとは思っていなかった。
とたんに自分の行動に気恥ずかしさを覚えてしまう。
ビルフレストに語り掛けた内容を聞かれてはいなかっただろうかと、頭を抱える。
「ヴァレリア嬢? どうかしたのか?」
「ああ! どうもしねえよ!
つうかお前、ビルフレストに力比べをして勝ったぐらいで満足してんんじゃねえぞ!」
そう。彼が勝利を収めた内容は自慢の筋肉に依るものだ。
力比べ。ピースの世界で言うところの腕相撲でライラスは勝利を収めていた。
「な、何を怒っているんだ。というか、いつの話をしているんだ……」
「うるせえ!」
突然怒り狂うヴァレリアに、ライラスは戸惑いが隠せない。
気恥ずかしさを誤魔化す様に、ヴァレリアはより強く叫ぶ。
仮にビルフレスト・エステレラがこの地に眠っているのであれば。
二人の同期がいる限り、彼が退屈をする事はないだろう。




